山本あけみ「緑ゆたかな環境を子どもたちへ」

建築士や生活者として、都市計画・公共施設マネジメント・地球温暖化対策・SDGsなど、独自の視点で日々発信

私論「三つ子の魂百まで」(再掲)

2022-12-08 | 「あれこれ」のこと

【思い出しブログ】2010-06-27の再掲です。

皆さんは「三つ子の魂百まで」ということわざをご存知ですか?
では、その正しい意味をご存知ですか?

おそらく、「こんな意味だと思うんだけれど、、、」
という方が多いのではないでしょうか?
私もそのうちの一人です。

世の中に3歳児神話ってありますよね。
3歳時には想像もつかないほどの能力が隠されていて、
それを発見しないのは親の努力不足!
なんて言葉が続きそうですが。

ここからは全くの私論なのですが、
私が親として我子に3歳までに
してあげたいことが一つだけあります。

それは、「自分は親から十分愛されて育っているのだ」、
と思ってもらうこと。
それだけです。

もちろん、いちばん身近にいる大人の務めとして、
しつけもしなければならないでしょう。
時には鬼の形相で叱ったり、、、、

私なんか大人げないモード全開で本気で子供に
ぷりぷりと怒ってしまうこともしばしばでした。

でも、3歳までにこれだけはしておかなければ
ならないことと考えていたのは
幼児教育でもなくしつけでもなく、
「自分は親から十分愛されている存在なのだ」
と感じてほしいということなのです。

彼(我子)の人生はまだ始まったばかりですが、
これからの人生、良いことばかりではないでしょう。
それを乗り越える力を自分で開拓していけるのかどうか、
これは3歳までに植えつけられた
「自分の良いイメージ」が重要。
これをもってすればどんな困難にも
立ち向かっていけると思うのです。

子供は自分自身で伸びていく力を持っていて、
親としてはその能力を”素直に”発揮できるように
仕向けるだけでよいのではないか?と思っています。
その”素直に”発揮するための必須アイテムが
「自分の良いイメージ」なのだと考えます。

果たして私の唯一の望みが十分満たされているのか、
今はただ少し心配しながらの毎日です。

 

 

 


息子の小学生時代のあれこれ

2022-04-28 | 「あれこれ」のこと

私は40歳の高齢初産で、ひとり息子を授かり、

区立保育園、私立幼稚園、そして小学校、中学校を地域でお世話になりました。

写真:懐かしすぎるランドセル姿の息子です。

 

 

昨日、ある会に幼稚園のプレスクールからご一緒しているママ友と参加をした時に、

その頃を振り返って、あぁ本当に幸せな時期を過ごしていたな、とふと思い返しました。

 

区内の若いママとお話をした際には、小学校を公立か私立で迷っている、

違いは何か、というご質問を受けました。

 

私からの回答は、

①公立小学校では地域のママ友など知り合いが多くでき、子どもの見守りをお互いにして行ける。

②子どもの学力や親の仕事・経済力そして教育方針など、様々な環境の元で育っている子どもたちに囲まれて小学校時代を過ごせる。

③公立の小学校教員は地方公務員で、東京都が募集と採用試験を経て、杉並区に着任するため転任が多い。

 私立は各学校が雇い主の為、安定して長く子どもと関わってくれる。

④オンライン教育に関しては自治体により取り組みの差があり、私立の方が力を入れているのでは。

というものでしたが、

ママ友と思い出話をしていたら、図らずも自分の中では①の地域の知り合いが多く出来たことが、

本当に良かったなとしみじみ感じていると気づきました。

 

今でもママ友が、〇〇ちゃん(息子の名、未だにちゃん付け!)と駅で会ったら挨拶してくれたよ、

など声を掛けてくれると、地域で見守られながら育っているのを実感し、有難いなと思います。

 

これから杉並区で子育てをして行かれる保護者の方の中には、

私立か公立かを悩まれている方がいらっしゃると思います。

 

各ご家庭のお考えは様々だと思いますが、公私どちらであっても、小学校の6年間が充実したものとなり、

お子さんの力が十分発揮できる環境に恵まれます様、願ってやみません。

 

そして、もし子育てで何かお悩みで、私の経験がお役に立てることがあれば、

お気軽にメールをくださいませ。

yamamoto.akemi1965@gmail.com

 

 


まもなく総選挙の投票日です。

2021-10-24 | 「あれこれ」のこと
まもなく総選挙の投票日です。
全国で候補者や支援者による舌戦が繰り広げられていることと思います。
 
国政選択選挙であり、有権者がどういう国を望むのかを
投票行動により示すことが出来るように、
候補者は自身の国家観を先ずは示すべきと考えています。
 
その上で、憲法・財政運営・社会保障・教育・福祉・外交・防衛、
そして2050年カーボンニュートラル実現など、
具体的であり明確なビジョンを有権者に向けて述べるべきとも。
 
 
日本は、戦後処理を積極的に行わず、あの戦争とは何だったのか、
それを踏まえ、どういう国を目指すのかが
厳しく問われないまま現在に至っていると危惧します。
 
今年亡くなった父は終戦時13歳、兄2人を戦地に送りながら、
次は自分だという恐怖を口に出来ないまま過ごしていたはず。
 
私を含め、そういう肉親を持つ世代も間もなく還暦です。
 
夏の時期には、靖国神社参拝や原爆被害者補償など、
置き去りにしたままの課題がポコッと頭をもたげますが、
背景も付け加えられないままのニュースを見て、
平成生まれの今の子ども達には、遠い過去の出来事であり、
置き忘れられたものとしか認識できないのではと残念な気持ちです。
 
議論さえ真正面に据えず、棚ざらしのままでは、
この国は次のステージに行けないのではないか、
といつも思います。
 
街頭アンケートなどで、憲法改正に賛成ですか、反対ですか、
といった、とてつもなく雑駁な質問をすること自体が、
そして聞かれてうっかり答えてしまうこと自体が、
国の危うさを表している気がしています。
 
 
国会議員の候補者たるべき最も重要な、
「では、あなたはどういう国を目指すのか。」
が置き去りにされたまま、議席を得る事だけが目標の様に思える違和感。
 
私たちが政治に求めるのは、より良い社会を作ること。
言わずもがな、利権や身内びいきをするのが政治ではありません。
 
 
きれいごとを言って、そんなんでは小選挙区では勝ち抜けないよ、
と思われる方もいらっしゃるかも知れないけれど、
私は、いつまでも、どこまでも、政治は青臭くて良いと思っています。
 
皆様はどう思われますか?

76回目の終戦記念日、正午の黙とうをしました。

2021-08-15 | 「あれこれ」のこと
76回目の終戦記念日、正午の黙とうをしました。
 
 
私の父は、その時13歳。
もう少し成長したら、自分も戦争に行くのだと思いながら、
少年時代を過ごしていたのだろうと思うと胸が詰まります。
 
 
 
でも、思い出す限り、
そんな話を聞いたことはありませんでした。
 
 
直ぐ上の兄は、特攻隊員に志願し訓練していたものの、
終戦を迎えました。
 
 
その上の兄は、大変な激戦地で負傷し、
やっとの思いで日本に帰り着いたとの事。
最期までお腹の中に、その時の鉄砲の弾を抱えたままでした。
 
 
そんな兄たちを見ながらの少年時代に、
どれ程の死の恐怖と無力感と絶望を感じていたのだろう。
 
 
そして、戦後の日本を、
どんな気持ちで生きていたのだろう。
 
 
家族にそんな思いを上手く話せる人って、
ほんの一握りなのかもしれませんね。
 
 
娘2人に残すものは教育だけ、と言っていましたっけ。
その気持ちに十分応えることは出来なかったかもしれないけれど、
あの言葉の裏には教育を受けさせることで
戦争の無い平和な世の中をつくって行って欲しいと
強烈に願っていたのだろうと、
今更ながら考えたりしています。
 
 
娘の世話にはならないと、最期まで我流を貫き通しました。
 
 
戦争を生きた世代の人々を知っている、私たちの世代は、
まだまだしなければならない事が沢山あるのだろうと、
終戦記念日にはいつも考えたりしています。
 
 
 
 

黒猫が我が家に

2021-05-30 | 「あれこれ」のこと
我が家のテラスに現れた黒猫。

近所に住む知り合いの猫ちゃんかと思い、写真をメールしたら、どうやら違うらしい。

その方とは、以前、神田川に落ちた黒猫を一緒に助けて欲しいと連絡を貰ったのがきっかけで、知り合いになりました。

二人で奮闘するも力及ばず、結局は消防署の方に助けてもらったっけ。
今は、優しい彼女のお家に住んでいます。

あの時、私を思い出してくれて嬉しかったな。

議員って、時々不思議な仕事です。

コロナ禍の終戦記念日に思うこと

2020-08-14 | 「あれこれ」のこと
我が家の子供は、お正月に実家に行くと、いつもテレビに映っている箱根駅伝で家族がエキサイトしている姿が不思議だったらしい。
 
何故いつも、実家に行くと駅伝なのか。
 
 
私も小さいころ、夏休みに母のお墓もある、茨城の父の生家に行くと終戦記念日、高校野球が12時になると黙とうに代わり、それまでワイワイと話をしていた親戚が黙ってしまうのが不思議だった。
 
 
黙とうの後は、決まって戦争の話。
 
農家の3男で、大学から東京生活をしていた父。
終戦を13歳で迎えた。
 
 
長兄は戦地で負傷し、鉄砲玉を腹に抱えたまま帰国。
次兄は特攻隊に志願したものの、思いを遂げることなく帰郷。
戦争が終わり家に帰って来た時の様子を、誰かが話し出すと止まらない。
 
その頃、3男は防空壕を掘り、理系ゆえの精密さを誰それに褒められたとか、
農家ゆえ休憩所として軍隊が来た時には炊き出しが大変だったとか、そんな話。
 
戦中戦後を生き抜いてきた力強さと、やるせなさを抱えながら、それぞれの話やしぐさは雄弁に語っていた。
 
私は敗戦から20年後に生まれた。
 
 
 
小学校の頃は腕と足を負傷した傷痍軍人が、まるで戦時中の様な格好で道端で物乞いをしていた。文化住宅(団地)に住んでいた私は、前を通るのが憚られたのを強く覚えている。こちらを見ていた視線を覚えている。
 
戦争は確かに私の身近に今もある。
 
55歳となり、20年間という時間の長さ、そして短さを朧気ながら捉えられるようにもなった。これは、年を重ねていく事で得られる、一番のご褒美。
 
 
今年は、コロナ禍で明日の終戦記念日に、先祖や母のお墓参りに行けずに自宅でのんびり。
 
終戦記念日とお盆が重なっているのは、何故なのだろうとネットで検索しながら、理由はどうであれお盆の墓参りに家族や親せきと終戦記念日を迎える事の重要さを、今年は殊更に感じている人が多くいるのだろうと考えている。
 
私もその一人。
 

最愛のピアニスト、ウォン ウィン ツァンさんのコンサートに行ってきました。

2018-12-01 | 「あれこれ」のこと

このところ、区政に関しての投稿ばかりでしたので、自分事をちょっとだけ。

およそ25年くらい前の事。

渋谷の公園通りから地下に降りたところにジャン・ジャンというライブハウスがあって、美輪明宏さんやイッセー尾形さん、淡谷のり子さんなどがライブをされていました。狭いスペースだったけれどアーティストとの距離感がたまらない空間。当時はインテリアコーディネーターの仕事をしていた頃で、小劇場系の演劇などが好きで機会を見つけて見に行っていました。※ジャンジャン http://jeanjean1969.web.fc2.com/

知人のご主人が舞踏系のダンサーで、体中を金粉で塗ってのダンスとピアノとのセッションをするから見に来ない?と誘われ、ジャン・ジャンに行ったのですが、その時のピアニストがウォン ウィン ツァンさんでした。

 


金粉ダンサーのあまりの迫力に衝撃を受けながらも、グランドピアノを立ち上がって弾むように弾くピアニストの印象は鮮烈でした。その時1枚のCDを買い、家に帰ってから聴いていました。最初に買ったCDの名前は思い出せないなぁ。

※写真:ウォン ウィン ツァンさん

 

その後、ウォンさんのピアノはNHKのドキュメンタリーなどのBGMになっていて、度々耳にするようになって行ったけれど、CDから紡ぎだされる繊細さ、ノスタルジックでもあり、心にしみるソロピアノの世界に、独身の頃はどっぷりと10年くらい浸っていて、もうすっかり身体の一部になるくらいに聴いていました。コンサートにも行っていました。


私たちの世代は、世の中がアナログからデジタルにどんどんと変わっていたのを実体験していて、以前は考えられなかった事が起きたりしています。私にとってはウォンさんとの繋がりもその一つ。

2~3年前だったか、Facebookでウォンさんを見つけ、思い切ってお友達申請をさせて頂きました。Facebook上で何回かやり取りをさせて頂いていましたが、先日、ウォンさんが70歳を過ぎ、これまで作り出してきたピアノの世界を希望するアーティストとのコラボによって大放出してくれるという投稿がありました。ファンにとっては何とも贅沢なもの。先日伺った、阿佐ヶ谷のライブハウスでのオーボエ奏者の方とのコラボが実現したのもこの投稿がきっかけだったようです。

 

※写真左より:ウォン美音志さん、山縣富弓さん、山縣有斗さん、山本あけみ、ウォン ウィン ツァンさん


『瞑想のゆくえ』と題した、ウォンさんのピアノ、オーボエのtomocaさん、ギタリストのウォン美音志さんの2時間のセッションには会場いっぱいのお客様。キャンドルに囲まれたひっそりとした心地よい空間でした。演奏が始まったと思うと、思うようにセッション出来ずにまたやり直しなんてこともあって、リラックスしながら聴く事が出来ました。でも、日常的にセッションをしている訳では無いのに、こんなに息がぴったりと合い、世界観を作り出せるなんてすごいです。


※オーボエtomocaさん、Facebookより

 

ウォンさんのお話の中には、NHKの「こころの時代」などドキュメンタリーのBGMに関してや、ソマリアの少年兵の現実に衝撃を受けたお話、また私が大好きな「光君のプレゼント」という曲が出来たエピソードなどがあって、何度も聴いていた曲がこの世に生まれた背景が聴けたのも嬉しかったです。

※光君のプレゼント →https://www.youtube.com/watch?v=ZXZMITFcdwM

 

大好きなウォンさんの真骨頂でもある即興演奏のパートが無かったのは少々残念だったけれど、こんなに間近に座り、即興演奏まで聴いてしまったら、立ち上がれないくらいの衝撃を受けてしまうだろうなと想像していたので、まあ、無かったのも良かったのかも。。。などとあれこれ考えながら帰路につきました。

※即興演奏の様子→https://www.youtube.com/watch?v=YImudNl1f64

 

実は私も仲間と共に朗読とセッションして頂けないか、果敢にもアタック中なのです!実現したいな!!


以上

 

 

 

 


「杉並から始めよう! 23区初の! 自分ごと化会議!!」第1回目を開催しました!

2018-11-06 | 「あれこれ」のこと

 11月3日(土・祝)、立憲民主党杉並区議団では、ボトムアップの政治の実現を杉並区政において目指すため、23区初の試みである住民協議会の第1回目を開催しました。場所は座・高円寺の地下2階にある阿波踊りホールです。

今回協力をお願いした、政策シンクタンク 構想日本の伊藤 伸先生とは、本年3月に鴨川市で行われた同様の住民協議会を視察させて頂いた際に初めてお会いしました。

5月に私の定例の木曜茶話会にて講師をお願いし、その内容を会派や立憲民主党東京都連に広め、7月に会派での勉強会を実施、そして第3定例議会の私の一般質問で杉並区に区内7地域ごとの住民協議会設置を求める提言をしました。

※一般質問の様子 → http://suginami.gijiroku.com/voices/g07_Video_View.asp?SrchID=5351

残念ながら杉並区では現在のところ前向きな姿勢は見られませんが、それなら会派で先行して先ずはやってみようとなり、今回の実施となりました。

住民協議会とは構想日本が提唱する 、行政の課題を住民自らが主体的に考えていくきっかけとする為の仕掛けで、別名「自分ごと化会議」と言います。テーマ設定は様々想定されますが、今回のテーマは「杉並区の子育て環境」としました。

※構想日本→http://www.kosonippon.org/

 

【目的】

・身近な問題を政治・行政任せにせず、住民自らが自分事として区の状況を知り意見を出し 合う。

・行政の取組について具体的に考え、課題解決を目指す。

【基本的な考え方】

(1)参加する住民の選び方が無作為抽出 、選挙人名簿から無作為に抽出した住民に案内を送付し、応募のあった人が委員として参加。

(2)地域の課題について、生活から見える現象をもとに住民間で議論 、 「政治・行政対住民」ではなく「住民同士」で議論し、課題やその解決策を見つけ出す。議論する際のシ ナリオは一切作らず、外部コーディネーターのもと、議員や行政職員は、説明者や討論者の一員とし て参加する。

(3)「個人でできること」「地域でできること」から考える 。政治・行政への要望に終始するのではなく、課題解決のためにまず自分たちでできることから考える。 「言いっぱなし」で終わらないように、参加者は課題とその改善等を「記入シート」に記載する。

 

 

何故、この様な大掛かりな取り組みを立憲民主党杉並区議団が始めたのか、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。

現在のところ、杉並区では区民意見聴取を既成の団体などから主に行っていますが、肝心の区政の情報が住民に十分周知されず、住民が主体性を持って区政を議論する場が少ないのではないか。そもそも住民と行政の距離が遠いのではないか。今後、区立施設再編整備の小学校などの跡地活用が進んで行くなど、区政の重大な要件が話し合われていくタイミングで、既成の団体のみの意見を聞くだけでは一般の区民は取り残されていくのではないかと考えていた事。

また、「政治・行政 対 住民」の構図では無く、区民自らが課題解決をして行くにはどういった仕掛けが必要なのか、と考えていたところ、この無作為抽出による住民協議会を知ったのが大きなきっかけとなり、実行してみよう!となりました。

 

ここで第1回目の次第に沿ってご報告いたします。

1.開会                        9:30~ 9:35

 

2.あいさつ                      9:35~ 9:45    

①立憲民主党杉並区議団あいさつ 太田哲二 立憲民主党杉並区議団 幹事長

②構想日本あいさつ 伊藤 伸先生

 写真左:山本あけみ、右 太田哲二杉並区議

 

3.住民協議会について                 9:45~10:05

 伊藤伸先生による講義

写真:立ち上がって講義中の伊藤 伸先生

 

4.「杉並区の子育て環境」について  山本あけみより     10:05~10:45

①テーマの設定理由と趣旨  

②テーマについての説明   

(休憩10分)

 

5.協議                        10:55~12:25

①自己紹介

②協議・記入シートへの記入

写真:左 関口健太郎杉並区議、右 川野たかあき杉並区議

 

 

③コーディネータによる当日意見の整理等

 

6.閉会                                              12:25~12:30

 

僅か3時間の会でしたが、無作為抽出により選ばれた初顔合わせの委員たちが、日頃自分の生活から実感している区政とのかかわりをお話され、コーディネーターがその場でご意見をカテゴリーに分けて、参加者がまんべんなく発言できるように配慮をしながら議論を深めていく様子を間近で見ることは、大きな発見の連続でした。

最初は参加者がバラバラであったのに、議論を深めていくに従いお互いを知るようになる。自分も同じような事で行政に対して要望がある、また、そもそも論やあるべき論も人それぞれ、憶することなく参加者が積極的に発言をして行く様を見ていて、無作為抽出による住民協議会の開催目的に近づいていくと感じました。

通常の会では、どうしても発言力の強い人に引っ張られてしまい、いつの間にか似たような考えの人しか一緒にいられない状況を作り出していると感じています。区民の皆さんが納得するような広く議論を巻き起こして、それを集約していく方法は無いものかという、私が常日頃持っている、理想にも似た形を模索して行けるのではないか、と大きな期待に包まれました。

何よりも、議論をリードしていくコーディネーターである伊藤 伸先生の会の運びは本当に滑らかで、さすがこの取り組みを全国各地で100回以上もされていらっしゃると感じました。参加者全員が来てみて良かったと思ってくれたのではないかと考えています。

すみません!画像が横向きになり直せない!

 

 

第2回目は、さらに議論を深めた上で改善策を探る会となります。

12月8日(土)9:30~12:30 会場:座・高円寺 地下2階 阿波踊りホール

 

立憲民主党杉並区議団の新たな取り組みを是非傍聴にいらして下さい!

お待ちしております。

※お席に限りがある都合上、傍聴は予約制となっております。下記メール宛にお申し込みください。

 

 

 

ご意見&お問い合わせは下記までお願い申し上げます。

┏ ─────────────────────────────────────── ┓
  山本あけみ yamamoto.akemi1965@gmail.com
            杉並区議会議員
            久我山在住 FAX  03(6231)5839
                         Official Site  http://yamamotoakemi.com/
 
┗ ─────────────────────────────────────── ┛
 

節目の誕生日を迎えて。

2015-01-23 | 「あれこれ」のこと

昨日は50歳の誕生日でした。

たくさんのお祝いのメッセージをいただきありがとうございました。

 

それぞれの夢に向かって突き進んでいた10代、20代、30代、

40歳からは本当にやっかいだった自分自身をやっと乗り越え、

家族や周りの人、そして区民のかたがたの生活へといった具合に、

視線を向ける先がぐるっと変わったのを自分で感じながらの10年間でした。

 

そして50歳、もう半世紀も生きてきたのかと思いながらも、

まだ過去を振り返るには早いと思っています。

 

やっと自分軸で考える事ができるようになったかなと思いつつ、

周りの人の支えによって自分が成り立っている事、

たくさんのアドバイスをしてくれる人がいる事、

家族が一番好き、

などを大切にこれからもやって行こうと感じています。

 

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


私論「政務活動費について」

2014-09-24 | 「あれこれ」のこと

※しばらくブログを休止していましたが、現職議員としての考えをまとまった形でお示しする必要があると考え再開をさせていただきます。

 

昨今、政務活動費について、他自治体の議員があられもない姿で泣いているセンセーショナルな映像と伴に、ややもするとバッシングの対象になっていることを憂慮しています。

私が当選をさせていただいた時には既に杉並区では政務活動費の使途基準があり、それに則って使用し報告をさせていただいています。大切な区民の税金から拠出をして頂いているので自分のお金という感覚は全く無く、出来るだけ実りのあるものにしていくよう、また、細かく報告をしていこうと考え努力しています。

政務活動費は区議報酬とは別に政務に関わる必要経費を、ある枠の中で計上するものと考えていて、会社で言えばコピーやファイル代、印刷代、ガソリン代などの必要経費であって存在自体は正当性があると考えています。

というか、必要経費が無くて活動は出来ないです。要はその使い方、活動の中身だと思います。それに正当性があるかどうか。

私は主に区政の報告として年4回、区政報告を発行しておりその為の費用や区に提言する為の政策を立てるための調査費用なども計上しています。

杉並オンブズマンの方などが公開された内容を独自の審査基準で審査し、住民監査請求としていただいたものに関しては誠意を持って回答し、それ以上の請求が無い事からご理解をいただいていると考えています。

と、至ってまじめに考えていたところ、ややもすると詐欺行為にあたる事例のニュースを見るたびに「一緒にして欲しくない!」と思ってしまいます。自分の子どもがママは悪い事をしているの?などと捉えてしまう悪影響を考えると正直落ち込みます。

杉並区の使途基準の中には私の考えとは相容れないような、例えば「飲食を伴う会合に関しては会費が明記されている案内状があれば区民意見聴取として半額までを計上してよい。」というものがありますが、お酒の席で区民意見聴取をする必要があるのか疑問があるのと区民からのご理解が得られないと考えてこれまで計上を控えています。

また、これまで区議になってから個人的なつながりで教育環境や環境施策などの海外視察をしていますが、日程には観光が含まれる事と、掛かる費用に対して区政に必ずしも反映できるとは限らず、これも区民からのご理解を得るのは難しいと考え計上していません。

今回の一連のニュースなどで疑問をもたれた方には是非とも公開された報告を見ていただきたいところです。政務活動費を使っていないから良い区議なのか?とは一概に言えないと考えます。

おそらくは区議の考え、活動の内容、その真剣さが一目瞭然なのではないでしょうか?

 

 

【木曜茶話会・もくようさわかい】

毎月第4木曜日に区民意見交換会を開催中。

次回は平成26年10月23日(木)19時から、高井戸地域区民センターで開催します。

 【区政報告】

年4回区政報告を作成しております。郵送ご希望の方は住所・お名前をお知らせください。

これまでの区政報告 →http://yamamotoakemi.web.fc2.com/

 【民主党員・サポーター募集】

http://www.dpj.or.jp/info/volunteer

 【お問い合わせ】

yamamoto.akemi1965@gmail.com

 


2013年 大晦日 今年を振り返って

2013-12-31 | 「あれこれ」のこと

 

大晦日の夜、皆様いかがお過ごしですか?

東京の年末は晴天に恵まれ、大掃除ははかどりましたが、やや積み残しのある年越しとなりました。

 

今年を振り返ると、都議会議員と参議院の選挙と2つの大きな選挙応援を経験し、

昨年末の衆議院議員選挙を含め、これで一通りの選挙を経験した事になりました。

それぞれ戦うフィールドは違うけれど、日ごろを大事にして地道に活動を続けていた人は強いという印象を持ち、

大変勉強になりました。

 

議員活動では、

・建築士会入会を通じて、また、社会人教育やNPOなどで活動をしている区民の方と多く知り合い、

 様々な形で社会や杉並区に貢献していらっしゃる様子を知る事ができた事

・久我山をスマートコミュニティのモデル地区にしていくという、推進してきた政策が軌道に乗ってきた事

・月1回開催の区民意見交換会「木曜茶話会(もくようさわかい)」が1周年を迎え

 ご参加いただける方も多くなってきた事

などが大きな成果と考えています。

 

国政においては「特定秘密保護法案」が国民の反対むなしく可決されたことには大変な危機感を持っています。

ねじれが解消し、巨大与党独裁の体制がはっきりして来ており、

力不足だったとはいえ選挙を勝利できず、結果としてそれを許した事は大変歯がゆいです。

地方議員である私としては、せめて自分の議席は自分で守りきる、そして区民福祉向上の為に尽力をしていく、

と決意を新たにしています。

 

何はともあれ、家族が健康で過ごせた事に感謝をし、

今年を振り返りつつ、来年をより充実したものにして行こうと

思いをめぐらせるお正月にしようと思います。

 

ブログをご覧いただいた皆様へ、本当にありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えください。

また来年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 


わが子の保育園時代を振り返って

2013-02-26 | 「あれこれ」のこと

私の子どもは杉並区立上高井戸保育園に1,2歳の時にお世話になっていました。

残念ながらこの園は今年の6月で閉園ですが、

上高井戸2丁目に高齢者施設と併設で人数も増え、

私立の認可保育園としてリニューアルされる予定です。

 

上高井戸保育園は施設は古いものの、日当たりの良い園庭があり、

そこで写真のような家族で集まれる運動会や夏祭りを催してくれました。

1歳から5歳まで全員で40人強と人数が少なく、

我が子と同じ年齢のクラスは8人でした。

アットホームな手厚い対応をしてくれる良いところでした。

ハイハイが出来るくらいから一緒だった近所のお子さんの

成長した姿を見ると、その頃を思い出し感慨深いです。

 

そして3歳からは近隣の私立幼稚園に入園をしました。

上高井戸保育園での様子を保母さんから伺うと、

人見知り場所見知りが他のお子さんより激しいと聞き、

大変ショックを受けたのがきっかけでした。

それまで私が気づいてあげられなかった事にもショックでした。

年の近い兄弟が居ないこともあって心配は募り、

少しでも多くの同年代の子どもたちが居る中で、

わいわいと過ごす幼少期をおくらせてやりたいと考え

急遽、幼稚園への転園を決意しました。

 

その頃、私は美大の通信課程に編入したばかりで、

子育て&仕事(インテリアコーディネーター)&家事&勉強と

毎日子どもを寝かし付けた後には寝室の隣にある事務所で

もくもくと仕事や課題をこなしていたのを覚えています。

そんな中での幼稚園への転園は、私にとっては大きな決断でした。

 

この幼稚園は三鷹市、世田谷区からも園児が通っていて、

3、4、5歳で300人近くというマンモス園です。

当然、入園式のあまりの人の多さに我が子はおお泣き、恐怖に震えていました。

他のお子さんが椅子に座る中、私にずっとしがみ付いていました。

夜には知恵熱を出し、無理をさせてしまったかと心が痛みました。

 

”保育園と幼稚園”では”保育者と先生”という立場の違いが接し方に現れます。

今までとは違う環境に子どもは随分戸惑いもあったと思います。 

 

この幼稚園は働くママにも十分対応してくれていて、

朝と夕保育、夕保育の間にピアノやお茶、体操、美術などの習い事も園内で出来ます。

そして小学生になるとアフタースクールも用意されているので、

園丸ごと幼少期を過ごすための受け皿を用意してくれているという感じです。

そこに行けば、安心して過ごすことが出来るという感覚が持てる場所は

子どもにとっても親にとってもかけがえの無いものです。

 

あんなに人見知り場所見知りが激しかったことが嘘のよう、

今では気にならなくなりました。

保育園から幼稚園に変わるというのは、簡単なことでは無かったですが、

今では良かったと考えてます。

 

今朝の東京新聞に23区の認可保育園に入れないお子さんの数が今年1万9千人にのぼり、

5年間で2,6倍に達したと書かれていました。

その中でも杉並区は認可保育園に入れない割合が62%と

最も入りづらい自治体として掲載されました。

この問題に直面しているママたちの事を思うと、なんとか杉並区が発表した緊急措置が

充足率に貢献することを願っています。

 

一方で、認可保育園は広さ・保育者とも充実していることは重々理解をしていますが、

それ以外は全て認めない、という方向性には大変違和感があります

厚生労働省の認可保育園としての基準は厳しいにも関わらず、

その基準を満たさないと補助金が下りないという制度を見直しをしていかないと、

23区で認可保育園は増えていかない現状からすると、東京都の認証保育園や

手厚い対応を目指している認可外保育園も必要と考えています。

区有地を探しても、住宅密集地ではそうそう簡単にはいかないのが現状です。

 

今回の一般質問で杉並区に提言をしたように、

・私立認可保育園の積極的な増設

・私立幼稚園の預かり保育の実施(お世話になった、あの幼稚園のような)

など、”子どもの保育環境を第一に考えた増設”に向けて

じっくりと取り組みを進めていって貰いたいとして、

今後とも区への働きかけなど、課題解決に取り組んでいきます。

p.s.保育園の頃は、いつも抱っこ。

 


終戦記念日に想うこと

2012-08-15 | 「あれこれ」のこと

私の父は昭和8年生まれ、終戦のときは12歳でした。

それから20年経って私が生まれました。

 

物心ついて歴史を学んだときに、

ほんの20年前まで日本はあの戦争をしていたのだと

知ったときの驚きはいまだに頭から離れません。

 

父の実家は茨城県の農家で、11人兄弟、6男生まれ。

大学進学から東京に住まい、家庭を持ちました。

 

お盆のお墓参りには親戚が三々五々と集まり、

本家では毎年の年中行事で賑わいます。

 

歴史はひとつづき、小さいころの話から時には戦時中の話が飛び出すこともあり、

今は映像でしか見ることが無くなった戦中、戦後のむごたらしい時代を

血がつながった親戚が同時代に体験してきたのかと、

改めて身近に感じます。

 

父の兄は志願をして特攻隊の訓練を受け、終戦を迎えその意を遂げずに

帰宅したと聞きます。

帰ってきたときの伯父の門を入るときのためらった様子、

お国のために命を尽くして戦うことが出来なかった

悔しさをいつも話してくれます。

 

いつまでも日本人が忘れてはいけない戦争の傷跡、

それを肌で感じることが出来ることは

私にとっては大変ありがたいことだといつも考えながら

終戦記念日を過ごしてます。

 

甲子園の試合を中断して正午にNHKから流れる黙祷の時間、

日本国中の人が二度と繰り返してはいけない悲劇を、

これから先も一瞬の黙祷にささげ続けていけることを願っています。

 

 

 


子供の行事に参加できなかった!!!

2011-11-30 | 「あれこれ」のこと

先日、子供が通う久我山幼稚園でお茶のお教室の参観日がありました。


議会中のため、出席できず、子供には何日か前から

「出席できなくてごめんね。」と話をしていたのですが、

その時はぴんと来なかったのか、嫌がる様子も無かったのですが、


いざ当日、ママ友達から

「お茶の時間になんだかほっぺが赤くて、目がウルウルしていたよ。」

とメールが入り、もしや熱が出たのかと思い電話をしてみると、、、


お茶の時間が始まり、他のお友達のママは来ているのを見て、

急に悲しくなってしまったとのこと。


必死に涙をこらえていたので、ほっぺは赤く、目がウルウルしていたのです。


その日の夕方幼稚園にいつも通り迎えに行くと、

何事も無かったような顔をしているものの、

私と目を合わせてくれない!!


男の子なので、あれこれとその日にあったことを話してくれないのは

以前から気づいていたのですが、

いっそこの日は、

「ママのばか!他のママは来ていたのに、ママだけいなくてすごく淋しかった!!」

とでもヤジってくれたほうが気が楽でした。


その事に触れようともしない様子を見て、

公務とはいえ、本当にかわいそうな事をしたと思いました。

 


 

 

 

 


思い出深い「シュシュ」、インテリアコーディネーター時代のこと

2011-10-20 | 「あれこれ」のこと

25歳から20年間、インテリアコーディネーターとして戸建注文住宅を設計してきました。

一般のお客様の住宅を200棟以上、モデルハウス・店舗を20棟位担当させていただきました。

机上のプランだけでなく、建築現場へも500回以上は足を運び、

暑い日の現場は結構大変でしたが、今から思うと楽しいひと時代を過ごしました。


昨日、久我山幼稚園のママ友から私が担当したモデルハウスをご覧いただいたのが

きっかけでその会社の住宅を建てることにした、との嬉しいお話をうかがうことが出来ました。

ご覧頂いたのは駒沢公園第二モデルハウスです。 

http://shutoken.mitsuihome.co.jp/modelhouse/mh_spec.php?id=9

 

幼稚園や学校の先生をしていたなら、以前に卒業をした生徒さんと偶然にもお会いするような、

そんな昔を懐かしむ思いがしました。

 

下記のインテリアは私が商品開発から携わり、

モデルハウスのプランニングまで手がけた最後の物件になりました。

プランニングは全てのインテリアの範囲にわたり、

カラースキムから家具、照明、カーテンのチョイス、小物選びまでと

オープンを迎えるまで1年以上がかかる大仕事でした。

ご興味のある方は是非、ホームページをのぞいてみてくださいませ。

三井ホーム株式会社ホームページより引用

港南台モデルハウス「シュシュ」

http://www.mitsuihome.co.jp/product/chouchou/special/