大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年03月27日 | 写詩・写歌・写俳

<572> 大和の歌碑・句碑・詩碑 (6)

     [碑文1]    むらさきは灰さすものそつば市のやそのちまたに逢へる子や誰                                    詠人未詳                        [碑文2]      たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道ゆく人を誰と知りてか                                        詠人未詳

 この碑文1、2の二首は『万葉集』巻十二の問答歌の項に並んで見える碑文1が3101番、碑文2が3102番の男女の歌で、原文では3101番の男の歌が「紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十街尒 相兒哉誰」とあり、これに対する3102番の女の歌が「足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可」とある。この問答歌は、遣隋使に続く遣唐使が行き来していた飛鳥時代、海石榴市(つばいち)と呼ばれる交易市のにぎわう辻などで行なわれていた老若男女が集う歌垣において詠まれたものと言われる。所謂、若い男女の出会いの歌で、現代風に言えば、軟派的な様相がうかがえる歌である。当時はこの歌垣で仲よくなった男女もいたのではなかろうか。 下の写真は海石榴市における中国との交易の絵。(桜井市の金屋河川敷公園で)。

             

 この二首が並べられた歌碑が春日大社の萬葉植物園に建てられている。建立は昭和十五年で、晩年の島崎藤村の揮毫による。金属板に彫り込んだものを自然石にはめ込んだ碑である。3101番の男の歌の方は、私の知る限り、今一つ、海石榴市があったとされる桜井市金屋の山の辺の道の傍ら、海石(柘)榴市観音堂に向かう道の角のところに作家今東光の筆による石碑がある。

 これは、萬葉植物園の方が染料植物である紫草(むらさき)に因むのに対し、金屋の方は歌の詠まれた海石榴市の歌垣の場所に由来するものである。なお、海石榴市の海石榴はツバキのことで、日本のツバキ(多分ヤブツバキであろう)が中国に渡り、中国では海外から渡来したものに「海」の字を当てる習わしがあり、ツバキの花がザクロ(石榴、柘榴)に似ていたため、海を渡って来たザクロという意によって海石榴(海柘榴)と名づけられたと言われる。 下の写真は左二枚が春日大社萬葉植物園の歌碑。その右は今東光筆の歌碑。右端は花を咲かせる紫草(むらさき)。萬葉植物園が誇る万葉植物の一つである。

                                     

  この名が逆輸入されて、日本に入り、記紀や『万葉集』、『出雲風土記』などの古文献にも用いられた次第である。ツバキは霊木と見られていたので、交易市ではツバキを植え、これをシンボルとしたため、よって海石榴市と呼ばれるに至ったのではないかと言われる。なお、椿という字は中国にもあったが、別の木の名称で、我が国ではこれに関係なく、ツバキのために作られた国訓の字で、広義には国字であるとの見方もある。

 金屋の東光筆の方は「灰」と「仄」が似ることによって「灰」を「仄」(ほの)として、「紫はほのさすものぞ海石榴市の八十のちまたに逢へる子や誰」と綴られている。これはどういうことなのであろうか。どちらでも意味は通るが、歌の内容としてはかなりニュアンスの違ったものになる。

  この歌の「灰指す」は、紫草(むらさき)を染めつけにするとき、ツバキの灰を媒染剤に用いることを言うもので、このツバキの灰が紫草染めには一番よいとされていたことがこの歌の見どころで、「灰」は何ものにも代え難い男の比喩としてあり、これを「仄」にした場合、「灰」の比喩が効かなくなることが言える。これについて、今東光は「書写の誤り」と言っているようであるが、ここは、「灰」が「仄」を含むことをもって鑑賞する一つの見方として歌碑を楽しむのもよいかと、そのようにも思えて来るところがある。

 ちょっと強引かも知れないが、例えば、三好達治の「郷愁」という散文詩に見られる「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる」というような例に沿ってこの「仄」を解釈するのもおもしろかろうと言えるわけである。そう見れば、この東光筆の歌碑も一つの見解として受け止められる。もちろん、「灰」の解釈を心得た上での話ではあるが。

  つまり、この「灰」は男の比喩で、詠人自身を言い、紫草(むらさき)の「紫」は女を言っていると知れる。つまり、男の歌は「紫が灰によって染め上げられるように、女は男次第であり、ツバキの灰が一番であるよ。ここにその私という一番の男がいる」と自信たっぷりに、「この自分に今日逢えるのはどこの娘であろう」と言っている。これに対し、女(娘)の方は「母がいつも私を呼ぶ名を申してもよいけれど、そういうあなたはどこのどなたでしょう」と、名も名乗らないような男に私は靡きはしませんよと返しているのである。東光の筆は「灰」の中に「仄」があるように、男にやさしさが内在していることをこの歌の鑑賞に入れる意味において言えば、おもしろかろうと思われる。

 なお、昨今のツバキは、日本産のツバキと中国産のツバキが西洋に渡り、西洋でつくられた園芸種が多数逆輸入され、七千種を越えるほど膨大な数に及び、セイヨウアジサイと同じく、海石榴(海柘榴)の展開が著しい状況になっていると言われる。ツバキの写真は大和郡山市池之内町の椿寿庵での撮影による。  それぞれに 容姿を競ふ 椿かな 

                             


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