現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ウィリアム・アイリッシュ「黒いカーテン」

2019-12-17 16:44:25 | 参考文献
 1941年に書かれた古典的な推理小説です。
 いわゆる本格推理小説ではなく、スリラー的な要素が強い作品です。
 三年間の間、記憶を失っていた男が、その間に犯したとされている殺人事件のために、訳も分からず警察に追われます。
 何度も訪れる絶体絶命のピンチを切り抜け、密室殺人事件の謎を解き、真犯人を明らかにします。
 今読み直してみると、全くのご都合主義の他愛のない物なのですが、ここで取り上げた理由は作品そのものではありません。
 もし自分の記憶が正しければ、中学二年生の時に、そのころ家で取ってくれていた学研の「中2コース」という学習雑誌の付録で、この作品の抄訳を読んだのです。
 その抄訳は、無駄な部分や中学生には適さない残酷なシーンや恋愛シーン(!)はカットして、推理小説的な部分だけをうまくまとめてあったので、今回読んだ完訳よりもむしろ良かったかもしれません。
 このころの学習雑誌には、こうした海外の推理小説の抄訳やいわゆるジュブナイル小説(眉村卓の「ねらわれた学園」や「夕映え作戦」や、筒井康隆の「時をかける少女」など優れたエンターテインメント作品が載っていて、私も含めて多くの中学生たちが愛読していましたが、日本の児童文学がエンターテインメント路線(最初の成功作は、那須正幹の「ズッコケ」シリーズでしょう)を認める以前なので、日本児童文学史上ではほとんど無視されています)が本体に連載されていたり、別冊付録だったりしてたので、今考えるとけっこうお得でした。
 また、抄訳という海外児童文学作品の出版形式も、岩波書店や福音館書店などの完訳シリーズが出てからは、継子扱い(差別用語です。すみません)されていますが、私自身も、ケストナーの「飛ぶ教室」やケネス・グレアムの「楽しい川辺」なども、講談社版少年少女世界文学全集の抄訳を小学生の時に読み、高校生になってから完訳版で読み直してもあまり違和感はなく、むしろ読みやすかったんではないかと思っています。
 子どもたちの読書力が低下している現在においては、抄訳の良さをもう一度見直し、古今の海外児童文学の名作を抄訳のよる電子書籍にして、スマホ向けに配信サービスを展開したら、けっこうマーケットはあるのではないかと思っています。
 その際、抄訳化の作業を、出版状況に恵まれない優れた文章を書ける日本の児童文学作家たちを採用すれば、彼らの創作活動の経済的なサポートになるとともに、子どもたちが美しい日本語に触れる機会にもなって、一石三鳥なのですが。
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「コートールド美術館展」東京都美術館

2019-12-05 18:06:24 | 展覧会
 イギリスで繊維産業で莫大な富を築いた富豪のコレクションをもとに作られた美術館が、改装のために海外へ貸し出した作品の一部です。
 ルノワール、マネ、セザンヌ、ドガなどの印象派を中心に、ポスト印象派のゴーガンなどの、画集などでお馴染みの有名な作品を生で見られました。
 会期末が近いのでやや混んでいましたが、東京都美術館はスペースがゆったりしているので、観賞はしやすいです。
 展示も、各作品の創作意図を解説したり、科学的な解析結果を展示したりして、さすがはロンドン大学の研究施設の付属美術館らしい工夫がなされています。
 ただ、コレクション自体はやや総花的で、全体としては散漫な印象を受けました。
 美術界のパトロン的な立場の人の個人コレクションなので、仕方がないのですが。
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