現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ボブ・グリーン「シボレー・サマー」

2020-06-30 15:21:20 | 参考文献
 1980年代から1990年代にかけて日本でも人気のあった、アメリカの有名なコラムニストの本です。
 作者は1947年生まれのいわゆるベビーブーマー(日本で言えば団塊の世代)に属するので、この本が出たころには50歳代にかかったころでしょう。
 彼の文章は、10代、20代、30代、40代に書かれたものも読みましたが、弱者や陽の当たらない市井の人たちへの温かい視線は一貫して変わらないのですが、しだいに懐古的なコラムが増えてきました。
 彼が懐古しているのは、彼の少年時代や青春時代である1950年代、1960年代のいわゆる古き良きアメリカです。
 それは、タイトルにも象徴されているように、シボレーのようなでっかいアメ車を乗り回していた夏の夜に代表される豊かな生活です(彼自身も、16歳の誕生日に父親から自分の車をプレゼントされています)。
 しかし、それはあくまでも白人社会に限った話で、当時の彼の知らない所で公民権運動は行われており、キング牧師は暗殺されました。
 こういった懐古主義が根っこにあると思うと、彼の書く正義を振りかざしたコラム(その中には黒人や子どもたちに対する差別を告発するものもあります)も、すでに名声を確立した立場からの権威主義に思えてしまいます。
 その点では、日本での椎名誠や沢木耕太郎などにも近い雰囲気があり、成功者の無残を感じてしまいます。

シボレーサマー
クリエーター情報なし
阪急コミュニケーションズ
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キャンプなんかに行きたくない!

2020-06-29 14:40:18 | 作品
 机の横のカレンダーに書きこまれた赤いマル。八月七、八、九日がもうすぐやってくる。弘が参加する「夏休みちびっ子キャンプツアー」の日だ。
(嫌だなあ)
 さっきから弘は、何度も横目でカレンダーを見ながら思っていた。
 旅行会社のちらしを見て、キャンプに申し込んだのはおかあさんだった。
「男の子なんだから、アウトドアぐらいできなきゃ」
 学校のプールにも行かないでブラブラしていた弘に、おかあさんはいった。
「男の子は、体力が一番。勉強なんか、いくらできたってだめだ」
 これが、おかあさんの口ぐせだ。そのために、弘をサッカー教室にいれ、スイミングスクールにも通わせている。
 でも、サッカーでは四年生以下のチームで、年下の子たちにねらっていたレギュラーポジションを取られてしまった。スイミングも、四年生の今でもまだ十一級で、小さな子たちとポチャポチャやっている。
 弘は、スポーツが苦手だった。
どういうわけか、弘が好きなのは、家の中でやることばかりだ。
 ゲーム、プラモデル、プログラミング、水彩画、……。
 特に、本を読んだり、日記を書いたりすることは大好きだ。お気にいりのファンタジーかミステリーと、おいしいおやつさえあれば、一日中退屈しない。
 こんなところは、おとうさんに似たのかもしれない。おとうさんもインドア派で、いつも自分の部屋で本を読んだり、何か書き物をしたりしている。日曜日も、おかあさんに引っぱりだされないかぎり、ネットでどこかの人たちと囲碁や将棋をやっているだけだ。
 それに、弘は虫が大の苦手だった。高いお金を払って、クワガタやカブトムシを買う人がいるなんて、とても信じられない。キャンプで山の中にいけば、きっと虫がウジャウジャいるだろう。そう考えただけでも、背中のあたりがむずむずしてくる。

 いよいよ、キャンプに出発する朝がやってきた。玄関の鏡に、完全装備の弘がうつっている。
 大きなつばのキャップに、半袖の綿シャツ。ジーンズのハーフパンツに、おそろいのベスト。大きなリュックを背負い、モスグリーンの水筒と双眼鏡を、タスキがけにしている。
 まるで、アウトドアライフ雑誌のグラビアから抜け出してきたようだ。どれも、おかあさんが、はりきって専門店で買いそろえた物ばかりだった。
 専門店には、弘も一緒に連れて行かれた。
 おかあさんはザックの売り場をキョロキョロと見まわしていた。
「ザックは何リッターのがいいですか?」
おかあさんは、ザックの売り場のおにいさんにたずねた。
「どちらの山に行かれるのですか?」
 おにいさんは、あいそよくおかあさんに答えた。
「いえ、ハイキングなんですけれど」
「お客様がお使いですか?」
「いえ、この子ですけれど」
「なら、そんなに本格的なザックでなくても、お子様用のリュックサックがございますが」
 おにいさんは、笑いながら子供用品コーナーを指差した。
「ええ、まあ、……」
 おかあさんはそのとき、なんだかがっかりしたような顔をしていた。

「ひろちゃん、早くしなさい」
 外から、おかあさんが呼んでいる。自慢の真っ赤なクーペの運転席の窓を下げて、今日も一人ではりきっている。
「それじゃ、行ってくるね」
 弘が声をかけると、おとうさんも部屋から出てきた。
「おっ、いよいよか。大変だな」
 おとうさんもアウトドアが苦手なせいか、なんだかすまなさそうな顔をしている。
「そうそう、これ持っていかないか」
 おとうさんが差し出したのは、手の中にすっぽりと入る小さなハーモニカだった。弘は小さいころに、おとうさんにハーモニカを教わったことがあった。
 でも、学校ではピアニカとリコーダーしか習わないこともあって、最近はあまり吹いていない。
「うん」
 素直に受け取ったものの、
(こんなの吹いてるひまがあるかなあ)
とも、思っていた。
「ほら、キャンプファイヤーなんかで、歌を唄うことがあるんじゃないか。そんなとき、伴奏にでも使えないかと思って」
 そういわれて、ようやく弘は、おしりのポケットにハーモニカをつっこんだ。

 集合場所のバスターミナルは、参加する子どもたちや見送りの親たちでごったがえしていた。
 キャンプ参加者は、小学四年から六年までの、ぜんぶで八十三名もいる。それが、十二班に分かれて行動することになっていた。
「二班、集まってー」
「五班は、こっち」
 各班には、大学生のおにいさんかおねえさんが、インストラクターとしてついている。みんな、大声でメンバーを集めていた。
 弘の班は、全部で七人。男の子が弘をいれて四人と、女の子が三人。
「はーい。ぼくの名前は林賢治。きみたち三班の、インストラクターをやります。よろしく」
 まっ黒に日焼けして眼鏡をかけたおにいさんが、みんなを集めると元気よくあいさつした。
 林さんにうながされて、みんなも自己紹介した。それぞれキャンプへの期待を、楽しそうに話している。
 でも、弘は、ぼそぼそと名前をいっただけだった。
「それじゃあ、みんな、これを読んで」
 林さんが、キャンプのスケジュール表を配ってくれた。
 一日目は、テントの設営、かまど作り、野外料理に、かくし芸大会。
 二日目は、カヌーこぎ、魚釣りに、キャンプファイヤー。
 三日目は、マウンテンバイクとハイキング。
 アウトドア活動のスケジュールが、びっしりと入っている。どれも、弘にとっては、やったことのないことばかりだった。

「じゃあ、ひろちゃん。がんばってね」
 バスに乗った弘に、窓の下からおかあさんが声をかけた。なんだか、急に心配そうな顔をしている。不安でいっぱいの弘の気持ちが、伝染したのかもしれない。
 そんな二人をよそに、まわりの子たちはもうはしゃぎ始めていた。座席にすわらずに歩きまわっている子たちもいる。
「いてっ」
 いきなり何かがぶつかったので、弘は頭を押さえてうめいた。床に、黄色いフリスビーが落ちている。
「あっ、ごめん、ごめん」
 同じ三班の勇太が笑いながらあやまると、すばやくフリスビーをひろいあげた。 どうやらうしろの席の子と、投げ合っていたらしい。バスが急に動きだしたので、手もとがくるったようだ。
(なんで、こんな野蛮な連中と一緒に、キャンプに行かなきゃいけないんだろう)
 弘は、勇太をにらみつけながら、あらためてそう思った。
 窓を開けて外を振り返ると、おかあさんの姿はもうすっかり小さくなっていた。
 でも、こちらにむけて、まだけんめいに手を振っている。
 弘も、おかあさんにむけて手を振り返した。そうすると、なんだかますますさびしくなってきたような気がした。

 川の流れにそって、林の中に木の板を敷きつめた道ができている。
 弘たちは二列にならんで、バスの駐車場からキャンプ場へ向かっていた。
 三班は、先頭が林さんと六年の大地。次が、五年生の美登里と隆宏。そのあとが、四年生の美紀と勇太。最後が、四年の弘と六年の玲於奈だった。
 林の中は、少しうすぐらかった。ところどころにある「マムシに注意!」の看板が、とても不気味だ。弘は、あたりをキョロキョロ見まわしながら、恐る恐る歩いていた。
 やっとの思いで林を抜けると、木でできた大きな水車があった。
 ゴトン、ゴトン、バシャーン。ゴトン、ゴトン、バシャーン。……。
 力強いリズムをきざみながら、水車は勢いよく回っている。
「きゃあー、マムシよお」
 いきなり、隣の玲於奈が悲鳴をあげた。木道のすぐそばを、1メートル以上もある大きなヘビが、すべるようにはっている。薄緑色の体をクネクネさせて、みんなを追い越していく。
 弘は真っ青になって、その場に立ちすくんでしまった。足がブルブルとふるえて、力がぜんぜんはいらない。
「大丈夫、大丈夫。アオダイショウだよ。毒はないから」
 いそいで戻ってきた林さんが、みんなを安心させるようにいった。
「捕まえようぜ」
 勇太と隆宏が、木道を飛び降りて、ヘビを追いかけ始めた。
 それでも、弘の足のふるえは、まだ止まらなかった。キャンプ場には、虫どころかヘビまでが、ウジャウジャいるのかもしれない。これからどんなことが起こるのか、弘の不安な気持ちは、いっそう高まっていた。

 ピリピリピリピリ、……。
 インストラクターたちのホイッスルを合図に、各班はいっせいに作業を開始した。
「テントをはったこと、あるかい?」
「もちろーん!」
 林さんがたずねると、弘以外の男の子三人が、口をそろえて答えた。
「じゃあ、後でチェックに来るから」
 林さんはそういうと、女の子たちのテントの方へむかっていった。
「よーし、始めようぜ」
 大地はみんなに声をかけると、慣れた手つきでテントの包みを広げ始めた。
「四人用にしちゃ、このテント、狭いんじゃないかなあ」
 テントのフレームを組み立てながら、勇太が文句をいっている。 
「場所はこのへんがいいかな」
 隆宏はテントをはる場所をきめながら、地面の小石を拾い上げている。
 忙しく働いている三人の間で、何をしたらいいのかわからずに、弘はうろうろしていた。
「何か、手伝うことない?」
 やっとの思いで、弘は三人にたずねた。
「えっ。うーん、適当に何かやれば」
 勇太が、少し馬鹿にしたようにいった。
「……」
「そうだな。テントの方は三人でOKだから、まきを持ってきて、かまどに火をおこしておいてくれる」
 リーダー格の大地がそういってくれたので、弘はホッとしてその場を離れた。

 しばらくして、まきの束と古新聞を抱えて、弘が戻ってきた。
 針金でたばねられたまきは、けっこう重かった。途中からフーフーいってしまい、何度も下におろして、休まなければならなかった。額からじわじわ出てきた汗が、目にしみてくる。夏の強い陽ざしが、真上からようしゃなく照りつけていた。あごから伝わった汗が、びっくりするほど黒い影の上に、ポタリポタリと落ちていった。
 もうだめかと思ったとき、ようやくテントのそばにたどりついた。そこには、石を積み上げたかまどらしいものがあった。いつも使われているらしく、石も地面も黒く焼け焦げている。弘はそのそばに、ドサリと投げ出すように、まきと古新聞を置いた。
(うーんと、どうやって、火をおこせばいいんだろう)
 どういうわけか、たよりの林さんの姿が見えない。大地たちも、テントの方で忙しくしている。
(えーい。なんとかなるだろう)
 束から何本かまきを引き抜いて、かまどの真ん中におき、上に新聞紙をかぶせた。
 マッチをする指が震える。弘は、今までに一度もマッチをすったことがなかった。
何本かむだにしたあとで、やっと火がついた。
(あつっ!)
 指先がこげるような気がして、あわててマッチを落としてしまった。
 でも、運よく新聞紙の上に落ちたので、すぐにメラメラと燃え出した。
(おっ。やったあ)
と、喜んだのもつかのま、火はまきへは燃え移らずにすぐに消えてしまった。
「おい、何やってんだよお」
 うしろから、あきれたような大地の声が聞こえた。隆宏も勇太も、さもおかしそうにニヤニヤしている。
「だいたい、かまどを作らなきゃだめじゃないか。こんな崩した跡じゃなくって」
(えっ? これって、かまどじゃなかったの?)
 驚いている弘に代わって、大地はすばやく石を積み上げ始めた。かまどを作っているのだろう。
「風はこっちからだな」
 隆宏が、指をしゃぶって上に差し上げ、風向きを確かめている。
「本当に、誰かさんは三班のお荷物だなあ」
 勇太に、馬鹿にしたようにいわれてしまった。
「もう火をおこしてるのお」
 女の子たちも、テントをはり終わったらしく、かまどのそばにやってきた。
「ちょうど、よかった。玲於奈さんも手伝ってよ」
 大地がそういうと、玲於奈は隣に並んで手伝い始めた。
「じゃあ。ぼくたちは、晩ご飯の材料を取りに行こうか」
 隆宏も、同じ五年生の美登里を誘って、一緒に行ってしまった。
「ぼくたちも、水を汲みに行こうよ。」
 勇太も、美紀を誘っている。
「弘くんも、一緒に行かない?」
 そばでうろうろしている弘に、美紀が声をかけてくれた。こちらにむかって、にっこりほほえんでいる。
「いいよ、いいよ。二人で大丈夫だよ。それに、弘くんは、三班の大事なお荷物だし」
 勇太にそういわれて、二人の方に行きかけた弘は、顔を赤くして立ち止まった。
「えっ、お荷物って?」
 美紀は不思議そうな顔をしていたけれど、勇太に連れられて行ってしまった。
 しかたなくかまどに戻ると、大地と玲於奈は、いかにも手慣れた感じで火をおこしている。
 互いに立てかけたまきに、大地が火のついた新聞紙をくべた。玲於奈は、パタパタとうちわであおいで、空気を送り込んでいる。しばらく白い煙が出てから、うまくまきに燃え移って、赤い火がおこりはじめた。
 その間、弘はかまどのまわりをうろうろするだけで、手伝うことを見つけられなかった。
「ちょっと、トイレに行ってきます」
 弘は小さな声でそういうと、そっとその場を離れた。みじめな気持ちだった。

 トイレは、キャンプ場の中ほどの広場のそばにあった。そこでは、今日はかくし芸大会を、二日目にはキャンプファイヤーをやることになっている。
 そのあたりは、キャンプ場の中心地のようだった。まわりには、さっき弘が運んできたまきの置き場や売店、それに、コインシャワーなどもあった。
 テントの近くと違って、大勢の人たちが行きかっている。「夏休みちびっ子キャンプツアー」の他の班の人たちも、それぞれの用事で来ていた。
 でも、ぜんぜん知らないよそのキャンパーたちもいる。どうやら、このキャンプ場はかなり大きいようだ。
 トイレに近づくにつれて、弘はだんだんいやな予感がしてきた。
 なんだか、嫌な臭いがただよってきたのだ。
(やっぱり)
 ドアを開けて、がっくりした。きれいに掃除されてはいたが、和式トイレ、それも汲み取り式なのだ。
 こういうトイレにはいるのは、生まれて初めての経験だった。それに、なんだか、どこからかへびや虫が、出てきそうな気もする。
 きついアンモニアの臭いに、涙をにじませながら、
(ああ、早く家へ帰りたい)
と、弘は思っていた。

 あんなにギラギラしていた太陽も、今は山のかげにかくれている。キャンプ場の夕暮れは、あっけないほど早くやってきた。
 晩ご飯は、おこげご飯と生煮えのじゃがいものカレーライス。
でも、おなかがすいていたせいか、意外においしかった。
といっても、苦手なにんじんとたまねぎは、全部気づかれないようにしてそっと捨ててしまっていたけれど。
 後片付けをすませて、みんなはキャンプ場の中心にあるステージにむかっていた。
「だからさあ。三班はさあ。……」
 前の方で、勇太や隆宏の話し声がする。どうやら、かくし芸大会の出し物を相談しているらしい。
 途中の広場では、よその人たちがキャンプファイヤーをやっていた。井ゲタに積み重ねた太いまきから、真っ赤な炎と黒い煙が吹き出している。強い灯油の臭いが、弘の鼻をツーンとさせた。
「私たちは明日よね。初めてだから、楽しみにしてるんだあ。弘くんは、キャンプファイヤー、やったことある?」
 隣を歩いていた美紀が、話しかけてくれた。
「ううん」
 弘は首を振った。
「今日のご飯、焦がしちゃってごめんね。水加減、間違っちゃった」
 美紀はそういって、ペロリと舌を出した。抜け替わりの歯の隙間が見えて、なんだかちっちゃな子みたいに見えた。美紀もアウトドア活動には慣れているらしく、飯ごうでのご飯炊きを担当していた。
「ううん」
 弘は、また首を振った。

「……。そんな、あほな」
「しっつれいしましたあ」 
 ウワーッ!
 二班がやったコントがうけて、かくし芸大会はすっかり盛り上がってきた。木造の高い天井に取りつけられたライトで、ステージは明るく照らされている。
 一班の歌といい、今のコントといい、みんなはいろいろな芸を器用にこなしている。
(ところで、三班はどうするのだろう?)
 さっき、勇太たちが相談していたけれど、弘は何をやるのかは聞かされていなかった。
「それでは、次は三班の出番です。大きな拍手をどうぞ」
 司会役のインストラクターのおねえさんが、大きく手を広げていった。
「三班は、われらがスーパースター、吉岡弘くんがとっておきの芸をやります」
 横に座っていた大地に、いきなりいわれてしまった。
(えっ!?)
「わーっ、いいぞお」
 隆宏と勇太も大声で叫びながら、弘の両手を取って立ち上がらせた。どうやら、三人ともぐるになっているようだ。
 もじもじしているうちに、弘はステージの上に引っぱりだされてしまった。客席のみんなの目が、じっとこちらにそそがれている。
「それでは、弘くん。かくし芸はなんですか?」
 司会のインスラクターのおねえさんが、ニコニコしながらたずねた。
(かくし芸だなんて)
 何をやったらいいか、ぜんぜん頭に浮かんでこない。歌は苦手だし、ましてコントや物まねなんてできっこない。
(絶体絶命だ)
 そう思ったとき、おしりのポケットに、ハーモニカが入ったままなのを思い出した。取り出してみると、久しぶりのせいか、ずいぶん小さく感じられる。
「あっ、ハーモニカなの。なんだかなつかしいわね」
 司会のおねえさんは、さっさと一人で決めている。弘は握り具合を確かめながら、ハーモニカをハンカチでていねいにふいた。
「弘、がんばれよお」
 林さんの声がきこえた。
「がんばってー」
 美紀の声もきこえる。
「……」
勇太や隆宏たちが、がっかりしたような表情をしているのも、チラリと見えた。そうすると、少しだけ愉快な気分になれた。
「それでは、三班は、弘くんのハーモニカの演奏です」
 司会のおねえさんが、拍手をしながら紹介した。
 パチパチパチ、……。
 客席からも、盛大な拍手がおこる。
 でも、こちらを見ているみんなの目を意識すると、めまいがしてきそうだ。弘はギュッと目を閉じると、ひとつ大きく息を吸い込んだ。
 プァーパパ、プァーププ、プァーパパプー、……。
 目をつぶったまま、いっきにハーモニカを吹き始めた。
 「風に吹かれて」という曲だ。おとうさんに習った中で、一番好きな曲だ。アメリカの古いフォークソングだって、そのときおとうさんはいっていた。
 弘はかたく目を閉じたまま、一所懸命ハーモニカを吹き続けた。初めはぎこちなかったけれど、吹いているうちにだんだん落ち着いてくる。手のひらをこきざみに開いたり閉じたりしながら、音をふるわせる余裕さえ出てきた。
 初めはざわついていたみんなが、だんだん静かになってくる。
 そーっと薄目を開けてみると、みんなはじっと弘のハーモニカに聴き入っていた。
 でも、うっかりみんながこちらを見ているのに気がつくと、またくらくらしてきた。弘は、ふたたびしっかりと目をつぶった。
「きゃあーっ!」
「やだーっ!」
 突然、客席から女の子たちの悲鳴がおこった。
 思わず目を開けると、びっくりするほど大きな白い蛾が、客席の上を飛んでいる。それも1匹や2匹ではない。10匹以上もの巨大な蛾が、客席のあちこちに乱入してきたのだ。
 蛾の動きに合わせて、女の子たちが逃げまどう。
 ここぞとばかりに、いいところを見せようとして、蛾に立ちむかう男の子たち。
 会場は大騒ぎになってしまった。
 ポトッ。
 そのとき、弘の肩に、天井から何かが落ちてきた。
(枯れ枝かな)
と、思った。
 でも、その10センチ以上はある「ムシ」は、長い足をゆっくりと動かし始めた。
「ギエーッ!」
 弘は悲鳴をあげると、けんめいにハーモニカで払い落として逃げ出した。
「あっ、ナナフシだ」
 誰かが、うれしそうにいっているのが聞こえてきた。

 消灯時間が過ぎても、隆宏と大地がおしゃべりしていて、弘はなかなか寝つけなかった。
「うちの班じゃ。やっぱり美登里が、いちばんかわいいんじゃないか」
「あんなのがきだよ。それより、7班に、亜矢って子がいるけど、なかなかいいんじゃない」
「そうそう」
 さかんに、女の子たちのコンテストをやっている。
なんとなくそれを聞いていると、急に美紀の笑顔がうかんできた。ステージからの帰りも、弘は美紀と一緒だった。
「ハーモニカ、とっても良かったね。最後まできけなくって、残念だったけど」
 隙間だらけの前歯を見せて、美紀は笑っていた。
「うん」
 そのときも、弘はただうなずいただけだった。
「それに、男の子だからって、アウトドアが得意でなきゃいけないってことはないよ」
 別れ際に、美紀はそういってはげましてくれた。
 そんなことを考えていると、ますます眠れなくなってくる。それに、チャックを開けたままとはいえ、寝袋の中では狭くて寝返りもうてない。小石はすっかり取り除いたはずなのに、背中に何かがあたるような気もする。
 でも、いつのまにか、弘は眠りに落ちていた。

 ジリジリジリジリ、……。
 いきなりすぐそばで大きな音がしたので、弘は眼をさましてしまった。
 ジリジリジリジリ、……。
 また、目覚ましのような大きな音がした。
「うわーっ」
 弘はびっくりしてはねおきた。
 すぐそばで、何か虫が鳴いている。どうやらテントの中のようだ。
 外でつけたままになっているランタンの明かりで、テントの中もうすぼんやりとは見える。
 弘は、キョロキョロとあたりを見まわした。
 でも、虫の姿はどこにも見あたらない。隣の勇太も、隆宏と大地も、ぐっすり眠っているのか、起き出してこなかった。
 寝袋からはい出て、あたりをひっくり返してみる。
 でも、何も見つからない。
 弘も、おそるおそるまた寝袋に入って、横になった。
 ジリジリジリジリ、……。
 虫は、またすぐに鳴きだした。
すぐそばに虫がいると思うと、弘はなかなか眠れなくなってしまった。

 長く苦しい夜が、ようやく終わりに近づいた。あれから弘はときどきうとうとしただけで、とうとうぐっすりとは眠ることができなかった。やっと眠りかかったと思うと、また虫が鳴き出すのだ。
 ジリジリジリジリ、……。
 夜明けのうすあかりの中で、またまた虫が鳴き出した。ようやく慣れてきたのか、あまり怖くなくなってきている。
 でも、すっかり目がさめてしまった。
 弘は、もう一度虫を探してみることにした。
ジリジリジリジリ、……。
どうやら、隣で寝ている勇太の顔の近くで鳴いているようだ。
(よく平気で寝てられるなあ)
と、思って、しみじみと勇太の顔をながめた。
 ジリジリジリジリ、……。
 また鳴き出したとき、ようやく気がついた。
 ジリジリ虫の正体は、「勇太の歯ぎしり」だったのだ。勇太は、気持ちよさそうな顔をして、歯ぎしりを続けている。
(くそーっ、おかげで、こっちはぐっすり眠ることができなかったじゃないか)
 弘は、そばに脱ぎ捨ててあった勇太のパンツを、そっと顔にかぶせてやった。

 とうとう弘は、眠るのをあきらめてテントを抜け出した。
 川の方へぶらぶら歩いていくと、大きな石がごろごろしている。弘は、川のほとりにあったオムスビのような形の石に腰をおろした。
 寝不足でぼんやりした頭が、朝のひんやりした空気でだんだんはっきりしてくる。起きたころには、あたりを取り巻いていた白いもやも、山の上の方に残っているだけだ。
 弘は、川の流れる音がすごく大きいのにびっくりしていた。
昨日、みんなと一緒のときは、ぜんぜん気づかなかった。まわりに人がいないせいか、今はあたり一面に響き渡っている。
 ペチャクチャ、ペチャクチャ、……。
 まるで終わりのないおしゃべりをしているかのようにして、川は流れていた。弘は、一人で川のおしゃべりに耳をかたむけていた。
 ガサガサ。
 急に物音がして振り返ると、キャンプ場のごみすて場に、何か動物がきている。こげ茶色の背中が見える。
(のら犬かな)
と、思った瞬間、顔を上げた動物と目があって、弘はドキンとした。
(タヌキ!?)
 丸々とした体、頭の上にチョコンとつき出た耳。黒くふちどりされた小さな目で、ゆだんなくこちらの様子をうかがっている。
 弘は石から腰を浮かして、じっとタヌキを見ながら逃げられるように身構えた。
(かみつかれないかな)
と、思って、内心ビクビクだったのだ。
 でも、タヌキは弘から目をはなすと、またゴミすて場の中に顔をつっこんだ。どうやら、夕べの残飯か何かを食べているらしい。
 タヌキが危害を加えないことがわかると、弘もまたオムスビ石に腰をおろした。
 川は相変わらず、ペチャクチャ、ガヤガヤと、騒々しく流れている。
いつのまにか、もやがすっかりはれて、頭の上には真っ青な空が広がっている。今日も暑くなりそうだ。
 川のざわめきをききながら、弘はけんめいに何かを食べているタヌキをながめていた。すると、頭の中がだんだんシーンとして、爽快な気分になってくる。こんなことは、初めての経験だった。
(キャンプも、悪いことばっかりじゃないな)
 弘は、そんなことをぼんやり考え始めていた。




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色川武大「百」百所収

2020-06-23 09:06:23 | 参考文献
 優れた短編に贈られる川端康成賞を受賞した作品です。
 実家の95歳になる父親が80歳近くの母親に怪我をさせたと、同じ敷地内に住む弟の妻から連絡を受けて、作者は久々に実家を訪れます。
 母親は入院することになり、一人暮らしの作者が父親と同居することになります。
 作者は父親が40歳を過ぎてからの子なので(両親は20歳近く歳が離れています)、作者はまだ50歳を過ぎたばかりで、老老介護というほどのものではありません。
 ただ、作者もナルコレプシーという睡眠障害や幻聴や幻視を抱えており、また今までの二人の関係(父親は家庭内での絶対権力者で、作者は父親にとってはグレてしまった不肖の息子という間柄です)を考えた上で、積極的に介護するのではなく伴走者に徹しています。
 作者の観察によると、父親は年齢によるせん妄や排尿障害だけでなく、三十年来の聴力障害によって自分独自の世界が出来上がっていて、おそらく幻聴や幻視をしているのではないかとしています。
 なんとかあと五年生き延びて、自治体から百歳の高齢者がもらえる百万円の祝い金を孫娘の学資にしてやりたいという父親の言葉に、哀れなような微笑ましいような不思議な印象を持ちました。
 父親と作者や弟夫婦との緊張場面が、父親の幻覚によって救われるラストが、鮮やかです。
 政治家たちが無責任に叫んでいる人生百年時代を、高齢者とその周辺の人たちがどのように生き抜いていくかのヒントが、この作品にはあるように思われました。


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色川武大「赤い灯」花のさかりは地下道で所収

2020-06-22 17:57:14 | 参考文献
 戦後、やや落ち着いた頃から、十年以上にわたる、屋台の飲み屋の二人の女性との交流の話です。
 対照的な二人の女性(痩せ型で堅実な女性とグラマーで自堕落な女性)を描いていますが、設定もストーリーもかなり作為的で、そのわりにひねりもなく、あまり感心しませんでした。
 特に、ラストが怪異譚的で、あざとすぎます。
 純文学のペンネームで書かれていますが、本来の滋味のある作風ではなく、阿佐田哲也の名前で書き飛ばしている娯楽小説のタッチに近い印象を受けました。


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村中季衣「チャーシューの月」

2020-06-22 12:57:50 | 作品論
 2012年度の日本児童文学者協会賞を受賞した作品です。
 作者は、1984年に「かむさはむにだ」で新人賞を受賞しています。
 両方を受賞している作家はたくさんいるのですが、28年もの間をあけて受賞したのは作者が初めての事でしょう。
 作者の息の長い児童文学の活動(創作だけでなく、研究や絵本などの読書活動の実践など)に敬意を表したいと思います。
 この作品は、絵本の読み聞かせなどの実践を通して知り合った児童養護施設の子どもたちや職員の姿を、中一の少女の目を通して描いています。
 特にこの作品が成功したのは、就学前にこの施設に連れてこられた記憶の仕方に特殊性を持つ幼女が、小学校一年になり施設の内外でいろいろな体験をする中で、少しずつ成長して心を開いていく様子を、同室の主人公の視点で過剰な情緒を廃した描き方で描いている点だと思われます。
 登場している施設の子どもたちは天使ではありませんし、施設の職員たちも誠実に子どもたちに接していますが限界はあります。
 また、外部(特に通っている学校の先生たちや子どもたち)との間に軋轢もあります。
 育児放棄や家庭崩壊や親の死や病気など、様々な事情で施設に暮らす子どもたちの姿を、過度に子どもたちに肩入れせずに、淡々と描いている点が優れていると思われます。
 その分、テレビなどで描かれるこういった施設の話に比べてドラマチックさには欠けていて、子どもの読者には読まれにくい点はあるかもしれません。
 ただ、この本は青少年読書感想文コンクールの課題図書に選ばれたので、中高校生の読者の手に取られる機会は多かったかもしれません。
 家庭崩壊や格差社会のひずみなどの犠牲になっている子どもたちといった極めて今日的なテーマを取り上げた点は大いに評価できるのですが、作品の書き方がかなり古くてターゲットの読者である中高校生には受け入れにくかったと思います。
 その点は作者自身もあとがきで、あまりおもしろくなかったのではないかと気にしています。
 誤解を恐れずに言えば、この作品は作者がデビューした八十年代の「現代児童文学」の手法のままで書かれてしまった気がします。
 「現代児童文学」の特徴(特に「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派において)としては、「散文性を獲得して(長編志向)」、「現実に生きる子どもたちを捉えて」、「変革の意志(社会の変革、個人の成長)」を持った作品ということになります。
 この作品は、見事にこれらの特徴を備えていますが、すでに読者である子どもたちはこういった作品世界を読書という行為に求めなくなっています。
 「現代児童文学」のもう一つの特徴(特に「子どもと文学」(その記事を参照してください)派において)である「おもしろく、はっきりわかりやすく」は、かなり誇張された形で、現在の児童文学界を席巻しています。
 こういった「良質だけどおもしろさに欠けた」作品を、中高校生が積極的に手にすることはあまりないでしょう。
 また、作品の舞台や人間関係がほぼ養護施設に限定されていることも、読者が作品世界に入るためにはマイナスになっているかもしれません。
 例えば、この施設の子どもたちは、たとえ中学生でも携帯は与えられていません。
 それは事実なのでしょうが、ほとんど全員が携帯(すでにスマホが大半を占めています)を持っている現代の中高校生の読者たちには、携帯なしの世界が想像しにくい(あるいは古く感じられる)のではないでしょうか。
 施設の中学生の女の子が夜帰ってこなくて、大勢で探しに行くシーンがありますが、常に携帯と一緒の現代の中高校生にとっては、この大騒ぎはピンとこないでしょう。
 作品世界を養護施設の世界だけに限定せずに、もっと一般の子どもたちとの関わりを描くべきだったと思います(その場合の舞台はおそらく学校になると思われます)。
 養護施設の中の様子を自然主義的に「写生」するだけでは、ポストモダンの時代を生きる(施設の内外の)現代の子どもたちの実相を捉えるのは不可能です。
 いくら克明に施設の子どもたちを描いても、「ああ、私はこういう家庭に生まれなくてよかった」と読者が思うだけに終わる恐れがあります。
 こういった施設の子どもたちに、読者が共感を持って読み終えられる工夫がもっと必要だと思います。
 また、登場人物が多すぎて、それを名前だけで区別させる書き方も、もっとキャラのたった現代のキャラクター小説(一面的な特徴を強調した平面的なキャラクターを使った、書き手と読者の約束事の上に成り立った小説)を読みなれた現代の中高校生の読者たちは、登場人物の区別がつかずに混乱して読みにくかったかもしれません。
 また、主人公の中一の少女のつっぱったキャラクターもやや古く、八十年代や九十年代に長崎夏海などが描いた主人公たちを想起させました(挿絵が佐藤真紀子だったせいもありますが)。
 これは、作者の作品の特徴でもあるのですが、彼女の「たまごやきとウインナと」(その記事を参照してください)や映画の「だれも知らない」(その記事を参照してください)のような淡々と事実を描いていくホームビデオ的視線も感じられます。
 また、過剰な修飾を省いた文体は事実を描写するのには適しているのですが、読者の想像力を喚起しない「やせている文章」だと言えなくもないと思われます。
 そのため、この作品はあえて物語化を拒否しているような印象を受けるかもしれません。
 以上のように、この作品が描いた世界は優れて今日的なのですが、それを作中人物と同世代の読者に受け入れてもらう工夫が足りなかった気がします。
 この作品の場合、有力な媒介者である「課題図書」や児童文学者協会賞の選者たち(彼らの多くは「現代児童文学」を支えてきた人々です)が、この本を読者たちに手渡す形になりました。
 「読書感想文」などのために、中高校生の読者がいやいやこの本を読むのでなければいいのですが。
 ただ、この作品の主要な登場人物はいずれも女の子ですし、女性の作者のきめの細やかな観察が作品に行き届いていますので、一種のL文学(女性の作者による女性を主人公とした女性の読者のための文学)として、より広範な年代(30年前ぐらいに作者の「かむさはむにだ」を読んだ人たちもいるでしょう)の女性たち(それには母親や教師たちも含まれます)に読まれて、そこを経由してもっと積極的な形で(媒介者たちと世代を超えて作品世界を共有する)女子中高校生たちに読まれたら素晴らしいかもしれません。

チャーシューの月 (Green Books)
クリエーター情報なし
小峰書店

 
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色川武大「花のさかりは地下道で」花のさかりは地下道で所収

2020-06-21 10:03:14 | 参考文献
 1981年に出版された短編集の巻頭作にして表題作です。
 戦後すぐの混乱期に、作者が中学(旧制)をドロップアウトして、博打の世界に身をおいていたころの話です。
 そのころ、上野駅の地下道には、戦災などで行き場を失った人々が大勢寝泊まりしていました。
 作者も、寝に帰る場所がない時は、その群れに加わって一夜を過ごしていたようです。
 そんな今では想像もつかないような不思議な空間で、作者は一人の娼婦(作者が10代後半の時に10歳ぐらい年上ということですから二十代後半でしょう)と出会います。
 それから三十年以上に渡る、断続的な彼女との交流を描いています。
 混乱期が過ぎてからは、彼女は水商売を、作者は使い走りのような底辺の仕事を、それぞれ転々しながら、二人はしだいに居場所(彼女は一人娘を立派に育て上げて、水商売をやめて結婚した娘夫婦と一緒に暮らすことになります。作者は作家(純文学作家の色川武大としてだけでなく、ギャンブル小説作家の阿佐田哲也としても)としてだんだんに認められるようになります)を見つけていきます。
 言ってみれば、二人は、戦後の混乱期に、共に社会と戦った戦友みたいなものだったのです。
 この作品の舞台になった、上野駅の地下道には、個人的に特別な思い入れがあります。
 他の記事に書いたような特殊な事情があって、幼稚園の年長組の後半から小学校卒業まで、足立区の千住大橋から上野まで京成電車に乗って通っていました。
 往きは初めのころは姉たちと一緒でしたが、帰りは幼稚園時代から一人でした(今では、幼稚園児が一人で電車に乗ることは禁止されているでしょうが)。
 私が通っていたのは、この作品の時代より10年以上後のことですが、上野駅の地下道、特に不忍池から京成上野駅に通じるスロープのあたりは、この作品で描かれていた様子の名残りが色濃く残っていました。
 この作品にも描かれている異様な臭気がいつも立ち込め、特に雨の日にはホームレス(当時は浮浪者と呼ばれていました)の人たちが通路の端に新聞紙やダンボールを敷いて寝転がっていました。
 私は、そのそばを、臭気が強い時には息を止めて、一気に駅まで駆け下りていました。
 しかし、そのスロープだけでなく、昔ながらの商店などがあるあたりも含めて、当時の地下道に漂っていた猥雑な空気は、私の幼少期の思い出とからまって、今では不思議な懐かしさを感じるようになっています。




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夏目漱石「吾輩は猫である」

2020-06-20 10:43:47 | ツイッター
 言わずと知れた明治の文豪による古典です。
 読み直してみると、改めて漱石の教養、知識の深さと広さに驚嘆させられます。
 文学はもとより、芸術や科学や外国の事物に対しても、当時としては先進の知見を有していたようです。
 それを、漱石の分身であろう苦沙弥先生を始めとして、迷亭、寒月、東風、独仙などの個性的な登場人物の口を借りて自在に操り、当時の社会、特に拝金主義や個人主義に対して、鋭い批判を浴びせています。
 その一方で、主人公の猫の目を通して、彼ら文化人たちに対しても、痛烈な批判を展開しています。
 時代的な制約があって、軍国主義やジェンダー観にはさすがに古さも感じられますが、拝金主義の増大、個人主義の増大、教育の陳腐化、芸術の衰退、離婚の増大、非婚化、などに関する先見性には、今でも十分に納得させられます。
 処女作とあって、現代人にとっては文体がややかたく感じられますが、やがては「こころ」や「坊っちゃん」のような、より平明な文体を獲得していくわけです。
 こうした古典的な作品を読むと、「文学」というジャンルが、少なくとも日本では、明治から大正時代にかけてピークを迎えていたことがよく分かります。


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色川武大「連笑」百所収

2020-06-20 10:10:43 | 参考文献
 6歳年下の弟が交通事故で大怪我したのをきっかけに、兄弟が久々に共同生活を送ります。
 作者が33歳でまだ無頼生活を送っていた時代のことで、岐阜で一人住まいをしている弟の面倒を見るには、家族の中で一番身軽な作者が適任でした。
 当時の二人の生活の中に、いろいろな時代の二人の関係が挿入されて、二人の特殊な関係が描かれています。
 中でも驚かされるのが、作者が中学生、弟が小学生になったころの思い出です。
 小中学生のころの作者が、学校をサボって都内のあちこちの盛り場、特に浅草に入り浸っていたことは他の記事にも書きましたが、弟が小学生になってからは土日は弟も一緒に連れて行ったのです(作者のように普通の人間の道を踏み外させることを恐れて、平日は連れていきませんでした)。
 猥雑な盛り場芸術に対する、作者の異常なまでの早熟な通人ぶりはすでに他の記事で書きましたが、その影響で弟はさらに早熟な通人としての相棒だったのです。
 こうした二人が二十年近くの時を経て、お互いの境遇を超越して共同生活する話は、男の兄弟を持たない私にとっては、羨望以外の何者でもありません。
 かなり個性的な姉たちに虐げられていた子供時代、何度、兄や弟の存在を夢想したことでしょうか。
 その願いは、子どもや孫の男の子たちによって、時代を経て間接的に叶えられたのですが、こうした男兄弟の関係性を描いた作品(例えば、ヴェルヌ「十五少年漂流記」、柏原兵三「兎の結末」、庄野潤三「明夫と良二」、ピアス[トムは真夜中の庭で」など)を読むことも、その代償行為だったのかも知れません。
 また、この作品では、それと同時に、父と作者、父と弟、母と作者、母と弟、父と母の関係を描くことによって、ひとつの家族の姿も浮き彫りにしてくれます。


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色川武大「砂漠に陽は落ちて」怪しい来客簿所収

2020-06-20 09:29:55 | 参考文献
 流行歌手のハシリの一人で、戦前の一時期はエノケンよりも人気があった歌手兼コメディアン(というよりはヴォードビリアン)の二村定一について書いています。
 器用でなんでもこなす独特の感性の持ち主だったのですが、持続力に決定的に欠け、スターの座からどんどん転げ落ちて、戦後すぐに深酒のために血を吐いて死んでしまいます。
 こうした浮き沈みの激しさは、かつての芸人の典型的な一例かもしれません。
 現在でも芸人の世界は経済的に厳しいですし、本来のネタの素晴らしさよりもフリートークが重視されて、うまく立ち回ってひな壇芸人になり、やがてはMCになるのが出世コースのような現状では、本当の意味での芸で食べていくのは、かえって今の方が難しいのかもしれません。
 この文章に限らず、読んでいていつも驚かされるのが、著者がこうした戦前の芸人たちと実際に交流があったことです。
 なぜなら、その時の著者は、小学生かせいぜい旧制中学生だったからです。
 学校をさぼって東京のあちこちの盛り場をうろついていた著者には、はるかにスケールは小さいですが同じような性癖(電車通学をしていた小学校、中学校、高校をさぼって、そのころはあちこちのちょっとした駅には必ずあった小さな映画館に入り浸っていました)があったので、考え方やモノの見方に共感できる点がたくさんあります。
 そして、そのころの著者の経験は、阿佐田哲也名義の「麻雀放浪記」などの作品に生かされています。

怪しい来客簿 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
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鈴木光司「らせん」

2020-06-19 09:13:43 | 参考文献
 1995年に出版された、大ベストセラー「リング」(その記事を参照してください)の続編です。
 あとがきで、二匹目のドジョウを狙ったものでなく、最初からシノプシスがあったと弁明していますが、本人はいざしらず出版社にとっては二匹目のドジョウを狙った出版であることは明らかです。
 作中に、「リング」が大ヒットして映画化されるというくだりがありますが、こういった書き方は特に目新しいものではなく、児童文学の世界でもケストナーが「エーミールと三人のふたご」(その記事を参照してください)で同様の設定(前作「エーミールの探偵たち」が映画化されている)をもっとスマートに利用して物語に入れ込んでいます。
 完璧と思われた前作のラストをことごとく覆さなければならないため、かなり無理な設定にしたため、作者は三年間も悪戦苦闘したようですが、出来は前作に遠く及びません。
 前作では、怪奇現象の原因を、一般読者にもわかりやすい超能力者によるビデオテープへの念写としたのを、今回は一般には分かりにくい遺伝子やDNAの話にしたので、一気に大衆性を失いました。
 また、謎解きの方法も、前作では主人公たちが実際に汗水たらして取り組んだのに、今回はマニアックな暗号解読にしたため、読者の共感を得られにくくしています。
 特に、前回は主人公自身が一週間後に命を失うかも知れないというタイムリミットがあったために、読者もスリルを追体験できたのですが、今回はそれがないために他人事のように感じられてしまいました。
 作者は、その後も「リング」の続編を書き続けていきましたが、尻つぼみに終わったようです。


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岡崎京子「リバーズ・エッジ」

2020-06-18 15:10:25 | コミックス
 1993年から1994年にかけて、女性ファッション誌に連載され、若い女性を中心に今でもカルト的な人気を持つ作品です。
 私は、2015年に出たオリジナル復刻版で読みました。
 すえた臭いのするよどんだ河口の川べり(川崎あたりを連想させます)にある高校とそのそばの河原を舞台に、異性にも同性にももてるかわいい高校二年生の普通の女の子(ただし、煙草も吸いますし、元彼の強引な求めに応じてセックスもします)を主人公にした学園ものです。
 普通の高校生活(学食、教室内、バイトなど)が描かれる中に、暴力、いじめ、過激なセックス、麻薬、ゲイ、偽装恋愛(主人公が、元彼からのいじめをかばっている美少年は、同性愛を隠すために女の子と付き合っています)、男性売春、レズビアン、摂食障害(モデルをやっている下級生のレズビアンの女の子は、大量な食べ物を食べた後でそれらをすべてをトイレで吐いています)、子どもをタレントにして食い物にしている親、援助交際、引きこもり、ボーイズラブの漫画、リストカット、死体、放火、ストーカー、焼身自殺などの一見過激な事件が描かれます。
 当時でも、個々の事件はそれほど目新しいものではないのですが、それらを日常的な高校生活と並行して描いているところが、この作品の優れた点だと思われます。
 象徴的なのは、かなりかわいいとは言え普通の女の子である主人公を、暴力的で麻薬の売買をやり変態的なセックスもする元彼、男の子からはいじめられて女の子たちからはもてている新宿二丁目で男性売春をしている美少年、モデルやタレントをしている有名人だが親たちに食い物にされていて摂食障害になっている美少女といった、かなりデフォルメされた主要な登場人物たちが、全員彼女が好きでやすらぎ(時にはそれがセックスやレズビアンとして表現されているとしても)を求めている点です。
 また、これらの過激な内容を、あまり緻密には描かずに、ラフでソフトなタッチで描いているので、あまり生々しくなっていないことも成功の理由でしょう。
 全体的には、バブル崩壊後の閉塞感とノストラダムスの大予言(当時は若い世代を中心に真面目に信じている人たちがたくさんいました)に象徴される世紀末の退廃的な雰囲気を漂わせています。
 ただ作品のところどころやあとがきに書かれている作者の直截的な言葉に対しては、読み手によって好き嫌いが分かれるところかもしれません。
 また、25年も前に書かれた作品なので、LGBTに考えかたに関してはかなり古さを感じさせられます。
 残念ながら、児童文学の世界では、当時このような作品は描かれませんでした。
 しいていえば、岡崎とほぼ同世代の長崎夏海(「A DAY」や「マイ・ネーム・イズ……」の作者)などにはこういった作品を書ける資質があったと思われますが、当時の児童文学業界は出版バブルが崩壊して多様な作品を出す余裕がありませんでした。
 そういった意味では、コミックスのマーケットの方がはるかに巨大なので、いろいろな作品を発表できるダイナミック・レンジの広さを持っていた(今ではさらにその差は広がっています)と思われます。

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版
クリエーター情報なし
宝島社




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鈴木光司「リング」

2020-06-17 09:51:20 | 参考文献
 1991年に出版されたミステリー・ホラーの傑作です。
 映画化(日米両方で)されて、それもヒットしたベストセラーです。
 呪いを解かないと一週間後にそれを見たものを呪い殺すビデオを、偶然見てしまった主人公たちが、文字通り命をかけて呪いの謎に挑みます。
 呪い自体の恐ろしさもかなりのものですが、一週間というタイムリミットがあるために、サスペンスが否が応でも盛り上がってきます。
 30年の間に、VHSのビデオテープや留守番電話などの道具立てはかなり古くなってしまいましたが、謎解き(特に最後に仕掛けられている二重のどんでん返し)や背景にある超能力に対する知識などは今でもその独自性を保っています。
 特に、ラストにおけるウィルスの恐ろしさへの言及は、新型コロナウィルスの脅威に晒されている現在の世界を予見しているようで、思わず身震いさせられます。
 なお、この作品は、横溝正史賞へ応募して落選した作品とのことです。
 当時のミステリー界のレベルの高さが伺い知れるとともに、いつの世も、新しいジャンル(この場合は、モダン・ホラー)に対して、既存の権威者(審査員)たちは理解を示さないことが分かります。


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板垣巴留「BEASTARS1」

2020-06-16 08:46:26 | コミックス
 肉食獣と草食獣が共棲している世界で、彼らの全寮制の高校を舞台にした青春コミックスです。
 肉食獣と草食獣が、それぞれの個性を生かしながら共棲する世界という設定は、ヒットアニメの「ズーラシア」(その記事を参照してください)と同じですが、舞台を全寮制の高校にしたところがこの作品の成功の要因の一つです。
 全寮制の学校という設定は、いじめや競争や友情や恋愛(同性愛も含めて)などを通してドラマを生みやすく、多くの児童文学(例えば、エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」など)やコミックス(例えば、萩尾望都の「トーマの心臓」など)の傑作の舞台になっています。
 しかも、この作品では、男女共学の全寮制高校という設定なので、特に恋愛関係を描きやすくストーリーを支える重要な要素になっています。
 動物ファンタジーとしての擬人化度はかなり高く、動物自体はそれぞれかなりリアルに描かれていますが、人間の服を着て直立歩行しているので、時折見せる野獣としての本能は除いては、知性も含めてほぼ人間の高校生と変わりません。
 そういった意味では、動物ファンタジーの古典であるケネス・グレアムの「楽しい川辺」の正統な後継者と言えます。
 肉食獣と草食獣の共棲が、サイズの違いも含めてすごく工夫されて描かれていますが、それを超えて作品の魅力になっているのは、登場人物のキャラクター設定でしょう。
 特に、主人公のハイイロオオカミのレゴシは、圧倒的な戦闘能力と秘められた凶暴性を持っているのに、それに対してコンプレックスを抱いていて、知的で内向的な性格に設定されているのが秀逸です。
 また、ヒロイン役のドワーフうさぎのハルは、すごく可愛くおとなしそうに見える、男の子だったらみんなかばってやりたくなるような容姿なのに、実はかなりビッチなところがあって、そのギャップが魅力になっています。 
 この二人の関係が肉食獣と草食獣の禁断の恋愛であるために、男女の想いと、捕食する方とされる方の感情も混ざり合って、独特の官能世界を生み出しているところもこの作品の魅力です。


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おねえちゃんの天丼

2020-06-15 09:37:34 | 作品
 地下鉄の駅を出ると、地上はムッとするほどの暑さだった。梅雨明けの太陽は、今までのうっぷんをはらすのように、ギラギラと光っている。
 表通りから二本裏道に入った所に、おねえちゃんが今月から勤め始めた会社はあった。
 ぼくとおかあちゃんは、会社の入ったビルの前で、もう一度ハンカチで汗をぬぐった。
 そのビルは、八階建てぐらいの古い灰色の建物だった。壁の所々に、ひび割れを補修した跡がミミズのようにはっている。
 重いドアを開けて中に入ると、嬉しいことに冷房がよくきいていた。一階は、右手がロマンドという名の喫茶店で、左手は花屋になっている。正面のエレベーターの横には、二階から八階までに、どんな会社が入っているかを示す掲示版がはめ込まれていた。
 おねえちゃんの勤める会社は、他の不動産会社や警備会社と一緒に六階にあった。
 壁の時計は、十二時五分前を示している。おねえちゃんとの約束の時刻は、十二時五分過ぎだ。まだ十分もある。
 ぼくは狭いロビーをぶらぶら歩きながら、喫茶店のショーケースに並べられたケーキを眺めたり、花屋の店先の色とりどりの花束に付けられた名札を読んだりしていた。
 おかあちゃんは、今にもおねえちゃんがそこから出てくるかのように、エレベーターの入り口をジーッとにらんでいる。
(あれ?)
 五分ほどたったとき、思いがけずにビルの外からおねえちゃんが入ってきた。小走りにこちらの方に駆け寄ってくる。
「真由美、どうしたの?」
 おかあちゃんがたずねると、
「ごめん、ごめん。ぎりぎりになって、小包で送る物があってね。急に、郵便局へ行かなきゃならなくなっちゃって」
 急いで来たらしく、まだ息をはずませている。おねえちゃんの額にも、鼻の頭にも、小さな汗がびっしりとついていた。この暑い中を走って行って来たのかもしれない。
「すぐに着替えてくるから」
 そういえば、会社の制服なのか、見慣れない水色のワンピースを着ている。なんだか、急に大人になったようで、ぼくには少しまぶしかった。
「じゃあ、行ってくるね」
 おねえちゃんは、こちらに向かって小さく手を振りながら、エレベーターに飛び乗った。
「急がなくてもいいよ。きちんと仕事を済ませてからでいいからね」
 おかあちゃんが、あわてたようにおねえちゃんにいっていた。

 壁にかけられた大きな時計が、十二時をすぎた。
土曜日の退社時刻になったのか、エレベーターからは勤め帰りの人たちがどんどんと降りてくるようになった。
 みんなはぼくたちの前を通って、足早にビルの外に向かっていく。
 おかあちゃんは、そんな一人ひとりに、ペコペコと頭を下げ出した。
 気づかずに、そのまま通り過ぎていく中年の男の人たち。びっくりした後で、クスクス笑い出した若い女の人たち。
 でも、中には、ていねいにあいさつを返していく人たちもいる。
「お世話様です」
 そんな時は、おかあちゃんはもう一度ていねいにあいさつしていた。
「今の人たち、おねえちゃんの会社の人?」
 エレベーターの扉が閉まって人がとぎれたとき、ぼくはそっとおかあちゃんにたずねた。
「ううん。でも、中に真由美の会社の人たちもいたらいけないと思ってさ」
 おかあちゃんは、いつになく緊張した顔付きで答えた。
 その後も、エレベーターが停まって人が出てくるたびに、おかあちゃんは頭を下げ続けた。
ぽくは、そんなおかあちゃんを、少し離れた所から見ていた。
 チン。
 また、エレベーターが停まった。
 いっせいに、たくさんの人たちがはき出されてくる。おかあちゃんは、また一人ひとりに頭を下げ始めた。
 そのときだ。ようやくおねえちゃんが出てきた。
「おかあさん。何ペコペコしてるの?」
 頭を下げ続けているおかあちゃんを見て、不思議そうな顔をしていた。
「いえね。お前の会社の人がいたらと思ってさ」
 おかあさんが説明すると、
「嫌ねえ。そんなことする必要ないのに。それよりお待たせ。おなかすいたでしょ。早く行こう」
と、おねえちゃんは笑いながらいった。
「ちゃんと仕事は終わったのかい?」
 おかあちゃんが、心配そうにたずねた。
「大丈夫よ。もうやることはないから」
 おねえちゃんが、安心させるように元気にいった。
「さよならあ」
 おねえちゃんは、入り口に立っていたビルの警備員の人に、大きな声であいさつした。
「さよなら、山口さん」
 警備員のおじさんは、きちんと敬礼しておねえちゃんにあいさつを返した。おねえちゃんの名前を、ちゃんと覚えているようだ。おかあちゃんが、少し安心したような表情になった。

 おねえちゃんは、今年の春に高校を卒業したばかりだ。小学校四年生のぼくよりは、九才も年上になる。
 うちのおとうちゃんは、ぼくが赤ちゃんの時に死んでしまっていた。それで、仕事の忙しいおかあちゃんの代わりに、おねえちゃんがぼくの面倒を見てくれていた。
 小学校の保護者会や運動会にも、いつもおかあちゃんの代わりに来てくれていた。
 だから、そそっかしい友だちに、
「おまえんちのおかあさんって、すげえ若いなあ」
って、間違えられたこともある。
 本当は、おねえちゃんは四月から社会人になるはずだった。それが、七月から勤めるようになったのには訳がある。

救急病院から電話があったのは、去年のクリスマスイブのことだった。
「はい、山口ですが、……」
 電話に出たおかあちゃんの顔が、みるみるこわばったのを今でも覚えている。
 友だちの家でのクリスマスパーティーの帰りに、おねえちゃんは自転車に乗っていて車にはねられてしまったのだ。
 おかあちゃんは、電話を切るとすぐに出かける支度を始めた。
「おかあちゃん、ぼくも行く」
 ぼくがそういうと、おかあちゃんは黙ってうなずいた。
 ぼくたちはバス通りまで出て、タクシーをひろった。
「協同病院まで、急いでお願いします」
 おかあちゃんは、必死の形相で運転手に頼んだ。
 ぼくたちが病院に着いたとき、おねえちゃんの手術はまだ続いていた。
 古くてクッションがペチャンコになったソファーに腰を下ろして、ぼくはじっと下を見ていた。廊下のリノリウムの床は、傷で所々タイルが欠けている。
「ううう、……。」
 隣から、低く押し殺したうめき声が聞こえた。
 おかあちゃんだ。
 おかあちゃんは泣きながら、ぼくの左手をギューッとつかんだ。
 ぼくは、両手でしっかりとおかあちゃんの手を握りながら、
(しっかりしなくちゃ、ぼくがしっかりしなくちゃ)
って、心の中でつぶやいていた。
「おとうさん、真由美を助けて、……、真由美を、……」
 おかあちゃんは大粒の涙をポロポロこぼしながら、天国のおとうちゃんに、おねえちゃんのことを何度もお願いしている。
 ぼくはギュッとつぶったおかあちゃんの目じりに、深いしわが何本もあることに初めて気がついた。

 夜中近くになって、ようやく手術室からおねえちゃんが出てきた。移動ベッドに寝かされて、静かに眠っている。白い包帯を、頭にぐるぐる巻きにされていた。
「真由美っ!」
 おかあちゃんが叫んだ。
「大丈夫ですよ。麻酔で眠っているだけですから」
 ベッドを押してきた看護師さんが、優しくいってくれた。
 ぼくはそのうしろで、ぼうぜんとして立ちつくしていた。九才も年下のぼくにとっては、いつも絶対的に強く頼りがいがあったおねえちゃん。そのおねえちゃんが、今は力なくベッドに横たわっている。その事が、どうしても信じられなかった。
看護師さんたちは、移動ベッドを押して突き当りのエレベーターに向かった。ぼくは、おかあちゃんと一緒にその後を追っていった。
「それでは、これから集中治療室にまいりますので、ご家族の方はここまでにお願いします」
看護師さんは、やってきたエレベーターの中に、移動ベッドを入れた。
「どうぞ、よろしくお願いします」
 おかあちゃんは、深々と頭を下げていた。エレベーターのドアが閉まって、おねえちゃんの姿が見えなくなった。

 全身打撲と頭部裂傷と右足の複雑骨折で、全治六か月の重傷。それが診断結果だった。
 幸い、麻酔から覚めると意識ははっきりしていたので、すぐに集中治療室から一般の病室に移ることができた。
 その後は、若さとバトミントン部で鍛えた体力のおかげか、担当のお医者さんもびっくりするくらいに、おねえちゃんは順調に回復していった。
 入院して四ヶ月足らずの、ゴールデンウィーク前には退院することになった。
 出席日数不足で心配していた高校の卒業も、担任の先生たちが努力してくれたおかげで、なんとか病室で卒業証書を受け取ることができていた。
 でも、せっかく内定をもらっていた銀行への就職は、パーになってしまった。
 その事が決まったときも、おかあちゃんがいる間は、おねえちゃんは明るくふるまっていた。
 でも、後でぼくと二人きりになったときには、
(おかあちゃんにすまない)
って、けがをしてから初めて涙を見せていた。
 退院後のおねえちゃんは、家事をやりながら通院して、毎日リハビリの訓練を受けていた。
 初めは松葉杖を、少し良くなってからはステッキをついて、複雑骨折だった右足を引きずりながら、朝早くでかけていく。
 そんなおねえちゃんのうしろ姿を、ぼくは黙って見送っていた。

 先月になって、おねえちゃんの勤め先が、ようやく見つかった。保険の外交をやっているおかあちゃんが、知り合いの社長さんに頼んでやっと決めてきたのだ。
 会社の名前は吉野ワールドインポート。住所は東京のど真ん中の日本橋。
名前も住所もすごいけれど、本当はぜんぶで二十人ぐらいの小さな会社だ。給料も、内定していた銀行よりは、ずっと少ないらしい。
 それでも、おねえちゃんは、
「おかあさん、ありがとう」
って、とっても喜んでいた。
「七月からで、本当に大丈夫?」
 おかあちゃんは、まだ心配そうだった。
「大丈夫、大丈夫。それまでに、しっかりリハビリするから」
 おねえちゃんは、張り切って七月から勤めることになった。
 七月一日、初出勤の朝。おねえちゃんは、玄関の鏡の前で、頭の手術で刈られてしまい、ようやくまた伸びてきた前髪を何度も何度もブラシでとかしていた。前髪の陰には、手術で縫い合わせた傷跡がまだくっきりと残っている。
「それじゃあ、行ってきまーす。」
 おねえちゃんは大きな声でぼくたちにいうと、元気よく会社へ出かけていった。

 外はますます暑くなっている。
 ビルを出て五分もたたないうちに、またびっしょりと汗をかいてしまった。
 先にたって歩いていくおねえちゃんは、まだ少し右足を引きずっている。
 『天丼の店、村井』
 ここが、おねえちゃんが今日、ぼくたちにお昼ごはんをごちそうしてくれるお店だ。会社よりさらに裏通りにあって、すごく小さかった。
「いらっしゃい」
 中に入ると、元気のいい声が迎えてくれた。十人ぐらいがすわれるカウンターと、四人がけのテーブル席が三つ。奥には、小さなお座敷もあるようだ。
 カウンター席は、お客さんでいっぱいだった。
 でも、テーブルの方はひとつ空いていた。
「良かったあ。今日は土曜日だからまだましだけど、いつもは満員なのよ」
 おねえちゃんは、先にたってテーブル席に腰を下ろした。
 ぼくとおかあちゃんは、反対側に並んで座った。
「ここの天丼。すごーくおいしいんだよ」
 入社した日に、社長さんが、
「体に気を付けてがんばりなさい」
って、ここでごちそうしてくれたんだそうだ。

「何にする?」
 テーブルの端に置かれた『御品書き』を、おねえちゃんはこちら向きに開いた。
 天丼を売り物にしている店らしく、いちばん最初に、並天丼 千円、上天丼 千八百円と、大きく出ている。うしろの方には、てんぷら盛り合せやてんぷらごはんものっていた。
 壁には、お昼どきだけのランチメニューもはってある。ランチ天丼 六百円、ランチてんぷら定食 八百円。こちらの方がずっと安い。
「ランチでいいよ」
 『御品書き』を閉じて、おかあちゃんがいった。テーブルの下でひざをつつかれて、ぼくもあわてて大きくうなずいた。
「何いってんのよ。わざわざ来てもらったのに」
 おねえちゃんは、おこったように大きな声を出した。
「じゃあ、あたしが決めるわよ。二人とも、上天丼でいいわよね」
「散財させちゃって、悪いねえ」
 おかあちゃんが、すまなそうにいった。
「お願いしまーす」
 おねえちゃんは、右手を上げてお店の人に合図をした。
「お決まりですか?」
 眼鏡をかけた女の人が、そばにきてたずねると、
「上天丼ふたつ」
 おねえちゃんは、「御品書き」を指差して元気よくいった。
(えっ、ふたつ?)
「わたしは並でいいわ」
 おねえちゃんは、少し小さな声で続けた。

 お店の人が持ってきた冷たい麦茶をごくごくとおいしそうに飲み干すと、おねえちゃんは元気よく話し出した。
「プレゼントを買うのは、高島屋がいい? それとも三越?」
 初月給で、家族みんなにプレゼントする。この一週間、おねえちゃんはこの事をずっと繰り返しいっていた。
 おかあちゃんには財布。おばあちゃんには肩こりに効くという磁気ネックレス。入院中のおじいちゃんには好きな小説の朗読のCD。
「いいよ、いいよ。おまえがまた元気になってくれただけで、みんなは嬉しいんだから」
 おかあちゃんがそういっても、おねえちゃんはがんとしてプレゼントすると言い張っていた。
 ぼくにも万年筆を買ってくれるそうだ。
 おねえちゃんにいわせると、
「あたしはルックスがいいから勉強しなくてもいいけど、おまえは顔が悪いから頭で勝負しなくちゃだめ。だから、万年筆でしっかり勉強して」
とのことだ。
 パソコンやインターネットの時代に、万年筆と勉強とはまったく関係ないような気もしたが、せっかくだからもらっておくことにしていた。
 ひとしきり話してから、おねえちゃんはハンドバックの中をごそごそと捜し出した。
「はい、これが、あたしの初めてのお給料よ」
 おねえちゃんは、茶色い紙封筒をおかあちゃんに差し出した。封はまだ切られていない。会社でもらったままのようだ。
「ごくろうさま」
 おかあちゃんは、額の上で押し戴くような仕草をして受け取った。
「おかあちゃん、開けてみて。今月だけ現金でもらったの。ちゃんと入っているかなあ。銀行振り込みは、来月からなんだって」
 おねえちゃんは、待ちきれないように身を乗り出している。ずっと、中を見たくて、うずうずしていたのかもしれない。
「ううん。せっかくだから、このまま仏壇のおとうちゃんに見せようよ」
 おかあちゃんは、大事そうに給料袋を持っている。
「でも、そしたら、プレゼント買えなくなっちゃうよ」
 おねえちゃんが文句をいった。
「うん。それは、おかあちゃんが、立て替えておくからさ」
 おかあちゃんは、あくまでも封を開けるつもりはないようだ。
 給料袋には、クリップで小さな白い紙がとめてある。
「これ、なあに?」
 ぼくは、おねえちゃんにたずねた。
「あっ、それ、給与の明細だって。見てもいいよ」
 おかあちゃんは明細を受け取ると、真剣な表情で見ていた。
 ぼくは、その横からそっとのぞきこんだ。
 「所得税」、「健康保険」、「社会保険」など、たくさんの欄がある。細かな数字が、びっしりと書きこまれていた。
 七万八千四百六十二円。
 いろいろ差し引かれて、けっきょくこれだけが、記念すべきおねえちゃんの初給料だった。
「へへっ。一ヵ月分まるまる貰えるのかなと思ったら、今月は二十三日分だけなんだって。それにいろいろ引かれちゃうのね。少し当てがはずれちゃった」
 そういって、ニコッと笑って見せた。
 おねえちゃんは、今月から家に食費も入れるっていっていた。ここのお金を払って、みんなのプレゼントを買ったら、ぜんぶなくなってしまうかもしれない。楽しみにしていた自分の洋服までは、とてもまわりそうになかった。

「おまちどうさまでした」
 天丼が運ばれてきた。
「上天丼の方は?」
 お店の人がたずねた。
「そちら側の二人」
 おねえちゃんが答えた。
 ぼくとおかあちゃんの前におかれた上天丼は、ふたの下から大きな海老のしっぽが二つもはみ出している。
 少し遅れてやってきたおねえちゃんの並天丼は、ふたがピッタリ閉まっていた。
「早く食べて、食べて」
 おねえちゃんは、ぼくたちをせかせるように、自分のふたをすぐに取った。
 続いて、おかあちゃんとぼくがふたを取った。
 ファーッと、うまそうな湯気が立ち上った。
 中には、丼からはみ出している大きな海老が二本と、かき揚げ、野菜、魚などのてんぷらが、押し合いへし合いしている。
 すごくおいしそうだ。
 チラッとおねえちゃんの丼の中をのぞくと、海老は一本だけで、かき揚げもぼくたちのよりずっと小さかった。
 それでも、おねえちゃんは、満足そうにニコニコしていた。
「おいしそうねえ」
 おかあちゃんは嬉しそうにいいながら、自分の丼から海老を一匹つまみあげた。
「でも、わたしにはちょっと多いから」
 おかあちゃんは、その海老をおねえちゃんの丼に載せようとした。
「だめだめ。おかあちゃん、食べて」
 おねえちゃんは、怒ったような声でいった。そして、両手で丼にふたをするようにおおって、海老が置かれるのを防いだ。
「……、そうお」
 おかあちゃんは、しばらく海老を宙に浮かしたままだった。 
 でも、やがて自分の丼の端にそれを下ろした。
「いっただきまーす」
 おねえちゃんは大きな声を出すと、真っ先に天丼を食べ始めた。
「いただきます」
 ぼくは、おかあちゃんと声を合わせていいながら、大きな海老のてんぷらをガブッとかじった。
 てんぷらは、おねえちゃんが自慢したとおりにおいしかった。
 でも、続いてかきこんだごはんは、ちょっとだけしょっぱい味がした。




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板垣巴留「BEASTARS15」

2020-06-15 08:50:16 | コミックス
 主人公のハイイロオオカミのレゴシが、彼女のドワーフウサギのハルの家へ行って、家族とうまく対応できたので、恋愛的には進展しました。
 しかし、草食動物と肉食動物の混血種の犯罪の解決は進展しません。
 逆に、レゴシがやられてしまい、瀕死の重症を負います。
 幽体離脱したレゴシの元に、死んだ母親(コモドオオトカゲとハイイロオオカミの混血)の霊が現れ、異種動物(この場合は、哺乳類同士ですらありませんが)の混血の困難さを語ります。
 異類婚姻譚の一種として、この作品がどのような展開になるのかは、まだ分かりません(作者も分かっていない?)。


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