レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『王妃たちの最期の日々』

2022-03-23 12:57:42 | 歴史

 これはすでに投下したのかもしれない。「下書き」の中にあって、ブログ内検索しても出てこないので投下しておく。

『王妃たちの最期の日々』上下巻 原書房
 フランスの歴史家等による伝記集。
 クレオパトラ、アグリッピナから古い順に20人。私が初めて知ったのは「ドラガ・オブレノヴィチ」と「ベルギー王妃アストリッド」の二人。
 前者は、20世紀初頭のセルビア王妃。医者の未亡人だったけど、12才年下の王の心をつかみ、世間の顰蹙をかいながら結婚、その3年後に過激派(のちにオーストリア皇太子夫妻の暗殺も行う)に夫妻そろって暗殺された。残グリ向きの話。
 彼女を悪女として描くことはできるだろうけど、結婚に反対する総司教の挙げる、結婚歴のある女性とない男性、はるか年上の女性、という理由は、現代人として憤りにたえない。
 後者は、スウェーデン出身の若いベルギー王妃が、夫の運転する車の事故で命を落とし、激しく悼まれたというエピソード。

 ところで、クレオパトラの章を担当したのは
 
ピエール・レヌッチ
 ユリウス=クラウディウス朝のローマ皇帝のスペシャリスト、政治学博士。(略)『革命家アウグストゥス』、『不本意ながら帝位についたティベリウス』、『破廉恥なカリグラ』、『だれも予想していなかった皇帝、クラウディウス』を出版している。最新の著書は『マルクス・アントニウス』

ーーわ、訳されてほしい。道理で、理不尽なローマ下げがなかったはずだ。

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いま見ているアニメ、今後見るアニメ

2022-03-16 06:06:17 | マンガ
 いま見ているアニメは、
・セーラームーンR
・らんま2分の1
・薔薇王の葬列
・平家物語
  上の2つはテレビ神奈川での再放送。『セーラームーン』はすでに全部見ている。そういえばCrystalは、第1期「ダーク・キングダム」編、第2期「ブラック・ムーン」編はネット配信なのでニコニコで見て、第3期の「デス・バスターズ」編はレンタルで見た。「デッドムーン」編、劇場版なので未見。地元のツタヤはなくなっているのだがどうしたものか。私はセラクリ支持!と大声で言う。世間では圧倒的に旧作のほうが人気があるようで、セラクリのディスられっぷりには腹が立つ。しかし、きらいなものをきらいと発言する権利は認めるべきだと思っているのでそれをするなというつもりは毛頭ない、だから機会があるごとに叫ぶ、「私はセーラームーンCrystalを指示する!マンガの絵寄りも好きだ!」
 『平家物語』は、去年、年末年始の番組をチェックするために買ってみた情報誌で知った。1月に始まって全11回なのでじきに終わる。未来が見える琵琶弾きの少女を狂言回しに設定している。このまえの第9回、義仲たちが倒され、敦盛も死んだ。義仲と兼平主従の最期も泣かせどころなのにこのへんの扱いがわりによくなかった点は不満かな。
「平家物語公式サイト」

「薔薇王の葬列公式サイト」
こちらは全26回らしい、第9回でコミックスの6巻まで、妥当なペースか。

 この2作品、違った傾向できれいな絵である。『平家~』は花鳥風月の風流な背景がしばしば見られる。『薔薇王~』は中世の暗さの中にもタイトル通り薔薇を耽美に使っている。
 偶然だけど、両方とも、赤と白の戦いである。

 『うる星やつら』が新作アニメとして4クール放送されるらしい。セラクリのように、原作準拠を意識したものなのだろうか。
 『テルマエ・ロマエ』も、アニメの新作が近々ある、新エピソードも描かれるという。絶賛大不評だったところは考慮して練り直したものになるのだろうか。
 両方とも、なぜ今?という気持ちはあるけど。

 『ベルばら』もリメイクしてほしい。原作尊重、ただし絵については始めから後半に基づいて!
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せめて伊吹大

2022-03-11 14:36:55 | 雑記
 1年ほど前から、落語に親しんでいる。テレビ、ラジオ、図書館で借りるCDという方法で。日曜は『笑点』を見ながら夕飯を食べる習慣になった。
 今年の正月に、私は見ていないけど、『笑点をつくった男たち』というドラマがあった。そこで円楽の役が谷原章介。
 この俳優、私が見たのは大河ドラマ『新選組!』で伊東甲子太郎、『風林火山』で今川義元。この『風林火山』は井上靖原作なので見ていたが、主役級に美形がいないドラマだと前にも愚痴ったことがあると思う。絶世の美女設定の諏訪御前がアレだし。出演者のうちいちばんの正統派美男が義元の谷原章介だった(「ビジュアル系謙信」のGACKTも評判だった)。
 一方「円楽」といえば:初期の『パタリロ!』で、タイトルは忘れたが、通信が伝言ゲームのように変貌してしまうギャグがあった。「黒い懺悔(暗殺集団の名前)のプリンス懺悔が現れた 十分な注意を要する」→「黒井さんちのプリンスメロンに払われた十円ちょうだいな」
 「田楽とはなんぞや?説明していただきたい」が「円楽とはなんじゃ!せめて伊吹大!」
「円楽に似てると言われて怒ってるんでしょう、せめて伊吹大と言ってほしいと」「伊吹大とは?」「俳優かなんかじゃないですか」「きいたことありませんなあ」「うーーん」
 --という話が印象に残っていたので「円楽」というのもなんだか笑いを誘ってしまう名前であったのだ。
 こういう人の名前は襲名されていくので交替するものだろうが、いまBSで火曜に放送されている『笑点なつかし版』は2001年のぶんで、ここに出ている「円楽」は『パタリロ!』で言っている人だろう。 たしかに、これに似ているというのはホメ言葉とは思えないだろう。
 この人の役をよりにもよって谷原章介って・・・。いや、ドラマの出来は知らんけど。

 美形の役を非・美形が演じるのと、その逆と、どちらのほうが問題だろうか。
醜いという設定の役を美形が演じて、といえば連想は『KILLA』でのリチャード三世、『シメール』でのメフィストだな。
 

「そこです」「どこだ」という『パタリロ!』でよく出てくるギャグは『短命』か。
祖母にいじめられている少年がパタリロに毒をもらって~~という話は落語が出典だと某ムックに載っていたが、『里帰り』という話だと最近知った。

話のオチも収拾もなく終わり。

・・・ここまで書いてからウィキペディアで見たら、円楽さん(5代目)は若いころはハンサムだったらしい、では谷原章介でもムチャではなかったのか!? まあ、ドナルド・トランプとかギュンター・グラスとかの例もあるからな。若いころ美男で、若くなくなってもそれが維持される人と、変貌しまくる人といるけど、なにで違いが出るのだろうな?
 ああ驚いた。

 『笑点』ついでに言えば:BSでの火曜の再放送は1時間枠で元々の2週ぶんを一度にやっているけど、いまは2001年11月のところなのでこれはまだまだ追いつかない。しかし水曜のは今年の2月ぶんだよ、すぐに追いつくよ、どうするつもりなんだろうか?
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『仮面の陰に』

2022-03-02 15:53:58 | 
 図書館の「新着案内」は毎日チェックして、読みたい本をメモしておく。それらをたまに再確認して、予約者状況を見る。貸出「可」になったので先月読んだのが

 ルイザ・メイ・オルコット『仮面の陰に あるいは女の力』ルリユール叢書 幻戯書房
 『若草物語』が知られるオルコットの「煽情小説」。自伝的要素のある『若草物語』で小説家志望のジョーが作者自身がモデルであることは有名な話。ジョーが通俗な話も書いていることは確かに出てくる。
 オルコットはアメリカ人だけどこの小説の舞台は英国。お屋敷に新しく来た若い家庭教師のジーン。家の次男が彼女に熱をあげ、当初は警戒していた長男もやがてはご同様。
 話の始めごろで読者の前には、ジーンの腹の内はけっこう怪しいのではと思わせる描写があり、それでも中々スリリングにひきこまれるものがあった。
 解説によると、作者はシャーロット・ブロンテに敬意を持っていたそうで、この話は『ジェーン・エア』の影響が明らかである、もっともジェーンよりはるかにしたたかで腹黒だ。
 
 『若草物語』のアニメは少しだけ見たことがある。ジョーが新聞社に小説を持ち込み、青年記者にけっこうバカにされる。あとでこの青年がジョーの家に、体験談をきく取材で訪問し、ジョーの語りを誉める。小説についても、身の回りのことを飾らない言葉で書くことを勧める。(手本としてマーク・トウェインの作品を紹介する) でも編集長はジョーの作品を気に入ったので採用された。
 ―――思うにこの青年はインテリで、こしらえものめいた小説なんか通俗だというタイプなのだろう。編集長のおじさんは大衆的な趣味で。
 このへん原作にあったろうか?ジョーはわりに年上のドイツ人ベア教授と結婚するが、彼がジョーの俗な小説を批判するのは映画にあった、これが原作にあったか記憶にはない。
 「もういいわ あんた(ジョー)の小説ってきまって最後にはみんな死ぬんだから」は『ガラスの仮面』の劇中劇のセリフ。
  価値を低く見られる「煽情小説」にも、表の作品と通底する要素はやはりあるだろうし、それなりに作者も楽しんだと思いたい。
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