現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

オーガニック

2021-02-28 13:45:00 | 作品

 修司は小学校三年生だ、両親と幼稚園の妹の明菜の四人暮らしだった。
 おとうさんは、都内の会社に勤めている。おかあさんは、結婚してからずっと専業主婦だった。
 おかあさんは筋金入りの専業主婦で、家事にはなんでも熱心だった。特に、料理はもともと大好きなので、いつも手作り料理で、家族の健康に気を配っていた。
「おいしーい」
 おかあさんがオーブンで焼いた手作りのピザを食べた修司は、思わず大声で叫んだ。
「そーお」
 おかあさんが満足そうにうなずいている。本当におかあさんの作るピザは、焼きたてのせいもあるかもしれないが、宅配のピザよりもおいしいのだ。
 おかあさんは、家族の健康のために食材にも気を配っている。オーガニック食品が手にはいるときは、多少値段が高くてもそれらを買うようにしていた。
 そのころは、それで良かったのだ。
 ところが、おかあさんは、しだいにオーガニック食品にはまってしまうようになった。
 初めは、
(家族に体にいい物を食べさせたい)
という純粋な気持ちから始まったのだ。
 でも、凝り性な所のあるおかあさんは、オーガニック食品にすごく熱中してしまった。家には、通信販売で買ったオーガニックの野菜やその他の食品であふれるようになった。
「値段は高いけれど、安全で体にいいのよ」
 おかあさんはみんなにそう説明して、家で出される食事は、だんだんそういった物しか使わないようになってきた。
「ほんと、おいしいね」
 修司もうなずいた。確かに野菜も肉も新鮮で、普通の物よりおいしい気がするのだ。もちろん、おかあさんの料理の腕がいいおかげもあるだろうけど。

 そんな時、近所にオーガニック食品の店ができた。
「やったあ! これで、自分の目で選んで買える。通販もいいけど、自分では一個一個までは選べないからね」
 さっそく、おかあさんは、修司や明菜を連れて買い物に行った。
 そこのお店では、普通のスーパーよりも、野菜も肉もはるかに値段が高かった。
 それでも、おかあさんは大喜びだった。そして、だんだんそこでしか買い物をしないようになった。
 修司の家では、
「外食は、材料に何が使われているかわからないから体に悪い」
と、おかあさんが言っているので、絶対に外のお店には連れていってくれなった。
 どうしても外食をしたい時には、オーガニック食品だけを食材に使っているレストランに行っている。近所にはそういうレストランがないので、車でわざわざ遠くまで出かけていた。
 そういうお店では、メニューに材料の産地などが書かれていた。
「うわー、すごい!」
 オーガニック野菜のサラダバーに、おかあさんが歓声をあげた。
 修司は、クラスのみんなみたいには、マックや吉野家なんかへは絶対に行かれない。コンビニでの買い食いも、同じ理由で禁止されていた。
(マックに行ってみたいなあ)
 修司は、一度でいいからそういった店で、おかあさんが「ジャンクフード」と呼んで軽蔑している食べ物を、たらふく食べることを夢見ていた。

 おかあさんがオーガニック食品に凝りだしてから、しだいに食費がすごく膨らんでしまって、家計は大幅な赤字になった。エンゲル係数がすごく高くなってしまったのだ。
「ちょっとやりすぎだよ。おれは普通のもっと安い食べ物でもかまわないぜ」
 おとうさんは、おかあさんがつけている家計簿を見ながら言っている。
「だめよ。そんなどこで作られたかわからない物なんか。それに農薬や添加物はすごく怖いのよ」
「でも、このままじゃあ、家計がパンクしちゃうよ」
 家計の赤字をめぐって、おとうさんとおかあさんは口論が絶えなかった。おとうさんは、オーガニック食品もいいけれど、ほどほどにして欲しかったみたいだ。
「いいわよ。それなら私が働くから。健康は何物にも代えられないのよ」
 おかあさんは、家計の赤字の補てんのために、パートで働くようになった。
「自分で稼いだお金で買うのならいいでしょう」
 そう言われて、最後にはおとうさんが屈服して何も言わなくなった。
 これを境に、おかあさんのオーガニック食品熱はますますエスカレートしていった。
 まず、おとうさんに、オーガニック食品で作ったお弁当を持たせるようになった。
 それまでは、おとうさんは社員食堂で食べていた。
「社員食堂でも、けっこうオーガニック食品を使っているんだけどね」
 おとうさんはそう言っていたけれど、おかあさんは納得しなかった。
 明菜の幼稚園でも選択性の給食を断り、オーガニック食品のお弁当を持たせるようになった。
「うわーい」
 明菜は、おかあさんが作った物が食べられるので喜んでいた。

 おかあさんは、とうとう修司の学校の給食を断り、オーガニックな弁当を持たせようとした。
 でも、義務教育の学校側では、簡単には認めてくれない。
「アレルギーとか、特殊な事情がない限り認められません」
「それなら、給食の食材をすべてオーガニック食品に代えてくれますか」
「予算も限られていますから、それは無理です」
 おかあさんと学校とが、給食のことでもめ始めた。
「それなら、うちの子だけはオーガニック弁当を認めてください」
「みんなと同じ物を食べることの教育的効果も大事ですから」
と、学校側は主張した。
 学校側の意向を無視して、おかあさんが無理やり修司にオーガニック弁当を持たせた。
 給食費はそのまま払い続けているので、修司の分も給食は準備される。
 その給食を無視して、修司は一人だけオーガニック弁当を食べなければならない。
 修司は、だんだんみんなにからかわれるようになってしまった。オーガニック弁当の「オーガくん」と、呼ばれるようになったのだ。

みんなにからかわれるのが嫌で、修司はとうとう登校拒否になってしまった。
 修司は、家にこもるだけでなく、おかあさんの作る食事を食べることも拒否するようになった。自分でコンビニへ行って、お小遣いでカップ麺を買ってきて、それだけを三食とも食べている。
「そんな、何が入っているかわからない物を食べるなんて」
 なんとかやめさせようとするおかあさんと、修司はもめている。
 ついにおかあさんも、修司の給食をやめさせることはあきらめた。それならば、修司も「オーガくん」と呼ばれることもないだろう。
 修司も登校拒否をやめて、また学校に通い出した。こうして、修司のオーガニック戦争は終了した。

       

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佐藤宗子「幼年童話における「成長」と「遍歴」――松谷みよ子「モモちゃん」シリーズを中心に――」

2021-02-25 15:38:30 | 参考文献

 千葉大学教育学部研究紀要第三五巻一部に、1987年に発表された論文です。
 石井直人の「児童文学における<成長物語>と<遍歴物語>の二つのタイプについて」(『日本児童文学学会会報』第十五号所収、その記事を参照してください)をもとに、日本の幼年童話の「成長」と「遍歴」について考察しています。
 初期の長編幼年童話であるいぬいとみこの「ながいながいペンギンの話」や「北極のムーシカミーシカ」は、「成長物語」の典型的な構造を備えているとしています。
 また、瀬田貞二の「幼い子の文学」(その記事を参照してください)で指摘されている「生きて帰りし物語」は、「成長物語」の構造を備えているととらえています。
 この「生きて帰りし物語」という枠に当てはまる作品として、寺村輝夫の「ぼくは王さま」、中川李枝子の「いやいやえん」、小沢正の「目をさませトラゴロウ」、神沢利子「くまの子ウーフ」などの短編連作の作品群をあげています。
 そして、個々の短編は「成長物語」であるが、短編集全体としては「遍歴物語」の様相を呈していると指摘しています。
 それは、短編のひとつずつの小さな「成長」が次の短編につながるような書き方をすれば、A・A・ミルンの「プー横丁にたった家」のラストシーンで、クリストファー・ロビンが物語世界に別れを告げたように、「幼年時代」から脱却しなければならないからです。
 しかし、このような「成長」と「遍歴」の二項対立に対して、異なるアプローチをした幼年童話シリーズに、松谷みよ子の「「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズがあるとしています。
 著者は、「ちいさいモモちゃん(1964年)」、「モモちゃんとプー(1970年)」、「モモちゃんとアカネちゃん(1975年)」、「ちいさいアカネちゃん(1978年)」、「アカネちゃんとお客さんのパパ(1983年)」という二十年にわたり書き継がれた全5作を丹念に読むことにより、その構造を明らかにしていきます。
 まず、「ちいさいモモちゃん」は、モモちゃんが誕生してから三歳過ぎまでの文字通り「成長物語」として書かれていることを検証しています。
 次に、「モモちゃんとプー」は、同じように「成長物語」として、モモちゃんの小学校入学前までが描かれていますが、そのままだと「幼年物語」としてのこのシリーズは終わってしまうので、終わり近くで新しい「幼児」であるアカネちゃんを誕生させています。
 第3作の「モモちゃんとアカネちゃん」からは、作品世界の中心はアカネちゃんに移っていきますが、アカネちゃんはあまり成長せず(1歳7か月まで)に幼さをひきずっていきます。
 次の第4作の「ちいさいアカネちゃん」でも、アカネちゃんは1歳9か月から3歳の百日前(2歳9か月)までとゆっくり成長します。
 そして、第5作の「アカネちゃんとお客さんのパパ」の第1話では、アカネちゃんは2歳7か月に戻ってしまいます。
 第5作「アカネちゃんとお客さんのパパ」で、アカネちゃんは3歳と4歳の誕生日を迎えますが、5歳の誕生日に関してはあいまいなままでだんだん年齢不詳化されていきます。
 こうしたシリーズ全体の「成長物語」から「遍歴物語」への移行は、このシリーズが二十年という長い期間に書かれたことと、非常な人気を得て幼児のみならず小学生や母親たちまでを含んだ広範な読者を獲得していったことが原因と思われます。
 読者には、モモちゃんやアカネちゃんの「成長」を喜びながらも、この物語世界にいつまでも留まりたい(「遍歴」したい)という欲求があり、作者がそれにこたえていったことが、モモちゃんとアカネちゃんの成長の違いに現れているのでしょう。
 こういったことは、漫画やアニメでは常套手段として使われています。
 例えば、サザエさんでは、タラちゃんの成長に伴い幼児性を代償する存在としてイクラちゃんを登場させています。
 最近の例では、読売新聞の「コボちゃん」も、コボちゃんが小学校に上がる代償として、妹のミホちゃんを誕生させています。
 このように、好評を得て長く続いたシリーズ物では、「成長物語」と「遍歴物語」の二項対立ではなく、その間で微妙なバランスを取った作品群が生まれてくるのでしょう。
 これは、いつまでもこのシリーズを読み続けたいという読者の欲求(書き続けたいという作者の欲求でもあります)から生じるものだと思われます。

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
クリエーター情報なし
久山社


 

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佐藤宗子「<作品論>の行方」児童文学研究の現代史所収

2021-02-23 13:54:29 | 参考文献

 1962年に設立された日本児童文学学会の、四十周年事業として2004年に出版された「児童文学研究の現代史」に収められている、作品論の変遷について述べた論文です。
 日本において児童文学の研究の体制が整ってきた1976年に、日本児童文学学会が発行した三冊の本、「児童文学研究必携」、「日本児童文学概論」、「世界児童文学概論」においては、「作品論」は一つの独立したジャンルと考えられていたと指摘しています。
 それ以前にも、近代童話に対する作品評は存在しましたが、「作品論」として意識したものではないとしています。
 その後、ロラン・バルトや前田愛などの影響で、「テクスト」がより意識されるようになり、この論文が書かれた時点での佐藤の総括は、「<作品論>的なるものは、今日も健在である。ただしそれは、<作品論>という何かの領域が、他と領土をわけあうように存するのではない。そこでは、作品を一つの<テクスト>として対象にし、(何らかの理論を使いながら)批評行為を行うことで何が見えるか、が課題とされている」となっています。
 短い紙数で、明治時代からの百年以上の「作品論」の変遷が要領よくまとめられています。
 ただ、「作品論」のような批評行為が、1960年代までは「現代」の児童文学のあり方と密接であったのに対して、このように児童文学がひとつの学問として確立されていく過程で、「現代」の児童文学とどんどん遊離していったこともまた事実なのではないでしょうか。
 そして、そのことが、現在の学会自体の弱体化につながっていったのだと思われます。
 その証拠に、2012年に学会は五十周年を迎えたわけですが、すでに、1976年の大がかりな出版事業(上記三冊)はおろか、2002年の四十周年に企画されたこの本に匹敵するような出版事業すらできませんでした。

児童文学研究の現代史―日本児童文学学会の四十年
クリエーター情報なし
小峰書店
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柳田国男「おとなからこどもへ」こども風土記所収

2021-02-23 13:51:57 | 参考文献

 文芸評論家の柄谷行人も「児童の発見」(その記事を参照してください)の中で引用していますが、民俗学者の柳田国男はすでに戦前において、以下のように近代以前には「児童」や「こども」は大人と分離された概念ではなく、大人や青年と一続きの物であったことを指摘しています。
「児童に遊戯を考案して与えるということは、昔の親たちはまるでしなかったようである。それが少しも彼らを寂しくせず、元気に精いっぱい遊んで大きくなっていたことは、不審に思う人がないともいわれぬが、前代のいわゆる児童文化には、今とよっぽど遠った点がある。
 第一には小学校などの年齢別制度と比べて、年上のこどもが世話をやく場合が多かった。彼らはこれによって自分たちの成長を意識しえたゆえ、喜んでその任務に服したのみならず、一方小さい方でも早くその仲間に加わろうとして意気ごんでいた。この心理はもう衰えかけているが、これが古い日本の遊戯法を引き継ぎやすく、また忘れがたくした一つの力であって、おかげでいろいろの珍しいものの伝わっていることをわれわれ大供も感謝するのである。
 第二にはこどもの自治、彼らが自分で思いつき考え出した遊び方、物の名や歌言葉や慣行の中には、何ともいえないほどおもしろいものがいろいろあって、それを味わっていると浮世を忘れさせるが、それはもっと詳しく説くためにあとまわしにする。
 第三には今日はあまりよろこばれぬおとなの真似、こどもはその盛んな成長力から、ことのほか、これをすることに熱心であった。昔のおとなは自分も単純で隠しごとが少なく、じっと周囲に立って見つめていると、自然に心持のこどもにもわかるようなことばかりをしていた。それに遠からず彼らにもやらせることだから、見せておこうという気もなかったとはいえない。共同の仕事にはもとは青年の役が多く、以前の青年はことにこどもから近かった。ゆえに十二、二歳にもなると、こどもはもうそろそろ若者入りの支度をする。一方はまたできるだけ早く、そういう仕事は年下の者に渡そうとしたのである。今でも九州や東北の田舎で年に一度の綱引きという行事などは、ちょうどこのこども遊びとの境目に立っている。もとはまじめな年占いの一つで、その勝ち負けの結果を気にかけるくせに、夜が更けてくると親爺まで出て引くが、宵のうちはこどもに任せておいて、よほどの軽はずみでないと青年も手を出さない。村の鎮守の草相撲や盆の踊りなどもみなそれで、だから児童はこれを自分たちの遊びと思い、後にはそのために、いよいよ成人があとへ退いてしまうのである。」
 もちろんここでいう「子ども」は農村の子どもたち(高度成長時代以前はそれが日本社会の大半でした)をさしているのであり、武士の世界では近代以前にも元服という通過儀礼は存在していました。
 近代以降にこうした年齢別制度が確立されたのは、武士に代わる国民育成を目的とした徴兵制と学制のためですが、それでも、戦争直後までは、大半の「子ども」は小学校卒業(一部は高等小学校卒業)で、実社会の構成要因となりました。
 中学校に進むものは少数でしたし、ましてや高等学校や大学にまで進むものはごく少数のエリート(徴兵制においても優遇されていました)にすぎませんでした。
 そういった意味では、赤い鳥や小川未明に代表される近代童話が「子ども不在」あるいは一部の富裕層の「子ども」のみを対象としていたのは、当然のことだったと思われます。
 ただし、大正期にも、プロレタリアート児童文学という庶民の子どもたちを対象としていた例外はありました。
「現代児童文学」がスタートした1950年代半ばにおいても、児童文学を読むような子どもは少数派であり、彼らがいうところの「現実の子ども」「真の子ども」「生きた子ども」なども観念的なものにすぎなかったのです。
「現代児童文学」のスタートを支えた早稲田大学の学生たちや留学経験を持つ石井桃子などを含む「子どもと文学」のメンバーたちも、当時としてはごく一部のエリート層に属していて、彼らの書いた文章を今読んでみると、どちらのグループにもエリートゆえの自負心や使命感、気負いなどが感じられます。
 現在では徴兵制もなく、学歴の神話も崩れつつある中で、子ども(青年も含む)と大人の狭間がまたあいまいになりつつあります(昔と違っていつまでも大人にならないという形ですが)。
 すでに八十年代ごろから少子化(女性が子どもを産まない、あるいは少数しか産まない社会)が大人にならない女性たちを大量に生み出していましたが、バブルの崩壊以降は男性の非正規雇用化も進み大人にならない(あるいはなれない)男性も急増しています。
 そんな時代に、いい意味でも悪い意味でも「子ども」を強く意識していた「現代児童文学」が終焉し、子どもと大人(特に女性)に共有化されるエンターテインメントのひとつのジャンルとしての<児童文学>が誕生したのではないかといわれている(児童文学研究者の佐藤宗子など)のも、歴史的必然なのかもしれません。

こども風土記
クリエーター情報なし
知温書房
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めぐり逢えたら

2021-02-20 10:23:29 | 映画

 1993年公開のアメリカ映画です。

 ケーリー・グラントとデボラ・カーが主演した。1957年公開の往年の名メロドラマ「めぐり逢い」をモチーフにしたロマンチック・コメディです。

 メグ・ライアンとトム・ハンクスが、いかにも好ましいアメリカの若いカップルを演じて、子役(トム・ハンクスの息子役)の熱演もあいまってヒットしました。

 実は、「めぐり逢い」自体も1937年の映画のリメイクで、こういったすれ違いの恋愛はアメリカの女性の大好物のようです。

 それぞれの時代の代表的なスターが演じていますが、やはり時代背景を反映して、今回はコメディ仕立てにしています。

 

 

 

 

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キッカーズ

2021-02-18 14:17:31 | 作品

 浩一のけったミドルシュートは、けんめいにふせごうとするゴールキーパーの高田の指先をかすめて、水飲み場のタイルにあたった。
「ゴオオル、イン」
 絶妙のパスを出してくれた村井が、大声で叫ぶ。
「やったあ」
 浩一は両手を大きく広げて校舎のそばまで走っていくと、ひざまずいて大きく十字をきった。
 といっても、浩一はクリスチャンでもなんでもない。たんに、外国人選手がゴールを決めた後でやるポーズをまねただけだ。
「3対2で逆転だな」
 かけよってきた村井が、浩一にハイタッチしながらいった。村井は百七十センチもある長身なので、浩一の方はかなり伸び上がらなければならない。
「いくぞお」
 高田のゴールキックで、すぐに試合が再開された。みんなは、公式のサッカーボールよりひとまわりもふたまわりも小さいゴムボールを追っかけていく。
 この「サッカー」には、センターサークルなんてしゃれたものはない。だいいち二つの「ゴール」が、お互いにまっすぐ向かい合ってさえいないのだ。ひとつは、高田が守っている水飲み場。もうひとつは、校庭のはじにある高鉄棒だった。
「パス、パス」
 それでも、六人対六人で行われているミニサッカーは、けっこう盛り上がっていた。

 放課後になると、U中学の校庭は、いろいろなクラブの生徒たちでごったがえしている。
 野球、バレーボール、バスケットボール、陸上競技、……。
 さまざまなユニフォームの生徒たちが、いりまじって練習している。 
 都心にある他の中学と同様、U中学の校庭は非常に狭かった。なにしろ、五十メートル走のタイムを取るのに、校庭を斜めに使うくらいなのだ。
 しかも、地面は土ではなくアスコン(アスファルト・コンクリート)だった。そこに、バレーボールのコートやバスケットボールのコートなどが、いろいろな色の線で描かれている。
(なぜ、バレーボールやバスケットボールを校庭でやるかって?)
 それは、体育館もすでにいっぱいだったからだ。剣道部、柔道部、体操部、卓球部など、どうしても室内でやらなければならないクラブで精一杯だった。
 U中学では、クラブ活動は、週二回までと決められていた。これは、もちろん生徒を勉強に集中させようという、先生たちの考えでもある。
 でも、それ以上のクラブ活動をやるのは、校庭や体育館が狭くて物理的にも無理だったのだ。
 当然、大きな場所を必要とするサッカーやテニスなどのクラブはない。
 だから、浩一のようなサッカーファンは、ゴムボールを使って、校庭のはじにある狭いスペースでやるしかなかった。メンバーは、浩一のクラスを中心とした十二、三名の一年生だった。

「やばい」
 田代が大声で叫んだ。田代の放ったシュートは大きくカーブがかかって外れると、校庭のはずれへと飛んでいく。
(まずい)
 浩一は、思わず目をつぶった。ボールの先に、野球部のライトがいたからだ。しかも、ちょうどフライを取ろうとしている。
「あぶない」
 誰かが叫んだ。
 しかし、ボールはライトの頭に、まるでねらったかのように当たってしまった。
「いてーっ」
 サッカーボールに気を取られたせいか、野球のボールまでがライトの腕に当たった。
「このやろう」
 ライトはグラブを投げ捨てて、こちらへ走ってくる。二年の山下だ。けんかっぱやいので有名だった。
「誰だ、今、けったのは」
 答えなくても、立ちつくしたままの田代を見ればすぐにわかる。山下は、いきなり田代に飛びかかった。
「すみません。すみません」
 必死にあやまる田代を、山下はかまわずボカスカなぐりつける。浩一たちは、あわてて二人を引き離そうとした。
 しかし、山下は、浩一たちにもなぐりかかってきた。他の野球部の人たちも、こちらへ走ってくる。とんだ大騒ぎになってしまった。

「あーあ、ついてねえなあ」
 その日の帰りに、村井がみんなにぼやいた。
「そうだな。ぶつかったのが、山下じゃなければ、なんでもなかったのになあ」
 高田も首をふっている。
 あれから、浩一たちは野球部の連中と乱闘寸前になったけれど、先生たちが間に入ってなんとかおさまった。
 でも、そのせいで、学校としての問題に発展してしまったのだ。
山下になぐられた田代は鼻血を出して、口の中も切ってしまった。田代は医務室で簡単な手当てを受けてから、養護の先生に付き添われて病院にむかった。
殴った当事者の山下は、先生たちに説教された後、処分が決まるまで自宅で謹慎となった。当事者だけでなく、浩一たちサッカー仲間と野球部の連中もさんざんしぼられた。特に、正規の部活ではない浩一たちは、サッカーをやっていたこと自体が注意の対象になってしまった。
「山下は停学かなあ」
 高田がそういうと、
「そりゃ、そうに決まっている。だって、田代に怪我させたんだぜ」
 村井が口をとがらせていった。
「うーん、どうもそれだけでは済まないような気がする」
 浩一は、浮かない表情で二人にいった。

 翌朝、浩一が登校すると、げた箱わきの掲示板の前で、高田と村井が待っていた。
「藤田、見てみろよ」
 掲示板には、昨日まではなかった大きなはり紙がある。
『       告
 放課後に、校庭でサッカーをしている生徒がいるが、クラブ活動の邪魔になるので、今後は禁止する。
なお、昼休みのサッカーは、ゴムボールの使用を条件に認めるが、水飲み場や校舎にぶつけないように十分注意すること』
「ちくしょう、これじゃあ、サッカーなんか、ぜんぜんできねえじゃないか」
 掲示板の下の壁を靴先でけっとばしながら、村井がどなった。気の短い村井は、もうカッカとしている。
「藤田、どうする?」
 対象的に、高田はいつもどおりののんびりした声で、浩一にたずねた。高田はふっくらした体と顔に、象のような優しい目をしている。性格も外見に似ておっとりしていた。
 どうするといわれても、浩一にもすぐには良いアイデアがうかばなかった。昨日のトラブルから、ある程度はこうなることは予測していた。
 でも、学校側が、ここまで素早く対応してくるとは思っていなかった。
 結局、昼休みには、誰もサッカーをやろうとしなかった。

 その日の放課後、浩一は、担任の青井先生に、職員室へ呼びだされた。
「先生、こんちは」
 職員室に顔を出した時、先生は机に向かって本を読んでいた。
「おー、藤田か。ちょっとよそへ行こう」
 先生は、すぐに本を閉じて立ち上がった。
チラリと見えた本の表紙には、「生徒指導の要点」と書かれていた。
 先生は、浩一を面談室へ連れていった。部屋に入ると、浩一にいすをすすめて自分も腰を下ろした。
 先生は上着のポケットから煙草を取り出したが、目の前に浩一がいるのを思い出したかのようにあわててまたしまった。
「何でおまえを呼んだか、わかってるな」
 先生は、浩一の顔は見ずにうつむいたまま話し出した
「はい」
 浩一は、先生をにらみつけるようにしながら答えた。それにひきかえ、先生の方は相変わらず浩一と目を合わせないようにしている。
「昨日の、……」
 先生は、ようやく昨日開かれた臨時職員会議について浩一に話し出した。
 山下になぐられた田代は、今日、学校を休んでいた。鼻血だけでなく、口の中を三針も縫う怪我をしている。
 一方的に暴力をふるった山下の処分をめぐって、昨日臨時職員会議が開かれたことは、浩一も知っていた。
 その結果は、意外にも担任と野球部の顧問から厳重に注意するだけで、山下は停学処分にならないようだった。
 むしろ、クラブ活動でもないのにサッカーをやっていた、田代や浩一たちの方が問題になったとのことだ。
 青井先生は、山下を停学にしないことと引き換えに、サッカーの全面禁止を阻止したことを、自分の手柄のようにさかんに強調していた。
 先生は、最後に、みんなを説得してこれ以上トラブルを起こさないように、浩一に頼んだ。
「先生、なんでみんなに直接話さないんですか」
 浩一は、不機嫌な声でいった。
「ああ。でも、おまえから話してくれた方がいいと思ってな。おまえが、グループのリーダーなんだろ」
「そんなことありませんよ」
「いや、そうだって話だぞ」
 浩一は、ちらっとクラスのおしゃべりな女の子たちの顔を頭にうかべた。
「それに、おまえのいうことなら、村井や高田もよく聞くからな」
 先生は、気弱な笑みをうかべていた。

 高田や村井たちは、教室で浩一の帰りを待っていた。
「サッカーのことだろ。青先はなんていってた?」
 村井は、早くもけんかごしだ。浩一は、いつものように自分の机の上に腰かけると、足をブラブラさせながら、青井先生の話をみんなに伝えた。
「ちくしょう。山下を停学にしないかわりに、サッカーの全面禁止を防いだだと。ぜんぜんわかってねえな。あんな制限をされたんじゃ、もうサッカーをやれやしないじゃないか」
 あんのじょう、村井はすぐにカッカとしている。
浩一は、
(ここに青井先生がいたら面白いのになあ)
と、思った。
「そうだなあ」
 のんびり屋の高田も、いかにも残念でたまらなそうに首を振っていた。
「どうせ同じことだよ」
 浩一は、冷静に答えた。
「どういう意味さ」
 高田が、浩一の言葉にびっくりしたように聞いた。
「どっちにしろ、もう学校じゃサッカーはできないんだよ。だって、考えてもみろよ。たとえ先生たちが許可したって、部活の上級生たちが、ひどいいやがらせをするに決まってるじゃないか」
 浩一はきっぱりとそういうと、みんなの顔を見まわした。 
「じゃあ、どうするんだよ」
 村井が、今度は浩一につっかかるようにいった。
 しかし、浩一にも、これからどうしたらいいか、いいアイデアはなかった。

 このトラブルをきっかけとして、浩一は、放課後だけでなく、昼休みのサッカーもやめた。村井や高田たちも浩一にならって、サッカーをやらなくなった。
 あきらめの悪い何人かは、いぜんとして昼休みにボールをけっていた。
 でも、水飲み場や高鉄棒が使えなくなったので、ゴールは地面にチョークで書いている。人数も少ないし迫力もなく、はなはだ盛り上がらないサッカーになっていた。集まる人数も尻すぼみになり、やがて誰もやらなくなってしまった。実質的にサッカーをやらせなくしようという学校側のもくろみは、まんまと成功したわけだ。
 放課後にサッカーをやらなくなってから、浩一たちは高田の家にある柔道場に集まるようになっていた。
 高田道場は実家の地下室にあるので、夏はひんやりと涼しいし、冬は暖房なしでもけっこう暖かい。練習は、師範である高田の父親が勤めから帰ってくる六時以降なので、今までも、雨の日などには、浩一たちのかっこうのたまり場になっていた。
 三十畳ほどの畳の上に台を出して卓球をしたり、付属の小さなジムで、バーベルやボートこぎなどの筋力トレーニングをやったりして遊んでいる。
 集まるメンバーは、浩一、村井、高田、田代の皆勤組を中心に、常時七、八名はいた。みんな、学校帰りにコンビニで食べ物や飲み物を買い込んでからやってきた。サッカーをやらなくなっても、みんなはけっこう楽しそうだった。
 でも、浩一だけは、サッカーをあきらめたわけではなかった。

「テン、セブン、マッチポイント」
 高田が、指でカウントを示しながらいった。浩一は下山と組んで、村井、吉野のペアと対戦していた。
「よしっ」
 浩一が、カットサーブをクロスに送った。村井が、つっつきで慎重に返す。それを、下山がゆるくつなぐ。吉野がドライブで打ち込んできたが、浩一は、すかさず村井と吉野の間を、きれいなスマッシュでぬいた。
「ゲームセット。よし交替」
 高田が、大声でいった。
「ひと休みしないか」
 浩一は、ラケットをうちわがわりにしながら答えた。
「だめだめ。藤田がやんないなら他のペアに代われよ」
 高田は、ラケットをよこせというように、浩一に向かって手を出した。
「いや、ちょっと話があるんだよ」
 浩一は、ボールとラケットを卓球台の上に置いた。
「話ってなんだよ」
 高田は、ボールとラケットを持ちながらいった。
他のメンバーも、浩一を見つめている。
「サッカーのことなんだけど」
 浩一は、みんなに向かって話し出した。
「また、上級生とトラブルを起こそうってのか」
 村井が、せっかちに話に割り込んだ。
「いや、違うよ」
「じゃあ、なんだよ」
「あせるなよ。今、じっくり話すから」
 そういうと、浩一はみんなを見まわした。
「おれが考えているのは、自分たちの正式なクラブを作ろうってんだよ」
「えーっ。中学のか」
 高田がきいた。
「いや、そうじゃない。自主的なのを作りたいんだ」
「どうしてさ。学校で作ってもらえばいいじゃないか」
 下山が口をはさんだ。下山は小柄でおとなしい生徒だ。先生や学校に対して、どちらかというと従順な感じだった。
「そいつは無理だよ。考えてもみろよ。今あるクラブだけでも手いっぱいなんだぜ」
 浩一がそういうと、高田がすぐにうなずいた。
「そりゃあ、そうだな。ラッシュアワーみたいに、ギューギュー詰めだもんな」
「それに学校のクラブじゃ、やれ顧問だ、規則だのって、制限ばかり多くてつまんないよ。もちろん上級生たちも入ってくるだろうし」
 浩一がそういうと、
「ちぇっ、そうか」
 村井がはき捨てるようにいった。村井は封建的なクラブの上下関係にいやけがさして、バスケット部をひと月で辞めていた。
「どうせ、教えてくれそうな先生もいないしな」
 下山も口をはさんだ。
「それじゃあ、学校には内緒でやるのか」
 村井は、面白くなってきたとばかりにいきおいこんでいた。
「いや、学校には、クラブを作ることを正式に申し込む」
 浩一が答えた。
「なんだよ。さっきは、学校じゃ無理だっていったくせに」
 村井は、すぐに口をとがらせる。
「いや、無理だとわかっていても、申し込んだ方がいいんだ。学校がだめだっていってから、じゃあ自主的にやりますっていえばいいんだよ。はじめから俺たちだけでやると、いろいろ後でうるさいからな」
 浩一は、そこでみんなの顔を見ながらニヤリと笑った。
あの日以来、浩一はいかにスムーズに自分たちのクラブを作るかを、ずっと考え続けていたのだ。根っからのサッカー好きの浩一は、決してあきらめていたわけではなかった。
「そうだな。部員の募集もやりにくいし」
 村井も賛成した。
「いや、おおっぴらに部員を集めるのは考えもんだぞ。上級生の反発をくっちまう。口コミでこっそりとメンバーは集めよう」
「そうかもな。藤田、おまえってけっこう頭が働くな」
 高田が、感心していった。
「成績は良くないのにな」
「うるせえ」
 浩一は、チャチャを入れた村井の頭を軽くこづいた。
「でも、練習する場所はあるのか?」
 吉野が、初めて話に加わった。吉野は、浩一のグループでは例外的に成績の良い生徒で、考え方がつねに現実的だった。
「うん。それがいい所があるんだ」
 浩一は、日曜日に見たグラウンドについて、みんなに説明をはじめた。

 その日、浩一は、祖父の十三回忌に出席するために、両親と一緒に埼玉県の熊谷市へ出かけたのだった。
 浩一たちを乗せた電車は、荒川の鉄橋を渡っていた。意外に水量の少ない川の両側の河原には、野球やサッカーのグラウンドが何面も続いている。日曜日とあって、どこのグラウンドでも、大勢の人々がスポーツを楽しんでいた。開け放した電車の窓から、遠く歓声が聞こえてくる。
「いい所だなあ」
 浩一は、隣にすわっていたとうさんに話しかけた。
「そうだな。今日は日曜日だからいっぱいだな」
 とうさんも、振り返って外を見た。
「いつもは空いてるのかなあ」
「平日はガラガラだって、新聞に出てたな」
「へーっ。A区はいいな。こんなにたくさんグラウンドがあって」
「いいや、このグラウンドは、うちの区の所有のはずだよ」
「本当?」
 浩一は、驚いてとうさんを見た。
「そうだよ。離れてるから、平日は利用者が少ないんだろうな」
 電車が鉄橋を渡り終わった。浩一は、まだグラウンドの方を振り返って見ていた。

 翌日から、浩一たちは他のサッカー仲間を、口コミで勧誘しはじめた。上級生たちを刺激しないように、運動部に入っていない者ばかりだ。
「えっ、荒川? 遠いなあ」
 初めは、グラウンドが学校から離れていることで、チームに入るのをしぶる者も多かった。
 でも、浩一たちの下見の結果、自転車でなら十五分ぐらいで行けることがわかった。そうすると、参加してみようという者が増えてきた。
最終的には、前に校庭でサッカーをやっていたメンバーの、ほとんど全員が加わることになった。全部で十三人。なんとか1チーム分の人数が確保できた。
 さっそく浩一は、職員室に青井先生をたずねた。
「なんだ、藤田、なんの用だ?」
 青井先生は、いつもの気弱な笑みを浮かべていた。
「はい、実はサッカー部を、……」
 浩一は、学校にサッカー部を作ってもらうことと、顧問を青井先生にお願いしたいこと(これは村井発案の嫌がらせだ)を話した。
 あんのじょう、青井先生は表情を曇らせた。
 しかし、その場ではだめだとはいわずに、職員会議にはかると浩一にいった。きっと、自分の責任を逃れたかったからだろう。
 一週間後、サッカー部新設は、予想どおりに、もう部活をするスペースがいっぱいだという理由で、学校側からは認められなかった。こうして、浩一のねらいどおりに、自主的なクラブとしてサッカーチームはスタートすることになったのだった。

「キッカーズ、ファイトッ」
「オー」
「ファイトッ」
「ファイト」
 昨日までの雨ででき上がった水たまりを避けながら、浩一たちがランニングをしている。
 彼らが荒川のグラウンドで週三回練習するようになってから、早くも二週間がたっていた。
 チームはできたものの、みんなはバラバラのウェアを着ていた。トレーニングウェアの者、学校のジャージ姿の者など、さまざまだった。そんな中で、浩一だけは、小学校の時に入っていた少年サッカーチームのユニフォームを着ていた。
 みんなのシューズも、ほとんどがスニーカーだった。ちゃんとしたサッカー用のスパイクをはいているのは、浩一以外には数人いるだけだった。
 ボールも各自の物を持ち寄ってきたので、サイズも模様もまちまちだった。
 しかし、とにもかくにも、チームはスタートしたのだった。
 チームの名前も、Uキッカーズと決まっている。Uというのは、彼らが通っている中学の名前だ。メンバーの中には、学校の部活じゃないから、Uを使うのはまずいんじゃないかという意見もあった。
 でも、住んでいる地域の地名でもあるし、他にいいのが思いつかなかったのでそのままになっている。
 浩一たちが借りられたグラウンドは、縦約百メートル、横はおよそ八十メートルと、かなり大きかった。ほぼ正規のサッカーグラウンドのサイズがある。十人ちょっとのキッカーズが練習していると、広すぎてガランとして感じられるくらいだ。
 グラウンドの両端には、ネットが少し破けているとはいえ、ちゃんとサッカーゴールもある。ゴールのうしろは、丈の高い草むらになっているので、そちらにボールが飛んでもすぐに止まってくれそうだ。シュートが高く外れても、遠くまで取りに行く必要がなくて好都合だった。
 土は砂と赤土が半々で、所々に枯れかかった芝の名残りがあった。グラウンドの下見に来た時に、浩一は土をひとつかみつかんでみた。土はすぐにボロボロとくずれ、風に吹かれて落ちた。水はけはなかなか良さそうだった。
 つまり、ここは、おんぼろのUキッカーズには、もったいないぐらいのグラウンドなのだ。しいて難をいえば、すぐそばを川が流れていることぐらいだった。
 浩一と一緒に下見に来た村井は、川に向かって石を投げながらこういっていた。
「藤田ぁ。ここでやったら、ボールが川に流されて、なくなるんじゃねえかあ」
 たしかに、川よりの所で大きくミスキックしたら、そのままドブンと水に落ちてしまうだろう。特に風の強い日は要注意だ。
「まあ、ミニゲームをやるときは、土手寄りでやろうや」
 浩一は、川のそばを歩きながら答えた。

 その日の練習の帰りに、村井が独りごとのようにいった。
「あーあ、試合がやりてえな」
「そうだな」
 すぐに、何人かが、同感とばかりに答えた。
「藤田、そろそろ試合をやらないか」
 村井は、他のメンバーの賛成に力を得て、浩一の隣に自転車を寄せてきた。
「うん。この前もいったけど、一学期の間は基本練習をしてさ。夏休みにどこかで合宿やってから、試合にした方がいいと思うんだけど」
「でも、パスとランニングだけじゃつまんねえよ」
「ミニゲームもやってるだろ」
「だけど、ここんとこ集まりが悪くて、面白くないんだよ」
 人数が少なくなったのは確かだ。当初は十三人いたのに、少しずつ減っていって今日などは十人をきっている。ゲームばかりやっていた校庭のサッカーと違って、地味な練習が多かったせいかもしれない。ここらで、みんなのやる気を引き出すのも必要なことだろう。
「よし、じゃあ、試合を組んでみるよ」
 けっきょく浩一は、試合をやることをみんなに承知した。

 その晩、浩一は、つい三か月前の小学校時代に属していたFサッカークラブの、進藤コーチに電話をした。Fサッカークラブは、Jリーグの下部組織で大きなクラブだった。
「やあやあ、藤田くん、しばらくだねえ。元気にやってる」
 ひさしぶりに聞くコーチの声は、相変わらず元気いっぱいだった。
「ごぶさたしてます」
「サッカーは続けてるかな?」
「ええ、でも中学にサッカー部がないもんですから」
「そうだったねえ」
 浩一は、そのサッカークラブの中学生チームである、Fジュニア・ユースには入らなかった。中学になると学校も忙しいし、ハードな練習を要求されるジュニア・ユースを続けながらだと、勉強はかなりおろそかになりそうだった。浩一は、そこまでサッカーにかけるほど、自分に才能があると思えなかった。
「それで、今度、友だちとクラブを作ったんです」
「そう、そりゃよかったねえ」
 コーチも、自分のことのように喜んでくれていた。
「ただ試合をやりたいんですけど、相手が見つからなくて」
「そうか。それで電話してきたんだね。だけど、うちのチームのスケジュールもけっこう詰まってるんだよね」
「いえ、二軍でけっこうなんです」
「でも、君たちは中学生のチームなんだろ」
「一年生だけで、まったくの素人集団ですから」
「そうか、それならなんとかなるかもね」
 Fクラブには、一軍の下に、練習試合用にメンバー構成してある二軍が、四チームもあった。各チームのメンバーは、一軍の補欠をしているような上手な者から、まったくの初心者まで、さまざまなレベルの子が混ざっている。

「えーっ、小学生とやるのか」
 浩一の報告を聞いて、田代が不服そうにいった。
「小学生といっても、キャリアは、おれたちよりずっと豊富だよ」
 浩一は、みんなにFサッカークラブの様子を説明した。
「でも、二軍なんだろ」
 下山までが、物足りなさそうにいう。
「そりゃ、そうだけど」
「藤田はレギュラーだったのか?」
 吉野が、浩一にたずねた。
「うん、一応ね。でも、一軍のメンバーも、しょっちゅうかわっていたからな。今度の相手の中にも、一軍経験者が入っているはずだよ」
「まあ、初戦だからな。ここで大勝して、波に乗るってのもいいじゃないか」
 試合と聞いただけで、村井はすっかりはりきっている。
「そうだな。十点以上とろうぜ」
 田代も気を取り直していった。ようやく他のメンバーも乗り気になってきたようだ。
「その意気だ」
 浩一もみんなに合わせて、そう答えた。

 浩一は他のメンバーに合わせて、あえて楽勝説を否定しようとはしなかった。
 しかし、実際には、勝つのはかなりむずかしいと思っていた。小学生とはいえ、本格的にコーチされている彼らのテクニックは、Uキッカーズの比ではない。だから、対戦相手を、一軍でなく、わざわざ二軍にしてもらったのだ。みんなには、プライドを傷つけないように、一軍はスケジュールがいっぱいだったからといってある。
 Uキッカーズでまともな選手といえば、百七十センチ近くの長身を誇る村井とゴールキーパーの高田、そして浩一だけだ。
 村井は、テクニックはないけれど、なにせこの長身だ。ヘディングでなら好勝負ができる。小学生のキーパーは、上のシュートに弱いので、空中戦は特に効果的だった。
 高田の良い点は、球をこわがらないことだ。太っているので動きは少し鈍いが、体をはってゴールを守ってくれるだろう。
正直いって、それ以外のメンバーは、まだあまり期待できない。いろいろな種類のキックをしたり、ヘディングをしたりするのも、まだまともにできない状態なのだ。
 でも、浩一は、なんとしてもこの試合に勝ちたかった。そうしないと、ただでさえメンバーの減っているUキッカーズは、このままつぶれてしまうかもしれない。
 ゲームが決まってから、浩一は一人で作戦を考え続けていた。
今の他のメンバーのレベルでは、まともにパスをつないでいっては、途中で必ずボロが出てしまう。それなら、浩一がドリブルで相手ゴール近くまで持ち込み、村井のヘディングで勝負した方がいい。そして、高田を中心にして、全員でなんとか守りぬく。作戦はこれしかないように思えた。

試合の予定を決めた効果はすぐに現れた。そのことを村井たちがみんなに知らせると、再び練習に参加する者が増え始めたのだ。
「藤田ーっ、試合やるんだって?」
 学校でも、わざわざ浩一の教室まで確かめに来る者もいた。浩一が試合の予定を教えると、みんなはいちように目を輝かせている。いかにみんなが、試合を待ち望んでいたかがわかる。浩一は、試合を申し込んで本当に良かったと思った。
 その週の終わりの練習には、もとの十三名全員が顔をそろえた。これで、なんとか試合のメンバーは集められそうだった。
 浩一たちUキッカーズは、一週間後の試合に備えて、しだいに練習に熱が入っていった。
「それ、それ、ボール、ボール」
「パスだ。こっちによこせ」
 練習の仕上げのミニゲームも、いつになく活気があった。いつもよりも、みんなが声を出している。今までは見られなかったような激しいタックルをする者も出てきた。攻撃でも、ボールにくらいついてなんとかゴールしようという気迫が伝わってくる。
チームの士気も、全体のプレーのレベルも、だんだん上がってきているようだ。浩一は、試合という目標が、みんなのやる気を出させるのにいかに大切かを感じていた。

 試合は、土曜日の午後にFクラブのホームグラウンドで行われた。
 浩一を除くUキッカーズのメンバーは、芝がきれいに刈り込まれたFクラブのグラウンドを見て、すっかり驚かされてしまった。試合前のウォーミングアップの時も、広いグラウンドなのに、みんなはつい一か所にかたまってしまう。だんだん雰囲気にのまれてしまったようで、ふだんの練習のときのような元気が出ていなかった。
「グラウンドは大丈夫だよ。かえってやりやすいんだから」
 浩一は、みんなをはげますように声をかけた。
「そうかなあ。なんだか勝手が違うんだけど」
 ふだんは人一倍元気な村井までが、なんだかおどおどしているように見える。
「ほら、うちのグラウンドはでこぼこしてるだろ。ここの方がたいらだから、パスはまっすぐに通るから」
 浩一はそういいながら、実際にきれいなショートパスを村井に送った。
 ところが、村井はその簡単なパスをトラップミスして、うしろにそらしてしまった。きれいな緑のグラウンドの上を、ボールはコロコロところがっていく。それを、村井がけんめいに追いかけていった。
 こうしたFクラブに対するみんなのコンプレックスは、試合前に整列した時にピークになった。ようやくスパイクだけは全員が買いそろえたものの、Uキッカーズのユニフォームは、いぜんとして何ひとつ統一がとれていない。サッカーらしいのは浩一だけで、テニスウェアあり、バスケットのユニフォームありで、まるで運動会のクラブ対抗リレーでも始めるようだ。
 一方、Fクラブチームは、お揃いのグリーンのシャツに白のパンツ。上部組織のJリーグのチームと同じユニフォームで、ビシッときまっていた。

 ピーッ。
進藤コーチのホイッスルとともに、ゲームは始まった。
 浩一は、短いパスを村井に出してリターンをもらうと、ゆっくりとドリブルを始めた。試合の時にいつも味わう、しびれるような緊張感が体にはしった。
 他のメンバーは、初めての試合の緊張で、顔も体もこわばらせている。浩一は相手のタックルをかわすと、すぐに思い切ったロングシュートを放った。
 ボールは大きく左へそれていく。
(枠をはずれったてかまやしない)
 浩一はそう思っていた。みんなの緊張をほぐすために、わざとロングシュートをけったのだった。
「ナイスシュー」
 遠くから、ゴールキーパーの高田の声が聞こえた。きっと彼には、浩一のねらいがわかったに違いない。
「よーし、やってやるぞ」
 自陣に戻りながら、村井が彼らしいファイト満々の声で叫んでいた。
「がんばろうぜ」
「気合入れていこう」
 吉野や下山からも声が出始めた。立ち上がりのみんなの緊張が少しほぐれてきたらしい。
 先取点を取ったのは、Fクラブだった。
 前半の立ち上がりすぐに、巧みなショートパスを、何本も続けて通されてしまったのだ。こういった攻撃に慣れていないキッカーズのバックス陣は完全に振り回されている。あっという間にゴール前をガラ空きにされて、最後はサイドキックで簡単に決められてしまった。
 キッカーズのメンバーは、浩一が何度大声で注意しても、ボールに気を取られて一か所に固まってしまう。そのため、空いたスペースに、楽々とパスを通されるのだ。
 劣勢を挽回しようと、浩一はいよいよ例のドリブル戦法に出た。
 相手を突き倒すかのように、反則すれすれで強引に突進していった。一人、二人。次々と相手のマークをはずしていく。
 うまくゴールの左側にまわり込んだ。ねらいをすまして、中央で待つ村井へセンタリング。
 村井は、相手のキーパーとせるようにジャンプした。
 ボールは、村井の頭には当たらなかったが、キーパーも取りそこねて前にこぼしてしまった。
 走り寄った浩一が、すかさず押し込んでゴールイン。
 1対1。
 浩一のドリブル戦法が、さっそくうまくいった。
 同点になって元気づいたキッカーズは、その後も必死に相手にくいさがった。圧倒的にボールは支配されたものの、追加点は一点しか許さなかった。
 前半を終了して1対2。思いがけず善戦していた。浩一は、自分の考えたドリブル戦法に、一段と自信を深めていた。
 後半に入ると、キッカーズのメンバーに疲れがみえはじめてきた。スタミナがないせいもあるが、むだな動きが多いのでよけいに疲れるようだ。浩一は、特に疲れのひどいメンバーを控えと入れ替えた。
 Fクラブは、しだいにディフェンスを、浩一一人に集中してきた。おそらくハーフタイムに、コーチから指示されたのだろう。
 浩一のドリブルは、何重にも敷かれた相手の組織的なディフェンスに、引っかかるようになっていった。
「藤田、パス」
 下山が叫んだ。
 相手ゴールまで、三十メートル。まだ、シュートには遠すぎるし、ゴール前で待つ村井へのパスのコースも相手に消されていた。下山は、完全にフリーになっている。
 浩一は、一瞬、下山へパスを出してリターンをもらおうかと思った。
 しかし、次の瞬間、浩一は、二人がかりの相手ディフェンスを、強引にフェイントでかわそうとしていた。
 一人はなんとかかわしたものの、二人目に鮮やかなスライディングタックルを決められて、ボールを取られてしまった。バランスを崩した浩一は、前のめりに転倒した。
「チェッ」
 倒れた浩一のそばをかけていく下山の、舌打ちが聞こえてきた。

 結局、ゲームはUキッカーズの惨敗に終わった。
 1対6。
 後半は一点も取れなかった。
 浩一は、とうとう最後まで、味方にあまりパスを出さずに、強引なドリブル戦法を繰り返してしまっていた。

 このみじめな敗戦以来、Uキッカーズの練習への参加者は、前よりもさらに少なくなってしまった。
 浩一、村井、高田、吉野、それに田代のたった五人。今まで、皆勤だった下山までがこなくなっていた。これでは、ミニゲームもできやしない。
「ちぇっ、みんなげんきんだなあ」
 村井は、つまらなそうにゴールへシュートをたたきこみながらいった。
「やっぱり小学生に負けたのは、ショックだったんだなあ」
 高田は、そういいながらゴールの中のボールを拾い上げた。
「それに、こないだのゲームは、藤田の個人プレーが多すぎたんじゃないか。みんな、信頼してくれなかったから、面白くなかったんだよ」
 吉野が、ズバリといった。
「すまん」
 浩一は、素直にあやまった。パスを出さなかった時の、下山の残念そうな顔がチラッと浮かんだ。
「ちぇっ、吉野よぉ。藤田のせいばっかにすんなよ」
 村井が、つっかかるようにいった。
「本当のことをいっただけだよ」
 吉野は、あくまで冷静だ。
「何をっ。他の奴らが下手だからじゃないか。あれは藤田の作戦なんだよ」
 そう村井がいうと、田代も小さな声でいった。
「でも、やっぱり、ちょっとつまらなかったな」
「すまん。おれ、勝ちにこだわっちゃって。第一戦だから、勝ってはずみをつけたかったんだ」
 浩一は、あの日の作戦について、みんなに説明してあやまった。
「まあ、もうやっちまったんだからしかたがないよ」
 高田が、とりなすようにいってくれた。

 次の練習日にグラウンドに来たのは、浩一、村井、田代の三人だけだった。
「あーあ、ひでえなあ。吉野の野郎は、もう来ないと思ってたけどなあ。まさか、高田のブー公まで来ねえとはなあ」
 村井は悔しそうだった。
 高田の欠席は、浩一にも強いショックを与えていた。いつも控え目だが、ここぞという時に頼りになる高田。いなくなってみると、その存在がますます大きく感じられる。
「チームはつぶれちゃうのかなあ」
 田代もポツリといった。たしかに このままの状態では、Uキッカーズは解散するしかないかもしれなかった。
 それでも、三人は準備体操をしてから、ランニングを始めた。
「キッカーズ、ファイト」
「オー」
「ファイト」
「オー」
 元気のないこと、はなはだしい。ただでさえキッカーズには大きすぎるグラウンドが、ますます広々と見えてくる。浩一は走りながら、未練がましく何度も土手の方を振り返っていた。
 でも、土手の上には誰も姿を見せなかった。

 その後も、浩一たちは練習を続けていた。
三人での三角パス。交代にゴールキーパーをしてのシュート練習。
 でも、三人だけの練習は、ぜんぜん盛り上がらなかった。だんだん声も出なくなって、ただ黙々と決められた練習をこなすだけだった。
(ああ、このままキッカーズはなくなってしまうのかなあ)
 浩一の心の中にも、しだいに絶望感がわいてきていた。

練習が始まって、一時間がたった。
 と、そのとき、
「おーい」
 誰かが呼ぶ声がする。
 振り返ると、土手の上から高田が手を振っていた。
「何だ、この野郎、遅刻だぞ」
 村井がうれしさを隠して、わざとぶっきらぼうにどなった。
「待ってたぞお」
 田代もうれしそうだ。
 その時、高田のうしろから、吉野や他のメンバーが五人も現れた。その中には下山も入っている。
 彼らは、土手をかけおりて、グラウンドへ入ってきた。
「どうしたんだよ?」
 浩一は、先頭にやってきた高田にたずねた。
「みんなを待ってるだけじゃあ、ジリ貧だろ。それで、今日、来る前に、吉野と一緒に、みんなの家へ寄ってさ。昨日の藤田の話をしたんだよ」
 高田は、少し照れているようだった。
「別に、おれたちも、この間の藤田のプレーが頭にきただけで、練習に来なかったわけじゃないんだ。小学生よりへたな自分が嫌になっちゃってさ」
 下山が、みんなを代表するようにいった。
「まだ、一か月も練習してないんだから、あせることはないよ」
 高田が、もう一度いった。
「ちぇっ、このやろう。かっこつけやがって」
 村井が、高田の肩を強くこづいた。
 吉野は、何もいわずにスパイクにはきかえている。
(また、キッカーズを復活させられる)
 そう思うと、浩一はうれしくてそれ以上何もいえなかった。そして、今日は使っていなかった残りのボールをバッグから出した。
「いくぞ」
浩一は、スパイクをはいた吉野に向かって、ゆるいショートパスを出した。

    

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村中李衣「あいまい化される「成長」と「私」の問題」日本児童文学1997年11-12月号所収

2021-02-17 15:17:37 | 参考文献

 いとうひろしの「おさるのまいにち」(その記事を参照してください)を題材にして、現代児童文学が主要なテーマとしてきた「成長」と「私(主体性と読み替えてもいいかもしれません)」が、90年代に入ってあいまい化される傾向にあることを論じています。
 「おさるのまいにち」では、擬人化(擬さる化)の過程において、「主人公はさるか、人間か。読者はさるか、人間か。」があいまいになっていると指摘しています。
 これと同様の例としては、工藤直子の少年詩「ライオン」(「てつがくのライオン」所収、その記事を参照してください)をあげています。
 著者は、これらの作品では「私の立つ場所がない」と主張しています。
 また、「おさるのまいにち」が「成長物語」ではなく「遍歴物語」である(これらの用語については、それらについての石井直人の論文の記事を参照してください)とする宮川健郎や石井直人の意見に疑問を呈しています。
 「おさるのまいにち」の文体を詳細に検討して、この作品が「成長物語」か「遍歴物語」かの単純な二元論でくくられるものではなく、ここでもそれらがあいまい化されていると指摘しています。
 また、「私(主体)」の居場所がない作品の例として、谷川俊太郎の「わたし」(内容はその記事を参照してください)をあげています。
 それに対して、擬人化された幼年童話で「私」が消えずにいる例として、神沢利子の「くまの子ウーフ」(その記事を参照してください)をあげています。
 著者本人が認めているように、「「成長」をどの視点から捉えるのか、という問題と、擬人化という手法の中であいまい化される「私」の問題、そしてそれらが絡まりあって、<児童文学のことばの力>が透明な記号のようなことばにとってかわられつつあることへの不安を、うまく構造化して伝えられなかった。」という課題は残ったものの、ここで提示された90年代の児童文学の問題点は多くの示唆を含んでいます。
 

おさるのまいにち (どうわがいっぱい)
クリエーター情報なし
講談社
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森 忠明「ローン・レンジャーの思い出」

2021-02-14 13:22:27 | 作品論

 1994年に出版された、転校してしまった四年三組のクラスメイトだった二人の男の子の思い出を語る話ですが、実際はいつものように保育園の時に脳腫瘍で早逝してしまった姉への思いを綴っています。 
 作者は1970年代にデビューしたころは、小学校のころの体験に基づいた「きみもサヨナラ族か」(その記事を参照してください)や「花をくわえてどこへいく」(その記事を参照してください)などで、そのころ子どもたちの間でも一般化しつつあった現代的不幸(生きていくことのリアリティの希薄さ、アイデンティティの喪失など)を先取りした作品で注目されました。
 早熟だった作者は、自身の小学校時代である1950年代にそれらを実感していたのでしょう。
 その後、作品の時代設定を執筆時現在にした作品を苦労して書いていましたが、あまりうまくいきませんでした。
 そのため、開き直って、またこの作品のように自分の小学校時代の頃のことを書くようになります。
 しかし、さすがにそのころは時代のギャップが大きかったようです。
 この作品に登場する、テレビ西部劇の「ローン・レンジャー」、西部劇映画の「ほこりたかき男」、シスターボーイの丸山明弘(今の美輪明弘のことで女性的な美少年で有名でした)などは、出版当時でも読者にはチンプンカンプンでしたでしょう。
 90年代に入って、どの本もほとんど売れなくなったのにまだ本が出ていたのは、各出版社に熱狂的な森ファンがいたからで、彼らは(実は私自身もそうなのですが)こういった作品でも作者の作品は大好きなのです。
 その頃児童書の編集者をしていた私の友人もそんな一人で、1997年に「グリーン・アイズ」という本を担当して、あとがきに作者が彼女宛の謝辞を述べています。

ローン・レンジャーの思い出 (ぶんけい童話館)
クリエーター情報なし
文溪堂
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E.L.カニグズバーグ「ジョゴンダ夫人の肖像」

2021-02-13 12:39:20 | 作品論

 現代の子どもたちが抱える様々な問題を、豊かなストーリーにのせて描く作者としては、異色の作品です。

 世界一有名な絵画といってもいいレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」誕生の秘密を、独自の解釈とストーリー展開で描いています。

 大枠では史実に基づいていますが、そこに作家としての大胆なストーリーを組み立てています。

 結論から言うと、「モナ・リザ」は、レオナルドと、その最年少の弟子であるサライ、それに早世したミラノ公妃ベアトリチェとの間に生まれた、友情とも愛情とも言える関係の賜物だとしています。

 泥棒で嘘つきだが何事にも捕われない美少年サライ、姉のような美貌に恵まれずに内面の美しさを磨いたベアトリチェが、宮廷や大金持ちのパトロンたちのための仕事に倦んでいたレオナルドに、荒々しい創造の力を蘇らせ、それが名もない商人の妻の肖像画に結実したと言うのが、自身画家でもある作者(自分の作品の挿絵も描いています)の結論のようです。

 そして、そのことが、現実に縛られている大人に対するアンチテーゼとしての子どもの存在の大切さを示すと同時に、子どもたちにいつまでもこうした現実に捕われない生き方をすることを指し示しているように思われます。

 

 

 

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キングスマン

2021-02-13 10:15:49 | 映画

2015年公開のイギリス・アメリカ映画です。

コミックスが原作ですが、往年の007のようなオーソドックスな娯楽スパイ映画です。

愉快な秘密兵器やCGを使った派手なアクションが売りです。

けっこう残酷なシーンも多いのですが、あまりに荒唐無稽なので、深刻にならずに見られます。

一応、死んだ父親の後をついで、スパイになろうとする青年の成長物語でもあるのですが、あまりにご都合主義なので、成功しているとは言えません。

 

 

 

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キングスマン:ゴールデン・サークル

2021-02-12 19:41:21 | 映画

 イギリスの人気コミックスの映画化の第二弾です。
 秘密スパイ組織「キングスマン」と、悪の麻薬組織「ゴールデン・サークル」の対決を、アメリカにある「キングスマン」の同盟組織「ステイツマン」と絡めて、三すくみの荒唐無稽ではちゃめちゃなアクションコメディです。
 CGの発達により実写化が可能になったので、かつてだったらアニメで描かれたコミックスの映画化が実写版で行われるのは、洋の東西を問わずに今の映画の主流になっています。
 人間ドラマを描くより、テーマパークのアトラクションのようなハラハラさせる作品の方が、現在では受けるようです。
 もっとも、映画が生まれたころのモノクロの無声映画時代も、同様なスラプスティック・コメディがたくさん作られていました(代表的なスターはチャップリンやキートンでしょう。日本では、「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助や「エノケン」こと榎本健一が有名です)から、それへの先祖がえりと言うことができるかもしれません。
 この作品では少々残虐なシーンがあって興ざめするところもあるのですが、本来は、どんなに激しいアクションシーンでも主人公はもちろん敵役も怪我ひとつしないので、子どもも含めた観客が安心して楽しめる娯楽作品なのです。

キングスマン(字幕版)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし
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フォードvsフェラーリ

2021-02-12 18:48:20 | 映画

 2019年のアメリカ映画です。

 フェラーリの買収に失敗したフォードが、社長のメンツを守るために、天才カー・デザイナーや天才ドライバーの手を借りて、王者フェラーリを破って、ル・マン24時間レースに勝利するまでを描いています。

 デザイナーとドライバーの友情や、ドライバーの家族(妻と息子)の愛情はよく描けています。

 しかし、それを強調するために、フォードという大会社の官僚主義をあざとく描きすぎてドラマが安っぽくなっています。

 また、史実をかなり大胆に逸脱している点もいただけません。

 そのくせ、結局は大会社の論理に屈する形になっている点も、見終わっての後味を悪くしています。

 ただし、手作り感満載だった時代(60年代)のレースの様子は、迫力満点で楽しめます。

 

 

 

 

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アバウト・ア・ボーイ

2021-02-06 13:22:22 | 映画

 作曲家の父親の印税で暮らしている無職の独身男と、精神を病んでいるシングルマザーに育てられ学校でいじめられている少年が、ひょんなことで知り合う話です。
 お互いに欠損している部分を次第に補い合って、周囲の人たちも巻き込んで、何とかピンチを切り抜けていく二人を、ユーモアを交えて描いています。
 だいぶ前にニック・ホーンビィの原作を読んだ時にはほとんど印象に残りませんでしたが、映画の方は上質なヒューマンコメディに仕上がっています。
 それは、主役のヒュー・グラントがこの軽薄だが心優しい主人公にはまり役だったことと、少年役のニコラス・ホルトの達者な演技に負うところが多かったように思いました。
 これからの児童文学でも、このような大人と子どもの共生は重要なテーマですし、もっと描かれるべきだと思われます。
 そういった作品を書く時には、この映画はヒントになるかもしれません。

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ペイ・フォワード[可能の王国]

2021-02-04 19:32:30 | 映画

 2010年公開の、キャサリン・ライアン・ハイドの同名小説を映画化した作品です。
 「世界を変えるために自分でできること」という風変わりな学校(ジュニア・ハイスクールの一年生です)の課題に、まともに取り組んだ12歳の少年の戦いを描いています。
 彼が考えたのは、自分が三人の人に無償の善意の行動を行えば、それが連鎖的に拡がって、やがては世界が変わるというものです。
 それは、彼自身が、アルコール依存症で家庭内暴力(彼自身にではなく彼の母親に対してです)でネグレクトの父親と、アルコール依存症で恋愛依存症(DVの夫にも依存しています)の母親のもとに育ち、この「クソのような」世界を変えたいと思っていたからです。
 彼自身は、第一段階(薬物依存上のホームレスの男性を立ち直らせる、父親のDVによって顔や体にひどいやけどを負って女性と交際できない担任の教師(この課題を出した人です)と自分の母親との仲を取り持つ、いじめられている友だちを暴力から守る)をクリアできなくて悪戦苦闘するのですが、彼の知らないところでこの「ペイ・フォワード」運動は広がりを見せます。
 一方で、彼自身は、三番目の課題の友人を守ろうとして命を落としてしまいます。
 こうした原作のある映画は、上映時間の制限があるので、どうしてもあらすじのようになってしまいますし、観客にうける母親と教師の恋愛が中心になってしまって、「ペイ・フォワード」運動については説明的になっている感はあります。
 それでも、アルコール依存症、薬物依存症、DV、ネグレクト、ホームレス、学校内暴力、犯罪など、アメリカが抱える社会問題の根深さを考えさせてくれます。
 そして、それらの多くは、現在では日本社会の深刻な問題でもあります。


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佐藤通雅「『注文の多い料理店』論 ー 宮澤賢治論5・6」「注文の多い料理店」研究Ⅰ1所収

2021-02-04 13:11:33 | 参考文献

 昭和47年に「路上」16号と17号に掲載された論文で、副題からも分かるように宮沢賢治論(未完)の一部として発表されました。

 作品集の中の「どんぐりと山猫」、「烏の北斗七星」、「水仙月の四日」の三作品(それぞれの記事を参照してください)を取り上げ、ふんだんに引用をちりばめながら、特に文章表現と登場人物の心理について、詳しく論じています。

 編者の続橋達雄は、「あくまで、氏の感性なり、感覚を武器にして作品世界にわけ入り、作品の声に耳を傾けようとしている。基礎資料などによく目をとおしていることで、恣意的な作品の読みとりや作品の評価から免れているといってよい。」と、評しています。

 

 

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