レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

本2冊 暴言 不肖の息子

2012-01-12 06:00:50 | 歴史
『暴言で読む日本史』 清水義範  メディアファクトリー新書
 先月の新刊。暴言あるいは迷言、信憑性の怪しいものも含めて、その背景や心理を検討してみる本である。
 道長の「この世をば」の歌を、単なる自慢ではなく、昇つめての別れの歌、自分への褒美、とする解釈が心優しくていい感じである。
 名前だけは知られていてもあまりぴんとこない後醍醐天皇の親政宣言について触れてあるのは興味深く読んだ。ふつうは死後につけられる「諡」を、この人は自分でつけておいたという、それからして破天荒だそうである。
 「朕の新儀は未来の先例たるべし」 そのころ「新儀」とは悪い意味であったという。
 「今、伝統的なやり方で正しいと思っていることも、初めは新儀だったのだ。新儀だが、理にかなったやり方だったので伝統になったのだ。朕は今、新儀なことをやろうとしているが、それはそっちのほうが正しいからであり、未来には、正しい伝統だなあ、ということになるだろう。新しいやり方だからけしからん、と考えるのは誤っている」
 (なんだかクラウディウス帝の演説も思い出すね)
 ーー結果からすると、後醍醐という人もたいして高く評価はされていないようだけど、この言葉はたいへんに痛快、いや、全く理にかなっている。「前例がございません」をふりかざすバカどもにきかせてやりたい。
 「鎌倉幕府滅亡の時に、この後醍醐天皇がいなかったら歴史は単調で、ちっとも面白くなかったであろう。後醍醐は時代の中で極彩色に踊り狂って見せてくれたのだ」
 「極彩色に踊り狂う」、この言葉の似合う人は歴史上ときどきいるし、もっと渋い色の舞の人々もいる。そういう有様が見られるので歴史は楽しい。研究者はもっと地道な目のつけどころがあるだろうけど、ロマンを求める読者としてはそれが実感。

 こういう本、「世界編」をするならば、「パンがなければお菓子を」、「朕は国家なり」なんか出てくるのだろうか。


『偉人の残念な息子たち』 森下賢一  朝日文庫
 『不肖の息子』改題。まえに読んだはずだけど、確かにあったと記憶していたのはチャーチルの件だけだった。
 実業家のケネディ一家のエドワード、発明王の息子たち、アル・カポネのせこい息子、など。
 不肖の息子というならば、親がうんと有名でエライのでなければならないと思うのだけど、ゴーギャンなんて充分に父親自身がダメじゃないのか?とか、バイエルンのマクシミリアン2世と息子ルートヴィヒ2世の場合は息子のほうがはるかに有名じゃないのか?とか、フランツ・ヨーゼフとルドルフの場合は出来の悪い子とは言えないだろう、とか(悪意のない)ツッコミどころは多々あるけど、面白く読める本。 
 この本以外で、「国家一つ統治することは、4人の子を教育するよりもたやすい」というチャーチルの言葉を読んだことがある。マリア・テレジアやアウグストゥスも大きく首肯するであろう。
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