『この愛のために撃て』を渋谷のユーロスペースで見ました。
(1)事前の情報がほとんど何もなかったところに、「ふじき78」さんが、そのブログ「ふじき78の死屍累々映画日記」の8月27日の記事において、「大傑作だ」とか「いやあ、おもろいよ」と述べていて、ちょうど夏枯れ状態でもあり、厳しい批評眼をお持ちの「ふじき78」さんがそこまで言うのであればと、早速映画館に出向いた次第。
ところが同記事が言うがごとく、まさに「こんなにおもろいのにお客が5人」状態で、「ふじき78」さんがご覧になった翌日の土曜日の午後にもかかわらず、そして「こんな面白い映画なのに」、わずか10人ほどの観客、購入したチケットに記載されている〈整理番号1〉が泣きました。
そこで、8月6日から公開されていて、もう公開最後の週に突入ですから、観客の少なさは仕方がないのかもしれないものの、ぜひこの映画を見る人が増えるようにと思い、こうしてブログの記事掲載を若干早めてみたところです(尤も、クマネズミのブログなど本当にとるに足りない存在ですから、そんなことをしてみても何の意味もないでしょうが!)。
(2)以上でおしまいにしてもかまわないのですが、自分の覚えということもありますから、「ふじき78」さんの記事に関し、少々コンメンタール的なものを(上滑りのものながら)でっち上げてみることといたしましょう〔上の(1)と下の(2)及び(3)において「」で引用した章句は、すべて「ふじき78」さんのブログ記事からのものです〕。
ただ、この映画は、「映画の面白さが凝縮して」いて、それも『アリス・クリードの失踪』と同様、事前に関係情報を持たなければ持たないほど面白いですから、未見の方は以下を読まれないことをお勧めいたします。
a.まず主人公ですが、彼について「ふじき78」さんは、「元CIAとかじゃなくって、縁側でスイカ食ってるのが似合いそうなおっさん」とされています。
確かに主人公のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、諜報機関などに関与したことはなく、単に病院の看護助手であり、看護師に昇格しようと試験勉強中なのです。
さらに彼には、こよなく愛する妊娠中の妻ナディア(エレナ・アナヤ)がいて、仕事と家庭とで大層充実した毎日を送っています(下記の(3)を参照)。
ただ、物語の初めの方で、こうした至極幸せそうなシーンが出てくると、それがサスペンス物と謳われている場合には、観客としては次にくるものに対して身構えなくてはならないでしょう〔例えば、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』参照〕。
b.次の「奇しくも相棒になってしまう犯罪者の男」については、主人公が「冴えない」のに対して、まさに「怪しい犯罪者くささとプロフェッショナルが同居しててかっこいい」のです。
映画の冒頭は、このサルテ(ロシュディ・ゼム)が2人の男たちに追われて、街中を逃げ回る姿が描き出されます。挙句、オートバイに撥ねられて瀕死の重傷を負ってしまい、病院に担ぎ込まれますが、その病院というのが、なんと主人公サミュエルの勤務先なのです。
サルテを演じるロシュディ・ゼムが、悪人顔の上、腹に怪我をしていることもあって、その後も実業家殺しの容疑者というTVニュースが流れたりもするので、観客の方はスッカリ彼のことを悪人と思いこんでしまいます。でも、『悪人』に関する記事でも触れたように、とどのつまり“悪人”とは何なのかと問われると、本当のところは困ってしまうのですが。
c.さらに、「誘拐された妻」ですが、サルテに関する病院での出来事を、サミュエルが妻に向かって得意然と話し出したところ、突如として侵入してきた男に殴られ意識を失い、その間に妻が誘拐されてしまいます。
物語の発端としてこうした突然の出来事をもってくるのは、このところ当たり前のようになっていますが、最近の例としては、『復讐捜査線』において、父親のメル・ギブソンが娘と一緒に自宅を出たところ、いきなり銃撃されて娘が吹き飛ばされるシーンが印象的です。
d.なぜサミュエルの妻が誘拐されたのかというと、病院で治療を受けているサルテを外に連れ出させるためで、3時間以内にそれが出来なければ妻を殺すという電話が彼の元にかかってきます。
やむなくサミュエルは、レントゲンを撮るという口実でなんとかサルテを連れ出し、ついにはサルテのマンションにまで行き着きます。
ただ、サミュエルは、サルテを信用できないので、その場所でサルテに隠れて警察に通報してしまいます。
すると警察がやってくるのですが、ここでとんでもないことが起こります。事の真相はこの段階ではまだ十分に明かされませんが、観客の方は「思わぬ展開にビックリ」し、「次の一手が気になる」ことになります。
e.そしてここからが、「ノンストップ」で、「ハラハラドキドキする」シーンの連続になります。
サミュエルが、「誘拐された妻の安否」を「常に第一に考え」て、「ひたすら走る、逃げる、ビビる」のです。
特に、「地下鉄のシーンが凄」く、到底「逃げオオせられはしないだろう」と思わせて、見ている方は手に汗を握る思いをすることになります。
サミュエルは、地下道に降り、改札口を飛び越えて地下鉄の駅の構内を所狭しと逃げ回ります。追っているのは警官たちで、駅本部にある監視カメラの映像にサミュエルの姿が映し出されるたびに、その所在地を無線で知らされますから、サミュエルはどんどん追い詰められます。
こうした追いかけゴッコは、ハリウッド映画なら派手なカーチェイスにするところでしょうが(注1)、こうした走りの方がずっと「緊迫感」があるというのも不思議なところです。車という機械を使うよりも、人間の足という自然のものを使った方がリアルさが出るということなのでしょうか?
あるいは、追う側の「顔が獰猛なドーベルマンみたい」だからなのでしょうか?
なお、この点については『アンダルシア』についての記事の中でも触れたところですが、追っかけゴッコの「緊迫感」の点では、こちらの映画の方が数段上だと思われます。
f.そして、「奇しくも相棒になってしま」ったサルテが放った奇手によって、サミュエルとサルテは、追手の総元締めである警察署に入り込むことに成功し、目的をそれぞれ達成してしまうのです。
ここまでは、サムエルとサルテは、ただ逃げ回るだけでした。言ってみれば、“水平方向の流れ”に従っていました。ですが、ここに至ると、警察署の中を容疑者で溢れさせ、そうした流れを“滞留”させることによって、2人はそれぞれの目的にアプローチできるようになるといえるでしょう。
g.この映画を製作したのは、あの『すべて彼女のために』と同じフレッド・カヴァイエ〔両作とも監督・(共同)脚本〕。それがハリウッドにリメイク作(『スリーデイズ』)を作らせたほど優れているのですから、この映画についても、「すごく計算された脚本」であることは間違いなく、結果として面白いものとなっているのも十分にうなずけるところです。
ただ、この作品のラストはあまりいただけないのでは、という気がしました。フランス映画特有の、その後は観客の想像に任せるというのではなく、ハリウッド映画のように、事件のその後を描いてしまっているのですから(注2)。
(3)ここで一点だけ自慢話をしておきましょう。
というのも、主人公のサミェルに扮するジル・ルルーシュは、「ふじき78」さんをも含め酷評が相次いだにもかかわらずクマネズミは評価した例の『アデル』において、カポニ警部として活躍していたのです!
といっても、皆さんが酷評していたのは監督のリュック・ベッソン(あの『96時間』も監督しました)に対してであり、出演者ではなかったようで、さらには、クマネズミの『アデル』を取り上げた記事においても、カポニ警部の“カ”の字も記載されてはいないのですが!
なお、ジル・ルルーシュは1972年生まれですからまだ39歳、「ふじき78」さんが、「縁側でスイカ食ってるのが似合いそうなおっさん」とか、「永島敏行と蛭子能収を足して2で割ったみたい」、「お父さん然としたおっさん」と形容されるのはすごくよくわかるものの、実際にはそれほど年を食ってはいません〔ちなみに、「永島敏行と蛭子能収の」年齢を「足して2で割」ると得られる平均年齢は60歳です!〕。
(4)福本次郎氏は、「映画全編を貫く疾走感と予断を許さない意外な展開の連続は、ラストまで衰えず感覚を刺激し続ける」として60点をつけています。
(注1)『ボーン・アイデンティティ』のパリ市内でのカーチェイスが思い出されるところです。
(注2)特に、事件の首謀者が禁固18年を食らいながらも、わずか8年程度で仮出所してしまうのは、フランスではありうることなのでしょうか?
★★★★☆
象のロケット:この愛のために撃て
(1)事前の情報がほとんど何もなかったところに、「ふじき78」さんが、そのブログ「ふじき78の死屍累々映画日記」の8月27日の記事において、「大傑作だ」とか「いやあ、おもろいよ」と述べていて、ちょうど夏枯れ状態でもあり、厳しい批評眼をお持ちの「ふじき78」さんがそこまで言うのであればと、早速映画館に出向いた次第。
ところが同記事が言うがごとく、まさに「こんなにおもろいのにお客が5人」状態で、「ふじき78」さんがご覧になった翌日の土曜日の午後にもかかわらず、そして「こんな面白い映画なのに」、わずか10人ほどの観客、購入したチケットに記載されている〈整理番号1〉が泣きました。
そこで、8月6日から公開されていて、もう公開最後の週に突入ですから、観客の少なさは仕方がないのかもしれないものの、ぜひこの映画を見る人が増えるようにと思い、こうしてブログの記事掲載を若干早めてみたところです(尤も、クマネズミのブログなど本当にとるに足りない存在ですから、そんなことをしてみても何の意味もないでしょうが!)。
(2)以上でおしまいにしてもかまわないのですが、自分の覚えということもありますから、「ふじき78」さんの記事に関し、少々コンメンタール的なものを(上滑りのものながら)でっち上げてみることといたしましょう〔上の(1)と下の(2)及び(3)において「」で引用した章句は、すべて「ふじき78」さんのブログ記事からのものです〕。
ただ、この映画は、「映画の面白さが凝縮して」いて、それも『アリス・クリードの失踪』と同様、事前に関係情報を持たなければ持たないほど面白いですから、未見の方は以下を読まれないことをお勧めいたします。
a.まず主人公ですが、彼について「ふじき78」さんは、「元CIAとかじゃなくって、縁側でスイカ食ってるのが似合いそうなおっさん」とされています。
確かに主人公のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、諜報機関などに関与したことはなく、単に病院の看護助手であり、看護師に昇格しようと試験勉強中なのです。
さらに彼には、こよなく愛する妊娠中の妻ナディア(エレナ・アナヤ)がいて、仕事と家庭とで大層充実した毎日を送っています(下記の(3)を参照)。
ただ、物語の初めの方で、こうした至極幸せそうなシーンが出てくると、それがサスペンス物と謳われている場合には、観客としては次にくるものに対して身構えなくてはならないでしょう〔例えば、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』参照〕。
b.次の「奇しくも相棒になってしまう犯罪者の男」については、主人公が「冴えない」のに対して、まさに「怪しい犯罪者くささとプロフェッショナルが同居しててかっこいい」のです。
映画の冒頭は、このサルテ(ロシュディ・ゼム)が2人の男たちに追われて、街中を逃げ回る姿が描き出されます。挙句、オートバイに撥ねられて瀕死の重傷を負ってしまい、病院に担ぎ込まれますが、その病院というのが、なんと主人公サミュエルの勤務先なのです。
サルテを演じるロシュディ・ゼムが、悪人顔の上、腹に怪我をしていることもあって、その後も実業家殺しの容疑者というTVニュースが流れたりもするので、観客の方はスッカリ彼のことを悪人と思いこんでしまいます。でも、『悪人』に関する記事でも触れたように、とどのつまり“悪人”とは何なのかと問われると、本当のところは困ってしまうのですが。
c.さらに、「誘拐された妻」ですが、サルテに関する病院での出来事を、サミュエルが妻に向かって得意然と話し出したところ、突如として侵入してきた男に殴られ意識を失い、その間に妻が誘拐されてしまいます。
物語の発端としてこうした突然の出来事をもってくるのは、このところ当たり前のようになっていますが、最近の例としては、『復讐捜査線』において、父親のメル・ギブソンが娘と一緒に自宅を出たところ、いきなり銃撃されて娘が吹き飛ばされるシーンが印象的です。
d.なぜサミュエルの妻が誘拐されたのかというと、病院で治療を受けているサルテを外に連れ出させるためで、3時間以内にそれが出来なければ妻を殺すという電話が彼の元にかかってきます。
やむなくサミュエルは、レントゲンを撮るという口実でなんとかサルテを連れ出し、ついにはサルテのマンションにまで行き着きます。
ただ、サミュエルは、サルテを信用できないので、その場所でサルテに隠れて警察に通報してしまいます。
すると警察がやってくるのですが、ここでとんでもないことが起こります。事の真相はこの段階ではまだ十分に明かされませんが、観客の方は「思わぬ展開にビックリ」し、「次の一手が気になる」ことになります。
e.そしてここからが、「ノンストップ」で、「ハラハラドキドキする」シーンの連続になります。
サミュエルが、「誘拐された妻の安否」を「常に第一に考え」て、「ひたすら走る、逃げる、ビビる」のです。
特に、「地下鉄のシーンが凄」く、到底「逃げオオせられはしないだろう」と思わせて、見ている方は手に汗を握る思いをすることになります。
サミュエルは、地下道に降り、改札口を飛び越えて地下鉄の駅の構内を所狭しと逃げ回ります。追っているのは警官たちで、駅本部にある監視カメラの映像にサミュエルの姿が映し出されるたびに、その所在地を無線で知らされますから、サミュエルはどんどん追い詰められます。
こうした追いかけゴッコは、ハリウッド映画なら派手なカーチェイスにするところでしょうが(注1)、こうした走りの方がずっと「緊迫感」があるというのも不思議なところです。車という機械を使うよりも、人間の足という自然のものを使った方がリアルさが出るということなのでしょうか?
あるいは、追う側の「顔が獰猛なドーベルマンみたい」だからなのでしょうか?
なお、この点については『アンダルシア』についての記事の中でも触れたところですが、追っかけゴッコの「緊迫感」の点では、こちらの映画の方が数段上だと思われます。
f.そして、「奇しくも相棒になってしま」ったサルテが放った奇手によって、サミュエルとサルテは、追手の総元締めである警察署に入り込むことに成功し、目的をそれぞれ達成してしまうのです。
ここまでは、サムエルとサルテは、ただ逃げ回るだけでした。言ってみれば、“水平方向の流れ”に従っていました。ですが、ここに至ると、警察署の中を容疑者で溢れさせ、そうした流れを“滞留”させることによって、2人はそれぞれの目的にアプローチできるようになるといえるでしょう。
g.この映画を製作したのは、あの『すべて彼女のために』と同じフレッド・カヴァイエ〔両作とも監督・(共同)脚本〕。それがハリウッドにリメイク作(『スリーデイズ』)を作らせたほど優れているのですから、この映画についても、「すごく計算された脚本」であることは間違いなく、結果として面白いものとなっているのも十分にうなずけるところです。
ただ、この作品のラストはあまりいただけないのでは、という気がしました。フランス映画特有の、その後は観客の想像に任せるというのではなく、ハリウッド映画のように、事件のその後を描いてしまっているのですから(注2)。
(3)ここで一点だけ自慢話をしておきましょう。
というのも、主人公のサミェルに扮するジル・ルルーシュは、「ふじき78」さんをも含め酷評が相次いだにもかかわらずクマネズミは評価した例の『アデル』において、カポニ警部として活躍していたのです!
といっても、皆さんが酷評していたのは監督のリュック・ベッソン(あの『96時間』も監督しました)に対してであり、出演者ではなかったようで、さらには、クマネズミの『アデル』を取り上げた記事においても、カポニ警部の“カ”の字も記載されてはいないのですが!
なお、ジル・ルルーシュは1972年生まれですからまだ39歳、「ふじき78」さんが、「縁側でスイカ食ってるのが似合いそうなおっさん」とか、「永島敏行と蛭子能収を足して2で割ったみたい」、「お父さん然としたおっさん」と形容されるのはすごくよくわかるものの、実際にはそれほど年を食ってはいません〔ちなみに、「永島敏行と蛭子能収の」年齢を「足して2で割」ると得られる平均年齢は60歳です!〕。
(4)福本次郎氏は、「映画全編を貫く疾走感と予断を許さない意外な展開の連続は、ラストまで衰えず感覚を刺激し続ける」として60点をつけています。
(注1)『ボーン・アイデンティティ』のパリ市内でのカーチェイスが思い出されるところです。
(注2)特に、事件の首謀者が禁固18年を食らいながらも、わずか8年程度で仮出所してしまうのは、フランスではありうることなのでしょうか?
★★★★☆
象のロケット:この愛のために撃て
少なくともヨーロッパ映画が好きな僕には派手に破壊する
ばかりのハリウッド製の大作は見る気が起きません。
何よりも短いのがいいです(B級好みですから)。
この映画に関しては苦笑しました。恐らく監督にも
上記のような気持ちがあって80年代のベネックスや
ベッソンの映画の面白さを再現したかったのでしょう。
苦笑というのは、あまりにも『ディーバ』を意識させる
からです。(もちろん『サブウェイ』もですが)
まず妻の名前がナディア、『ディーバ』では
売春組織の黒幕(つまりサポルタ警視)を暴露する
テープを持ち駅前で殺される娼婦の名前です。
そして殺す手下の一人が小柄のスキンヘッド、もう1人が
ノッポ。オートバイではないが地下鉄内のチェイスは言う
までもなく、(珍しくはないが)拳銃を握らせて相撃ちに
見せかけようとすること、そしてやりすぎではあるが
同じ「ワリー」のアリアを流すなどなど…
うーん、でも、私の好みってけっこう万人受けじゃなさそうなんですけどね。
ちなみに
> 永島敏行と蛭子能収の平均年齢は60歳
全然見た目より若いじゃん。ジル・ルルーシュが老けてると言うより永島+蛭子が若いんですな。
milouさん、貴重なコメントをありがとうございます。早速『ディーバ』を探して見ることと致します。
なお、フレッド・カヴァイエ監督は、インタビューで「私にとって最高のスリラーは『サイコ』です」と述べていますし、ブログ「お楽しみはココからだ」の8月11日の記事でも、ヒッチコックとの関連性が言及されています。
この映画も、映画的知識の蓄積があればあるほど面白く見ることが出来るようですね。
だから、人物と筋書きがある程度読める人でないと、この映画の評価が高くならないかもしれない。分かりにくくしている要因の一つが、警官のなかに腐敗グループがあって、この辺の設定が最近は珍しいが、彼らがアルバイト(金儲け)のためしでかした犯罪に一般の善人たる主人公が巻き込まれたことがあげられる。その警官によって犯人に仕立てられそうになる男が主人公と必死の逃走を共にする相棒となるが、そのグループのほうも、皆が悪人顔で手段を選ばない行動をとるから、またまた複雑な絡み合いになるということか。というところが、なんとか朧気に把握した内容である(間違っていたら、ごめんなさい)。
悪徳警官グループが自らにとって致命的な映像をUSBのなかに残しておき、それを警察署内に侵入した主人公らに簡単に押さえられることで、大逆転という筋書きは、やや都合が良すぎるようにも思われるが、ともあれ、8年後に主犯が刑期半ば弱で釈放されたところで、弟を殺された相棒が敵討ちを果たし、主人公のほうも無事生まれた子供ともども楽しい家庭生活を送っているというところで、映画は終わるから、ハッピーエンドでやれやれということでした。
最近は日本であまり上映されないフランス映画で、あの上品そうな国で、こんな映画を作るのかという感じもあり、単館系の映画で、私が観たときも観客がヒトケタでしたから、イケメン好きのいまの日本にはあまりうけない映画かも知れません。映画の題名も内容や原題と異なるようで、全体をいい加減に受けとめれば、すべて結果良しで受け入れられるものでしょう。
さっき有楽町スバル座で見て来ました。ほぼ毎日こちらをチェックしていてヨカッタです。
筋書きだけを追えば、一般市民が裏社会の抗争に巻き込まれて、逃げ切れる訳がないと思うものの、間一髪で難を逃れる場面の描き方がハラハラドキドキもので、十分納得の行くものでした。
東京での上映は今日でおしまいですが、これから地方巡業なので、クマネズミさんが大急ぎで取り上げたことは、決して無駄にはならないと思います。
いい加減なブログ記事を読んでいただいただけでなく、剰え映画館にまで行っていただいたとは!嬉しくなって体がフワフワしてくる感じです。
これからもよろしくお願いいたします。
なお、ご覧になった「有楽町スバル座」については、「映写/スクリーンが大きく傾斜がフラット。見づらいことこの上なし」とか、「床が平坦なため前の席に座られるとやや頭が鬱陶しい」といった評があるので敬遠しているのですが、実際はどんな感じなのでしょうか?
実は僕が書いた『ディーバ』は82年12月1日にこの劇場で見たのです。仕事で2ヶ月ほど東京に住むことになり着任の前日東京に着き『ディーバ』と『ラブINニューヨーク』を見て、その年のベスト1と2に決定という、さい先の良いスタートに気分をよくしました。仕事場が日比谷だったこともあり、2ヶ月間毎晩仕事帰りに映画を見ました。
どちらをベスト1にしたか、面白かったのは圧倒的に『ディーバ』でしたが、誰も評価しないだろう『ラブINニューヨーク』のたった1つの台詞が気に入っただけで『ディーバ』を外した天の邪鬼です。そしてその台詞が何だったか今となっては覚えていない。
ちなみに『ディーバ』は細かく分析したことがあるが、実に杜撰な、ノリだけの作品です。しかし実に気分よく見れる作品で悪く言う人はあまり聞きませんね…
「ポリバケツ」さんがこの映画から受けられた印象は、まとめると、「登場人物の顔の見極め」が難しく、内容は「朧気に把握」できるだけで、ご都合主義が横行し、「イケメン好きのいまの日本にはあまりうけない映画」と思われ、全体的に「いい加減に受けとめれば、すべて結果良しで受け入れられる」ものの、余り高く評価できない、ということでしょうか。
クマネズミの方は、地下鉄構内での「追っかけっこ」と残忍な「悪徳警官グループ」に、特に目を瞠ってしまいました!
なお、いただいたコメントに「映画の題名も内容や原題と異なるよう」だとあります。クマネズミもよくわかりませんが、ブログ「CinemaNavi21」の8月19日の記事によれば、原題の「a bout portant」は、「至近距離で」とか「すぐ近くから」という意味だが、元来「銃口を突きつける」状態のことだから、ここでは「銃口を向けられて」とする方が正確ではないか、とのこと〔英語タイトルは「point blank」(「銃などで直射する」といった意味〕。
有楽町スバル座は、「普通の(?)綺麗な劇場で特に見づらい、とも思え」ないとのことですので、一度入ってみようかと思います。
また、『ディーバ』についてのさらなる情報をありがとうございます。