レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

私のイサベル 刑事シーハン 

2019-04-26 15:19:45 | 
『私のイサベル』 エリーサベト・ノウレベック ハヤカワ・ミステリ
 図書館の新着図書をチェックしていて発見したスウェーデンのミステリー。
 夫と息子との良い家庭を持つステラには、10代で妊娠し、親子3人でけなげに暮らしていたが、海でほんの少し目を離したすきに1歳の娘がいなくなってしまったという過去がある。カウンセラーをしているステラの前に、父を失くした悲しみを抱えた女子学生イサベルが現れる。ステラは一目で、それが娘のアリスだと直感する。
 イサベルの母シェスティンの執着が恐ろしいが、事情を見通せない傍目にはステラもやはり充分に怪しく見えても仕方ない感じである。


『刑事シーハン 紺青の傷痕』オリヴィア・キアナン ハヤカワ・ミステリ
 去年出た。アイルランド・ダブリンが舞台。女性刑事が主人公はたいして珍しいものではないが、独身設定はめったにない気がする。邦題のつけ方は、できれば続きも出したい意図を感じる。



『赤い館の騎士』アレクサンドル・デュマ ブッキング 2003年
 副題に「マリー・アントワネットを救え!」とついているが、もちろんこれは成功しない。主要キャラ中で〇〇くらいは生き残ってほしかった。

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茶色の不思議

2019-04-19 13:09:39 |   ことばや名前
 ふと思った、茶色という名称は奇妙だ。
 英語だとbrownという語にだいたいあたるものとして使われるが、実際にあるお茶は必ずしもブラウンではない。黄色や緑も多い。
 もっとも、「緑茶」「紅茶」という名称がわざわざあるところを見ると、逆に、ふつうのお茶は「茶色」が基本なのだということを意味しているということだろうか?
 なお、私が日常で飲むのは、ほうじ茶とウーロン茶その他いろいろブレンドでブラウンの色のものか、緑茶だけど薄いから黄色になっているものが主流である。
 ついでに言えば、英語のorangeは「だいたい色」「みかん色」と同じとは限らず、褐色と言える色まで含むそうである、鈴木孝夫さんの本で読んだことがある。モンゴメリの『アン』邦訳の中に、「みかん色の猫」という言葉があることを一例として話題にしていた。Lipも「唇」だけでなく、その周りも指している(だからlipにヒゲがはえていたりする)とか。外国語を照らし合わせる際に、必ずしも一語対一語にはならない。

 『マリア様がみてる』でも、ピンクの薔薇を日本語ですっきりと呼ぶ言い方のないことがツッコまれていた。ピンクを日本語で言えば普通は「桃色」、でも「桃薔薇」ってヘン。「桜色」も「薔薇色」も、この際困ってしまう。
 あっ、バラも、白も黄色も色があるのに、「バラ色」といえばピンク系統に限定されてしまっているという点で「お茶」と同じ境遇にあるのか。


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なつかしのわしまい記念日

2019-04-14 13:34:51 | 
 4月13日・14日が土日にあたる、これは私にとって懐かしいことを思い出す事態である。85年(34年まえ!)、独文科に進んでまもないころ(うちの文学部は2年から科に分かれる)、大学近くの、というよりは駅に近い図書館で借りた『鷲は舞い降りた』を読んで感動して、私の関心領域にドイツ軍もはいるようになったのだ。もちろんそのまえに、少佐の父上で下地はあったのだが。
 これについては当ブログの初期にも書いた。
 
 あの図書館も大いに活用した。当時は住まい(いまとは違う)の近く、少なくとも歩いて行ける範囲に図書館はなかったので重宝していた。
 女子高時代には、学校の図書室のほか、上記の図書館(女子高と大学は近い)。公共のは地元にはなく二駅ほどのところにたまに行くくらいだった。近所にできたのはかなりあとのこと。
 いまの場所に引っ越してきたころには、公民館に小さいのがある程度で、大きいのは3駅離れていた。地元に大きいのができたのは20年近く前のことだったろうか。
 いまは便利な状態でありがたい。
 通常とは違って今年は点検のための10日ほどの休館が5月である。そのまえにディケンズの3巻本の市外取り寄せを済ませたい。

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ベルリンのガイドブック

2019-04-12 13:24:56 | ドイツ
『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム 13エリア』
中村真人 ダイヤモンド社
「新装改訂版 ベルリンガイドブック」
 うちの市内の図書館HPの「新着図書」ではこういうのも「歴史」に入れられている。
 巨大なベルリンを区分けして紹介してある。「地球の歩き方」と同じ出版社。「地球の歩き方」でもベルリンは特別に『ベルリンと北ドイツ』という特別号(?)を設けてあるが、それよりさらに詳しい。ある程度知っているけど改めて感じる、見どころ満載で、これはひと月いたって間に合わんなというくらい。私も98年夏に3泊してせっせとまわったけど。そのあとできたところもあるし。「博物館島」は一部閉館中だったし。ミュージアムがたくさんなのはミッテ地区だな。
 ちょっと不思議なのは、「アンペルマンショップ」が載っていないこと。

 
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カルバニア物語⑱

2019-04-09 13:00:04 | マンガ
TONO『カルバニア物語』18巻

 目立っているのは、女王タニアの性格の悪い従兄弟、先王の異母弟(側室腹)の愛人の子であるナジャルと、寵姫(表向き)のアナベル、それに初登場のラチェット。
 年上未亡人だったラチェットは一身上の都合でナジャルの愛人となり、「癒し系」として務めてきた。別れてから男児を産んで死亡(しかし実は・・・)、ナジャルの母ストロボは、王妃にも王の母にもなり損ねた過去を持ち、こんどは王の祖母となる野心を抱いている模様。
 赤子を強引に引き取ろうとするストロボに対して、ナジャルは、アナベルを正式に「養母」と宣言する。
 これに対して、アナベルを――好意からでも悪意からでも――かわいそうだと言う人々がいる反面、アナベルは「おいしい立場」と考え、誠意も持ってあたろうとする。
 このへん、王宮ものらしくて面白い。現代庶民の感覚では、例えば『源氏物語』で源氏が明石の姫君を紫の上に育てさせることは残酷な感じがしてしまうのだが、物語の中では(当時の習いでは)紫の上の立場を尊重したものとして扱われている。(史実の例ならば、秀吉が淀の方の生んだ秀頼に対して正室北政所を「まんかかさま」と位置付けていたことも似たようなものか?) 一夫一婦以外の世界にはそれなりの感覚があろうし、なにが同じか違うかはとうてい断言できるものではないけれど。

 ところで、まえに言及したリンゼイ・パクスタンはラチェットの従妹で、リンゼイは再び登場している。
 「生まれた時から運命の相手は決まっているの 小指の先に赤い糸がついているの 目を見ればわかるの 一瞬でわかるの たった一人なの 信じていれば信じていれば だいたい13歳くらいから20歳くらいまでの間に(女は少しでも若くなくっちゃ!) 15歳くらいから28歳までの王子さまが(男は少し年上でなくっちゃ)あなたの前に」(%)--「ボーイミーツガールの神話」としてそのリンゼイの思いこみが連ねられている。そして、「20歳まであと〇年〇か月」で焦りまくっている。出会い求めて出た王宮のパーティーで、観光客の一員としてひとり甘味を楽しむラチェットを目撃する。「以前よりきれい」とムカついている。
 リンゼイが上記のようなお花畑になったのは親の育て方が悪かったのであるが、これまた、同じTONOさんの『アデライトの花』1巻に出てきた無知なマージと重なる、カル物はあんな悲惨な展開にはなるまいが。
 既巻のあとがきだったか、「運命の相手」なんて一人というわけではない、と書かれていたし、ラチェットの心のつぶやき、「愛ってなんなのかしら?たったひとつとか絶対とか永遠とか 息苦しくない? たったひとつじゃなくて 次々とあたらしくはじまる あのやわらかな緑みたいな そんなもののほうがいい」(引用は不正確)にも端的に表れている。
  ・・・まあ私自身も、「オンリーワンフォーエバー」の好みはあるし、物語の中でくらいそういう夢があってもいいだろと思ってはいるけど。
 観光地によくある「愛の南京錠」なんて見ると、・・・破局したときホラーにもなりかねないぞ、と内心ツッコんでしまうよ。

(%)「王子さま」のもちものとして「お金 家柄 つよさ やさしさ」、自分のは「手料理 美ぼう やさしさ」。—-それでも、「やさしさ」が挙がっているだけ、アレクサンダー・コルテスの言う「12の条件」よりだいぶマシであろう。

 ああ面白いな~~!注目すべきキャラが次々と出てきて語られるので全体の流れは遅い、しかし引き伸ばしには見えない。単行本出るペースの遅いことが残念だ。
 
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神代植物公園に行った

2019-04-07 09:54:57 | 雑記
 きのう、深大寺に行き、というよりも名物のそばと近くの植物公園を目当てに出かけた。
 珍しくおみくじを引いたら大吉だった。
 植物公園は花見客でにぎわい、でもヘンなものは目につかず、楽しく散策してた。「源平枝垂れ」という桜があった、白い花と色付きの花が両方ついている。季節ものの桜ソフトを食べ(思ったよりクセのあるものではなかった)、売店でクリアファイルとポストカードを買い、すみれの展示を見た(白いすみれもあるのか、「すみれ色」というのは紫なのにね)。
 「年間パスポート」があるということは、季節ごとに来る人もいるのだろう、それも不思議ではないけど。でも一般の500円も高くはない。
「神代植物公園」
「深大寺HP」
 今回、調布駅前からバスに乗り、「深大寺へ行く人はここで」と言われたところで降りたのだが、どうも周囲がただの道路で違和感を覚え、また乗って「神代植物公園」で降りた。しかし、まずはそばを食べたい。そこでまた歩いて神代寺へ、親切な地元民の道案内にたいへんお世話になる。食べたあとまた無用のまわり道をしたあげく「深大寺門」からはいり、歩いてみてまわり「正門」から出たのだった。
 深大寺のHPで「アクセス」を見ると、バス停「深大寺」は数か所あり、最初に降りた場所がまずかったようだ、私の記憶では小田急バスだったのだがさだかではない。たぶんあれは「深大寺入り口」だったのだろう。
 効率よくまわるためには、どのバス停なのか、どこでどの便に乗るのがいいのかよく確認して乗り降りしなければならない。もちろん、先に植物園を見ようというのならば「神代植物公園前」で降りればよかろう。 


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いまさらだけど「12の方法」

2019-04-04 08:20:00 | 雑記
 もう2か月くらいまえにネットで話題になった一件。
 mixiに載っていた記事から引用する。

 ある男性がツイッター上で公開した「女性が美しくなるための12の方法」にネットが炎上している。
「やせていること」「ピンクを身に着けること」「男性の意見を聞くこと」などが列挙された12の方法をめぐり、ネットでは様々な議論が飛び交っている。
◆「このリストを見て怒る女性は性悪」
 波紋を呼んだこの“方法”を高らかに発表したのは、作家でモチベーションスピーカーのアレクサンダー・J・A・コルテス氏。人生のさまざまなことについて人々にコーチングするモチベーションスピーカーとしても知られるコルテス氏は先週、美しい女性に必要不可欠なルールをツイッターで公開。そのうえでコルテス氏は、こうコメントしている。
「このリストをためしに女性に見せてみるといい。このリストを見て怒るようであれば、その女性は性悪女。一緒に子供など持ちたくない相手で、ひどい母親になると分かる。男性諸君、目を見開いておくように」
 では、コルテス氏が掲げる「女性が美しくなるための12の方法」を見てみよう。
― やせていること
― 料理が出来ること
― ロングヘアであること
― メイクをすること
― 女性らしいこと
― 上品であること
― セクシーであること
― 除毛すること(言うまでもないが)
― おしゃれであること
― ピンクなど女性らしい色を身に着けること
― 男性を愛すること
― 男性の言うことを聞くこと

 これがネットで拡散されるとすぐさま「女性蔑視だ!」「ばかばかしい!」といった批判が殺到。
(中略)
 こういった批判意見に対し、コルテス氏と思われる人物は「このリスト通りにしておけば、マッチョな男性にもモテるようになるのに。美しくあるための方法が知りたかったらご連絡ください」と反論しているようだ。
 <文/BANG SHOWBIZ、女子SPA!編集部>

 引用終わり。

 これに対する私の批判の大きな点その1は:
 こういうタイプが好み、と個人の意見として言うならばさほど騒ぐほどのことではないだろう、しかし、すべての男女にとっての絶対真理のように言っている態度が図々しい。
 その2は:
 条件のうちで、堅実さにつながるのは「料理」くらいなもので、かなり表層的なものが目立つ。単なる遊び相手ならばそれでもいいかもしれないが、「一緒に子供など持ちたくない相手」などという言葉が出てきているということは違うのだろう。妻や母、長く身近な付き合いをする相手に大切なことである(と私の考える)誠実さや思慮分別というものはここに欠片もない。これら12ヶ条を満たしたうえで嘘つきの浮気女だっているだろう。オシャレもせず女らしくもなく肥えているが愛に満ちたいい母ちゃんである女だってゴマンといるだろう。おしゃれでセクシー、そんなもんがいい母親に必須なものか、バカ言ってるんじゃない!こんな男は父親に持つのもゴメンである。
 もしかすると、「女性らしい」の中に優しさや貞淑さも含めているつもりなのかもしれない、しかし、ほかの条件であまりに薄っぺらなことが目立っているので、とうていそういうふうに考えられないのだ。

 ほんと、この「12ヶ条」だけならばま~だいい、「そりゃ単にアンタの好みを並べてみただけだろ、なぁんて上っ面のことばかり言ってるんだろうね」と呆れるので済ませられるかもしれん。しかし、「怒る女性は~」コメントまで読んでなんの抵抗も感じない、「まあ、努力するわね(はぁと)」と皮肉でなく言うような女はそのほうが自意識おかしいと私は思う。
 
 細かいことを言えば、
ロングヘアだのピンクだの、好みだけでなく、似合う似合わないの問題もあるだろうに。
これに怒る人だって、個々の点が必ずしも悪いと思うのではないし、下品やデブになりたいわけではないなんてわかりきったことだろうに、そのへんに因縁つけるようなコメントもあって腹立たしい。
 それに、必ずしもイヤなことでなくても強制されるのはイヤだという人情はあるもので、オシャレや化粧も然り。
 いろいろな意味でツッコミどころ、というよりも怒りのツボの記事であった。

 これより少しあとで、さほど有名ではなさそうな人物(日本人男性)の書いた、長く愛される女性の条件とかいう記事が載った。「誠実さ」「自分の意見を持つ」「だめなことはだめと言う」等、は~る~か~にマトモな内容であった。
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