レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

三国志と女のファン

2019-11-23 09:10:16 | 歴史
 図書館の新着図書で、講談社現代新書『愛と欲望の三国志』by箱崎みどり という本を読んだ。簡単に言えば、三国志の受容の歴史である。私自身は特別に三国志ファンというわけではなくメジャーどころしか知らないが、著者の思い入れには大いに共感できるものがある。
 ところで、著者の箱崎さんは86年生まれで、小学生の時に再放送されていた『人形劇三国志』がきっかけだったという。高校時代に「女子高生が『三国志演義』を好きになるのはどうすればよいか」というテーマでレポートを書き、紙人形劇まで作ったという。
 86年生まれの人が高校生のころならば、2000年代の初頭。そのころそんなに「三国志」は女の子にとって遠いものだったのだろうか?
 白井恵理子の「さんごくしよんこままんが」と副題のついた『STOP!劉備君』が小説JUNEに掲載されていたのはもっと早かったのでは?と気になり検索すると、白井さんも82~84年の人形劇でハマり、同人誌を出し、そこから87年に小説Juneでの掲載が始まっている。
 光栄の「爆笑シリーズ」で「三国志」は90年代に出ている(私はミラージュのせいで『信長の野望』は読んだ、ゲームは知らんけど)。
「三国志 女性ファン」で検索すると、次の論文が出てきた。

『三国志』 −古代から現代へ ・・・イメージの変遷
トで生じた、女性の『三国志』に対する無関心な点、また、『三国志』の魅力などについて イ. ンタビューした結果をもとに、『三国志』ファン(管理者およびユーザー)の思考や イメージ. を現代的視点から考察していきたい。 それでは、質問とそれに対する応答を 要約して ...

 これは2000年のものである。本文中には、「三国志」ユーザーには女性も少なくないことは指摘されている。
 そしてもっと新しいところでは

「歴女」の新しい広がり…『三国志』に夢中になる女性たち /2013年9月

という類の記事が珍しくなくなる。

 私がこのブログで『中世英国ブンガク』を話題にした際、「三国志オタクに女性がほとんどいないのもうなずける」という部分におおいに反対したが、あの本は99年に出ている。では、当時はやはり少数派であったのか、少なくとも、世間の目につくほどではなかったということなのか。
 私はコミケにも行っていたし、とはいえ2004年夏以来ご無沙汰であるが、90年代でもすでに、歴史系で三国志サークルは充分にメジャーであったように記憶している。私の知人が『五丈原会』とかいうサークルで長池とも子さんと知り合って文通していたというけどそれは90年代のことだろう。長池さんがプリンセスGOLDで三国志ものを描くようになるのは2000年代になってからだけど。
 コバルトで朝香祥さんが周瑜もの――「かぜ江(こう)」と作者は呼んだ――を出し始めたのは97年から。私は少なくとも白井版を知っていたので、孔明がメジャーで呉が中心は珍しい?と思ったことを覚えている。
 つまり、女が三国志好きなんて、ちっとも珍しいことだとは感じていなかったのである。新選組の例を思えばなんの違和感も私は抱いていなかった。
 私のこのような尺度は一般的なものではなかったということだろうか。
 歴史ものときいて、あとずさりするか、身を乗り出すかの違いだろうか。
(そりゃ私だって東洋史となると管轄外だけど、機会があればやぶさかではない)
 
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好きな芸能人の質問

2019-11-17 08:28:59 | 雑記
 最近mixiで紹介されていた記事に、悪い意味で注目したのでこちらで話題にする。
引用。

「今回の失敗デート
 気になる人とデート中、好みの男性芸能人を聞かれました。私は爽やかな男性が好みで、デート相手も爽やかなスポーツマンタイプだったので、素直に「竹内涼真くんが好き!」と答えたところ、少し間を置いて「イケメンが好きなんだね(笑)」と失笑されてしまいました。なんと答えるのが正解だったのでしょうか……。」

 という女性からの相談に対して、男性回答者が語る。
 
 持たざる者は持つ者を憎む、イケメンでない男はイケメンを憎んでいる。
「つまり「好きな芸能人は?」と聞かれた場合に、イケメン売りをしている芸能人の名前を出すのは大変危険です。」
「これは男女どちらにも言えることですが、基本的に「自分以外の異性を熱心に応援している姿」はマイナス面として映ります。
 たとえ、その応援に一切の恋愛感情が含まれていないとしても、それを聞いた人には「自分以外の異性に想いを寄せている人」に見えてしまいかねません。
 ですので、マイナーすぎる芸能人は基本的に危険と考えてまちがいないでしょう。
 仮にマイナス感情を抱かれなくても、そのあとの話が広がりにくいので、避けたほうが無難な選択で御座います。
「好きな芸能人は?」
 この質問には基本的にどのように答えても、ろくなことがありません。
 イケメン芸能人の名前を挙げれば「結局イケメンかよ」。
 ブサイク売りをしている芸能人の名前を挙げれば「はいはい、本当はイケメンが好きなのにそうやって好感度を狙うのね」。
 スポーツ選手の名前を挙げれば「ガタイがいい人が好きなのね」。
 インテリ芸能人の名前を挙げれば「学歴重視かよ」。
 ほかにもさまざまなパターンが御座いますが、どのように答えても僻みを見つけることは非常に簡単なのです。
 そもそも男性は「自分以外に好きな男性がいる」ということを非常に不快に感じる生き物なので、「好きな男性の名前」を挙げるのはどうしたって危険な行動になってしまうのです。
 自分で聞いておいて、答えを言われると落ち込むのは非常に厄介な話なのですが、残念ながら現実的にそうである以上、仕方がありません。
 それでは「好きな芸能人は?」と聞かれたときには、いったいどのような回答をすればいいのでしょうか?
 正解はズバリ「名前を挙げない」で御座います。
 「あまりテレビを観ないので……芸能人にくわしくないんですよ」と言って、話をかわしてしまいましょう。
 もしもそれでも食い下がられるようならば、
女「今って誰が人気なんですか?」
男「○○さんとかじゃない?」
女「ああ、その人なら知ってます。かっこいいですよね」
と言って会話を終わらせましょう。
 このように、男性が言った名前に同意するという形をとれば、その男性芸能人が好きなようには見えません。
 男性からの評価を下げることなく会話を終わらせることができるのです。
(文:ラブホの上野さん、イラスト:タテノカズヒロ)
 

 く、くだらね~~!
 この記事に対して「男がみんなそんなにひがみっぽいと思うな、バカにするな!」と腹をたてる男はいないのだろうか?

 仮に、書いてあることが当たっているとして、

①それならばいったいなぜそんな質問をするんだ?
 女なんてしょせんそんなもの、と見下して喜ぶのか(mixiのコメントでそういう常連男は存在するよ)、あるいは、どうせオレなんて、と自虐することが楽しいのか?
②テレビで見るだけの芸能人に関して、「イケメン」好きでなにが悪い? 会社の人事担当者が顔で選ぶのでは問題だけど、テレビや映画を選ぶ際に出演者の顔の好み優先で悪いか?
③「あまりテレビを観ないので……芸能人にくわしくないんですよ」なんて大嘘である場合、その後の会話に支障が出てくる。本当だとしても、ブってると思われる危険もある。
 
 もしこの記事の回答があたっているのならば、こんな質問をしてくる男はヒガミっぽく狭量であるからやめたほうがいいということなのだろうか?

 穂村弘さんの選んだ短歌投稿作で印象に残ったもので
「モンローを好きなおまえとヘップバーン好きな俺とが恋敵とは」
(少し違うかも)
 つまり、好みは全然違うと思っていたけど現実の恋の相手は同じだったということ、芸能人を好きになるのと目の前の相手を選ぶこととは別のはず。
 いちいち目くじら立てずに楽しい話題にしようとするほうが前向きだろうに、男女ともに。

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図書館らしいマンガ

2019-11-15 06:20:18 | マンガ
桑田乃梨子『だめっこどうぶつ』10巻
 出ていたのにしばらく気づかなかった。秋にものうくふさふさになるうさ原の恒例行事がなかったのはものたりない。
 10巻を記念して、遠藤淑子さんとのとりかえっこ企画がペーパーとしてはさまっている。


 図書館にもマンガはある程度置いてある。どうやって選んでいるのかきいてみたいものである。
 公然たる「学習漫画」は児童書に入れてあるが、里中さんの『マンガギリシア神話』『マンガ名作オペラ』など、広い意味での学習マンガ、『ベルばら』『あさきゆめみし』等は不思議ではない。理代子さんはほかに『オル窓』『栄光のナポレオン』『女帝エカテリーナ』もある。

 なんとなく思いついて地元で注目してみたら、いかにも図書館で置きそうなものがある。

『夜明けの図書館』埜納 タオ
 (ののうタオと読む、初めて見た漢字だ)
 双葉社のレディコミ誌「すてきな主婦たち」の断続掲載作品。図書館の、主にレファレンスを扱っている。既刊6巻。

[
『図書館の主』篠原ウミハル 全15巻
 私設の児童図書館が舞台。『週刊漫画TIMES』(芳文社)掲載だったそうで、その「週刊漫画TIMES」についてもクリックすると、
・日本初の週刊漫画雑誌として1956年11月創刊
・『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)・『漫画サンデー』(実業之日本社、2013年休刊)とともに、中壮年世代向けの漫画誌として名高い。3誌ともに、かつては大人漫画(ナンセンス漫画)を中心とした構成であったが、大人漫画の退潮によりストーリー漫画の雑誌となっている。
 ――と書かれている。マンガ雑誌のタイトルに「漫画~」と漢字を使うものは官能系、「まんが~」と平仮名なのはソフト、という印象を私は持っているが、これらの説明の先まで読んでいくとそれも間違っていなかったようである。
 
 ほか、ヒットしたライトノベル『ビブリア古書堂の事件手帖』のコミカライズも置いてあるので読んだ、角川から出ている「ナカノ」版。かわいい絵。もう一つ、講談社から違うのもあるのでいずれ読んでみたい。
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「れる・られる」

2019-11-13 17:44:30 |   ことばや名前
 mixiで紹介されていた記事から。(AERA)

「全国のユニークな顔をした芸能人のみなさん、ユニークな体形をした芸能人のみなさんに、夢と希望を与えられた」
 10月15日に東京国際フォーラムであった今年の「ベストジーニスト賞」の発表。オーバーオール姿で登場した出川哲朗さんは冗談交じりにこう話し、拍手を浴びた。受賞したのはほかに、長谷川京子さんや山本美月さんら。毎年恒例のにぎやかなイベントで盛り上がったが、実はジーンズ業界は今、危機にある。

 引用終わり。記事の主旨はこの際どうでもよい。
 「れる・られる」の用法は、可能、受け身、尊敬語(の代用)がある。
 この「夢と希望を与えられた」の「与えられた」はどの意味だろうか?
①ユニークな容姿の芸能人に夢を与えることができた
②ユニークな容姿の芸能人によって私は夢を与えてもらった
③ユニークな容姿の芸能人に、夢を与えることをなさった

 受賞者である「出川哲朗さんは冗談交じりにこう話し」とあるので、③ではないだろう。司会者あたりがこのように受賞者を評したのならば①や③にとることができる。いま「出川哲朗」で検索してみると、正統派の容姿とはほど遠い人物のようなので、そういう自分でもこんな賞をもらえるのだという意味で①もあり得る。ほかの受賞者も非正統派容姿ならば②にもとれる。あ、主語を話者ではなくて、こういう催しを指すと見れば、受賞者本人の言葉でも③に考えることもできる。
(「与える」という言葉はなんか偉そうな感じなのでそれはどうかと思う)

 私は常々、れる・られるを尊敬語に使うことに抵抗を感じるのだ。「される」でなく「なさる」にすればすっきりして誤解もまねかないだろうに。
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オリヴァー&ピアの新刊

2019-11-10 14:10:47 | 
スーザン・ハーラン『文学の中の家』  発行:エクスナレッジ
 図書館の新着本から。
 作品に出てくる家(建物として)に注目して、キャラが住まいを語り、住み心地や同居人、人生観等を語るという設定。・・・二次創作のノリ。


ネレ・ノイハウス『生者と死者に告ぐ』
 創元推理文庫の新刊。
 ドイツ・ミステリ、「オリヴァー&ピア」シリーズの7作目。
 老女が射殺される事件が2件続き、連続殺人と思われた。しかし3件めの被害者は若い男性。犯人からの告発によると、それぞれの被害者はその身内への報復として殺害されたらしい。10年前、脳死した女性の心臓移植がそれぞれの事件をつないでいることが徐々にわかってくる。
 刑事のピアは別れた夫が法医学者なので仕事で顔を合わせる。再婚相手と幸せになっているが、元夫とのやりとりもけっこう味がある。上司のオリヴァーは、別れた妻にまだ迷惑かけられていたり、いまの上司(署長)は元婚約者だったり、いいトシして落ち着かない。
 オリヴァーの実家(貴族)の多角経営ぶりは今回は出てこなくて、ピアの身内が出てきた、妹キムは司法精神医で協力するが、その際、署長に目をつける。バイの気があるのだろうか、面白い。


 デュッセルドルフのF田M子さんに本を送ることを楽しみにしていたが、亡くなってしまったのでそれが減ってしまった。F田夫はロシア文学がお好きらしいので、文庫で目新しいものが出たら買って読んで送る。きのう書店で光文社新訳文庫を見たら、『ゴーリキー傑作選 二十六人の男と一人の女』が目についた。これは初めて見る。プーシキン『大尉の娘』、これは女子高時代に世界史の時間に「プガチョフの乱」の話の時に知って読んだし、さいとうちほ『プロンズの天使』も再読のきっかけになった。それでこの文庫を手にとってみると、解説に、
「プーシキンの人生と創作については、日本でもこれまでに多くの本が刊行されてきた。さらに2000年代に入ってからは、ロシア文学史・文化史も押さえたうえで描かれた、さいとうちほのマンガ『ブロンスの天使』(小学館)などもある。」
などと書かれていたので、嬉しくて購入した。逆に、これによって『ブロ天』を読む人もいてもらいたいものである。

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BDの編集の自己満足

2019-11-08 14:15:26 | 雑記
 まず、2月に書いた記事を再掲する。

 テレビを見る際、ニュースや天気予報以外はたいてい録画してあとで見る。番組によってはブルーレイディスクに保存する。
 かつては多くの紀行番組を、番組ごとに分けていたが、本数も減ってきてからごた混ぜになっている。
 2,3か月ほどまえ、音楽・美術系と、歴史・紀行の二つに分けて入れることにした。しかし半月ほどまえ、後者のBDをダビングのために入れようとすると、「このディスクでは再生できません」と画面に出て戻ってしまった。何度やっても同様、トリセツも役に立たない。並行して使っている、全く同じ種類のBDはなんともないのに。入れた番組のうち、すごく惜しいものは一部しかないのでとりあえず諦めて、再放送の機会を待つ。それにしても謎だ。件のBDに最後に入れたのは『ザ・プロファイラー シェイクスピア』で、この番組は保存したのは初めてなのだけど、まさかこれが原因なんてこともあるまい。
 
 再掲終わり。
 10月になってから上記のような事態は起きていない。
 同様にダメになったのは5.6枚。
 ディスクの問題なのか、機器のほうなのか? 機器はけっこう古く、3年前に一度壊れていつのまにかまた治っていたというものなので、それがいよいよダメになったのか?と思ったが、(新学期が始まってから)大学に持って行って試してみたところ、2種類の機器でやはりダメだった。ではディスクのせいか?もしかして、いつもと違う店で購入したぶんなのだろうか?謎のままである。
 ダメになった中で、ぜひ再放送されてほしいものは、『世界ふれあい街歩き』の「シュトゥットガルト」等。まあこの番組は再放送がしばしばあるので機会はあるだろう。

 ところでこのところ凝っている(?)のは、上記のようにあれこれ保存したディスクの内容を書き出してリスト化すること。どこになにが入っているのかわからんのも困るので。特別に大切というほどではない番組をダブって入れるのも虚しいし。
 もう一つ。「編集」には、部分カットやチャプター分けや「インデックス画面変更」などある。私はこれはディスクに移したあとではできないと思いこんでいたが、そんなわけではないことを知った。「インデックス画面」などは、機器によって違い、「トップメニュー」は単にタイトルが並ぶだけのものも多いが、うちのは画面も出る。その画面が、きっちりとCMカットしてあるのに直前の番組のENDマークやCM画面が出てきてしまうことがたびたびあり、どうにも目障りなので、そういう場合はもっと先のタイトルの出る画面に合わせる。いつ終わる作業だろう。全部済ませるまえに飽きるかもしれない。

 もう一つついでに。
 かつて「カセットテープ」が主流だった時代には、「カセットレーベル」というものが、雑誌の付録についたり、きれいな写真や洒落たデザインの市販品が売られていたものである。キャラクターグッズにもなっていた。「GROUP」で40号記念に読者プレゼントとしてカバー絵(21号~40号はあずみさんが担当だった)人気投票上位4つを使った品が作られたものだった。 CDやDVD、BDでそういうのは見たことない、なぜだろう。
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オーストリア、ハンガリーと150周年の切手

2019-11-06 11:25:58 | ドイツ
「2019年 特殊切手」
 切手マニアでもコレクターでもないが、けっこう注目する。先月は「日本・ハンガリー外交関係開設150周年」「日本・オーストリ友好150周年」が出たので今日買ってきた。魅力あるデザイン。
 来年のベートーヴェン生誕250周年でも出てくれないかな。日本でも特に人気なんだから売れると思うけど。

 う~んと広げてドイツと言えないこともないのでこのカテに無理やり入れてみる。
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秋の終わりにようやくすっきり

2019-11-01 05:54:22 | 雑記
 うちから駅への途中にある国道は、歩道の脇に植物が植えてある。しかしたいていは雑草も生えている(昭和天皇や牧野富太郎さんならば異議のある呼称であるが)。ふだんは気にならないのだが、夏場はそれがたいへんうっとうしいと私は強く感じる。そのスペースのみに収まらず、盛大に突き出して歩道を狭くしている。今年も、真夏に一度は刈り取られていたのだが、その後また盛り返してしまっていた。管理者(どこか知らんが)は秋になれば枯れると思っていたのかもしれないが、周知のようにいつまでも暑く、台風までくる始末。実に目障りに思っていたのだが、・・・めでたいことに、おととい、買い物に行った時にはまだ繁っていたものが、帰りにはさっぱりと刈られていた!あ~~すっきりした!ありがとう管理者、作業員の面々!

 ハガキ・便箋の秋ものがないというのでまた買ってきた。ハロウィンやクリスマスに押されていたがよく見ると店の片隅にまだ少し残っていた。スズメ、キツネ、フクロウ、イチョウ等、秋の終わりだと黄色~ブラウンを使いたくなる。萩や桔梗だと夏の終わり~秋の始めで、残暑見舞いでもいいという感じだけど。いまだと冬の近さのほうを意識する。だからといってあまり早くクリスマスものが並んでしまうのも興ざめなもの。確かに彩りとしては華やかで楽しいけどね。

 ブログテンプレート、秋は、9月はオレンジ、10月は黄色、11月はブラウンを基本にしている。

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