レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

オールブランにはハチミツ

2014-01-30 11:02:01 | 雑記
 かつて、シリアル食品に凝ってあれこれの種類を食べてみたことがある。「オールブラン」はおいしくないという結論に達した。「小枝」を細くしたような外見の小麦ふすまで、ほとんど甘くない。
 いま、近所の東急ストアが閉店セールをしているので昨日行ってみた。シリアルの残りも少ないが、いくつか買った。「オールブラン」もあったのでせっかくだから。食べ方例として提案しているようにハチミツを加えてみたら良く合う。明日近くの郵便局に用事もあるので、まだあったらもうひと箱くらい買ってこようかな。

 ところで、「オールブラン」という名前でも、「小枝」みたいな形ではなくてふつうのフレークに見えるものもある。味は似たようなものなのだろうか。

 「玄米グラノーラ」は「フルーツグラノーラ」よりも地味な味だろうか。「フルーツ~」は早く売れてしまっていた。
 私は「ミュスリ」が好きである。噛みごたえがあって頭にいいような感じがする。




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別マと「胸キュン」?

2014-01-26 07:20:22 | マンガ
 集英社の月刊少女マンガ誌「別冊マーガレット」が創刊50周年だそうで、先日産経新聞に記事があった。イベントも企画しているという。

 「勅使川原崇・副編集長は「今では『親子で読んでいる』という読者もいる。現在の少女漫画誌は、読者の志向によってすみ分けがきっちりしていますが、別マはやっぱり『胸キュン』な恋愛のイメージです」と話す。」

 ・・・・・・「胸キュン」? 
 私が愛読していたのは小学校高学年のころで、70年代半ばのこと。当時は美内すずえと和田慎二が看板であった、つまり、波乱万丈、大スケール、スリリング!というタイプの作家がトップにいたので、どうしたって「胸キュン」の印象ではないんだけどなぁ・・・? その二人の次の位置にいた、河あきら、市川ジュンを私はいちばんひいきしていた。
 別マで「胸キュン」といったら、くらもちふさこあたりだろうか。

 そのうち白泉社で「花とゆめ」ができて姉妹誌「ララ」も生まれた。
 別マから美内、和田、週刊マーガレットから木原、りぼんから山岸、小学館から萩尾、竹宮、大島。
 新たにデビューしてスターになっていった、森川、坂田、ひかわ、樹、かわみ等々。
 ほんとにまあ、初期~80年代の白泉系は凄かった、といういつもの感慨になってしまう。

 長い歴史の中では雑誌のカラーも変わることがあるので、別マが「胸キュン恋愛」になったのだろう、私が離れたあとで。

 いまなにか少女誌を購読するとしたら「メロディ」だろうな、コミックス買いしている作品が3つあるし。

「胸キュン」ついでに。
 なにもこの表現の対象を乙女ちっくマンガに限定することもないな。では私の場合、『緋色い剣』のオーディン←ロキ、ローマ同人作品のアグリッパxオクタヴィアヌス(というよりもアグ→オクタ)、カエサルxオクタ、かなり古いところではアンドレ→オスカル。 『間の楔』『炎の蜃気楼』も。『ペリカンロード』も切ない。
 ・・・上記別マ副編の使った意味合いからはかけ離れている。

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気になる「いただく」

2014-01-22 12:52:02 |   ことばや名前
 紀行番組では、食事の場面がたびたび出てくる。私は食い意地がはっている「ので」というべきか、「けど」か迷うところである、ーーヒトが食べている様子など見せられてもぜんぜん嬉しくもないので、よほど関心を持っている舞台でないとさほど面白くはない。
 それはさておき、そういうときのナレーション、「○○さんは~~を頂きます」、「ソースをかけて頂きます」。
 「頂く」は謙譲語である。誰に対してのへりくだりなのだろうか。主語が明らかに番組側の人ならばいいのだが、一般論つまり不特定多数だとひっかかる。少なくとも、そこのお店のほかのお客さんたちの食習慣をさして使っていると、勝手に地元民に謙らせるなよ~と言いたくなる。
 誤用も含めて使いすぎていると、これが謙譲語だということを忘れて、単に「食べる・飲む」をきれいに言った言葉であるように錯覚されてしまう危険がないだろうかと心配になってくる。
 
 作家のくせに、「いただいてください」なんて言ったから不審がられるという場面が『相棒』にあったな。
 
 『動物のお医者さん』の期末試験の話で、カンニングペーパーを見つけられた学生が漆原教授に「もらってもい~い?」と怖い笑顔で取り上げられて、うろたえて「ハ・・・ハイどうぞいただいてください!」と答え、ハム&二階堂に「おいおい敬語が間違ってるぞ」と心中ツッコミされる場面があった。

 「給食費払ってるんだから「いただきます」なんて言わせないで」などとねじこむ親はもちろんマトモではない。


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美男投票の不遇

2014-01-19 07:04:08 | 雑記
 mixiで「シネマトゥデイ」からとして載っていたニュースから一部引用。


 米映画サイト・TC Candlerが「世界で最も美しい顔100人」の男性版である「世界で最もハンサムな顔100人」を発表し、日本から本田圭佑(58位)、金城武(81位)、赤西仁(83位)の3人がランクインした。

 TC Candlerは1990年より「世界で最も美しい顔100人」として女性のランキングを発表してきたが、今回多くのリクエストを受けて初の男性版トップ100を発表。

 栄えある第1位に輝いたのは、映画『悪の法則』『SHAME -シェイム-』のマイケル・ファスベンダー。2位にはテレビドラマ「トゥルーブラッド」で人気を博すアレキサンダー・スカルスガルド、3位に『ドライヴ』のライアン・ゴズリング、4位に『パシフィック・リム』のイドリス・エルバ、5位にテレビドラマ「ARROW/アロー」のスティーヴン・アメルが選ばれた。

 引用終わり。

 ここで挙がっている面々に関して話題にしたいのではない。
 私が強調したいのは、「1990年より「世界で最も美しい顔100人」として女性のランキングを発表してきたが、今回多くのリクエストを受けて初の男性版トップ100を発表」の部分である。

 かつて、「週刊100人」というムック(?)のHPだったろうか、「歴史を変えた○○」という投票を行っており、最初が「歴史を変えた美女」だった。○○にはほかに「政治家」「発明家・発見家」が出てきたが、「美女」が最も盛り上がっていた。
 「美男」もやれよ、と私はリクエストしたが無視された。

 「ニッポン人の好きな100人の偉人」という番組が数回製作・放映された。最初に総合、ほかに「天才編」「英雄編」「美女編」。「スター編」は、募集だけしていたけど実現はしなかった模様。(芸能人メインだろうから私は見なかったであろうが)
 「美女編」の顔ぶれは、(当ブログで散々話題にしたが)「美女かよ!」「偉人かよ!」と言いたいメンバーがかなり混じっていた。「生き方の美しい女性」などど、私の大嫌いな種類のきれいごと(#)で説明されていたが、実のところは「女性編」では地味だから「美女」にしてみただけだろうと私は推測している。
 (#「きれいごと」を一概に否定する考えはないのでわざわざ「私の嫌いな種類の」とつけている。人の美点はいろいろあり、美貌はその一つであり、ほかのものと混同させる必要はない、「美女」は単純に容姿について使え、と思っているので。「美男」も同様。)
 あれも、「美男編」はなかった。

 そしてこの記事。
 歴史上の人物や「偉人」という存在に関して、「美男」を云々するなど次元が低い、という見方はまああるだろうと思う。遠い時代の人々についてなんて本当のところはわからんから空しいだろうという意見もある。美の基準なんて変わるのだからとは常に出てくる声である(もっともではあるが、こう言って吐き捨てる連中を私は嫌いだ)。

 しかし、これは映画のサイトでのこと。映画を見る上で、演じる人々の容貌を鑑賞することはなかなかに大きな楽しみのうちであるはずだ。つまらん話でも美人女優のおかげで見られることもあるだろう。では美男の存在だって重要なはずだ。
 どうして、よりにもよって映画サイトでまで、美男投票が20年以上も遅れていた!?
 考えられるのは:美女を話題にするのは女性も盛り上がれるが、美男を語ってもたいていの男性は楽しくない、あるいはそういうことにされているからーーだろうか?
 一般男性における美男の好みというものもきいてみたいという気持ちもある。

 ところで件の投票は、対象が俳優に限らないようであるが、ほかはどういうメンバーなのだろう。ミロツワフ・クローゼの名前はあるのか? XXがあるのにクローゼがないならば間違っているぞ。 
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ネットから引用 NZのアイスクリーム ケニアの祈り(呪い)

2014-01-16 17:28:43 | 地理
 数年間の間に、ネットで見て面白かったのでコピーしておいたニュース(?)、ここに貼ってみる。引用元はこの中に含まれていることになるのだろうかやや不安だ。
 
まず、なじみの薄いニュージーランド。多少カットしている。


バケツサイズのアイスが200円前後!
2010年8月4日 11時0分 (R25.jp)

 NZのアイスクリーム事情について、現地で日本人向けのサイトを運営している「NZdaisuki.com」の野澤哲夫さんに伺った。
「NZでは年間を通じて、ほとんどの人が1日1~3回はアイスクリームを食べるというのが習慣になっています。1回に食べる量は1~2スクープ程度。“1スクープ”は日本でいうところのシングルサイズ(約100ml)にあたります。日本のビジネスマンの場合、仕事の後にはビールというスタイルが一般的だと思いますが、NZでは“仕事の後にはアイスクリーム”なんですよ。もちろんビールも飲みますが、それ以上にアイスクリーム好きですね」
“お疲れの1杯”ならぬ、“お疲れの1スクープ”ってワケですか。
「そうですね(笑)。また、レストランなどで食後のデザートにはアイスクリームを頼むのが一般的です。日本では女性がオーダーすることが多いですが、NZでは大人の男性も子どもも年配の方々も、みんなアイスクリームを注文します」
ほほう。そんなNZ人が大好きなアイスクリームは、現地ではいくらくらいで売られているのでしょう?
「1.6リットル入りの四角い容器で売られていることがほとんどなのですが(写真参照)、安くて3ドル(195円)、高くて6ドル(390円)ですね。平均的な価格は3.5~5ドル(約230円~325円)といったところでしょうか」
それは安い! 日本でこんなバケツみたいなサイズを買ったら700円前後はするのに…。
「NZ人もアイスクリームの価格はほかの食品と比べて安いと感じていますよ。NZ人の平均年収は約4万ドル(約260万円)なんです。日本は約430万円といわれていますから、だいたい日本の半分くらい。それでもアイスクリームの相対価格は日本より安いですね」
安さの秘密はやはり酪農大国だから?
「そうですね。NZでは牛乳生産会社がアイスクリームを製造していますし、農産物や家畜の資源が豊富なので、アイスクリームの主原料となる牛乳がそもそも安いんです。
(R25編集部)

引用終わり。バケツアイスといえば、『ヘタリア』によって、アメリカでの存在が有名になったが、ニュージーランドにもあるのか。どういう冷蔵庫を使っているのだろうか。まさか、一気に食べてしまうから保管の心配がないなんてことは・・・。


 次のは、『動物のお医者さん』の話題の流れで紹介されていたもの。

呪い恐れ盗品次々返却 店主の「祈るぞ」に動揺 ケニア
2008年01月09日18時55分

 大統領選をきっかけにした混乱が続くケニア東部の町モンバサで、商品を略奪された店主が特別なイ
スラム教の祈りを唱えると公言したところ、呪いを恐れた暴徒が次々と盗品を返しに来る「事件」が起
きている。
 略奪されたのはイスラム教徒が経営する店。タンザニアから輸入した板材やベッド、ソファなど42
00万ケニアシリング(約7000万円)相当が、年末年始にかけて奪われた。
 店主は4日、「伝家の宝刀」を使うことに。スワヒリ語で「ハルバディリ」と呼ばれる特別な祈りだ
。イスラム教徒の多いモンバサ周辺では、悪者に神の正義が下される祈りと信じられている。
 店主の決断はあっという間に周囲に広まり、6日深夜から次々と、暴徒が盗品を返しに来始めた。中
にはリヤカーをレンタルしてまで運び込む者もいるという。
 目撃者の男性によると、暴徒らは「テレビを盗んだ男は逃げる途中に死んだ」「盗んだベッドで寝て
いたら、見知らぬ男が隣で寝ていた」などと呪いを恐れていたという。警察はその様子をやじ馬と一緒
に眺めていたといい、逮捕する動きはない様子だという。


 引用終わり。『動物のお医者さん』で、漆原教授がかつてアフリカに医療奉仕活動に行ったとき、地元民に「呪医(ウィッチドクター)」と誤解されて恐れられたエピソードが出てくるので、上記のような実話があるということはあのエピもリアリティがあったのだなということ。
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来月のコミックスの購入、サイズの話

2014-01-12 07:11:38 | マンガ
 来月の新刊コミックスリストをチェックしたところ、買う予定は4冊、BO待ち4冊。
 集英社から『大正浪漫鬼さんやめてえぇっ!』1巻by日丸屋秀和 は、460円という値段からすると新書サイズのものだろうか、これまでA5しかなかったので多少新鮮な感じ。
 宙出版から、画:原ちえこ 原作モンゴメリで『ふたりの乙女と恋の結晶』ーーもともとは『もつれた蜘蛛の巣』である。たいしていい改題とも思えない。ロマンスらしくすることが条件に違いない。
 『薔薇のジョゼフィーヌ』は4巻で「完」となっている。え、もう終わりでは駆け足過ぎないか?
 『アド・アストラ』は5巻が出る。ハンニバルとスキピオなんてメジャーな題材でもなさそうだと思うけど、続いているのだなぁ。

 「コミックス」で最も一般的なサイズは新書版で、次いでB6。180~200ページが標準であろうと長いこと思ってきたが、B6サイズについてはこのごろ若干薄いものがけっこう目立ってきているのではないか。4コマだとまずA5版。4コマは一回のページが少なくてたまるのに時間がかかるので、1冊を薄くして出るペースを早くすることもそれなりに良さがあるとは思う。
 その反面、本のサイズが小さいならば薄く、大きいならば厚く、そのほうがバランスがとれるのではないのか?という気持ちもある。昔の、つまり70年代のマンガ文庫ブームのときには、「コミックス」よりも薄い文庫版が平気で出ていた。
 このときの文庫『ベルばら』の編集はひどいものであったーー中扉やカバー絵が内容とてんで一致していないーーと思うが、9巻10巻の併録をばっさりと落としていたことだけは大いに誉めたい。「コミックス」だと表題作以外をページ合わせに載せたりするけどそういうのがなかった。 このころの漫画文庫は、150ページくらいの薄いものもあったのだ。
 しかし今ではむしろ「コミックス」よりも文庫のほうが厚いことが標準、これはヘンだと私は思う。単価が安いと出しにくいからなのだろうなぁ。

 かつて、とある同人誌を予約していて、予定よりもページが減ってサイズがB5からA4になったことがあった。内容はやはり良かったのであるが、ーーページが減ったぶん値段を下げて返金するのが面倒でサイズ大きくしたのだろうかと思った。大きいと収納しにくくてイヤだ。
 『ヘタリア』の画集、まずA4(B4?)で出て、あとで「普及版」がA5版で出た。第2弾はぜひ出してほしいとは思うが、初めから「普及版」にしてくれと言いたい。
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ハイジとアデライーデ

2014-01-07 16:11:55 | 
郁文堂『ハイジの原点ーーアルプスの少女アデライーデーー』 ペーター・ビュトナー
 去年の学会の時に買った本。

 数年前、『ハイジ』がドイツのある小説を下敷きにしたようだとの報告があり、「盗作?」との話題にもなった。
 その発見をした人物の論文と、件の小説の訳とが一緒になった本である。

ヘルマン・アダム・フォン・カンプ 1796(ルールオルト)ー1867(ミュールハイム) 教職の傍ら執筆し、1828年に『アデライーデ』発表。 
 1879年に『ハイジ』発表。

 話の始めにアデライーデは10才、アルプスの山で羊飼いの祖父と共に暮らしており、両親は農業をしている。
 オランダの紳士エーデルラント氏が旅で訪れて、美しい自然と素朴な心象に感銘を受ける。
 その5年後、祖父のもとに、生き別れで外国へ行ったきりの弟がアメリカで財産を成して死に、その相続権があるのでアメリカへ行く話がもたらされる。祖父とアデライーデはスイスを離れたくはないが、両親(ベルクマン夫妻)はその話を喜び、渡米する気になる。祖父は寂しさのうちに没し、一家(アデライーデと両親と弟妹)はアメリカへ渡る。
 ペンシルヴァニア州の領地へ落ち着き、スイスへの望郷の念を特に強く抱きながらも、アデライーデもそれなりになじんでいく。
 それから5年、親切なオランダ移民の商人の家で、懐かしい風景の絵を目にする。それは商人の伯父が旅行先で入手したものだという。そしてその人物はエーデルラント氏であった。エーデルラント氏はアデライーデを伴ってスイスへ行き、そこで土地を買い、彼女を養女とした。のちに若い羊飼いと結婚して、エーデルラント氏は数年後に安らかな最期を迎えた。

 ざっとこういう話である。
 確かに、美しい山の世界と望郷の念、そこへ帰っていくハッピーエンドという大まかな筋(そして細部で似た描写はある)は共通であり、『ハイジ』はこれにヒントを得たのであろうとは思うが、盗作と言われるほどだとは思わない。

 なお、アーデルハイトAdelheid をフランス語化してアデレード、それを再びドイツ語化するとアデライーデであり、これは当時たいへん流行した名前で、多くの作家がヒロインにこの名前をつけているという。
 ところでドイツ語ではE以外の母音で終わる語は少なく、特にIは珍しい。だからHeidiなどはいかにもスイスっぽいのだ。「おおブレネリ」を思い出してほしい。お菓子のレッケルリLeckerliもその類だろう。

 有名なアニメのハイジは私は見たことがない。

 マンガ化するならば、遠藤淑子さん、ひかわきょうこさん、山口美由紀さん、山下友美さん、TONOさんあたりのイメージで浮かぶ。
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松の内

2014-01-04 12:43:44 | 雑記
 「松ノ木ばかりが松じゃない~」というナツメロがあった。「あなた待つのもまつのうち」と続くけど、最後までは知らない。
 小学校の遠足で行った神社で、「ここの神様は気短で待つことが嫌いなので松ノ木は植えても育たない」と言われたことがあった、真偽は知らない。
 日本の縁起かつぎは言葉の洒落が多いので、外国人に説明しにくいと思う。

 大晦日には紅白も「ゆく年くる年」見ないで早々に寝た。
 元日、地元の小さな神社へ行くのが恒例。届いた年賀状で出していなかったぶんに返事を2枚書いてそれを出すこともついでに散歩がてら出かける。40年まえの子供は、お年玉もらっても数日は使いに行くところがなかったものだが、いまはコンビニが少なくとも開いているよなあと思う。
 夜はウィーンフィル。途中まで見て、そのあとはラジオできいた。
 2日、この地域では初詣の名所である神社へ。JRで45分くらい。歩く間、天気が良ければ富士山が見えるはずなのだけど、通り道がこれまでと違っているのか(たいして考えずに、ほかの人々と一緒にぞろぞろ歩いているだけなので)、歩く距離が短く、見晴らしが悪くなった気がする。視界をさえぎる建物の間から見えていたのが富士山であったと思っておこう。
 お参りよりも屋台を楽しみにしていることは言うまでもない。うずらの玉子入りのたこ焼きは初めて食べた。おやつに大判焼き(たいして大きくもない)クリーム入り。
 夜、きのうのウィーンフィルの続きの録画を見る。今年の花の飾りはピンクがメインで楽しかった。
 1月2日とは地味な日だと思う。1日は元日であり、3日は「三」の数に華やかさがあるけど、その点「2日」は中途半端だ、年賀状の配達もないし。(変人で有名な内田百鬼園が、列車は一等、三等は用事のあるときしか乗りたくない、二等は嫌いだと書いていたことを思い出す)
 3日に届いた年賀状に、こちらから出すぶんはなかった。
 今日はまだ届いていない。もしこれから出すならば「寒中見舞い」にする。かわいいハガキを何種類も買ってあって消費もしたいのだ。

今年使用のカレンダー:自分の部屋では机の横にいつもの郁文堂の実用のみの品、机の片隅に去年のプチ柴のカレンダー部分を切り落としたもの、壁には去年のヘタリアの絵のみ(カレンダー部分を曲げてある)
 テレビの部屋には:テレビの上に柴犬、壁に(母の)星野富弘。
 過去の「しばわんこ」も、絵の部分だけにしたものが数箇所下げてある。

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