『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を吉祥寺オデヲンで見ました。
(1)公開されてからだいぶ経つので、この辺で見ておかないと見逃してしまうおそれがあると思い、映画館に行ってきました(注1)。
(以下は様々にネタバレしていますので、映画を未見の方はご注意ください)
本作(注2)の冒頭では、まず、「遠い昔、はるか彼方の銀河系で……」との字幕が映し出された後、タイトルが映し出され、次いで、「ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)が消えた。帝国軍の残党は、ファースト・オーダーという組織を作り上げ、最後のジュダイのスカイウォーカーを探し出して殺そうとしていた。他方、共和国軍の支援によりながら、将軍・レイア(キャリー・フィッシャー)はレジスタンスを率い、銀河系の平和と正義を取り戻すためにルークを探し出そうとしていた。そして、レイアは、ルークの居場所が記された地図を持つ者がいる惑星ジャクーに部下のパイロットとドロイドを派遣した」といった内容のオープニング・ロールが流れます。
それから本編に入り、惑星ジャクーに行ったパイロットのポー・ダメロン(オスカー・アイザック)は、ロア・サン・テッカから地図を受け取るものの、帝国軍の攻撃を受け、カイロ・レン(アダム・ドライバー)に捕まってしまいます。ただ、その前に地図の入ったデータファイルをドロイドのBB-8に託します。
ポー・ダメロンは行方がわからなくなるものの、惑星ジャクーで廃品回収業をやっているレイ(デイジー・リドリー)と、帝国軍のストームトルーパーながらそこから脱走したフィン(ジョン・ボイエガ)、そしてドロイドのBB-8とがミレニアム・ファルコンで一緒になり、惑星ジャクーから飛び立ちます。
その後、ミレニアム・ファルコンには、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)とチューバッカが出現するのですが(注3)、さあ、物語はどのように展開していくのでしょうか、………?
確かに、飛び交う戦闘機や戦艦などの映像はこれまでより一層精緻なものとなって、戦闘場面もリアルさが増しているように思います。とはいえ、新シリーズと聞いて何か革新的なアイデアがいろいろ積み込まれているのかなと期待しましたが、そういったものは見当たらず、どうして『ジェダイの帰還』から30年も経ってからこのような保守的とも思える映画をわざわざ制作しようとしたのかよくわからない感じがしたところです。
(2)本作は、『スター・ウォーズ』の第1作目の『新たなる希望』(エピソード4:1978年)~『ジェダイの帰還』(エピソード6:1983年)に続くとされているので、見る前に予めそれらのDVDをTSUTAYAから借りてきて予習しました。
予習の感想は、最初の「エピソード4」はなかなか良く出来ていると思うものの、次の『帝国の逆襲』(エピソード5:1980年)及び3番目の「エピソード6」は第1作の繰り返し版のような印象で、あまり新鮮味を感じませんでした。
もう少し言えば、スター・デストロイヤー、Xウイング、タイ・ファイター、ウォーカー、スピーダー・バイクなどなど、映画に登場する様々な兵器・乗り物はどれもなかなか格好がよく、それらを見ているだけで楽しくなります。
とはいえ、「エピソード4」では、帝国軍の究極兵器であるデス・スターは、反乱軍側によって完全に破壊されたはずですが、「エピソード6」では再度建造されていて、またもや「エピソード4」と似たようなやり方で破壊されるのは(注4)、いったいどうしたことでしょう?
それに、「エピソード6」に登場してハン・ソロらの潜入部隊を支援する惑星エンドアの原住民イウォーク族の様子が、あまりにもアフリカや南米などに住む未開の原住民の姿を反映している感じがして、一体ここはどこの惑星なのかなと思ってしまいました(注5)。
さらに、映画では帝国軍とか反乱軍とかが登場しますが、それらのバックとなる帝国自体とか反乱地域といったものはどこにどんなように存在しているのでしょう?これらの3つの映画では、軍隊は描かれているものの、その基盤となる国民が描き出されていないために、“正義”とか“悪”などといわれても抽象的なお題目にしか思えず、単に二つの勢力の間の派閥争いが描かれているにすぎないように思えてしまいます。
そして、今回の『フォースの覚醒』(エピソード7)です。
飛び交う戦闘機や戦艦などの映像はより一層精緻なものとなって、戦闘場面もリアルさが増しているように思います。
とはいえ、話自体は、事前に予習をした「エピソード4」~「エピソード6」とあまり変わらないように思われます。
なるほど、「エピソード4」では兵器としてのデス・スターが破壊されただけで帝国自体は存続しているのでしょうから、「エピソード5」で帝国軍が登場してもかまわないのでしょう(注6)。
ですが、「エピソード゛6」で皇帝以下壊滅したはずの帝国軍が、本作では“残党(ashes)”として生き残っていて、その“残党”が巨大なスターキラー基地までも建造しているのは、よく理解できません。
また、銀河系全体は、帝国軍を打ち破った新共和国がすでに支配しているはずにもかかわらず、“残党”の帝国軍と戦うための組織が「レジスタンス」といわれるのもよくわかりません(注7)。まさに、「エピソード4」のレイア姫率いる「反乱軍」の焼き直し版といったところです(同じレイアが「レジスタンス」を率いているのです!)。
そして、「エピソード6」の第2デス・スターの拡大版といったところのスターキラー基地。
規模が氷の惑星全体に広がっているとはいえ、やることはデス・スターと同じであり(注8)、またデス・スターと同じように破壊されます(注9)。
さらに言えば、スターキラー基地でファースト・オーダーのストームトルーパーを前にして、ハックス将軍(ドーナル・グリーソン)が演説をしているシーンが映し出されますが、1936年に開催されたナチスのニュルンベルグ党大会を彷彿とさせます。
これは、銀河系を支配する新共和国を打ち破ろうとする帝国軍が、またしても従前のように、正規軍による正面攻撃をしようとするのを表しているのでしょう。
ですが、帝国軍は“残党”によって構成されているはずですし、支配体制を打破するのであれば、まずもって考えられるのはゲリラ戦ではないでしょうか(注10)?
要すれば、本作のストーリー展開に独創性・新規性といったものが少しも感じられないのです(注11)。
そして、劇場用パンフレット掲載の「Staff Interview」で、J.J.エイブラムス監督は、「(本作の)中核にあるのは家族の物語であり、ファミリードラマだ。己の力を見つけ、知り合うことなど予期しなかったような人々との繋がりを探す。秘密や大義、そして事故よりもなにか大きな存在と結ばれることについての物語だ」云々と述べています。
きっと、次の「エピソード8」では、レイが本作のラストで遭遇する人物が重要なカギを握ると予想されます。ですが、“家族の物語”なら、すでに「エピソード4」~「エピソード6」で様々に描かれているところであり、新シリーズでその屋上屋を重ねても仕方がないように思えるのですが。
(3)渡まち子氏は、「いずれにしてもSF活劇の楽しさが十二分につまった極上のエンタテインメントだ。エピソード8と9の公開にはもう少し時間が必要だが、今からたまらなく待ち遠しい」として85点をつけています。
前田有一氏は、「結局「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は、この上なくよくできた模写の域を出ていない。つまり、旧シリーズとシームレスにつなげた一点でJ・J・エイブラムス監督の職人芸を味わうことはできる。しかし、過去作でルーカスが目指したであろう、映画史を塗り替えんという創作魂や革新性はまったく受け継いでいない」として65点をつけています。
クマネズミは、基本的にこの前田氏の見解に賛同するものです。
渡辺祥子氏は、「第1作の頃より大幅に進歩した映像技術による3D映像が体感させる空中戦の数々。見るのではなくゲームの中で翻弄される快感がある。若い世代の新たな活躍は第8作に期待したい」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
(注1)SF物は総じて敬遠していましたが、この記事によれば、本作の「世界興収が20億ドル(約2340億円)を突破した」、「歴史上、20億ドルの壁を突破したのは、『アバター』(27億ドル8800万ドル)、『タイタニック』(21億8680万ドル)に続いて3作目。しかも、史上最速の53日で到達してしまった」とのことで、そんなにすごいのであればやはり1回くらいは映画館で立ち会っておかなくては、という気持ちになりました。
(注2)監督は、『SUPER 8/スーパーエイト』のJ.J.エイブラムス。
脚本は、J.J.エイブラムス、ローレンス・カスタン(『スター・ウォーズ』のエピソード5と6の脚本を書いています)とマイケル・アーント。
原題は「STAR WARS: THE FORCE AWAKENS」。
なお、出演者の内、最近では、ハリソン・フォードは『42 世界を変えた男』、オスカー・アイザックは『アレクサンドリア』、マーク・ハミルは『キングスマン』、マズ・カナタ役のルビタ・ニョンゴは『それでも夜は明ける』で、それぞれ見ています。
(注3)『の・ようなもの のようなもの』に関する拙エントリの「注12」で、宇多丸氏が「往年の『スター・ウォーズ』ファンが、新作の予告編を見て、ハン・ソロとチューバッカが出てくるだけで感涙する」と述べていると申し上げましたが、本作は、『の・ようなもの のようなもの』と同様に、これまでの作品に格別の思い入れのある人にとって懐かしさを募らせる作品なのでしょうが、そうでもない人にとってどんな意味があるのでしょうか?
(注4)もちろん、「エピソード6」においては、「第2デス・スター」は強力なシールドで防護されていて、その発生装置を破壊するために、ハン・ソロが率いる潜入部隊が惑星エンドアに乗り込むなどというように、「エピソード4」と細部はいろいろ違っています。
ですが、Xウイングがデス・スターの狭い通路を突進して中央部にある炉を破壊することで全体を壊してしまうという構図は類似しているように思います。
(注5)「スター・ウォーズ」と銘打たれて入るものの、地球上で展開される“第3次世界大戦”といった感じがしてしまいます。
(注6)究極兵器が破壊されたのですから、帝国が受けた損失は甚大だったはずにもかかわらず、帝国軍が、僅かな期間で最初のものよりも巨大で防御機能に優れた「第2デス・スター」を生み出してしまうというのも、どうなのでしょうか?
(注7)第2次世界大戦でナチスに対してフランス国内で行われた抵抗運動のように、支配体制に抵抗するのが“レジスタンス”ではないでしょうか?本作の「レジスタンス」のように、支配体制を防衛しようとする組織が何故そのように呼ばれるのかよくわかりません。
(注8)スターキラー基地は、新共和国の首都惑星などをビームを放って破壊しますが、これは最初のデス・スターが惑星オルデランを破壊したのと全く同じことでしょう(デス・スターのレーザー砲とは異なる原理によるのでしょうが)。
(注9)スターキラー基地の内部に侵入したフィンやチューバッカらが爆弾をセットして破壊して突破口を開くと、ポー・ダメロンらのXウイングの部隊がそこから内部に入って攻撃することでスターキラー基地は崩壊します。
帝国軍の究極兵器の最大の弱点を狙って内部に侵入して、その一点を破壊することによって兵器全体をも破壊するという構図は類似しているように思います。
(注10)現在の世界情勢からしたら、リアリティがあるのは、ナチスばりの正規軍による攻撃よりも、むしろテロ攻撃の方ではないでしょうか?
(注11)本作に登場する戦艦や戦闘機なども、図体が大きくなったり性能が増していたりするのでしょうが、新しい機種が登場しているようには思えません。
★★★☆☆☆
象のロケット:スター・ウォーズ フォースの覚醒
(1)公開されてからだいぶ経つので、この辺で見ておかないと見逃してしまうおそれがあると思い、映画館に行ってきました(注1)。
(以下は様々にネタバレしていますので、映画を未見の方はご注意ください)
本作(注2)の冒頭では、まず、「遠い昔、はるか彼方の銀河系で……」との字幕が映し出された後、タイトルが映し出され、次いで、「ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)が消えた。帝国軍の残党は、ファースト・オーダーという組織を作り上げ、最後のジュダイのスカイウォーカーを探し出して殺そうとしていた。他方、共和国軍の支援によりながら、将軍・レイア(キャリー・フィッシャー)はレジスタンスを率い、銀河系の平和と正義を取り戻すためにルークを探し出そうとしていた。そして、レイアは、ルークの居場所が記された地図を持つ者がいる惑星ジャクーに部下のパイロットとドロイドを派遣した」といった内容のオープニング・ロールが流れます。
それから本編に入り、惑星ジャクーに行ったパイロットのポー・ダメロン(オスカー・アイザック)は、ロア・サン・テッカから地図を受け取るものの、帝国軍の攻撃を受け、カイロ・レン(アダム・ドライバー)に捕まってしまいます。ただ、その前に地図の入ったデータファイルをドロイドのBB-8に託します。
ポー・ダメロンは行方がわからなくなるものの、惑星ジャクーで廃品回収業をやっているレイ(デイジー・リドリー)と、帝国軍のストームトルーパーながらそこから脱走したフィン(ジョン・ボイエガ)、そしてドロイドのBB-8とがミレニアム・ファルコンで一緒になり、惑星ジャクーから飛び立ちます。
その後、ミレニアム・ファルコンには、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)とチューバッカが出現するのですが(注3)、さあ、物語はどのように展開していくのでしょうか、………?
確かに、飛び交う戦闘機や戦艦などの映像はこれまでより一層精緻なものとなって、戦闘場面もリアルさが増しているように思います。とはいえ、新シリーズと聞いて何か革新的なアイデアがいろいろ積み込まれているのかなと期待しましたが、そういったものは見当たらず、どうして『ジェダイの帰還』から30年も経ってからこのような保守的とも思える映画をわざわざ制作しようとしたのかよくわからない感じがしたところです。
(2)本作は、『スター・ウォーズ』の第1作目の『新たなる希望』(エピソード4:1978年)~『ジェダイの帰還』(エピソード6:1983年)に続くとされているので、見る前に予めそれらのDVDをTSUTAYAから借りてきて予習しました。
予習の感想は、最初の「エピソード4」はなかなか良く出来ていると思うものの、次の『帝国の逆襲』(エピソード5:1980年)及び3番目の「エピソード6」は第1作の繰り返し版のような印象で、あまり新鮮味を感じませんでした。
もう少し言えば、スター・デストロイヤー、Xウイング、タイ・ファイター、ウォーカー、スピーダー・バイクなどなど、映画に登場する様々な兵器・乗り物はどれもなかなか格好がよく、それらを見ているだけで楽しくなります。
とはいえ、「エピソード4」では、帝国軍の究極兵器であるデス・スターは、反乱軍側によって完全に破壊されたはずですが、「エピソード6」では再度建造されていて、またもや「エピソード4」と似たようなやり方で破壊されるのは(注4)、いったいどうしたことでしょう?
それに、「エピソード6」に登場してハン・ソロらの潜入部隊を支援する惑星エンドアの原住民イウォーク族の様子が、あまりにもアフリカや南米などに住む未開の原住民の姿を反映している感じがして、一体ここはどこの惑星なのかなと思ってしまいました(注5)。
さらに、映画では帝国軍とか反乱軍とかが登場しますが、それらのバックとなる帝国自体とか反乱地域といったものはどこにどんなように存在しているのでしょう?これらの3つの映画では、軍隊は描かれているものの、その基盤となる国民が描き出されていないために、“正義”とか“悪”などといわれても抽象的なお題目にしか思えず、単に二つの勢力の間の派閥争いが描かれているにすぎないように思えてしまいます。
そして、今回の『フォースの覚醒』(エピソード7)です。
飛び交う戦闘機や戦艦などの映像はより一層精緻なものとなって、戦闘場面もリアルさが増しているように思います。
とはいえ、話自体は、事前に予習をした「エピソード4」~「エピソード6」とあまり変わらないように思われます。
なるほど、「エピソード4」では兵器としてのデス・スターが破壊されただけで帝国自体は存続しているのでしょうから、「エピソード5」で帝国軍が登場してもかまわないのでしょう(注6)。
ですが、「エピソード゛6」で皇帝以下壊滅したはずの帝国軍が、本作では“残党(ashes)”として生き残っていて、その“残党”が巨大なスターキラー基地までも建造しているのは、よく理解できません。
また、銀河系全体は、帝国軍を打ち破った新共和国がすでに支配しているはずにもかかわらず、“残党”の帝国軍と戦うための組織が「レジスタンス」といわれるのもよくわかりません(注7)。まさに、「エピソード4」のレイア姫率いる「反乱軍」の焼き直し版といったところです(同じレイアが「レジスタンス」を率いているのです!)。
そして、「エピソード6」の第2デス・スターの拡大版といったところのスターキラー基地。
規模が氷の惑星全体に広がっているとはいえ、やることはデス・スターと同じであり(注8)、またデス・スターと同じように破壊されます(注9)。
さらに言えば、スターキラー基地でファースト・オーダーのストームトルーパーを前にして、ハックス将軍(ドーナル・グリーソン)が演説をしているシーンが映し出されますが、1936年に開催されたナチスのニュルンベルグ党大会を彷彿とさせます。
これは、銀河系を支配する新共和国を打ち破ろうとする帝国軍が、またしても従前のように、正規軍による正面攻撃をしようとするのを表しているのでしょう。
ですが、帝国軍は“残党”によって構成されているはずですし、支配体制を打破するのであれば、まずもって考えられるのはゲリラ戦ではないでしょうか(注10)?
要すれば、本作のストーリー展開に独創性・新規性といったものが少しも感じられないのです(注11)。
そして、劇場用パンフレット掲載の「Staff Interview」で、J.J.エイブラムス監督は、「(本作の)中核にあるのは家族の物語であり、ファミリードラマだ。己の力を見つけ、知り合うことなど予期しなかったような人々との繋がりを探す。秘密や大義、そして事故よりもなにか大きな存在と結ばれることについての物語だ」云々と述べています。
きっと、次の「エピソード8」では、レイが本作のラストで遭遇する人物が重要なカギを握ると予想されます。ですが、“家族の物語”なら、すでに「エピソード4」~「エピソード6」で様々に描かれているところであり、新シリーズでその屋上屋を重ねても仕方がないように思えるのですが。
(3)渡まち子氏は、「いずれにしてもSF活劇の楽しさが十二分につまった極上のエンタテインメントだ。エピソード8と9の公開にはもう少し時間が必要だが、今からたまらなく待ち遠しい」として85点をつけています。
前田有一氏は、「結局「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は、この上なくよくできた模写の域を出ていない。つまり、旧シリーズとシームレスにつなげた一点でJ・J・エイブラムス監督の職人芸を味わうことはできる。しかし、過去作でルーカスが目指したであろう、映画史を塗り替えんという創作魂や革新性はまったく受け継いでいない」として65点をつけています。
クマネズミは、基本的にこの前田氏の見解に賛同するものです。
渡辺祥子氏は、「第1作の頃より大幅に進歩した映像技術による3D映像が体感させる空中戦の数々。見るのではなくゲームの中で翻弄される快感がある。若い世代の新たな活躍は第8作に期待したい」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
(注1)SF物は総じて敬遠していましたが、この記事によれば、本作の「世界興収が20億ドル(約2340億円)を突破した」、「歴史上、20億ドルの壁を突破したのは、『アバター』(27億ドル8800万ドル)、『タイタニック』(21億8680万ドル)に続いて3作目。しかも、史上最速の53日で到達してしまった」とのことで、そんなにすごいのであればやはり1回くらいは映画館で立ち会っておかなくては、という気持ちになりました。
(注2)監督は、『SUPER 8/スーパーエイト』のJ.J.エイブラムス。
脚本は、J.J.エイブラムス、ローレンス・カスタン(『スター・ウォーズ』のエピソード5と6の脚本を書いています)とマイケル・アーント。
原題は「STAR WARS: THE FORCE AWAKENS」。
なお、出演者の内、最近では、ハリソン・フォードは『42 世界を変えた男』、オスカー・アイザックは『アレクサンドリア』、マーク・ハミルは『キングスマン』、マズ・カナタ役のルビタ・ニョンゴは『それでも夜は明ける』で、それぞれ見ています。
(注3)『の・ようなもの のようなもの』に関する拙エントリの「注12」で、宇多丸氏が「往年の『スター・ウォーズ』ファンが、新作の予告編を見て、ハン・ソロとチューバッカが出てくるだけで感涙する」と述べていると申し上げましたが、本作は、『の・ようなもの のようなもの』と同様に、これまでの作品に格別の思い入れのある人にとって懐かしさを募らせる作品なのでしょうが、そうでもない人にとってどんな意味があるのでしょうか?
(注4)もちろん、「エピソード6」においては、「第2デス・スター」は強力なシールドで防護されていて、その発生装置を破壊するために、ハン・ソロが率いる潜入部隊が惑星エンドアに乗り込むなどというように、「エピソード4」と細部はいろいろ違っています。
ですが、Xウイングがデス・スターの狭い通路を突進して中央部にある炉を破壊することで全体を壊してしまうという構図は類似しているように思います。
(注5)「スター・ウォーズ」と銘打たれて入るものの、地球上で展開される“第3次世界大戦”といった感じがしてしまいます。
(注6)究極兵器が破壊されたのですから、帝国が受けた損失は甚大だったはずにもかかわらず、帝国軍が、僅かな期間で最初のものよりも巨大で防御機能に優れた「第2デス・スター」を生み出してしまうというのも、どうなのでしょうか?
(注7)第2次世界大戦でナチスに対してフランス国内で行われた抵抗運動のように、支配体制に抵抗するのが“レジスタンス”ではないでしょうか?本作の「レジスタンス」のように、支配体制を防衛しようとする組織が何故そのように呼ばれるのかよくわかりません。
(注8)スターキラー基地は、新共和国の首都惑星などをビームを放って破壊しますが、これは最初のデス・スターが惑星オルデランを破壊したのと全く同じことでしょう(デス・スターのレーザー砲とは異なる原理によるのでしょうが)。
(注9)スターキラー基地の内部に侵入したフィンやチューバッカらが爆弾をセットして破壊して突破口を開くと、ポー・ダメロンらのXウイングの部隊がそこから内部に入って攻撃することでスターキラー基地は崩壊します。
帝国軍の究極兵器の最大の弱点を狙って内部に侵入して、その一点を破壊することによって兵器全体をも破壊するという構図は類似しているように思います。
(注10)現在の世界情勢からしたら、リアリティがあるのは、ナチスばりの正規軍による攻撃よりも、むしろテロ攻撃の方ではないでしょうか?
(注11)本作に登場する戦艦や戦闘機なども、図体が大きくなったり性能が増していたりするのでしょうが、新しい機種が登場しているようには思えません。
★★★☆☆☆
象のロケット:スター・ウォーズ フォースの覚醒
そんな印象でした。
ジョージ・ルーカスの手を離れてますから、ディズニーがルーカスの意向を無視してエンタテインメントを追求したもののようです。
二番煎じですが、スターウォーズを煮詰めた極上のエンタテインメントともいえそうです。
ただ、クマネズミが「「エピソード6」は第1作の繰り返し版のような印象」と申し上げたのは、『ジェダイの帰還』が『あらたなる希望』の繰り返しのように思えるということで、本作(エピソード7)についてではありません。
とはいえ、本作も、エピソード4(第1作目)と類似した内容のように思えます。
そんなところから、クマネズミには、本作がとても「極上のエンタテインメント」とは思えなのですが。