[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑] (2021年03月21日[日])
沖縄タイムスの【社説[普天間返還合意25年] 無理筋の国策 転換図れ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/721177)。
《日米両政府が米軍普天間飛行場の「5~7年以内」の返還に合意してから、来月で25年になる。国策に翻弄(ほんろう)され続けた四半世紀だった。当初、基地内に代替施設を建設する予定だったが、さまざまな利害が入り乱れ、計画はころころ変わった。辺野古の豊かな海を埋め立て、軍港機能を備えた新基地を建設するという今の計画に変更されたのは、県や県民よりも米軍の意向を優先した結果である。軟弱地盤の存在が明らかになったことで、現行計画も大幅な変更を余儀なくされる。当初3500億円とされていた工費は9300億円に膨れ上がった。さらに膨らむ可能性が高い。十分な説明もないまま、警備費が膨張し続け、土砂単価が跳ね上がり、入札を経ない契約変更によって工事費が増額された。返還時期も「2022年度またはその後」から30年代に大幅にずれ込んだ。あと15年かかる、という指摘もあるが、実際のところ返還のめどはまったく立っていない》。
『●遺族の願いとはほど遠い現実…「沖縄に米軍基地が
あるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を…」』
『●辺野古破壊のために美ら海に土砂投入…
その翌日も現地で抗議が続く中、アベ様はのんびりとゴルフを満喫』
《辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。
大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて
日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった》
『●《国はプライバシー侵害(リスト作成)を止めさせる
憲法上の義務…閣議決定で隠蔽…内閣が吹っ飛ぶ大問題》』
《発端は1995年の少女乱暴事件だ。過重な基地負担ゆえの悪辣な
犯罪に県民の怒りが頂点に達する。同年10月21日の県民大会には
8万5000人(主催者発表)が参集した。事態を重く見た
日米両政府は96年4月、普天間飛行場を5年から7年かけて
全面返還することで合意し、当時の橋本龍太郎首相、
モンデール駐日米国大使が共同記者会見で発表した》
『●普天間返還…《県民の合意のない県内移設に固執し、
住民を危険にさらしている日米両政府の責任は重い》』
《当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同で記者会見し、
普天間全面返還を発表したのは1996年4月12日だった。前年の
95年に起きた米兵による少女乱暴事件で、県民の怒りのマグマが
噴き出し、日米両政府は沖縄の基地返還に真剣に取り組まざるを
得なくなっていた》
『●《人権を軽々に扱っている…。合憲違憲が争われた
戦後の重要な民事裁判の記録多数を全国の裁判所が既に廃棄処分》』
『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》』
『●《1995年9月4日…あれから25年…沖縄の「負担軽減」と
いいながら、日本政府は事件が起こった沖縄島北部東海岸に新たな基地…》』
「2016年4月の米軍属女性暴行事件後、遺族の願いとはほど遠い現実が
ずっと続いている。さらに遡ると、1995年の少女乱暴事件から
四半世紀が経過した。《辺野古の問題の源流》である。25年が経過し、
美ら海に土砂をぶちまけ続けている愚かな政権。出来もしない新基地
建設のためにドブガネし、1億歩譲って完成したとしても、普天間は
返還されない。つまり、辺野古は単なる破壊「損」である。二度と
原状回復することは不可能。豊かな生態系の破壊・抹殺は不可逆的だ。
愚かな自公お維の議員や独裁政権。《なお是正されない不正義の横行》
が沖縄では。そして、いまや、沖縄イジメの張本人・元最低の官房長官
が首相となり、大惨事アベ様政権という強化された独裁状態に。陰湿・
悪質・強権化、沖縄でも例外なく。」
N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、ジャブジャブと大量の土砂を美ら海にぶちまけている。愚かで、醜悪。あのアメリカ保守系シンクタンク(戦略国際問題研究所 (CSIS)) までが、軟弱地盤により、辺野古新基地完成は無理だと言っているそうです。
新基地に関係なく、普天間は返還されることはない。いくらドブガネしても新基地は完成を見ることはない。踏んだり蹴ったりな辺野古。辺野古は単なる破壊「損」。
さらには《人柱》というヒトデナシな行為までも行う元・最低の官房長官=現首相ら ――― 《沖縄戦の激戦地、本島南部の土砂を辺野古の埋め立てに利用するという計画も明らかになった》《県民感情への配慮を欠いたおぞましい計画が、「沖縄に寄り添う」と語る菅義偉首相の下で進められているのである。政治の堕落と言うしかない》。
『●《玉城知事が対話を求めた直後にこれを拒否…》アベ様には
《(他者の痛みに寄り添う)沖縄のチムグクル》は届かず』
『●《思いやり予算日本要請…必死に米軍を引き留めつつ、沖縄に負担を
押し付け続ける日本政府の手法はかつての植民地主義をほうふつさせる》』
『●《埋め立てに使う土砂を、沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部から
採取することが新たに盛り込まれた…「戦没者に対する冒とくです」》』
『●《戦争で亡くなった人の血や肉が染みこんだ土や石を、新たな軍事基地
建設に使用するのは人間のやることじゃない》…《人柱》でいいのか?』
『●《1995年9月4日…あれから25年…沖縄の「負担軽減」といい
ながら、日本政府は事件が起こった沖縄島北部東海岸に新たな基地…》』
『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン』
『●(琉球新報社説)《「ウチナーンチュ(沖縄人)だって人間じゃ
ないのか」。コザ騒動の現場で人々が叫んだ言葉は今も変わらない》』
『●《陸上自衛隊と米海兵隊が、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブに、
陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」を常駐させる…極秘合意》』
『●<金口木舌>《「私たちはウサギやヤギと同じだった」…人々の
怒りは、半世紀前に米軍車を取り囲んだウチナーンチュの叫びと地続きだ》』
『●《沖縄県民の反対を無視して建設が進む辺野古沖の新基地を、米軍と
自衛隊が共用する…極秘合意》、その行きつく先は《標的の島》……』
『●《人柱》…《「助けてぃくみそーれー!」…この言葉が1945年、
島中の至る所で地中に滲み込むほどに叫ばれていた》(三上智恵さん)』
琉球新報の続報【廃棄の危機だった普天間跡地の未来模型、沖国大へ「考えるきっかけに」】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1287169.html)によると、《1995年に普天間高校の生徒が制作し、廃棄の危機に直面していた米軍普天間飛行場跡地利用の大型模型を巡り、沖縄国際大学経済学部の友知政樹教授が引き取りを申し出た。15日、保管されていた那覇市の首里高校を学生らと訪れ、同大へ運んだ。模型は今後、沖国大5号館のロビーに設置される。 3日付の本紙報道で模型が行き場を失っていることを知った友知教授は「普天間飛行場に隣接する沖国大に置くべきだと思った。学生...」》。
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【https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/721177】
社説[普天間返還合意25年] 無理筋の国策 転換図れ
2021年3月14日 08:01
日米両政府が米軍普天間飛行場の「5~7年以内」の返還に合意してから、来月で25年になる。
国策に翻弄(ほんろう)され続けた四半世紀だった。
当初、基地内に代替施設を建設する予定だったが、さまざまな利害が入り乱れ、計画はころころ変わった。
辺野古の豊かな海を埋め立て、軍港機能を備えた新基地を建設するという今の計画に変更されたのは、県や県民よりも米軍の意向を優先した結果である。
軟弱地盤の存在が明らかになったことで、現行計画も大幅な変更を余儀なくされる。
当初3500億円とされていた工費は9300億円に膨れ上がった。さらに膨らむ可能性が高い。
十分な説明もないまま、警備費が膨張し続け、土砂単価が跳ね上がり、入札を経ない契約変更によって工事費が増額された。
返還時期も「2022年度またはその後」から30年代に大幅にずれ込んだ。あと15年かかる、という指摘もあるが、実際のところ返還のめどはまったく立っていない。
それなのに政府は、いまだに「一日も早い危険性の除去」と、実質の伴わない空念仏を繰り返している。
沖縄戦の激戦地、本島南部の土砂を辺野古の埋め立てに利用するという計画も明らかになった。
県民感情への配慮を欠いたおぞましい計画が、「沖縄に寄り添う」と語る菅義偉首相の下で進められているのである。政治の堕落と言うしかない。
■ ■
辺野古新基地を含む沖縄の基地問題は今、大きな曲がり角に差し掛かっている。
バイデン米大統領は外交方針演説で、世界各国に展開する米軍の配置態勢の見直しに着手すると表明した。
中国やロシアに対抗するため、日本、韓国、オーストラリアなど同盟国との連携を強めていく考えだ。
米インド太平洋軍は沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ「第1列島線」に射程500キロ以上の地上配備型ミサイル網を築く計画を明らかにした。
負担軽減に逆行する動きが表面化しつつあるが、その一方、来年は復帰50年の節目の年に当たり、負担軽減の内実が問われる年でもある。
今年の衆院選に続いて来年秋には、県知事選も実施される。
辺野古の行く末が、今年から来年にかけて表面化する政治動向に大きく左右されるのは確実だ。
■ ■
玉城デニー知事は政府に「対話」を求める一方、「当面は米軍専用施設の50%以下を目指す」ことを明らかにしている。
「対話」を求める姿勢は支持するとしても、今、必要なのは、具体的に何をどうしたいのか、が伝わるような明確なメッセージである。
もっと具体的でインパクトのある主張をぶつけなければ、沖縄の基地問題を全国の問題として焦点化するのは難しい。
政策転換を促す機会はこの時期をおいてほかにない、との覚悟と決意が必要だ。
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[※ 辺野古は破壊「損」 【米軍飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市の海岸】(東京新聞 2020年4月3日)↑]
琉球新報の【<社説>県民大会から25年 不条理の放置を許さない】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1211138.html)。
《米兵による少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会が開かれて、きょうで25年となった。8万5千人の県民が参加した戦後沖縄の中でも歴史的大会の一つである。その原点をあらためて見詰め、今も続く米軍駐留の矛盾をただす機会としたい。3人の米兵が1人の少女の人権を蹂躙(じゅうりん)する。戦後50年の節目の年に発生した、この事件は個人の尊厳や幸福追求権などを保障した日本国憲法の下にあっても、法の支配が全うされない沖縄の矛盾をあらわにした》。
琉球新報の記事【10・21県民大会から25年 命脅かされ続けている 当時登壇した玉寄哲永さん 続く基地重圧 苦しみ今も】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1211163.html)によると、《1995年10月、米兵3人による少女乱暴事件に抗議するため8万5千人(主催者発表)が集まった県民大会から、21日で25年がたった。事件は県民の人権が侵害される状況や沖縄の過重な基地負担を浮き彫りにしたが、四半世紀たってなお米軍絡みの事件事故は後を絶たない。当時、県子ども会育成連絡協議会会長として登壇した玉寄哲永さん(86)=那覇市=は「21世紀に向けて基地の固定化はあってはならないと訴えたが、状況は変わっていない」と話す》。
『●遺族の願いとはほど遠い現実…「沖縄に米軍基地が
あるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を…」』
《<社説>米軍属事件半年 小手先の策では防げない
…恩納村の雑木林で若い女性が無残な姿で見つかった
米軍属女性暴行殺人事件で、元米海兵隊員の軍属…被告が
逮捕されてから半年が過ぎた。半年で何かが変わったのだろうか。
事件は沖縄の人々に大きな衝撃と怒りを与え、そして自責の念を生んだ。
若い女性の命を守れなかったつらさと、1995年の
少女乱暴事件以降も繰り返される米軍関係者による事件を防げなかった
ことへの悔いだ。6月19日の県民大会には主催者発表で
約6万5千人が集まり、海兵隊の撤退や、米軍関係者に特権的地位を
与える日米地位協定の抜本的改定を要求した》
『●辺野古破壊のために美ら海に土砂投入…
その翌日も現地で抗議が続く中、アベ様はのんびりとゴルフを満喫』
《辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。
大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて
日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった》
『●《国はプライバシー侵害(リスト作成)を止めさせる
憲法上の義務…閣議決定で隠蔽…内閣が吹っ飛ぶ大問題》』
《発端は1995年の少女乱暴事件だ。過重な基地負担ゆえの悪辣な
犯罪に県民の怒りが頂点に達する。同年10月21日の県民大会には
8万5000人(主催者発表)が参集した。事態を重く見た
日米両政府は96年4月、普天間飛行場を5年から7年かけて
全面返還することで合意し、当時の橋本龍太郎首相、
モンデール駐日米国大使が共同記者会見で発表した》
『●普天間返還…《県民の合意のない県内移設に固執し、
住民を危険にさらしている日米両政府の責任は重い》』
《当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同で記者会見し、
普天間全面返還を発表したのは1996年4月12日だった。前年の
95年に起きた米兵による少女乱暴事件で、県民の怒りのマグマが
噴き出し、日米両政府は沖縄の基地返還に真剣に取り組まざるを
得なくなっていた》
『●《人権を軽々に扱っている…。合憲違憲が争われた
戦後の重要な民事裁判の記録多数を全国の裁判所が既に廃棄処分》』
《米軍用地への土地提供を拒む地主の代理で署名を求められた知事が
拒否したため、国が提訴した。1995年12月、
当時の大田昌秀知事が代理署名を拒否した背景には同年9月に
起きた米兵による少女乱暴事件があった》
『●《沖縄が切り捨てられた日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に
殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている》』
2016年4月の米軍属女性暴行事件後、遺族の願いとはほど遠い現実がずっと続いている。さらに遡ると、1995年の少女乱暴事件から四半世紀が経過した。《辺野古の問題の源流》である。25年が経過し、美ら海に土砂をぶちまけ続けている愚かな政権。出来もしない新基地建設のためにドブガネし、1億歩譲って完成したとしても、普天間は返還されない。つまり、辺野古は単なる破壊「損」である。二度と原状回復することは不可能。豊かな生態系の破壊・抹殺は不可逆的だ。愚かな自公お維の議員や独裁政権。《なお是正されない不正義の横行》が沖縄では。そして、いまや、沖縄イジメの張本人・元最低の官房長官が首相となり、大惨事アベ様政権という強化された独裁状態に。陰湿・悪質・強権化、沖縄でも例外なく。
目取真俊さんブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/10・21県民大会から25年。辺野古ゲート前での座り込みが続く。】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/543bd52a76ab85f412d68d050afd466d)によると、《1995年9月4日に発生した3人の米兵によるレイプ事件のあと、10月21日に宜野湾市海浜公園で8万人余を集めて県民大会が開かれた。あれから25年が経った。沖縄の「負担軽減」といいながら、日本政府は事件が起こった沖縄島北部東海岸に新たな基地を建設中だ。事件の被害者とその家族は、今の沖縄の状況をどのように見ているだろうか。この25年間、そのことを考えながら自分なりに基地問題に取り組んできた。しかし、新基地建設を止めきれないまま、ここまで工事が進んでしまった。ゲート前に座り込んでいる沖縄人の中には、25年前の県民大会に参加した人も多かっただろう。今日は海上行動がなかったので、何もしないではいられない気持ちで、ゲート前の抗議行動に参加した》。
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1211138.html】
<社説>県民大会から25年 不条理の放置を許さない
2020年10月21日 06:01
米兵による少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会が開かれて、きょうで25年となった。8万5千人の県民が参加した戦後沖縄の中でも歴史的大会の一つである。その原点をあらためて見詰め、今も続く米軍駐留の矛盾をただす機会としたい。
3人の米兵が1人の少女の人権を蹂躙(じゅうりん)する。戦後50年の節目の年に発生した、この事件は個人の尊厳や幸福追求権などを保障した日本国憲法の下にあっても、法の支配が全うされない沖縄の矛盾をあらわにした。
警察が容疑者の身柄を確保できず、適正な捜査もままならない。国内法が及ばず、特権に守られた米軍駐留の矛盾に対する怒りや不安、恐怖を増幅した。1995年の県民大会は、そうした矛盾への県民のわだかまりが凝縮した。日米軍事同盟が、日本国民であるはずの沖縄の人々の安全や基本的人権を侵害している不条理を訴えたのである。
大会は日米両政府に(1)米軍人の綱紀粛正と米軍人、軍属の犯罪の根絶(2)被害者に対する謝罪と完全補償(3)日米地位協定の早急な見直し(4)基地の整理・縮小を促進―の4項目を決議した。
しかし25年前の県民大会の決議は今も実現していない。
日本への施政権返還後に発生した米軍関係者の犯罪は昨年末までに県警が摘発しただけでも6029件に上る。うち580件が殺人や性的暴行、強盗などの凶悪犯だ。米軍人、軍属の犯罪はいまだに根絶には至っていない。最近の事件でも2016年に元海兵隊員で米軍属の男が女性を殺害。昨年4月には海兵隊所属の海軍兵が女性を殺害した。
こうした米軍関係者の犯罪は起訴に至らなければ、容疑者の身柄を米側は日本の警察に引き渡さなくてもいい。そう定めるのが地位協定だ。少女乱暴事件後の日米合同委員会では地位協定の「運用改善」が合意されたが、「改善」は法的拘束力がない字句修正に終始したと言うほかない。
身柄の引き渡しに関して「殺人、強姦(ごうかん)(強制性交)という凶悪な犯罪」に限定し「好意的考慮を払う」などとする。強盗や放火など凶悪犯全般ではない。米軍の裁量権が維持され、特権は保持したままだ。
米軍基地の整理縮小どころか伊江島を含む本島北部の基地機能は強化されている。国土面積の0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の70%が集中する。
県民大会から約6カ月後の96年4月、日米両政府は普天間飛行場の返還を発表した。しかし合意から24年たった今も返還は実現しておらず、代替施設とする名護市辺野古の新基地建設工事の強行が続く。
各種選挙や県民投票で新基地への反対の民意を何度示しても政府は一顧だにしない。無理を通して道理を引っ込める25年ではなかったか。県民大会の原点に立ち返り、なお是正されない不正義の横行を食い止めなくてはならない。
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[三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]
琉球新報の【<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権の確立急務だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1114148.html)。
《68年前のきょう、日本が独立した一方で、沖縄、奄美、小笠原は切り離された。日本の独立と引き換えに沖縄を米国に差し出した「屈辱の日」である。1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条が分離の根拠となった。これにより米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使うようになった。米軍は「銃剣とブルドーザー」で農地を奪うなど、沖縄住民の基本的人権を無視した統治を敷いた》。
『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経』
『●巨大新基地建設による辺野古破壊…
プーチン氏に《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末』
『●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)
『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」』
《沖縄にとっては、祖国から切り離された「屈辱の日」なのだから
▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。保守系の
翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の耳には
聞こえないようだ》
《米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使うようになった。米軍は「銃剣とブルドーザー」で農地を奪うなど、沖縄住民の基本的人権を無視した統治を敷いた》…この《差別的な構造は…今なお続く》。
『●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)『日本を取り戻す』
の中に間違いなく沖縄は入っていない」』
《「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。保守系の
翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の耳には
聞こえないようだ▼講和条約と同時に結ばれた日米安保条約の下で
沖縄の人々が強いられてきた犠牲は、本土のメディアや国民の無関心に
よって一層強められた。「屈辱の日」に立ち上る声に耳を澄ませたい》
沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]4.28】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/565368)によると、《▼68年前のきょうも、記憶に刻まなければならない。サンフランシスコ講和条約の発効で沖縄が日本から切り離され、米国の施政権下に置かれた。憲法は適用されず、「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われた。基地の過重負担の原点 ▼差別的な構造は戦後75年、復帰48年の今なお続く。普天間飛行場から大量の泡消火剤が漏れた事故で、米軍は基地内の土壌採取を拒んだ。有害な有機フッ素化合物PFOS(ピーホス)を含むのに、汚染の状況が調べられない異常さ》。
目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/羽地内海のランプウェイ台船/沖縄県議会議員選挙と工事再開のタイミング】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/3cfdebe50cbc0784da9d1dd63ab34173)によると、《予定では、5月29日(金)告示、6月7日(日)投開票となっている。5月6日からわずか1か月で投開票日を迎える。予定通りに行われるなら、選挙のあり方、運動方法がこれまでにない形となる。日本政府・沖縄防衛局は4月21日に、大浦湾の軟弱地盤に関して設計変更の申請を沖縄県に行った。それを含めて、辺野古新基地建設問題が今回の選挙でも大きな争点となる。日本政府にとって、県議会で与野党逆転を実現できれば、玉城県政を追いつめ、新基地建設を進める弾みとなる。…今日4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が切り捨てられて日であり、名護市出身の女性が米軍属の男に殺害された日でもある。いまも沖縄にとって「屈辱の日」は続いている。日米の支配という屈辱が。1日も早く、それを晴らしたい》。
沖縄県議会議員選挙…「本土」では、無為無策な内閣の支持率が未だ4割という意味不明な政治状況。そして、米軍属女性暴行殺人から4年…何が変わった? むしろ後退? 折角、玉城県政に代わっても、アベ様独裁政権・人事主義王国が続く限り、沖縄では《「屈辱の日」は続いている。日米の支配という屈辱》が。さらに、《県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を侵害する植民地主義の象徴である》。
『●「沖縄の施政権を日本から分断した4・28」から66年、
米軍属女性暴行殺人から2年…何が変わった?』
さらに、大変に恐ろしいことに、《メディアコントロール》の完成形は近い。
アベ様を批判することもできなくなっている。給付・休業補償もなく自粛だけが押し付けられ、一方、報道統制・メディア統制の惨状。…
稲垣太郎記者による、東京新聞による記事【「バリバラ『桜を見る会』」再放送差し替え NHKは圧力に屈したか】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202004/CK2020042902100028.html)によると、《差し替えられたのは「桜を見る会」の痛烈なパロディーで、二十三日の初回放送時から安倍政権支持者らが猛反発していた。NHKは「圧力はまったくなかった」としているが、本当か。(稲垣太郎)…現在、大阪日日新聞記者の相沢さんは「放送する番組を差し替えるなら、とっくの昔に判断して周知していなければならない。疑念を招かないようにしなければならない」と指摘した上で、「NHKは報道機関として取材相手に説明責任を求めるのだから、視聴者にも納得する説明責任を果たす義務がある」と話した。市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表で、東京大名誉教授(会計学)の醍醐聡氏は「これまで番組を改ざんしたり、取材や制作したのに放送してこなかったこともある。大災害が起きたわけでもないのに直前に番組を差し替えるのは不自然。政権の圧力に屈した可能性は十分ある」とした》。
斎藤美奈子さんは、《行動は自粛しても批判は自粛しちゃだめだ。緊急事態宣言の発令を歓迎している場合じゃない。ひるまず「マジか!」を続けよう》と。
『●《行動は自粛しても批判は自粛しちゃだめだ。緊急事態宣言の発令を
歓迎している場合じゃない。ひるまず「マジか!」を続けよう》』
『●《新型コロナウイルス禍の対応に尽力している政府は絶対の正義で、
社会防衛の前には人一人の命ごとき取るに足らないとでも言いたげ…》』
『●ドサクサ壊憲…《殺し合いを強いられる側が狂った火事場泥棒のシナリオ
に乗ってしまったら、取り返しのつかないことに》(斎藤貴男さん)』
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1114148.html】
<社説>4・28「屈辱の日」 自己決定権の確立急務だ
2020年4月28日 06:01
68年前のきょう、日本が独立した一方で、沖縄、奄美、小笠原は切り離された。日本の独立と引き換えに沖縄を米国に差し出した「屈辱の日」である。
1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条が分離の根拠となった。これにより米国は日本の同意の下で、他国に介入されることなく軍事基地を自由に使うようになった。米軍は「銃剣とブルドーザー」で農地を奪うなど、沖縄住民の基本的人権を無視した統治を敷いた。
沖縄の地位は植民地よりひどかった。3条は、国連に信託統治を提案し承認されるまで、米国は奄美以南の南西諸島で全権を行使できるとした。信託統治は、旧植民地などの地域の自治や独立に向け、国連の信託を受けた国が施政を行う制度で、人権や基本的自由の尊重も奨励している。
しかし沖縄は適用されなかった。このため米国は国連の定期視察を受けることなく軍事基地を拡大し、住民の人権より軍事を優先する施策を展開した。日本国憲法も適用されなかった沖縄では、住民の権利は大きく制限された。
その背景には、ダレス米国務長官が53年に宣言したブルースカイ・ポリシーがある。「東アジアの空に雲一つなく、平和と安全にいかなる脅威もなくなるまで沖縄は返還されない」という内容だ。
その後、国連が60年に植民地独立付与宣言を採択したことで状況が変わる。滅び行く信託統治制度の沖縄適用を前提とする3条は死文化したとの議論が起きる。米国が沖縄を支配する国際法上の根拠は失われ、この宣言を基に沖縄を無条件で解放すべきだという主張だ。
しかし65年、当時の佐藤栄作首相は、3条は暫定的なものではなく、米国は国際法上、沖縄を無期限に支配できるとの見解を示した。米国のブルーススカイ・ポリシーを事実上支持した姿勢で沖縄返還交渉に臨んだ結果、返還後も基地の自由使用は貫かれた。
72年の日本復帰後も沖縄の人々は基地の自由使用に抵抗し、抜本的な整理縮小や日米地位協定の改定を求めてきた。その意思を尊重せず「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする日米政府の手法は植民地主義だ。県内の主要選挙や県民投票で反対の意思を示しても建設工事が強行される辺野古新基地は、沖縄の人々の自己決定権を侵害する植民地主義の象徴である。
近年の書籍などでは、沖縄は復帰まで米国の信託統治下に置かれていたという誤った記述も散見される。「屈辱の日」にはどんな意味があり、それが今も続いていることを、もっと県外へ発信する必要がある。
基地があるため有事の際には標的になり命が脅かされ、平時は事件事故などで人権が侵害されている沖縄の今を方向付けた4・28を忘れてはならない。この状態を脱するには自己決定権の確立が急務だ。
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[※辺野古破壊の愚行を報じる朝日新聞(2018年12月15日)↑]
琉球新報のコラム【<金口木舌>ハンストと「普通の生活」】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-862708.html)。
日刊ゲンダイの書評【「辺野古 海と森がつなぐ命」中村卓哉著】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/245645)。
《「どうすれば沖縄の人々が普通に生活できる社会にできるのか」。…元山仁士郎さんが語った。命を奪われた、ほぼ同世代の女性を思い、祭壇に手を合わせていた ▼元山さんは現在「『辺野古』県民投票の会」代表を務める。県民投票への不参加を表明した5市に投票事務実施を求め、15日からハンガーストライキに入っている》。
《民意に反して普天間基地の移転を強引に進める政権は、ついに辺野古の埋め立て工事に着手し、青かった海は投入された土砂によって茶色く濁ってしまった。本書は、基地問題で揺れる辺野古のかけがえのない自然の豊かさを伝える写真集》。
(※沖縄タイムスの記事【「県民投票の会」元山氏のハンスト、ドクターストップ 105時間で終了】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/374469)によると、《「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表(27)が宜野湾市役所前で続けていたハンガーストライキが5日目の19日午後5時、ドクターストップで終了した。15日午前8時から始まった元山代表のハンストは105時間に及んだ》。
元山さん、お疲れ様でした。)
『●『DAYS JAPAN』(2015,APR,Vol.12,No.04)の
最新号についてのつぶやき』
「中村卓哉氏【[営みの地球]119 森からサンゴの海へ
辺野古の海の守り主】、「多様なサンゴと魚たちが織りなす鮮やかな
海中世界。何千年もの時を越えて湖の海を守り続けていたのは、
海を囲む豊かな森や川、小さな生き物たちの命の連鎖である。
辺野古を彩る、生命の記録」。そこに「コンクリートのブロック」・醜塊を
落とせる神経を疑う。こころ醜き人たち
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/7b9d3cfcd73bbbeb41cee2815f434d0d)」
『●自民党の武藤貴也衆院議員: 赤紙を送る側の(非)論理、
人殺しに加担させる側の(非)論理』
《◆「シールズ」学生ら反発 「みんなの思い」「全体主義見えた」
…「戦争が嫌だというのは、個人の考えだけでなく、みんなの思いでも
あるのに」。…元山仁士郎さん…があきれる。「個人が重んじられる
社会が許せないんでしょう。自民党の改憲草案にある全体主義的なものが
垣間見えた気がする」》
『●石垣島陸上自衛隊ミサイル部隊配備:
《菩提樹》を切り倒すのか? ささやかな願いさえも打ち砕くのか?』
《そんな後ろ向きな私の話はこの辺にして、今の勢いのある話をしよう。
県民投票を求める市民団体の中心に元シールズの元山仁士郎君を
はじめ若い人たちが入って、疲れた大人たちをしり目に今年の春から
独自に動き出したのだ。県内大手スーパーが賛同して各店舗の前で
署名活動ができ、これまで既存の辺野古反対運動の輪には入って
いなかった市民たちが一票を投じ始めた》
『●「普天間飛行場の辺野古移設問題」に非ず、
息吐く様にウソをついてでもな「辺野古の新基地建設」問題』
《そのために、安倍政権が保守系首長たちに反対するように強く圧力を
かけて、県民投票そのものを阻止しようとしているのだ。これに対沖縄県は、
投票に反対する自治体に成り代わって投票事務を行う方策を
探り始めている。さらに、「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎さんら
若者たちが、反対自治体の首長に対して県民投票実施のための申し入れを
行うなどの動きを活発化させている》
アノ無惨な光景…アベ様や最低の官房長官らが沖縄でやっていること、見るに堪えない。なんとしても《サディスティックな政治》(鈴木耕さん)に抗わなければ。「『辺野古』県民投票の会」代表の若者がハンガーストライキ…《沖縄で非暴力抵抗運動の歴史が若い世代に受け継がれている》。
東京新聞のシリーズ記事の一つ、望月衣塑子記者の記事【<税を追う>辺野古土砂含有率を無断変更 防衛省、回答拒否続ける】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019011802000131.html)によると、《沖縄県名護市辺野古(へのこ)の米軍新基地建設で、防衛省が埋め立て用土砂の成分比率を県に無断で変更していた問題などを巡り、十六日に野党の国会議員らによる現地調査が行われた。防衛省沖縄防衛局は「当時の担当者に確認できておらず答えられない」と繰り返すのみ。現地では「赤土が使われている」と疑念が広がる。県側は「埋め立てを強行し、基地の既成事実化を図るのは許せない」と反発を強めている。(望月衣塑子)》。
辺野古破壊…どこまでもデタラメ。
《『美しい国へ』…安倍首相率いる自公政権は、いまや美しい辺野古の海をぶち壊す…》(横田一さん)。《辺野古のかけがえのない自然の豊かさ》をぶち壊す、そのどの辺が〝美しい国〟なのか? 1日も早く、あの醜悪な光景・辺野古破壊を止めなければ…。
『●《『美しい国へ』(文藝春秋)を出版した安倍首相率いる自公政権は、
いまや美しい辺野古の海をぶち壊す…》』
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-862708.html】
<金口木舌>ハンストと「普通の生活」
2019年1月18日 06:00
元山仁士郎 県民投票 金口木舌
「どうすれば沖縄の人々が普通に生活できる社会にできるのか」。2016年6月、米軍属女性暴行殺人事件の遺棄現場で、当時シールズ琉球で活動していた元山仁士郎さんが語った。命を奪われた、ほぼ同世代の女性を思い、祭壇に手を合わせていた
▼元山さんは現在「『辺野古』県民投票の会」代表を務める。県民投票への不参加を表明した5市に投票事務実施を求め、15日からハンガーストライキに入っている
▼ハンストはマハトマ・ガンジーの断食に由来する非暴力抵抗運動だ。沖縄でも1960年代、教育公務員特例法など2法を阻止する運動で教師らがハンストを行った。沖縄県祖国復帰協議会も沖縄の無条件復帰を求め、沖縄や東京でハンストをした
▼近年は2013年にオスプレイ配備反対を訴えて市民がハンストに取り組んだほか、今年1月に市民団体が元山さん同様に県民投票の実施を求めて宜野湾市役所前で72時間のハンストをした
▼元山さんの行動は、沖縄で非暴力抵抗運動の歴史が若い世代に受け継がれていることを示す。同時に基地問題を巡る沖縄の状況が変わっていないことの表れでもある
▼ガンジーの命懸けの行動で、インドは英国から独立を勝ち取った。一方、沖縄で「普通に生活できる社会」はいつ訪れるのか。全県民に投票する権利を保障することが、その一歩になるのではないか。
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/245645】
GRAPHIC
「辺野古 海と森がつなぐ命」中村卓哉著
2019/01/18 06:00
民意に反して普天間基地の移転を強引に進める政権は、ついに辺野古の埋め立て工事に着手し、青かった海は投入された土砂によって茶色く濁ってしまった。
本書は、基地問題で揺れる辺野古のかけがえのない自然の豊かさを伝える写真集。
ニュースで目にする米軍のキャンプ・シュワブがある辺野古崎と対岸の安部崎に抱かれるように広がる大浦湾には、さまざまなサンゴが群生し、生き物たちの楽園となっている。この豊かな海をつくり出したのは、島の東海岸北部に残る地元の人たちの言葉で「ヤンバル(山原)」と呼ばれる広大な森だ。遠くこの森から川を通じて運ばれたプランクトンが、海の多様な生き物たちを育んできた。カメラはまず、大浦湾に注ぎ込む大浦川をその源流へと遡る。
やんばるの森は、1億年前の恐竜時代から生息するシダの仲間ヒカゲヘゴで覆われている。みずみずしい葉を広げたその美しい立ち姿とは対照的に、ヒカゲヘゴの新芽は古生代から生き抜いてきた植物ならではのワイルドさを身にまとい個性的だ。
人間がめったに踏み込むことがない手つかずの森は、南国らしいカラフルな色彩の昆虫や花々をはじめ、地表から川の中まで、ありとあらゆる命にあふれている。
森の栄養分をたっぷりと含んだ川が海に注ぎ込む河口部には、広大なマングローブの林が広がる。
マングローブは、大雨の時に山から海に流れ出ようとする赤土をせき止めたり、海からの潮風を弱めて山の木々が枯れないようにする役割を果たすとともに、多くの動物たちを守っている。
マングローブの干潟から続く浅瀬の海でも独自の生態系が構築され、沖縄本島ではここ大浦湾にしか生息していないと思われるネオンテンジクダイや栄養豊富な砂地にしか生息できない羽ペンのような形状の不思議な生き物「ウミエラ」などが観察できる。
特筆すべきは、やはり絶滅危惧種のジュゴンの存在だろう。写真には写っていないが、海の中の海藻の草原には、ジュゴンが確かにここにいることを証明するかのように食痕が残されている。
浅瀬の海の先にはサンゴ礁が広がり、海の中は一段と透明度とその青さを増す。沖縄でもまれなテーブルサンゴの大群生や、海中に山脈のようにそびえる絶滅危惧種のアオサンゴの大群落、幻想的な風景をつくり出すハマサンゴ(表紙)など、さまざまな種類のサンゴが競演。辺野古には水深20メートルを超える場所にも無数のサンゴが群生しており、湾の全容は計り知れないという。
テーブルサンゴは、満月の夜に同時に産卵する。バンドルと呼ばれる精子と卵子の入ったピンク色のカプセルが海中に一斉に放出された風景は、さながら宇宙空間の星のまたたきのようだ。
サンゴ礁をすみかとする魚たちの美しい姿も一つ一つ丹念に紹介。
基地問題や政治に関する記述はまったくないが、一枚一枚の写真が豊かな辺野古の自然のかけがえのなさを伝える。
(クレヴィス 2315円+税)
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琉球新報のコラム【<金口木舌>「復帰の日」の色】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-718776.html)と、
【<社説>日本復帰46年 沖縄振興の根本的転換を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-718771.html)。
東京新聞の社説【沖縄きょう復帰の日 野中氏の思い胸に刻む】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051502000152.html)。
《2013年に急逝した歌手大瀧詠一さんの代表作「君は天然色」の一節「想い出はモノクローム 色を点(つ)けてくれ」を時々口ずさむ。明るい曲調に乗せた松本隆さんの歌詞は1980年代の空気を思い出させる…▼「日本復帰の日」を記録した本紙の写真もモノクロだった》。
《1972年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。その前年の71年11月、沖縄国会と言われた第67臨時国会に、琉球政府の屋良朝苗行政主席は復帰措置に関する建議書を提出した。建議書は「はじめに」の項で「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ》
《野中広務さん…◆妹失った県民の叫び 那覇から嘉数の丘に向かう途中で、野中さんが生涯、胸に刻み続けた出来事に遭遇します。タクシーが宜野湾に差し掛かると、サトウキビ畑の中で急停車し、運転手が肩を震わせて叫んだのです。 「お客さん、あそこで、私の妹は殺されたんです。アメリカ軍にじゃないんです」 それは、野中さんも属した日本軍が、沖縄県民の殺害に関与していた衝撃の事実でした》。
『●「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲?…
「憲法9条…軍隊は禁止…子どもたちに、うそはいけない」』
沖縄タイムス【社説[復帰46年 自治]沖縄は今も憲法番外地】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/251151)によると、《復帰を2日後に控えた1972年5月13日、行政府ビル(現在の県庁)前で、琉球政府の閉庁式が行われた。屋良朝苗主席は、およそ千人の職員を前にあいさつし、自治への期待を熱く語った…だが、復帰は他府県と同様の「自治」を実現するものではなかった》。
《「自治と自立」の実現であり、「人権と尊厳」の確立》のはずが…。《基地のない平和の島としての復帰》には、ほど遠い現実…。《「いつか来た道」を再び歩まないためにも》…ほど遠い現実…。
モノクロから「天然色」に変わっても、現実は…。《この国を時代遅れのカーキ色に染める気らしい》…その典型が永続的な沖縄差別・イジメ。《安倍晋三首相自らが平和憲法の九条改憲論を提唱する時代》は古色蒼然としている。
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-718776.html】
<金口木舌>「復帰の日」の色
2018年5月15日 06:00
大瀧詠一 君は天然色 モノクロ カラー 日本復帰 米朝首脳会談 金口木舌
2013年に急逝した歌手大瀧詠一さんの代表作「君は天然色」の一節「想い出はモノクローム 色を点(つ)けてくれ」を時々口ずさむ。明るい曲調に乗せた松本隆さんの歌詞は1980年代の空気を思い出させる
▼モノクロが中心だった家族写真がカラーになるのは70年代半ばだった。今はデジカメの時代。富士フイルムは先月、モノクロフィルムの販売終了を発表した。思い出を刻んだフィルムがなくなるのは惜しい
▼「日本復帰の日」を記録した本紙の写真もモノクロだった。古い紙面を見て、この日の色を想像する。激しい雨を降らせた空は鉛色、抗議集会を開いた与儀公園の地面は赤茶色だったろうか
▼時代は激しく動いている。朝鮮半島の2国が融和に向けて動きだした。来月は米朝首脳会談だという。海の向こうの激動を報じる紙面は刺激的な色を放つ。さて日本はどうか
▼セクハラに絡む暴言を吐く大臣がいる。疑惑に対する国民の憤りに背を向ける首相がいる。そんな政府が憲法を変え、沖縄に新基地建設を強いる。この国を時代遅れのカーキ色に染める気らしい
▼46年前のきょう、本紙は「変わらぬ基地 続く苦悩/いま 祖国に帰る」という見出しを掲げた。紙面ににじむ怒りと悲しみを希望に塗り替えることが復帰後の県民の歩みだった。これからも絵筆を握ろう。たとえ困難な作業だとしても。
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-718771.html】
<社説>日本復帰46年 沖縄振興の根本的転換を
2018年5月15日 06:01
日本復帰 屋良朝苗 米軍普天間飛行場 名護市辺野古 新基地建設 県民所得 一括交付金 沖縄振興 社説
1972年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。その前年の71年11月、沖縄国会と言われた第67臨時国会に、琉球政府の屋良朝苗行政主席は復帰措置に関する建議書を提出した。建議書は「はじめに」の項で「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ。
復帰後も改善されない最も大きな障害は米軍基地の存在だ。在日米軍専用施設の集中度は復帰時の約75%から約70%に減るにとどまり、整理縮小は進んでいない。2016年の米軍属女性暴行殺人事件、米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの名護市安部墜落、17年の普天間第二小学校への米軍ヘリ窓落下事故など事件事故が頻発し、県民の命が脅かされている。
しかし基地の負担を軽減するどころか、安倍政権は普天間飛行場の名護市辺野古への新基地建設を強行している。沖縄県知事が明確に反対し、新基地建設の賛否が争点となった全県選挙ではほぼ反対の候補者が当選した。建議書が掲げた「地方自治の確立」は、新基地建設を強行する政府によって妨げられている。
建議書は「県民本位の経済開発」も掲げた。本土に比べて大きく立ち遅れた沖縄の振興策として、約10兆円の「振興開発費」が投下された。確かに道路や港湾などインフラは大きく進んだ。
しかし県民所得は全国平均の約7割、失業率は全国ワーストといった貧しさの部分は解消していない。子どもの貧困率は全国平均の2倍に上る。保育サービスが貧弱で、待機児童が多く、保育料は高い。離島の過疎化も深刻だ。過去の沖縄振興は社会資本整備に偏り、教育福祉施策を充実させる努力を怠ってきた。沖縄振興の仕組みを根本から見直す必要がある。
12年に始まった沖縄振興一括交付金は、地域主権に基づいた沖縄の裁量による予算との当初の意義付けは失われ、基地政策の見返りで予算の多寡が決まる、国にとって都合のよいものとなってしまった。それが沖縄振興のゆがみを増幅している。
復帰と同時に始まった沖縄振興開発特別措置法に基づく沖縄振興計画は第5次の折り返し点を過ぎた。私たちは第5次の終わりと、次の沖縄振興の仕組みを真剣に論議し、真の「県民本位の経済開発」を考えねばならない時期に来ている。
建議書が挙げた新生沖縄像は、国家に押し付けられるのではなく、自らの未来を自らが決めるという姿だ。苛(か)烈(れつ)な沖縄戦と米国統治による圧政を経験した呻吟(しんぎん)の中から生み出された県民全体の願いと言えよう。自立と自律。これを実現することこそ、次世代に対する私たち世代の責任だ。
沖縄自治構想会議は「沖縄エンパワーメント」と題した構想を発表し、沖縄振興と自治の在り方の根本的転換を提唱している。沖縄の将来について考える日としたい。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051502000152.html】
【社説】
沖縄きょう復帰の日 野中氏の思い胸に刻む
2018年5月15日
沖縄に思いを寄せる政治家がまた一人この世を去りました。自民党幹事長や官房長官を務めた野中広務さん。その半生は沖縄の苦難の歴史と重なります。
今年一月二十六日、九十二歳で亡くなった野中さんが初めて沖縄の地を踏んだのはまだ三十代だった一九六二年。京都府園部町長としてパスポートを携えて米軍統治下の沖縄を訪れたのは、宜野湾市の「嘉数の丘」に、京都府出身の戦没者を慰霊する「京都の塔」を建てるためでした。
米軍普天間飛行場を望む高台は太平洋戦争末期の沖縄戦の激戦地。京都府出身の犠牲者二千五百四十五人のほとんどが、この高台で亡くなりました。
◆妹失った県民の叫び
那覇から嘉数の丘に向かう途中で、野中さんが生涯、胸に刻み続けた出来事に遭遇します。タクシーが宜野湾に差し掛かると、サトウキビ畑の中で急停車し、運転手が肩を震わせて叫んだのです。
「お客さん、あそこで、私の妹は殺されたんです。アメリカ軍にじゃないんです」
それは、野中さんも属した日本軍が、沖縄県民の殺害に関与していた衝撃の事実でした。
野中さんの生前の回想によると運転手は一時間ほど、ハンドルに泣き崩れたままだったそうです。
ようやく涙が収まったとき、野中さんはその運転手に「気の毒でしたね。ひどいことが行われたんですね」と声を掛けるしかなかった、といいます。
沖縄は日本国内最大の地上戦の戦場でした。当時六十万県民の四分の一が犠牲になり、親しい人を失った悲しみと、今もなお米軍基地の負担と重圧に苦しむ県民の苦悩が、野中さんを沖縄と深く結びつけることになります。
野中さんはその後、京都府の府議や副知事を経て、五十七歳で衆院議員に当選します。
◆軍靴で踏みにじるな
国会議員としては遅咲きですが「政界の狙撃手」と呼ばれる辣腕(らつわん)ぶりで、田中派から橋本派へと続く当時の自民党最大派閥の中で実力政治家として頭角を現します。
初めて閣僚に起用された村山富市内閣の自治相として阪神大震災やオウム真理教事件に対応し、政治手腕をいかんなく発揮します。
しかし、沖縄のことが頭から離れることはありませんでした。
九七年のことです。野中さんは楚辺通信所(読谷村)の使用期限切れを契機に、期限後も米軍用地の暫定使用を可能にするための改正米軍用地特別措置法案を審議する衆院の特別委員長でした。
委員長は委員会での審議結果と経過を本会議で報告します。通常は用意された文書を読み上げるだけですが、野中さんは壇上で突然脳裏に蘇(よみがえ)ったタクシー運転手の叫びを紹介し、こう続けたのです。
「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないように
してほしい。そして、多くの賛成で可決されようとしているが、
『大政翼賛会』のような形にならないように若い方々にお願いしたい」
この発言は特措法改正のために当時第一党と第二党だった自民、新進両党が手を結んだことを、大政翼賛会にたとえてけん制したものでした。批判勢力を排除し、沖縄に安全保障の負担を押し付ける政治の在り方が、戦前・戦中と重なったのでしょう。
沖縄県はきょう本土復帰から四十六年を迎えました。苛烈な米軍統治は終わりましたが県内には在日米軍専用施設の約70%が残ります。米軍による訓練や運用中の事故や騒音、米兵らの事故や事件も後を絶たず、県民は重い基地負担を強いられています。
危険な普天間飛行場返還のためとはいえ、名護市辺野古という同じ県内への移設では県民の基地負担は抜本的には軽減されません。
米兵らの特権的な法的地位を定めた日米地位協定の存在は、日本国憲法が沖縄では厳格適用されていない、との疑念も生みます。
沖縄では今もなお「戦争」は身近な存在としてあるのです。
◆遺骨の一部を沖縄に
野中さんは生前、本紙の取材に「沖縄を忘れることは第二次世界大戦を忘れることだ。戦争の恐ろしさを忘れないためにも、沖縄のことを絶対に忘れてはいけない」と語っています。
自分の子どもたちには「私が死んだら、遺骨の一部を嘉数の丘の慰霊塔に納めてほしい」と託しました。ゆかりの人たちが沖縄を忘れないために、だそうです。
時を経るにつれ、戦争体験世代は政界を去り、沖縄に思いを寄せる政治家も少なくなりました。自衛隊の増強が続き、安倍晋三首相自らが平和憲法の九条改憲論を提唱する時代です。
「いつか来た道」を再び歩まないためにも、野中さんの思いを私たちも胸に刻まねばなりません。
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琉球新報のコラム【<金口木舌>戦場と日常の境目】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-706997.html)。
沖縄タイムスの赤嶺由紀子さんのコラム【[大弦小弦]鎌倉市の高校生から手紙が届いた。以前、修学旅行で沖縄を…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/242696)。
《▼戦場につながる米軍基地のそばで暮らす意味を、今後も問わねばならない。沖縄の施政権を日本から分断した「4・28」からもうすぐ66年。元海兵隊員によって若い女性の命が奪われた日から2年となる。》。
《▼「ここに落ちたのかと呆然(ぼうぜん)としたと同時に基地が近くにある恐怖を身にしみて感じた」。米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小に立ち寄った感想だ。現場に行くことの意味も分かったとも》。
『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経』
『●いい加減に学ぼう: 「白紙委任状をもらった」と
アベ様に勘違いさせるようなことをやってはいけない』
《4月28日の日米首脳会談で、安倍首相は米軍普天間飛行場の
辺野古移設を約束してきた。当然、沖縄の反発はすさまじい。
もともと28日は沖縄にとって特別な日だ。サンフランシスコ講和条約で
本土から切り離され、米施政権下に置かれた「屈辱の日」と呼ばれている。
県庁前や辺野古周辺では大規模な抗議活動が行われた。
そんな日に沖縄を売ってきたのだからヒドイものだが、
この政権の大ボラ政治は沖縄に限らず、アチコチで行き詰まっている》
沖縄の「屈辱の日」「4・28」、そして、遺族の願いとはほど遠い現実が見せつけられる、米軍属女性暴行殺人から2年。
『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…』
『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる
…「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」』
「散々に、「思いやら」されて、その挙句、またしても「肝苦(ちむぐり)さ」…。
「どうぞ番犬様は撤退してください」
「われわれはカネを出さない。どうぞ米軍は撤退してください」。
「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる…
「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」。それしかありません。
《基地撤去こそが最も有効な再発防止策》」
『●「捨て石」: 「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…
「第二の加害者」は、あなたたちです。」』
《翁長雄志知事は平和宣言で、米軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に
言及し、日米地位協定の抜本的な改定を要求した。恒久平和を誓う
宣言で協定改定を求めるのは異例》
『●遺族の願いとはほど遠く、より悪くなる一方の沖縄の現実…
《再び事件を起こさせない社会》にはほど遠い』
《再び事件を起こさせない社会に一歩でも近づけただろうか。
元海兵隊員で米軍属による女性暴行殺害事件から1年。
割り切れない思いが募る》。
《事件から1年。父親は今も娘を思い、手を合わせ供養する毎日。
娘には「痛く苦しい思いをさせてしまったね」「でも今は安らかに眠ってね」
と伝えたいと記した。》
そして、「本土」が理解しない異常な現実。さらに、重い現実…《戦場につながる米軍基地のそばで暮らす意味を、今後も問わねばならない》。
『●「本土」のデマ・ヘイトなオトナ達…
《子どもたちの日常にある「異常」を放置しているのはだれなのか?》』
《事実かどうかは二の次。弱い立場の者を「敵」に仕立てて暴言を吐く。
基地に反対する沖縄の人たちを一方的にたたき、留飲を下げる。
基地問題でヘイトスピーチ(憎悪表現)まがいの言説があからさまに
表面化したのは13年1月。全市町村長らがオスプレイ配備の撤回などを
求め、東京・銀座でデモ行進した。沿道から浴びせられたのは
「売国奴」「中国のスパイ」などの罵声だった》
『●「米軍機接近による児童の避難は…39日間に合計242回」、
「最も多い日は一日に29回」…異常な現実』
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-706997.html】
<金口木舌>戦場と日常の境目
2018年4月25日 06:00
米軍属女性暴行殺人 ベトナム戦争 海兵隊 米軍基地 屈辱の日
ベトナム戦争を描いたスタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」に、米海兵隊の新兵をしごくハートマン軍曹が登場する。無垢(むく)な青年を、躊躇(ちゅうちょ)することなく敵を撃つ兵士に仕立てる
▼鬼軍曹の繰り出す叱声(しっせい)と罵倒は下品で、詳しく紹介することはできない。一端を記せば、彼は新兵を「ウジ虫」と呼び、訓練では「俺たちの商売は殺しだ、殺しだ」と連呼した。この環境で正気を保つことは難しい
▼軍曹を演じた俳優R・リー・アーメイさんが15日に亡くなったと共同通信が伝えた。彼は実際に海兵隊員だった。新兵の教育に当たり、ベトナム戦争に派遣された。沖縄にも駐留した経験がある
▼本人のホームページやインタビュー記事によると、11年間の軍歴のうち2度、沖縄で勤務している。負傷し退役した後、沖縄でパブを営んだという。彼の目に、沖縄の風景や人々はどう映ったか
▼映画の中で軍曹は「戦場で生き残りたいと思うなら、殺りく本能を研ぎすますことだ」と新兵に迫る。そのように育てられた兵士が戦場の狂気と日常の境目を見失ったとき何が起きるか。私たちは体験済みだ
▼戦場につながる米軍基地のそばで暮らす意味を、今後も問わねばならない。沖縄の施政権を日本から分断した「4・28」からもうすぐ66年。元海兵隊員によって若い女性の命が奪われた日から2年となる。
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【http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/242696】
[大弦小弦]鎌倉市の高校生から手紙が届いた。以前、修学旅行で沖縄を…
2018年4月25日 07:21 赤嶺由紀子
鎌倉市の高校生から手紙が届いた。以前、修学旅行で沖縄を訪れた際、弊社で受け入れた記者体験プログラムに参加した縁で。読谷村での取材帰り、中部地域の米軍基地周辺も案内した
▼嘉手納、北谷、宜野湾とフェンス沿いに基地がいや応なく目に飛び込んでくる。沖縄好きの両親と一緒に家族旅行で何度も沖縄を訪れているという彼だが、これほど基地が多かったかと驚いていた
▼「ここに落ちたのかと呆然(ぼうぜん)としたと同時に基地が近くにある恐怖を身にしみて感じた」。米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小に立ち寄った感想だ。現場に行くことの意味も分かったとも
▼車中のおしゃべりで、集中する基地をどう思うかと問うと、うつむき加減で即答はなかった。だが、手紙には「現場をみて重大な問題と思った」「もっと勉強して自分の意見を持ちたい」と思いがつづられていた。頼もしくもありうれしくもあった
▼名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前では新基地建設に反対する「連続6日間行動」が始まった。資材搬入を止めようと、暑い日も雨の日も行動は続いてきた。現場に身を置けばその思いを共有できる
▼先述の彼の将来の夢は外交官。多くの人と話すことが記者の仕事と同じだと言い、基地問題の解決にもつなげるようにしたいと。現場が教えてくれることは多い。(赤嶺由紀子)
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日刊ゲンダイの記事【安倍政権が米国誘導 日米共同声明「辺野古が唯一」の実態】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/199446)。
《ただ、大メディアの報道を見ると、米国がさも「辺野古」を望んでいるかのように思うが、実態は怪しい》。
『●普天間移転「空想のような見通し」の結論…
《いい正月になる》仲井真弘多氏もアベ様らも猿芝居をしていた』
《辺野古への移設が唯一の解決策》という呪文しか唱えない、アベ様や最低の官房長官=沖縄負担軽減担当相のスガ殿。で、その結果、現場では何が起きているか? 高江での無惨な「穴」(しかも、手抜きな突貫工事)に続き、美しき海に大量のコンクリートブロックを不法投棄し、辺野古破壊を再開。選挙でいくら沖縄の人々が辺野古破壊反対の判断しても、最「低」裁を頂点とした司法は「政治判断」を繰り返すばかり。
普天間の運用停止について、「アベ様らは《まともに対米交渉をしたこともな》く、《政府自らの責任を棚に上げ》し、《実現できないのは辺野古新基地建設に反対している知事のせいだと責任を転嫁》しているのです」。さて、米国側は《▽マティス 普天間の移設先の施設を整備する努力を続けることに合意いたしました。これは現在の海兵隊の普天間飛行場をアメリカが日本に返還する唯一の解決策であります》とあり、そこには、辺野古の「へ」の字もない。《安倍政権のままでは沖縄県民は永遠に報われない》、日刊ゲンダイの記事の言う通り。
一方、それにしても以下はあまりに酷い。
目取真俊さんのブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/こういう連中のために新たな基地を造ってやるのか。】(http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/4bc5f3d6a45d81bd287b2097dd12b492)には、《昨年4月に名護市出身の女性を殺害した元海兵隊員の米軍属が、被害者の女性に責任転嫁する見解を示している。15日は朝っぱらから怒りと不快感を駆り立てる記事を目にして辺野古に向かった》…とある。
琉球新報の【米軍属暴行殺人 「彼女が悪かった」被告、弁護士に話す】(http://ryukyushimpo.jp/news/entry-444823.html)によると、《米軍属女性暴行殺人事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪で起訴されている元米海兵隊員の…被告(33)が犯行について「(事件が起きたあの場所に)あの時居合わせた彼女(被害女性)が悪かった」との認識を示していることが14日、分かった。13日付の米軍準機関紙「星条旗」が被告の弁護人を務める高江洲歳満弁護士を通じて同被告の見解を報じた。被害女性への責任転嫁とも受け止められる認識に、女性団体などは反発を強めている》…そうだ。
『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…』
『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる…
「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」』
『●遺族の願いとはほど遠い現実…
「沖縄に米軍基地があるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を…」』
稲嶺進さんは「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」と仰ったそうです…しかし、これでは、《風かたか》になりようもない。普天間に巣食う番犬様には、本国にお引き取り頂く、それが「唯一の解決策」。
『●映画タイトルは、稲嶺進さんが「我々は、
また命を救う《風かたか》になれなかった」という嘆きの言葉」から』
《三上智恵監督の新作映画『標的の島 風かたか』の試写に行ってきました。
前作の『戦場ぬ止み』から2年近く。その2年の沖縄の状況が、
あますことなく描かれた映画》。
「《稲嶺進・名護市長が口にした「我々は、また命を救う“風かたか”に
なれなかった」という嘆きの言葉から》映画のタイトルは採られたそうだ。
《沖縄のことばで「風よけ」のこと》だそうです。
番犬様には何も言えないアベ様ら。一方で、番犬様にシッポを
振るために沖縄でやっていることは、「沖縄イジメ」そのもの」
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【http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/199446】
安倍政権が米国誘導 日米共同声明「辺野古が唯一」の実態
2017年2月14日
(マティス米国防長官は「辺野古」とは言っていない(C)AP)
沖縄の米軍普天間基地の移設について、日米首脳会談の共同声明に「辺野古が唯一」と盛り込まれた。先に来日したマティス国防長官と稲田防衛相との会談で確認されたものが、そのまま共同声明となったわけだ。
ただ、大メディアの報道を見ると、米国がさも「辺野古」を望んでいるかのように思うが、実態は怪しい。というのも、4日の共同記者会見での稲田防衛相とマティス国防長官の言葉遣いが微妙に違うのだ。
▽稲田 私から、普天間飛行場の一日も早い移設と返還を実現する必要が
ある旨お伝えし、マティス長官とは辺野古への移設が
唯一の解決策であり、引き続き協力することで一致いたしました。
▽マティス 普天間の移設先の施設を整備する努力を続けることに
合意いたしました。これは現在の海兵隊の普天間飛行場を
アメリカが日本に返還する唯一の解決策であります。
2人とも「唯一」とは言っているものの、マティスは「辺野古」の「へ」の字も言っていない。
沖縄の民意は「辺野古の新基地建設に反対」で変わらず、米国は沖縄で反対運動が続いていることを知っている。普天間基地返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補ですら、かつて琉球新報の取材に「沖縄の人々の支持が得られないなら、米政府はおそらく再検討しなければならないだろう」と言い、アーミテージ元国務副長官も「日本政府が別のアイデアを持ってくれば、私たちは耳を傾ける」と発言していた。辺野古にこだわっているのは、米国ではなくむしろ日本政府なのだ。
シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」の猿田佐世事務局長は言う。
「日本政府はトランプ氏に従来の日米外交の踏襲を訴え続け、
抱きつき心中のごとく、世界が批判する入国禁止令にもノーコメントを貫き、
既存の日米安保体制にトランプ氏を引き戻しました。本来は、新しい外交の
余地が生まれていたのですから、例えば、トランプ氏に、
『メーク・アメリカ・グレート・アゲイン』には沖縄の新基地は必要ないなど、
新たな交渉をすべきだったのですが……」
安倍政権のままでは沖縄県民は永遠に報われない。
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琉球新報の社説【<社説>米軍属事件半年 小手先の策では防げない】(http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-397471.html)。
沖縄タイムスの玉寄興也記者によるコラム【[大弦小弦]逮捕から半年。元米兵暴行殺人事件で、被害者の父親が・・・】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/71941)。
《「なぜ殺されなければならなかったのか」。娘を失った父の悲痛な訴えは、そのまま基地被害を受け続ける沖縄社会に、繰り返される事件を防げない日米両政府に投げ掛けられた重い問いだ》。
《▼「米兵がらみの事件や事故が起こるたびに二度と繰り返さないと誓うが、いまだに政治は問題を解決できていない」。… ▼父親の手記は最後に「沖縄に米軍基地があるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を県民として願う」と訴える。吉田さんは「根本的な解決にはそれしかない。政府はごまかしている」》
《遺族の願いとはほど遠い現実》…《沖縄に米軍基地があるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を…》。
これまでに、アベ様や最低の官房長官=沖縄負担軽減担当相のスガ殿、「差別と断定できない」鶴保庸介沖縄担当相ら、米軍属女性暴行殺人事件後に、一体何をやったの? 「改善」に向けて一体何の進展があったの? 「本土」マスコミも、もうすでに忘却?
アベ様らに残された「選択肢は一つしかない」はず、だというのに、見て見ぬふり。例えば、司法までもが賛同し、「辺野古が唯一の解決策」なんて寝言を言う始末。「沖縄差別」「住民分断」の究極の姿。
『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…』
『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる…
「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」』
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【http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-397471.html】
<社説>米軍属事件半年 小手先の策では防げない
2016年11月20日 06:02
「なぜ殺されなければならなかったのか」。娘を失った父の悲痛な訴えは、そのまま基地被害を受け続ける沖縄社会に、繰り返される事件を防げない日米両政府に投げ掛けられた重い問いだ。
恩納村の雑木林で若い女性が無残な姿で見つかった米軍属女性暴行殺人事件で、元米海兵隊員の軍属ケネス・フランクリン・シンザト(旧姓ガドソン)被告が逮捕されてから半年が過ぎた。
半年で何かが変わったのだろうか。
事件は沖縄の人々に大きな衝撃と怒りを与え、そして自責の念を生んだ。若い女性の命を守れなかったつらさと、1995年の少女乱暴事件以降も繰り返される米軍関係者による事件を防げなかったことへの悔いだ。
6月19日の県民大会には主催者発表で約6万5千人が集まり、海兵隊の撤退や、米軍関係者に特権的地位を与える日米地位協定の抜本的改定を要求した。
沖縄の怒りに対し、日米両政府は火消しに躍起となり、安倍晋三首相は三重県でのオバマ大統領との会談で再発防止を求めた。
しかし日米両政府が示す再発防止や綱紀粛正の策は小手先だった。
在沖米軍は哀悼期間の約1カ月間、夜間外出や基地外飲酒を禁止した。しかし期間中にも米軍人が飲酒運転で国道58号を逆走するなどの事件が起き、哀悼期間後は米軍関係者による傷害事件などが発生している。
地位協定も軍属の範囲を狭めるだけの議論に終始し、しかもいまだ「補足協定」も締結されていない。
政府が設置した「沖縄・地域安全パトロール隊」も65台態勢と、予定する100台に届かない。しかも米軍関係者による事件事故が多い深夜には実施されず、効果は疑問視されている。警官100人増員も間に合わず、来年以降、県外からの応援で対応する。
狭い沖縄に4万7千人以上の米軍人、軍属、その家族が住む。集中する米軍基地は沖縄本島の約18%を占める。住民と軍隊があまりに近い沖縄で、「綱紀粛正」を何度繰り返しても事件は起きる。
被害女性の父は手記で、事件を「沖縄に米軍基地があるがゆえに起こる」とし、「一日も早い基地の撤去を」と願った。遺族の重い問いに日米両政府は応えるべきだ。
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【http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/71941】
[大弦小弦]逮捕から半年。元米兵暴行殺人事件で、被害者の父親が・・・
2016年11月20日 09:55玉寄興也 元米兵事件・事故 米軍軍属
逮捕から半年。元米兵暴行殺人事件で、被害者の父親が手記を寄せた。被告への強い怒り、癒えぬ悲しみ、「大事な一人娘」への深い愛情を振り絞るようにつづっている
▼「なぜ娘が」。突然、娘が殺されたことを受け止められず、気持ちの整理がつかないことに胸が痛む。「私達遺族にはいかなる言い訳も通用しません、被告人は人ではありません」と極刑を望んでいる
▼金武町の吉田勝廣さん(71)は、被害者の遺体が発見された恩納村の現場へ6日に1度行く。花をたむけ、手を合わせ、献花台の周りを掃除する。事件を忘れないため、だ
▼「米兵がらみの事件や事故が起こるたびに二度と繰り返さないと誓うが、いまだに政治は問題を解決できていない」。町長や県議など23年間、政治に関わってきた吉田さんは、自分自身にも問い掛けている
▼父親の手記は最後に「沖縄に米軍基地があるゆえに起こる。一日でも早い基地の撤去を県民として願う」と訴える。吉田さんは「根本的な解決にはそれしかない。政府はごまかしている」
▼1995年の米兵暴行事件後、日米両政府は普天間飛行場の返還に合意したが、何も変わっていない。今回の殺人事件でも、政府はパトロール強化に向け、県警の定員100人増とパトカー20台増を決めただけだ。遺族の願いとは、ほど遠い現実がある。(玉寄興也)
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琉球新報の社説【<社説>防犯要員を警備に 県民の安全より弾圧優先か】(http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-318099.html)。
《防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員を基地建設の抗議行動の警備要員に充てる計画を進めている》。
《県民の安全を守るために派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧する任務を担う》…究極の差別。やることなすこと無茶苦茶、バカにするにもほどがある。「沖縄差別」「住民分断」「捨て石」に苦しむ沖縄の皆さんの「怒り」を足蹴にする蛮行。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…「第二の加害者」は、あなたたちです。」 …でも、2016年7月参院選では、アベ様やニッポン本土の皆さんにはその自覚は無かったようですし、その結果がこのあり様。あまりに酷すぎる。
辺野古破壊の際の「海猿」こと「海のイヌ」も酷かったが、《防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員》《沖縄・地域安全パトロール隊》も、心痛まないのだろうか、沖縄市民を虐めて? 社説の云う通り《沖縄・地域住民弾圧隊》なんて、恥ずかしくないのだろうか?
『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」』
『●沖縄と報道カメラマン・石川文洋さん』
『●「百田氏や自民党議員からの圧力はすべてのメディアの
言論の自由に対する挑戦・・・危機感を共有して」!』
『●沖縄差別は続く: 黙殺により、「『日本を取り戻す』の中に
沖縄は入っていない」ことをアベ様が表明』
『●沖縄差別:目取真俊さん「多くの日本人が
その嘘っぱちを信じている、というよりも、信じたいんでしょう」』
『●一体何をどれ程「思いやらされている」?…
「われわれはカネを出さない。どうぞ米軍は撤退してください」』
『●翁長雄志知事、再度の決意表明:
「安倍晋三首相は「急がば回れだ」と言うが…政府の選択は誤りだった」』
『●「どうぞ米軍は撤退してください」:散々「思いやら」されて、
そしてまたしても「肝苦(ちむぐり)さ」…』
『●「落とした魂(マブイ)」を探しに、なんて悲し過ぎる
…「選択肢は一つしかない。沖縄から去ることだ」』
『●「…は沖縄県民の耳には「期待するな」
「何も改善しない」と冷たく翻訳」…中央政府の体をなしていない』
『●「日本政府による命の二重基準」にウンザリ:
「日米両政府の空虚な言葉」は不要、基地撤去が抜本対策』
『●「沖縄には明らかにおかしな新聞がある。
本当に潰れた方がいい」…自民党には「ロクなヤツがいない」』
『●沖縄市民の民意: 民意を何度明確にすれば、
アベ様や最低の官房長官らは理解しようとするのか?』
『●「捨て石」: 「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん
…「第二の加害者」は、あなたたちです。」』
《安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の
「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合って
いただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。
パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。
ばかにしないでください》。
(東京新聞【沖縄県民大会 玉城愛さんスピーチ全文 本土も「第二の加害者」】
(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062102000122.html)より、
⇒ ※コチラ)
『●映画『標的の村』監督・三上智恵さん、
「わずか9時間の歓喜 ~高江工事再開・民意圧殺の朝~」』
『●「在日沖縄人」石川文洋さんの写真集
『基地で平和はつくれない――石川文洋の見た辺野古』』
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【http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-318099.html】
<社説>防犯要員を警備に 県民の安全より弾圧優先か
2016年7月17日 06:02
防衛省は米軍属女性暴行殺人事件を機に、沖縄に派遣した防犯パトロールの職員を基地建設の抗議行動の警備要員に充てる計画を進めている。派遣先は米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の現場と米軍北部訓練場の一部返還に伴うヘリパッド建設現場だ。県民の安全を守るために派遣されたはずの職員が基地建設に抗議する住民を鎮圧する任務を担う。これを茶番と言わずして何と言おう。
派遣職員は防衛省の本省から約10人、全国7地方防衛局から約50人の計約60人だ。米軍属の事件を受けて政府が再発防止策で創設した「沖縄・地域安全パトロール隊」として夜間巡回に従事するのが本来の目的だった。
ところが、防衛省が6月23日付で地方防衛局に職員派遣を依頼した文書によると、派遣任務は「沖縄における防犯パトロール及び妨害活動への対応(警備関係)」となっている。公にされることもなく、任務に「妨害活動への対応」を潜り込ませていたのだ。
男性職員を1~2週間交代で随時派遣し、期間は7月中旬から12月末となっている。派遣の開始時期が辺野古の陸上工事再開とヘリパッド建設着工時期と重なる。「ただし、現地の状況に応じ期間を延長」との記述もある。「現地の状況」とは抗議行動や県民の反発の度合いを指すのだろう。
防犯パトロールというより、抗議行動封じ込めの警備が主眼であるとしか思えない。これでは「沖縄・地域住民弾圧隊」ではないか。県民を愚弄(ぐろう)するにもほどがある。
パトロール隊が巡回を開始した6月15日の出発式で島尻安伊子沖縄担当相は「県民の安全、安心のため精いっぱい頑張ってほしい」と隊員を激励した。それからわずか8日後に防衛省は任務に「警備」を加えて職員派遣を各防衛局に求めている。最初から「県民の安全、安心のため」ではなく「政府が基地建設強行を安全、安心」に進めるための派遣だったのだろう。
被害女性の父親が事件追悼の県民大会参加者に謝意を伝える文書にこう記した。
「娘は7月18日に21歳になりますが、
娘の笑顔を見ることは二度と出来なくなりました」
告別式に参列した中谷元・防衛相に説明してほしい。基地あるが故に起きた女性の犠牲を繰り返さないための巡回と、基地建設強行の警備を任務にすることの意味を。
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