現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ジェームス・サーバー「たくさんのお月さま」

2024-04-16 15:50:16 | 作品論

 ヨーロッパのどこかと思われる小さな王国の、10歳のおひめさまのお話です。
 ある時、おひめさまは木いちごのパイを食べ過ぎて(この作品が書かれたのは70年以上も前ですから、かなりおしゃれですね)病気になってしまいます。
 おひめさまに甘い王さまが何でも欲しい物をあげようとお姫様に尋ねると、「お月さまがほしい」と難題を出されます。
 王さまは、賢いと思われている家来の侍従長と魔法つかいと数学者に、お月さまを取ってくるように命じますが、彼らは、いかにも賢そうに過去の実績を並べるだけで、ちっとも役に立ちません。
 困った王さまのために、道化師が直接おひめさまに「お月さまとは何か」を尋ねると、おひめさまは子どもらしい発想の「お月さま」(金でできたおひめさまの親指のつめより小さい丸い物)を教えてくれたので、金細工師に作らせて金の鎖をつけると、おひめさまは大喜びで「お月さま」を首にかけて病気もたちまち治ってしまいます。
 しかし、新たな問題が発生します。
 その夜も、お月さまが空に出てきたからです(当たり前ですけど)。
 自分が手に入れたお月さまが偽物だと気づいて、また病気になってしまうのではと心配した王さまは、今度も侍従長と魔法つかいと数学者に相談しますが、彼らからは一見賢そうで常識的な、実は陳腐なアイデアしかでてきません。
 困った王さまのために、道化師がまたおひめさまへ直接、「どうしてまた別の月が出てきたのか」を尋ねに行きます。
 その時のおひめさまの答えは?
 ここが作品の一番の魅力ですし、短いお話ですので、そこから先は図書館で本を借りて原文でお楽しみください(ヒントは本のタイトルです)。
 私の持っている本は、今江祥智の洒脱な文章と宇野安喜良のヨーロッパの雰囲気をたたえたイラストがたくさんついた小さな絵本です。
 この作品ほど、「子どもの論理」の「大人の常識」に対する勝利を鮮やかに描いた作品を、私は他に知りません。
 そして、常に「子どもの側」にたって、「子どもの論理」に基づいて創作するのが、真の児童文学者だと、今でも固く信じています。


たくさんのお月さま (1976年)
クリエーター情報なし
サンリオ出版




 

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アラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」集英社版世界の文学19所収

2024-04-12 14:35:42 | 作品論

 1959年に発表された、作者の初めての短編集の表題作です。
 前年に出版された処女作「土曜の夜と日曜の朝」(映画[サタデー・ナイト・フィーバー」(その記事を参照してください)の題名には、この作品の影響が見られます)と共に、作者の名前を一躍世界中に広めました。
 作者の登場は、イギリスにおける真の労働者階級の作家の登場であるとともに、当時社会問題化していた若者(特に労働者階級)の気持ちをストレートに代弁していたからです。
 日本とは比べ物にならないぐらい(現在では日本も格差社会になりましたが)階層社会で、出自によりその人の人生が決まってしまうことの多いイギリスにおいて、労働者階級(特にその中でも下層に位置する)の若者のやり場のない閉塞感と社会への反抗を、鮮やかな形で描いています。
 主人公の17歳の少年は、窃盗の罪で感化院(現在の少年院のようなもの)に入れられていますが、院長に長距離ランナーの資質を見出されて、感化院対抗の陸上競技大会のクロスカントリーの選手に選ばれて、特別に院外の原野での早朝練習をさせられています。
 作品の大半の部分は、その練習中における彼の頭の中での独白(生い立ち、社会の底辺にいる家族、社会への反発、非行、彼が犯した犯罪など)で構成されていますが、それと並行して、走っている原野の風景や走ることの喜びも描かれ、読者は次第に彼の閉塞感と孤独を共有するようになります。
 原野が彼を取り巻く社会、感化院が彼を縛る窮屈な社会の規範、院長たちが彼を搾取している上流階級、そして、クロスカントリーが彼の人生そのものの、比喩であることは、同じ環境にない読者にも容易に読みとることができます。
 大会のクロスカントリーでは、圧倒的にリードしていた主人公が、自分の意思でゴール前で歩みを止めて敗れます。
 これは、院長(社会の支配者層の代表)の期待通りのレースでの勝利は、断固として拒否する彼の意思のあらわれだったのです。
 そのために、残された六ヶ月の感化院での生活が、優勝した場合に院長が約束していた楽な楽しい生活ではなく、懲罰的な重労働を課せられた厳しいものであったとしても、彼は自分の意思に忠実だったのです。
 事実、過酷な生活のために彼は体調を崩してしまいますが、そのおかげで彼が感化院と同じだと考えていた徴兵を逃れられたおまけ付です。
 この作品を初めて読んだのは高校生の時で、主人公と違ってまったく恵まれた安逸な環境にいましたが、主人公の大人社会への反発には激しく共感したことを覚えています。
 また、この作品の、若者の話し言葉による一人称で書かれた文体もすごく新鮮でした。
 その時は、まだサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を読んでいませんでしたが、実際にはこの作品の文体があの世界的ベストセラーの影響を受けていただろうことは想像に難くないです。
 ただし、こちらの作品の文体の方が、卑俗的で野趣に富んでいて(訳者によると、ノッティンガム地方の方言だそうです)、アナーキックな怒りを表すには適しています。
 それにしても、この作品の題名、「長距離ランナーの孤独」は秀逸で、人生に対する比喩であるばかりでなく、実際の長距離ランナーに対するイメージすら確定しまった感があります。
 特に、日本では、東京オリンピックのマラソンで金メダルを取ったエチオピアのアベべ選手の哲学者のような走りと風貌、同じレースで銅メダルを取り、その後次のオリンピックでの国民の期待という重圧に押しつぶされて自殺してしまった、円谷幸吉選手の孤独と無念のために、より深くそのイメージが刻み込まれています。


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大石真「チョコレート戦争」

2024-04-09 10:14:08 | 作品論

 菓子店のショーウィンドウを壊したとの濡れ衣を着せられた子どもたちが、そこに飾られていたチョコレートのお城を盗み出すことを計画します。
 この計画は、事前に店の経営者の知ることとなり、子どもたちのチョコレートのお城強奪は、かえって店の宣伝に利用されてしまいました。
 しかし、この店のあくどいやり方が市内の全小学校の学校新聞で報道されることにより、全市的な不買運動がおこり、最後は店の経営者が子どもたちに謝罪して、子どもたち側の大勝利に終わります。
 1965年初版以来、現在まで60年近くにわたって百数十刷を重ねている「現代日本児童文学」の「古典」の一つです。
 しかし、これを「現代児童文学」の代表作と見るのには、異論もあるだろうと思います。
 大石は、「幸い、それらの作品のいくつかが(注:日本児童文学者協会新人賞を受賞した1953年の「風信器」などを指します)大人の読者の好評を得て、ぼくも童話作家の仲間にくわえられましたけれど、ぼくの心の中に、かすかな疑問がないわけではなかった。(中略)ぼくは童話というものは、子どもにおもしろくなくては駄目であると考えるようになった。子どもにおもしろく、しかも、大人が読んでも、おもしろくなくては駄目であると思った。(「日本児童文学」1969年11月号)」と、「チョコレート戦争」の成功をふまえて発言しています。
 確かに、この作品では、多くの子どもの読者を獲得しました。
 偕成社の名編集者であった相原法則は、大石について以下のように述べています。
「少年ジャンプのモットーとするところの内容を、友情・努力・勝利の三つだといいます。(中略)知ってか知らずか、大石さんの作品は、まさにこの三つを取り入れています。(日本児童文学者協会編「児童文学の魅力 いま読む100冊日本編」所収)」
 大石がエンターテインメントも書ける作家として、それまで続けていた小峰書店での編集者の仕事を1966年に辞めて作家生活に専念できたのも、この作品の成功による自信からだと思われます。
 しかし、大石の言葉の後半の「大人が読んでも、おもしろくなくては駄目である」ということがこの作品で成功したかどうかについては、かなり疑問が残ります。
 例えば、水沢周は、この作品のプロット、キャラクター、さらにはディテールな点までについて、リアリティのなさを指摘して酷評しています(「現代日本児童文学作品論 日本児童文学別冊」所収)。
 「チョコレート戦争」のようなエンターテインメント作品を、純文学の切り口で評する水沢の論じ方はフェアじゃないと思いましたが、一方で大人の読者が読んで物足らないという面は、かなり当たっていると思われます。
 では、「現代日本児童文学」として、この作品がどうなのかを少し分析してみたいと思います。
 その前に、大石が自分の書いている物を「児童文学」ではなく、「童話」と称している理由にふれておきます。
 大石は、その当時の童話界のメッカだった早大童話会で、「現代日本児童文学」の理論的な出発点の一つといわれる「少年文学宣言(正しくは少年文学の旗の下に)」(その記事を参照してください)を出した鳥越信、古田足日、神宮輝夫、山中恒たちよりも数年先輩にあたる世代に属しています。
 その後、大石は「少年文学宣言」派とは袂をわかって、早大童話会の顧問で「少年文学宣言」派に(それだけではなく石井桃子たちの「子どもと文学」派からも)批判された近代童話の大御所たちの一人である坪田譲治が主宰した「びわの実学校」に同人として参加しています。
 そのために、自分の作品を「児童文学」ではなく、「童話」と称しているのです。
 それでは、「現代児童文学」の代表的な特徴(これも各派によって様々な意見があるのですが)に照らし合わせて、この作品を眺めてみましょう。
「散文性の獲得」
 「現代児童文学」では、近代童話の詩的性格を克服して、小説精神を持った散文で書かれることを目指しました。
 この点では、「チョコレート戦争」は申し分ないでしょう。
 大石の優れた特長の一つである平明で子どもにもわかりやすい文章で、作品は書かれています。
 この読みやすさが、多くの読者を獲得した大きな成功要因です。
「おもしろく、はっきりわかりやすく」
 特に「子どもと文学」派は、この点を世界基準と称して「現代児童文学」に求めました。
 「チョコレート戦争」は、このポイントもクリアしています。
 やや単純すぎるとも思われるキャラクター設定やプロット、適度に読者をハラハラさせるストーリー展開は、おもしろくてわかりやすく、確実に子どもの読者をつかみました。
「子どもへの関心」
 「現代児童文学」では、大人の道徳や常識に縛られない生き生きとした子ども像を創造する事を目指しました。
 この作品では、宣伝に利用しようとする菓子店の経営者の「大人の論理」を、全市内の子どもたちの団結による「子どもの論理」が打ち破ったかに見えます。
 そこに読者の子どもたちは、大きな達成感を感じるのでしょう。
 しかし、実は一見「子どもの論理」に見える「学校新聞」での批判は、実は大石自身の「ジャーナリズムに対する過信」という「大人の論理」が透けて見えてなりません。
「変革への意思」
 新しいもの(児童文学では主に子どもに代表される)が古きもの(大人に代表される既成の権威)を打ち破って、社会変革につながる児童文学を目指しました。
 この作品ではここが一番弱いし、大石自身がこの作品を「児童文学」ではなく「童話」と称した点でもあると思います。
 菓子店の経営者がおわびに子どもたちの学校へ毎月ケーキを届けるようになるエンディングは、大人(権威、あるいは体制側)が子ども(変革者)をたんに懐柔しているだけで、少しも社会を変革しようとしていない現状肯定的な姿に見えてなりません。
 大石は、その後、「教室205号」などの社会的な問題を取り扱った作品も発表しています。
 彼は、「童話」と「現代児童文学」の狭間で苦闘しながら、1990年に亡くなるまでの作家生活をおくったように思われます。
 前出した相原の言葉を借りると、「いい本には二種類しかない。褒められる本(相原の定義では賞を取ること)と売れる本だ。しかし、たいがいの作家は、一つの作品で両方を狙うから失敗する」
 そういう意味では、大石は、その両方のいい本を世の中に残したことになりました。
 日本児童文学者協会新人賞を取った「風信器」などが前者で、「チョコレート戦争」はもちろん後者です。
 最後に、「現代日本児童文学作家案内 日本児童文学別冊」に掲載された大石自身の言葉を紹介しましょう。
「児童文学とは何か――この問いかけが、たえず波のように私の胸におそいかかってっくる。この十年間(現代日本児童文学作家案内は1975年9月20日発行)に発表された私の作品は、すべてその問いかけへの答えだといってよい。あるときの私は児童文学を青春文学の一変種として捉え、あるときの私は暗い人生の反措定として児童文学を捉えた。だがそれでよいのだろうか。これからもたえず疑問が生まれ、その解答のかたちで私の児童文学は創り出されていくことだろう。」
 こういった「現代児童文学」とエンターテインメントの狭間における煩悶は、かつては私も含めて多くの児童文学作家に共有されていたと思いますが、現在では「売れる本」という価値観がすべてで、そのような葛藤をしている書き手は見当たりません。

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版)
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理論社





 





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マージェリー・シャープ「ミス・ビアンカ シリーズ1 くらやみ城の冒険」

2024-03-21 18:11:10 | 作品論

 この物語の世界には、「囚人友の会」という世界的なネズミたちの組織があります。
 この会のネズミたちは、囚人たちの心をなごませるために刑務所などにいき、「自尊心の高いねずみなら考えもしないような、ばかげた悪ふざけのお相手をつとめ」ることに精を出してくれています。
 さて、今回その「囚人友の会」の総会で議題に出されたのは、くらやみ城と呼ばれる監獄のことです。
 流れのはげしい川の崖っぷちに建てられ、崖のなかを掘りぬいたところに地下牢を置いているその監獄は、たとえ「囚人友の会」のネズミをもってしても、囚人のところにたどり着くことさえ困難な難攻不落の場所として有名です。
 よりによって、そこに囚われている詩人を救い出すという救出作戦が決行されることになります。
 詩人はノルウェー人であり、救出作戦のためには、通訳としてノルウェー出身のネズミが必要です。
 ネズミたちは、世界共通のネズミ語とその国の人間の言葉が使えることになっています。
 そして、そのノルウェーのネズミに「囚人友の会」の救出作戦を伝える者として名前があがったのが、ミス・ビアンカでした。
 ミス・ビアンカは大使の坊やに飼われている貴婦人のネズミで、坊やの勉強部屋の瀬戸物の塔で暮らしています。
 その大使一家が近々転勤でノルウェーに発つという情報が、「囚人友の会」にも伝わってきていました。
 つまり、ノルウェーまでもっとも早く救出計画を伝えられるのが、ミス・ビアンカだったのです。
 この本の面白さの第一にあるのは、ミス・ビアンカをはじめとするネズミたちのキャラクターが際立っている点があげられます。
 中でもミス・ビアンカは、なんといっても貴婦人ネズミです。
 渡辺茂男の訳による彼女のセリフ回しは、まるで「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンか、「エースをねらえ!」のお蝶夫人のようです(声優が同じなので、この二人のセリフ回しが一緒なのは当たり前ですが)。
 教養は高いけれど、気どり屋で、おいしい食べ物を与えられることがあたり前の生活をしてきた彼女は、ネズミたちにとっては天敵であるはずのネコに対して何の怖れもいだいていないという、まったく浮世離れしたところがあります。
 そんな世間知らずのミス・ビアンカが成りゆきとはいえ、ノルウェーまで赴いて救出計画に適任なネズミを探してくるだけでなく、自らも救出作戦にくわわって、くらやみ城までついていってしまうことになるのですから、まったく思いがけない展開です。
 ミス・ビアンカのお供をすることになる二匹のネズミたちにも、大使館の料理部屋に住むバーナードには沈着冷静な実務家、ノルウェーからミス・ビアンカに連れてこられたニルスには勇敢な船乗りといった際立った個性が与えられています。
 はたして監獄から詩人を脱出させるでしょうか?
 人間がやっても困難だと思われる難しい救出計画を、いかにしてクリアしていくのかがこの作品の醍醐味のひとつです。
 しかし、何より感心させられるのは、物語の中心人物がネズミであるという視点を常に意識していながらも、物語の進行においてミス・ビアンカ、バーナード、ニルスのそれぞれにもつ性格や特技を最大限にいかせるような工夫がなされている、という点です。
 たとえば、彼らはネズミであるがゆえに、その小柄な体格を生かして人目につくことなく移動し、人間を観察したり、移動手段である馬車のなかに潜り込んだりします。
 そうしたキャラクターの独自性という意味でもっとも顕著なのが、他ならぬミス・ビアンカです。
 バーナードの冷静さやニルスの勇気もたしかにこの冒険で必要ですが、それだけではどうにもできない窮地を切り抜けていくのに、ミス・ビアンカの女性としての魅力や機知がなにより有効に発揮されています。
 また、バーナードのミス・ビアンカへの恋心(ミス・ビアンカも騎士道精神あふれるバーナードに好意を持っています)や、バーナードとニルスのお互いを認め合った上での男同士の友情が、この作品に彩りを添えています。
 無事に囚人を救い出した後で、ニルスはノルウェーへ、そしてミス・ビアンカも大好きなバーナードと別れて、大使の赴任先のノルウェーの大使館へ戻ります。
 この作品は、1957年に発表されると、たちまち世界中でヒットした動物ファンタジーの代表作です。
 ケネス・グレアムの「楽しい川辺」やA・A・ミルンの「くまのプーさん」といった、イギリス伝統の動物ファンタジーの正統な後継者として高く評価されています。
 原作の題名はレスキュアーズ(救出者)で、日本では1967年に渡辺茂男の翻訳で「小さい勇士のものがたり」という題名で出版されました。
 私事で恐縮ですが、大学の児童文学研究会に入ったときに、最初に出席した読書会の作品が「小さい勇士のものがたり」でしたので、私にとっては思い出深い作品です。
 ちょうどそのころ(1973年ごろ)は、仲間内で三大動物ファンタジーシリーズと呼んでいた「ミス・ビアンカ」、「くまのパディントン」(その記事を参照してください)、「ぞうのババール」の翻訳が出そろったころなので、動物ファンタジーは一種のブームだったのかもしれません。
 それに、今までの動物ファンタジーの概念をくつがえす野ウサギの生態を徹底的に生かしたリチャード・アダムスの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」も、1972年に出版されて邦訳は1975年に出ました。
 私も含めて児童文学研究会のメンバーはこの本に夢中になり、「フ・インレ」とか、「ニ・フリス」とか、「シルフレイ」といったうさぎ語を使って会話したものでした(「ウォーターシップダウンのうさぎたち」を読んでいないない人にはぜんぜんわからないでしょうが、つい書きたくなってしまいました)。
 また、日本でも斎藤敦夫の「グリックの冒険」が1970年に、「冒険者たち」が1972年に出ています。
 動物ファンタジーには、完全に擬人化されていて登場動物がイギリス紳士そのものになっている「楽しい川辺」から、生態的にはあまり擬人化していない「ウォーターシップダウンのうさぎたち」のような作品まで、さまざまな擬人化レベルがあります。
 「ミス・ビアンカ」シリーズは、その中庸に位置する擬人化度で、子どもが読むお話としてはよくバランスが取れています。
 斎藤敦夫の「冒険者たち」がトールキンの「ホビットの冒険」の影響を受けていることは有名ですが、動物ファンタジーの擬人化度の点では、この「ミス・ビアンカ」シリーズに影響を受けているように思えます。
 さて、マージェリー・シャープの「レスキュアーズ」シリーズは全部で9作品がありますが、日本では1967年から1973年にかけて4作が出版され、1987年から1988年にかけて「ミス・ビアンカ」シリーズとして7作が出版されています。
 訳者は渡辺茂男、出版社は岩波書店とまったく同じなのに、なぜか後のシリーズで邦名が変わっていて読者はこんがらがります。
 以下に、原作と翻訳の題名と出版年度を整理しておきます。
1.The Rescuers (1959)「小さい勇士のものがたり」(1967)「くらやみ城の冒険」(1987)
2.Miss Bianca (1962)「ミス・ビアンカの冒険」(1968)「ダイヤの館の冒険」(1987)
3.The Turrent (1963)「古塔のミス・ビアンカ」(1972)「ひみつの塔の冒険」(1987)
4.Miss Bianca in the Salt Mines (1966)「地底のミス・ビアンカ」(1973)「地下の湖の冒険」(1987)
5.Miss Bianca in the Orient (1970)「オリエントの冒険」(1987)
6.Miss Bianca in the Antarctic (1971)「南極の冒険」(1988)
7.Miss Bianca and the Bridesmaid (1972)「さいごの冒険」(1988)
8.Bernard the Brave (1977)
9.Bernard into Battle (1978)
 この本の大きな魅力のひとつに、ガース・ウィリアムズの挿絵があげられます。
 当時、結婚プレゼントの定番だった絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」(その記事を参照してください)の作者でもある彼の絵を抜きにしては、ミス・ビアンカ・シリーズの魅力は語れません。
 彼の手によるミス・ビアンカやバーナードやニルスは、最高に魅力的です。
 特に、ミス・ビアンカのかわいらしさには、当時熱狂的な男性ファンがついていたほどです。
 この挿絵は、「くまのプーさん」や「楽しい川辺」のシェパード、ケストナーの作品群のトリヤーの挿絵のように、作品世界とは切り離せなくなっています。
 残念ながら、シリーズの途中でガース・ウィリアムズが亡くなったので、5作目以降は別の人の挿絵になっています。
 そうとは知らずに、まだ翻訳が出る前に5作目以降の原書を苦労して(今のようにアマゾンで安く簡単に洋書が手に入る時代ではありませんでした)手に入れた時に、絵が違っていて非常にショックを受けました。
 なお、1977年にThe Rescuersのストーリーを中心にして、ミス・ビアンカ・シリーズはディズニーのアニメになっているので、今ペーパーバックを入手するとアニメの絵が表紙になっていてさらに大きなショックを受けます(これは「くまのプーさん」も同様です)。
 この作品は、良くも悪くも古き良き時代の英国ファンタジーの王道を行く作品です。
 ジェンダーフリーの現代では、ミス・ビアンカやバーナードのキャラクターは古臭く感じられるかもしれませんが、六十年以上も前に書かれた一種の古典として読み継がれるべき作品だと思います。


くらやみ城の冒険 (ミス・ビアンカシリーズ (1))
クリエーター情報なし
岩波書店



 
 

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ヨーン・スウェンソン「ノンニとマンニのふしぎな冒険」

2024-03-07 14:18:30 | 作品論

 1914年にアイスランドで書かれた「ノンニとマンニ」を、在アイスランド臨時代理大使だった人が翻訳して、2008年にノンニ(ヨーン・スウェンソンのニックネームでもあります)訪日70周年記念として出版された絵本です。
 私がこの本を読もうと思ったのは、幼いころの愛読書であった講談社版少年少女世界文学全集に収録されていた「ノンニの冒険」(実際は1927年に書かれた「島での冒険」の抄訳だったようです)の完訳版を読もうと思ったからです。
 残念ながらその本の完訳は日本では出版されていなかったようですが、代わりにこの新しい本にたどり着きました。
 この本自体は絵本なので短い物語(ノンニと弟のマンニが、ボートで海へ釣りに行き、釣りに夢中になっているうちに引き潮で沖に流され、通りかかったフランスの軍艦に救助されるというお話です)ですし、作者が神父から作家に転向して間もなくだったのでまだ宗教的な要素が強く、幼いころに読んだ波乱万丈の「ノンニの冒険」を期待していた自分にとっては、やや物足りない物でした。
 しかし、アイスランドで2007年に出た新しい本の挿絵が、そのままふんだんに使われた美しい絵本に仕上がっています。
 また、この本を通して、私の幼いころの友だち(?)の一人であるノンニ(ここでは登場人物の方)が故郷のアイスランドでは今でも読まれ続けていることや、ノンニ(ここでは作者の方)が1937年に来日して一年も滞在し、日本中を講演(主にキリスト教系の学校で)して回っていたことや、ノンニ(ここでは両方)のおかげでアイスランドの人たちが非常に親日的であることなどを初めて知り、とても嬉しく思いました。

ノンニとマンニのふしぎな冒険
クリエーター情報なし
出帆新社
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エーリヒ・ケストナー「エーミールと三人のふたご」

2024-03-03 12:36:19 | 作品論

 1934年に書かれた児童文学の古典です。
 前作の「エーミールと探偵たち」の五年後に書かれたのですが、作品世界の中では二年後ということになっています。
 もちろん単独でも楽しめるのですが、読者に親切なケストナーは、前作を読んでない読者(彼の言葉によると門外漢)も、読んでいる読者(彼の言葉では専門家)も、ともに楽しめるように二種類のまえがきを用意しています。
 作品世界の中でも、「エーミールと探偵たち」はベストセラーになり映画化もされています(それは現実でも同様でした)。
 わかりやすく現代の児童文学界に置き換えれば、あさのあつこの「バッテリー」がベストセラーになって映画化されたようなものです。
 ただし、娯楽の少なかった当時の児童文学や映画は、現在とは比べ物にならないほどインパクトは持っていたでしょう。
 あさのあつこは映画に出演しましたが、ケストナーは作品の中に登場します。
 これは、彼の作品の大きな特徴で、「エーミールと探偵たち」でも「飛ぶ教室」でも本人が登場します。
 それは、彼が出たがりなばかりではなく、作品に大きくコミットしているからです。

 作品を紹介するために、彼の手法にならって、この作品の最初に掲げられている十枚の絵を使いましょう。
 第一は、エーミール自身。
 前作から二年後なので、日本でいえば中学一年生ぐらいです。
 相変わらず優等生でおかあさん思いですが、そういった言葉から連想されるような嫌な奴ではなく、正義感にあふれた愛すべき少年です。
 第二は、イェシュケ警部です。
 エーミールのおかあさんにプロポーズしています。
 とてもいい人なのですが、そのためにエーミールも、おかあさんも悩んでいます。
 本当は、二人で水入らずで暮らしたいのですが、将来のこと(おかあさんはエーミールの将来、エーミールはおかあさんの将来)を考えると再婚をした方がいいと思っています。
 第三は、教授くんが受け継いだ遺産
 バルト海の保養地にある大きな別荘で、教授くんは大おばさんから遺産としてもらいました。
 教授くんは、「探偵たち」の主要メンバーで主に知性を代表しています。
 児童文学の世界では、いかに「教授くん」のキャラの追随者が多いことか。
 教授くんは、法律顧問官の息子でこのような高額の遺産を受け取るほど裕福です。
 一方、エーミールは、おかあさんが自宅の台所で美容師の仕事をして、苦労して育てられています。
 ケストナーの作品の大きな特徴としては、このような貧富の差を軽々と乗り越えて少年たちが友だちになることであり、その一方でお金を汚いものとして扱わずに生きていくのに必要なものとして淡々と描いていることです。
 第四は、警笛のグスタフ
 彼は前作では警笛しか持っていませんでしたが、今ではオートバイを持っています(彼は14歳ぐらいなのですが、当時のドイツでは一定排気量以下のオートバイには免許はいらなかったようです)。
 警笛のグスタフも、「探偵たち」の主要メンバーで、主に体力と食欲を代表しています。
 彼もまた、児童文学の世界に多くの追随者を持っています。
 第五は、ヒュートヘン嬢
 エーミールのいとこで14歳です。
 この年齢では、男の子より女の子の方が成熟するのが早いのは、古今東西を問いません。
 作品では、少年たちと大人たちを結ぶ役割を果たしています。
 第六は、汽車をつむ汽船
 バルト海沿岸や対岸のスウェーデンを結んでいました。
 ここを舞台にエーミールと探偵たちは大活躍するはずでしたが、ハプニングが起きて半分が参加できませんでした。
 第七は、三人のバイロン
 ホテルの出し物として出演していた軽業師とその双子(実は親子や双子というのは出し物上の設定で、三人とも赤の他人です)です。
 大きくなりすぎて軽業ができなくなった双子の一人を置き去りにして夜逃げしようとして、それを阻止しようとする探偵たちと対決します。
 第八は、おなじみのピコロ
 ピコロとは、ホテルの見習いボーイの少年のことです。
 彼は、前作でも探偵たちを助けて活躍しました。
 小柄で身の軽いところを見込まれて、新しい双子の一人になって一緒に逃げるように軽業師に誘われています(「三人のふたご」という変わったタイトルは、このように三人の少年が双子の役をするところからきています)。
 第九は、シュマウフ船長
 ピコロのおじさんで、商船の船長ですが自分のヨットも持っています。
 第十は、ヤシの木のある島
 バルト海にある無人の小島で、ヤシの木は植木鉢に植わっています。
 教授くんとグスタフとピコロが、シュマウフ船長のヨットでセイリングしていて、この島にのりあげたために、三人は軽業師との対決に参加できませんでした。

 この作品は、ケストナーの母国ドイツではなく、スイスで出版されています。
 この当時、ケストナーは、ナチスの弾圧を受けていて、国内での出版ができなかったからです。
 そんな過酷な状況の中で、こんなユーモアに富んだ明るい作品を書いたケストナーに敬意をはらいたいと思います。
 90年前に書かれた作品ですので、今の感覚には合わないところや若い読者にはわかりにくいところもたくさんあるでしょうが、以下のような児童文学としての普遍的な価値を持っていると思います。
1.子どもたちを一人の人間として尊重している。
2.常に大人側ではなく子どもの立場に立っている。
3.現実の大人たちには失望していても、子どもたちの未来には限りない信頼を置いている。
 私事になりますが、私が幼いころに愛読していた「講談社版少年少女世界文学全集」にはケストナーの巻があり、「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」と共にこの作品(「エーミールとかるわざ師」というタイトルになっていました)が入っていました。
 病弱で学校を休みがちで友だちがいなかった小学校低学年の頃の私にとって、この作品のエーミールたちや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーたちが、本当の友人でした。
 そして、病気が治り学校へも休まずに通えるようになった時に、新たに友達を作る上で、彼らから学んだ友だちへの信頼やいい奴の見分け方などは大いに役立ちました。
 今、友だちがいなくて悩んでいる男の子たちには、ぜひこの本を読んでもらいたいと思っています。
 あいことばエーミール!(前作とこの作品で使われた少年たちの合言葉です)
 

エーミールと三人のふたご (ケストナー少年文学全集 (2))
クリエーター情報なし
岩波書店








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芦原すなお「青春デンデケデケデケ」

2024-02-09 08:54:49 | 作品論

 1990年に発表され、翌年の直木賞を受賞した、題名どおりに王道を行く青春小説です。 
 今ならば、ヤングアダルトの範疇にはいりますが、視野の狭い児童文学界ではほとんど無視されています。
 しかし、1992年には、大林宣彦監督によって、ほぼ原作どおり忠実に実写映画化(その記事を参照してください)されたので、そういった意味では実写化において安易な改変を許している既存の児童文学作品と比べて幸せな作品とも言えます。
 1965年に香川県立観音寺第一高等学校に入学した四人の高校生が、とことんロックにのめり込んだ三年間を、その周辺の人々も含めて、ディテイルにこだわって描いています。
 ロックファンを除くと、こんな細かな部分はいらないのじゃないかと思われるかと思われるシーンもたくさんあるのですが、実はこれでも「文藝賞」に応募するために、泣く泣く四百字詰め原稿用紙四百枚以内に削った後なので、1995年に出版された「私家版青春デンデケデケ」はその二倍の783枚あります。
 さすがに、そちらはマニアックすぎるので、クラシック・ロックや「青春デンデケデケ」のファンにしか薦められません。
 演奏や練習以外に、バイト(楽器を買うため)や女の子のことも書かれていますが、なにしろ1960年代の地方都市が舞台なので、純朴そのものです。
 しかし、表面上は大きく変化したものの、その本質は今の高校生たちと変わりません。
 ファッションやコミュニケーション方法などが大きく変化しても、学校、友人関係、部活、バイト、進学問題、異性関係などが、生活のほとんどを占めています。
 ただひとつ大きく違うのは、洋楽(特にロック)がもっと生活の大きな部分を占めていたことでしょう。
 作者は私より五学年上なので、メインのバンド(私が一番好きだったのは、レッドツエッペリン、クリーム、ドアーズ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、レーナード・スキナードなどでした)は違いますが、それでもビートルズやローリングストーンズは共通しています。

青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)
芦原 すなお
河出書房新社
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ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」

2024-02-05 10:59:05 | 作品論

様々な人種的背景を持つ学生たちが、後に世界的ヒットをするゲームを開発する作品です。

その過程で人種や男女の違いを超えた愛や友情とその挫折が描かれています。

彼らの子ども時代の部分もあって、児童文学的な要素もあります。

ただし、20年間以上の時間が経過する作品で、大人になってからは、性的な描写やドラッグや暴力シーンもあるので、児童文学としては適さないかもしれません。

この本を取り上げた理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はゲーム的リアリズムとでも呼べるようなビデオゲームの世界に立脚した作品であることです。

日本の児童文学では、エンターテインメントの分野において漫画的リアリズム(作者と読者が共有する漫画的な世界に立脚した世界を描いている。例えば那須正幹のずっこけシリーズなど)で描かれている作品がありますが、ビデオゲームも数十年の歴史を持っているので、そういった世界に立脚した作品が可能になっているのです。

残念ながら私はビデオゲームの世界に詳しくないのですが、もっと若い年代でゲーム好きであれば、この作品はもっと楽しめたことでしょう。ドンキーコングやマリオやストリートファイターなど、私でも知っているようなゲームもたくさん登場します。

次に、男女の違いを超えた80年代の終わりから2010年代までの20年以上に及ぶ愛と友情が描かれている点です。

主人公の男性は、子供のころに交通事故で母を失い、自身も左足を何十箇所も骨折して、長い期間入院しています(大人になってからついに切断します)。

そして、ショックで誰とも口を利かなくなっていました。それがふとしたことから、病院を毎日のように訪れている同い年の少女(小児がんの姉を見舞っている)と一緒にビデオゲームをやるようになります。そして、主人公は立ち直り、二人は親友同士になるのですが、少女がその訪問をボランティアとして公式に時間をカウントされて表彰されていたことが判明して絶交します。

主人公は、その少女と大学生(男性はハーバードで女性はMITです)の時に再開し、「イチゴ」という日本名のゲームを開発することになります。そのゲームはのちに世界的なヒット作になります。

彼女は、主人公の男性の親友の、二人のプロデューサー役にもなる男性と結婚して妊娠します。

しかし、その男性は会社に訪れてきた保守主義者に射殺され、彼女は出産後にうつ病になってしまいます。

そんな彼女を救ったのは、主人公の男性が作ったロールプレイングゲームでした。彼は彼女のためにそのゲームを作って世界にリリースしたのです。

三番目の理由はグローバルな視点で描かれている点です。

主人公の男性は、ユダヤ系アメリカ人の父親と韓国系アメリカ人の母親をもち、母親の両親である韓国人の祖父母にロサンゼルスのコリアタウンで育てられました。

相手役の女性は、裕福なユダヤ系のアメリカ人です。

プロデューサー役の男性は、投資家の日本人とデザイナーの韓国系アメリカ人の両親をもっています。

こう見てみると、全員がアメリカ社会ではマイノリティです。

また、主人公の男性ははっきりとはしていませんが、LGBTQ的な傾向(彼の作ったロールプレイングゲームの中では、現実より早く同性婚が認められています)を持っています。

このような、様々な考え方を持った登場人物がぶつかりあって、ゲーム作成に没頭します。はじめは三人でスタートしますがやがては会社組織になり、後には女性は母校のMITでゲーム創作を教えたりしています。

以上のように、非常に今日的な要素を含んだ作品になっています。

 

 

 

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デ・アミーチス「クオレ」

2024-01-06 09:18:55 | 作品論

 「愛の学校」という副題でも知られている、1886年に書かれた児童文学の古典です。
 私は、子どものころに講談社版少年少女世界文学全集に入っていた抄訳を読んだだけで、全訳は今回初めて読みました。
 この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形態をとっていて、そこに両親や姉のコメントを付け加えたり、担任の先生がしてくれる毎月のお話としてイタリア各地の英雄的な行為をした少年たちを紹介する短編(全部で9編あって一番有名なものはあのマルコの「母を訪ねて三千里」です)が挿入されていて、単調になるのを防いでいます。
 あとがきで訳者も述べているのですが、かなり軍国主義的だったり、過度に愛国的だったり、教訓的すぎる部分もあって、そういった個所を削除した抄訳の方が60年前の私にとっても読みやすかったと思います。
 なにしろ130年以上前に書かれた作品で、この訳者による初訳も100年以上前(改訂版も私が生まれた翌年の1955年です)なので、今の基準に照らすと、差別的だったり、子どもへの虐待(少年労働や少年兵士など)があったりして、現代には適していない描写や表現もありますし、今の子どもたちに理解してもらうのは難しいかもしれませんが、ここで描かれた死や別れなどは、今でも普遍的な価値を持っていると思われます。
 現代の日本の子どもたちに手渡すのには、抄訳や翻案ということも考えられますが、適切なまえがきとあとがきと詳しい注釈をつけて、原作のまま紹介する方が望ましいでしょう。
 作中の少年たちが、まだ近代的不幸(戦争、貧困、飢餓、病気など)が克服されていない社会でどのように生きてきたかを知ることは、現代の子どもたちにとっても意味のあることだと思います。

クオレ―愛の学校 (上) (岩波少年文庫 (2008))
クリエーター情報なし
岩波書店



クオレ―愛の学校 (下) (岩波少年文庫 (2009))
クリエーター情報なし
岩波書店
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鳥野美知子「桜色の遊園地」いつも元気で自分の世界を持っている女の子所収

2023-12-31 09:30:31 | 作品論

 主人公の女の子は、春休みに、ママが働いている山の上遊園地に遊びに行きます。

 ひょんなことから、けがをしたママの代理で、ウサギの着ぐるみに入って、ヒーローショーに出演することになります。

 そこで、相手に気が付かれないうちに、憧れの男の子である「王子」と知り合いになります。

 小学校高学年の元気な女の子の様子が素直に描かれていて、好きな男の子に対する気持ちも自然に読み取れました。

 

 

 

 

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鳥野美知子「女正月」ふろむ第13号所収

2023-12-28 10:14:00 | 作品論

 雪国の冬景色を背景に、老女と彼女の亡き夫の教え子(知的障害があると思われます)との交流、そして不思議な居酒屋や雪女(外国人の若い女性の姿をしています)などとの関りが描かれています。

 著者得意の雪国(山形県と思われます)の風習や雪国の描写がふんだんに用いられ、幻想的な雰囲気を漂わせています。

 事実、この作品のもとになるものは、雪の町幻想文学賞で準長編賞に選ばれています。

 

 

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石井桃子「山のトムさん」

2023-12-24 11:40:12 | 作品論

 別の記事で紹介した「児童文学の魅力 いま読む100冊 日本編」に載っている作品で一番古いのは、編集委員たちの定義による現代日本児童文学の始まりである1959年より前の1957年10月に出た石井桃子の「山のトムさん」です。
 他の記事で書いたように、私は現代日本児童文学の出発は1953年だと主張しています。
 編集委員たちがなぜこの本を取り上げたのかは不明ですが、読んでみると私の1953年説を裏づけてくれる作品でした。
 この作品が書かれていたころは、すでに1955年から「子どもと文学」のための討議が開始されていたので、彼らが目指した新しい児童文学(現代日本児童文学と置き換えてもよいと思います)を意識して、創作がなされたことと思います。
 この作品は、作者が戦争直後の食糧難の時代に、東北の村で作者の言葉を借りると素人百姓をしていた時の経験に基づいて書かれています。
 ともすれば、苦労話になりそうな題材を、トムという名の猫を通して明るい筆致で描いています。
 トムは、100パーセント愛玩のために飼われていて家の中に閉じ込められている現代の猫たちとは、まったく違います。
 もともとネズミの被害に苦しんでいた作者たちの家族が、最後の頼みとしてもらってきた猫の子なのです。
 トムは家の中だけでなく、周囲の自然や時には少し離れた集落まで遠征して自由に暮らしています。
 作者の鋭い観察眼を通して、トムの生き生きした姿、そしてそれと関連して周囲に何とか溶け込んで暮らしていこうとしている東京から来た家族(トシちゃん、おかあさん、おかあさんの友だちのハナおばさん(たぶんこれが作者)、おばさんの甥のアキラさん)の様子が明るく描かれています。
 東北の山奥の開墾地で暮らしながら、英米児童文学に造詣の深い作者ならではのモダンな様子(トム・キャット(雄猫)という名前、クリスマスのプレゼント交換など)も随所に現れます。
「児童文学の魅力 いま読む100冊 日本編」で、作家の中川李枝子はこの作品について、
「食べることが容易でなく、日本中が飢えていた戦後のこの混乱期、おばさんたちのような女・子どもだけの寄り合い所帯で、しかも全くの素人百姓が、開墾したり、牛や山羊を飼ったり、田植をしたり、薪あつめをしたりの肉体労働を、万事、村のお百姓と対等にやっていくというのは、並大抵ではなかったはずだ。が、おばさんもお母さんも弱音を吐かず、ユーモアを失わず、助け合ってやっていく。そして山の家の人たちは自然の美しさに目を見張り、感嘆し、いろいろな楽しみを発見する。トムは、その人たちの生活の中心におさまったのだった。」
と、書いていますが、私もまったく同感です。
 この作品は1959年よりも前に書かれていますが、それまでに書かれていた生活童話などとは明らかに一線を画した「現代日本児童文学」です。
 平明で読みやすい豊かな「散文性を獲得」し、戦後の混乱期を生きるために労働する「子どもたちの様子を捉えながらもユーモアを忘れずに描いて子どもの読者も獲得」し、苦しくとも明るさを失わずに新しい時代を拓いていこうという「変革の意志」を備えています。
 上記の文で「」で囲った点は、児童文学研究者の宮川健郎によってまとめられた「現代児童文学」の特徴です。
 もう70年近くも前に書かれた作品ですが、今でも古びずに読み継がれるだけの普遍的な価値を持っています。

 

山のトムさん (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店

 

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古田足日著・田端精一イラスト「おしいれのぼうけん」

2023-12-23 14:56:39 | 作品論

 日本の物語絵本のロングセラーです。
 初版は1974年で、私が読んだのは2001年の158刷です。
 見開きに描かれた保育園の全景に、「ここは さくらほいくえんです。さくらほいくえんには、こわいものが ふたつ あります。」という文章で、おはなしは始まります。
 次の見開きには、左に押入れの絵があって「ひとつは おしいれで、」の文章が書かれ、右には「もう ひとつは、ねずみばあさんです。」の文章とねずみばあさんの絵があります。
 ラストは、みんなが楽しく遊んでいる保育園の全景が描かれて、以下の文章が書かれています。
「さくらほいくえんには、とても たのしいものが ふたつあります。ひとつは おしいれで、もうひとつは ねずみばあさんです。」
 「こわいもの」から「とても たのしいもの」への変化が、読者が素直に実感できるところが、この絵本のもっともすぐれた点でしょう(もちろん、それが作者たちのねらいなのですが)。
 体罰として閉じ込められる真っ暗な押入れ。
 水野先生が演じる恐怖のねずみばあさん。
 それらが合体して、二人の男の子たちを冒険の世界へ誘います。
 暗闇という原初的な恐怖が生んだ意識と無意識の世界(「かいじゅうたちのいるところ」の記事を参照してください。)、現実と空想の境を超越して、二人の冒険の世界が広がります。
 男の子たちの友情、ねずみばあさんの恐怖、ネズミたちとの戦い、子どもたちの大好きなおもちゃの活躍、「子どもの論理」の「大人の論理(体罰など)」への完全勝利、楽しい思い出の反芻など、子ども読者の立場からはほぼ完ぺきな絵本だと思われます。
また、児童文学者の安藤美紀夫は、「日本語と「幼年童話」」(その記事を参照してください)という論文で、「物語絵本」の成立要件として、以下のように述べています。
「その時、まず考えられることは、長編の構想である。物語絵本は、そこに文字があろうとなかろうと、少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。たとえそれが<行って帰る>といった一見単純な物語であっても、である。」
 この作品は、安藤の定義する「物語絵本」の成立要件を、完全に満たしています(もしかすると、安藤が1983年に論文を書いた時には、この作品が念頭にあったのかもしれません)。
 最後に、この作品の歴史的および現時点での価値とは無関係なのですが、「押入れに閉じ込める」という設定自体が体罰あるいは虐待と受け取られて、現在の保育園を舞台にした場合には成立しにくいかもしれません(もちろん、作者たちは体罰を明確に否定していますが)。
 古田足日先生は2014年にお亡くなりになりました。
 先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

おしいれのぼうけん (絵本ぼくたちこどもだ 1)
クリエーター情報なし
童心社

 

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ばん ひろこ作 近藤薫美子絵 「たいへんなおひっこし」

2023-12-21 11:40:33 | 作品論

 幼稚園や保育園で購入できる「こどものくに」の一冊です。

 ありたちが巣から引っ越すことになり、その大変な様子が、絵に膨大なセリフが書かれていて、詳しく語られます。

 特に、ありたちが一番危険な奴としているあっくんという男の子との攻防は、なかなかスリルがあります。

 最後は、あっくんが落としたクッキーを手に入れて、めでたしめでたしです。

 幼い読者たちが興味を持てるような工夫が、全編になされています。

 

 

 

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安東みきえ 文、牧野千穂 絵「へそまがりの魔女」

2023-12-14 13:34:25 | 作品論

 呪うことしかゆるされない魔女と、道に迷った少女のふれあいを描いた絵本です。

 へそまがりで素直にやさしくできない魔女と、いっしょに暮らし始めた少女は、しだいに心を寄せ合うようになります。

 そして、やっと生まれた国王の世継ぎに、魔女はへそまがりの呪いをかける形で幸いをもたらす贈り物をします。

そのおかげで、それまで乱れていた国には平和が訪れるのでした。

作家の巧妙な文章と、画家の魔女以外を動物で表した卓越したアイデアで、しゃれた絵本に仕上がっています。

 

 

 

 

 

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