山三地区福祉委員会

山三地区福祉委員会は、「誰もが安心して暮らせるすみよいまちづくり」を目差し地域で孤立を無くす活動をしています。

子どもの成長を願って

2023-10-20 13:56:00 | 子育て
今日10月20日のワクワク子育てサロンは、季節的な催しとして運動会を企画しました。
参加者は、11組25人、スタッフが10人、社協2人で合計37人でした。
いつものように挨拶の歌を唄ってから、進行役のスタッフによって始まりました。途中で一旦、お話しタイムをとりましたが、再開しての親子で駆けっこの時は、メダルが足りなくてスタッフがちょっと困った場面もありました。しかし、何処からか出てきてことなきを得て、無事終了しメダルをもらって終わりました。

続いて、次回のワクワク子育てサロン(来月11月17日は、腹話術をやってもらう予定です)の案内を配ってミッキーの体操をして、さようならの挨拶の歌で終了ました‼️
さて、子どもは、運動会から何を学ぶことができるかですが、遊びを通して好奇心や探求心を養い、集中力、工夫する力、創造する力、想像力、最後までやりとげる力、コミュニケーション能力など人間として生きていくために必要なさまざまな力を獲得していきます。 失敗も成功もあることで、子ども自身が人としてよりよく生きていくための成長につながり、その基礎は「遊び」を通して培われることが多々あるそうです。

ところで、今日のワクワク子育てサロンの運動会の主なねらいは、もちろん本来の目的であるお母さんのママ友づくりや子ども自身が友だちと一緒に体を動かすことの楽しさを味わうことにありました。その為、大玉転がしにはじまり、箱バス競争、玉入れなど競技のバリエーションも考えて楽しめるようにしました。
大玉転がしでは、子供たちが協力して大玉を転がしていました。最後の親子で駆けっこでは、抱っこされた子供とお母さんが一体となってかけて、親子で楽しい気持ちを共有できたようでした。

スタッフの反省会では、活動内容と準備品の場所などの連絡がうまくいってなかつたことや、みんな楽しく出来て良かったなどの意見が出されました。
終了後の片付けでも、時間的な制約があり、倉庫の中でも空いているスペースへ入れてしまう傾向がありましたので次回の準備会で捨てようと言う意見も出ました。
また、社協の担当の方も初めて参加して頂き、最近各地区の福祉委員会の子育てサロンに、お父さんの参加者が出てきたのが特徴的だという報告も頂きました。

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心が躍る

2023-10-09 14:49:35 | いきいきサロン
10月7日のいきいきサロンは、公民館大会議室で、参加者27人福祉委員7人の参加を得て、久しぶりに大勢の人が参加して津軽三味線の演奏に聴き入りました。
講師はボランティアの尾崎貴司さんで、はじめに色々と三味線についてお話をされてから、演奏をされました。皆さん、直に聴かれるのは初めてではないかと思います。
実際、本場の五所川原で初めて聞いた時は、軽快な曲や物悲しい曲もあって、奥深く感じていましたので興味津々でした。

津軽三味線は、津軽地方で成立した三味線音楽で、本来は津軽地方の民謡伴奏に用いられるそうですが、現代においては特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多いそうです。今日は、津軽三味線の演奏と併せて童謡や民謡を歌い、心躍るような時間を過ごすことが出来ました。

撥(ばち)を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴があるそうです。今日は、津軽じょんがら節をマスターするために練習用として作られた曲六段をオーブニングに、次になじみのある民謡の黒田節をゆっくり弾き、参加者が合わせて歌うなど和やかな雰囲気をつくり出しておられました。
その後は、全国の有名な民謡を奏でて頂き、みんながノリノリになって、ソーラン節などは歌い方を三通り披露され、皆さん驚きました。他にも手拍子の打ち方などを教えて頂いていたところに、突然弦が切れて弦の材質が絹糸との話もしてくださいました。
三味線本体についても黒檀に近い材質でインド西部産が主であるとの説明もありました。
また、動揺を聞くと寝たきりの高齢者も反応することがあり得るとして、心の中に焼きついた音楽でもある動揺のすばらしさもお話され、三木露風の原点夕焼け小焼けの作詞の話もあったり、津軽じゃんがらも明治・大正・昭和で節が違うという、聞きなれないお話もして頂き、今日の参加者は、初めて聞く津軽三味線のお話に大満足でした。
いきいきサロンは、65歳以上の方なら男女を問わずどなたでも参加できます。どうぞふるってご参加ください。お待ちしています。

ところで、少し抜粋しましたが、ウィキペディア(Wikipedia)によると、三味線(弦楽器)そのものの発祥は中東だそうで、その後構造的に変化しながら、インドから中国、中国南部において三絃が成立し、この三絃が沖縄から畿内を経て、江戸時代中期に日本独特の三味線となったそうです。その後の三味線は、日本各地の土着芸能と融合して発達し、東北最北端であった津軽地方において津軽三味線となるが、楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われるようになり、それにより、北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をしていく。しかし、津軽地方においてはボサマと言われる男性視覚障害者の門付け芸として長く蔑まれていたためもあり、津軽三味線の起源をたどることができる文献はごく僅かで、歴史に関してはおおむね口伝に依るものだそうである。
現在認識されている津軽三味線の歴史について、文書としてまとめたのは大條和雄であり、彼の研究成果に依るところが大きい。大條によると、津軽三味線の始祖は、幕末に五所川原の金木地区に生まれたボサマ「仁太坊(にたぼう)」。それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な「叩き」を中心とする打楽器的な奏法が主流を占め、津軽三味線の原型を築いたそうです。

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