大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年06月30日 | 祭り

<3091>  余聞 余話 「夏越の茅の輪くぐり」

       コロナ禍の茅の輪くぐりの夏越かな

 今日は六月三十日、晦日の大祓の日。令和二年も一年の半分が過ぎ、半年分の罪、穢れを祓い、以後の半年、大晦日までの安寧を願う日で、社寺では無病息災、家内安全を願う茅の輪くぐりが行われ、大和地方でも各地であった。コロナ禍のなお収まり切らぬ昨今、梅雨も本格的になり、生憎の雨だったが、雨傘にマスク姿の人たちが茅の輪をくぐり参拝した。

                         

 桜井市の大神神社では強い雨のため、午後二時からの大払の神事並びに式典を殿内で執り行った。雨の影響もあって参拝者は少なかったが、コロナ禍の蜜を避けるということにおいてはよかったという印象。新型コロナウイルスには、神社も気を使っているようで、御手洗では柄杓を取り払い、竹筒の水で手を洗い清める工夫を凝らしてるのが印象的で、目に留まった。大祓ではコロナ禍の払拭も願いに上ったか。早いところ収まってもらいたいところではある。

 写真はマスクをつけ、傘を差して茅の輪くぐりに向かう人たち(左)と御手洗所に設けられた手洗いのための竹筒(右)。いずれも大神神社。

   コロナ禍やマスクが潜る茅の輪かな

   コロナ禍やマスクマスクの茅の輪かな

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年06月29日 | 創作

<3090>  作歌ノート  悲願と祈願  (六)

              到り得ず掬ひ得ざるがゆゑ夢は夢としてありなほもあるべく

   <些細な夢でも夢をもってあれば一日はなる>

   至り得ないゆえに憧れは憧れとしてある。憧れが成就すればそこにおいて憧れは憧れではなくなる。恋の条などもこの理のうちにある。忍恋を恋の中の恋と論じたのは『葉隠』の山本常朝であるが、これは確かであると思える。告白せず、忍びに忍んで恋する恋こそ恋の中の恋。忍恋では恋は成就しないだろうが、ずっと心に秘めていつまでも恋し続けることが出来る。それはより強く。一生続けられる恋もある。焦がれ死ぬとはよく聞く言葉ではあるが、恋は忍恋。で、次のような句の例も見られる。

  花楝生涯のひと土佐に老ゆ                                    戸枝虚栗

   このことは、恋だけでなく、私たちの一生において当てはまることが幾らもある。例えば、欲しいものがあっても買えないというようなこと。また、行きたいところがあっても行けないというようなこともある。こうした事態において私たちはそれを遂げたいという思いに駆られ、憧れをつのらせることになる。で、冒頭の一首に続き、次のような歌にも意識が向かうことになる。

         

  まだ到り得ざるがゆゑに登り行く一歩登れば一歩の眺め

 それで、一歩登れば一歩の、十歩登れば十歩の変化があり、必ずそれだけの眺めが得られ、それだけの景色に会える。それは、気に入った景色ばかりとはいかず、ときには失望することもあるけれど、一歩登れば一歩分の、十歩登れば十歩分の景色に出会えるがゆえに私たちはその先を目指す。

 人生などはこの登りに等しく、しんどくても先々の景色に憧れ、期待が持てるゆえに行くことになる。で、まだ、至り得ないというところに妙味というものがあり、はたして、私たちは先を思い巡らせる。そして、ときには躓きながら行き、そんなとき、歌なども生まれることになる。

   塔一つ見え隠れする道にして躓けばまた登りとなりぬ

 憧れつつ行くことは楽しい。しかし、それにはそれでまた難儀も生じて来る。そして、その難儀を行かねばならないこともある。人生半ばも過ぎれば、それはわかる。で、喘ぎつつ行き、躓いて、またの一首ということになる。

   塔はもちろん目標の一つ、一景であり、それは憧れの何ものでもない。見え隠れするところを憧れつつ登る。躓いてまた登りは急になる。登りとは苦しさのまたの言葉にほかならない。しかし、その苦しさにもめげず、なおも登る。登り詰めたときの気分を思いながら。で、なお思うに、この登りは人生の何ものでもなく、歌はその表象ということになる。では、いま一首。

   到り得ず掬ひ得ざるがゆゑ夢は夢いまいづこ秋の夕暮

 成就を抱いて、恋焦がれつつ、逸れることなく行く。純情に。秋の夕暮に明日への望みの鐘が聞かれる。果たして、人生は展開して行く。 写真はイメージで、センダンの花、花楝。


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2020年06月27日 | 植物

<3088>  大和の花  (1062) ノコギリソウ (鋸草)                                      キク科 ノコギリソウ属

                                          

 日当たりのよい山地や高原の草原に生える多年草で、茎は叢生し、直立して高さが50センチから1メートルほどになり、上部の葉腋で枝を分ける。葉は長さが8センチ前後の長楕円形乃至披針状線形で、羽状に中、深裂し、無柄で互生する。裂片には鋭い鋸歯が見られ、基部はやや軸を抱く。この葉がノコギリを思わせるので、この名がある。

 花期は7月から9月ごろで、茎頂や枝先の散房状花序に白色の小さな頭状花を密につける。花は周りに5個から7個の舌状花、中心部に筒状の両性花があり、上向きに開く。

 北海道、本州に分布し、朝鮮半島、中国、ロシア東部に見られるという。日本には固有種として知られる地域特性のあるエゾノコギリソウ、アソノコギリソウ、ヤマノコギリソウなどがある。

   大和(奈良県)では限定的で、私の知る限り、葛城山と曽爾高原であるが、最近、ほとんど姿が見えない。この状況により、奈良県版レッドデータブックの『大切にしたい奈良県の野生動植物』(2016年版)は「茅葺屋根の衰退によりカヤ場として維持されてきたススキ草原が放棄されて、しだいに森林化して生育地を失ったことが減少の主な原因である」として、絶滅寸前種にあげている。 

 なお、漢方では漢名の蓍(し)で見え、全草を健胃、強壮、または風邪薬として用い、ヨーロッパでは傷薬にし、タバコやビールのホップの代用としも知られ、若芽は生でも食べるという。

   奈良、平安時代には真っ直ぐな茎を集め、吉凶を占う筮占(ぜいせん)に用い、その後、ハギの一種のメドハギを経て、タケによる筮竹(ぜいちく)に変わり、今に及んでいる。多分、これはノコギリソウもメドハギの減少により揃わなくなったからであろう。 写真は茅原の草地で花を見せるノコギリソウ。     枇杷の実の枇杷の香ほのか少年期

<3089>  大和の花  (1063) セイヨウノコギリソウ (西洋鋸草)              キク科 ノコギリソウ属

                                             

 ヨーロッパ原産の多年草で、世界の温帯から寒帯にかけて広く帰化し、日本には明治時代に牧草に紛れる雑草として見つかった外来種である。叢生する茎は直立し、上部の葉腋で枝を分け、高さが30センチから1メートルほどになる。茎や葉など全体に縮れた白い軟毛が生える。

 葉は2、3回羽状に細裂する長楕円状線形で、根生葉と茎葉からなり、根生葉は有柄で、ロゼット状につき、茎葉は無柄で、互生する。花期は7月から9月ごろ、枝先に散房状花序を出し、白色もしくは淡紅色の頭状花を多数つけ上向きに開く。花は5個前後の舌状花と筒状の両性花からなる。

 ノコギリソウによく似て判別し難いが、大和(奈良県)では山間の道端で見かける。高いところでは大台ヶ原ドライブウエイの標高1600メートル付近、低いところでは上北山村の国道169号沿い(標高700メートル付近)の道端で見かけた。 写真はセイヨウノコギリソウ。全体にノコギリソウより花序にボリュウムがあるように見える。   初生りのトマト トマトの匂ひせり

 


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2020年06月26日 | 植物

<3087>  大和の花  (1061) ミヤコザサ (都笹)                                      イネ科 ササ属

           

 スズタケより標高の高いところ、即ち、より寒いところに生える傾向が見られ、稈は細く、高さもスズタケの半分くらい、50センチから80センチほど。普通分枝しないが、ときに基部の節から1個出る。稈鞘は節間の⒉分の1より短く、無毛。葉は15センチから25センチほどの披針形に近く、裏面に軟毛が密生する。葉鞘は無毛。葉耳があり、肩毛が発達して見える。花は稀。

 北海道、本州の太平洋側、四国、九州に分布する日本の固有種で、前述したとおり、スズタケより標高の高い深山、山岳に多く、群生する。大和(奈良県)では大台ヶ原や釈迦ヶ岳の支稜線などに広い群生地が見られる。ササ類は1稔性で、花が咲くと株全体が枯死する。スズタケもミヤコザサもこの点に変わりないようであるが、スズタケは常緑で、頂部に冬芽をつけるのに対し、ミヤコザサは年ごとに地上部が枯れ、地下に株が残って地中に冬芽を出す違いがある。

 シカによる食害の関係で、この芽出しの違いが両者の命運を分け、芽が食べられてしまうスズタケはシカの増大にともない、その食害によって、軒並み姿を消し、ブナ林の状況に異変をもたらし、今に至っている。これに対し、芽が地中にあって、保護される状況にあるミヤコザサはシカの食害を免れ、繁殖しているというのが各地の現状に見える。

 植生に対するシカの問題は大きく、ミヤマシキミ、バイケイソウ、カワチブシなどの有毒植物やミヤコザサのような被食耐性のある植物がよく残り、林床の植生を単純化しているというのが日本の山地の状況としてあり、ミヤコザサの繁茂はこの状況をよく物語っている。なお、ミヤコザサ(都笹)の名は京都の北嶺比叡山で最初に確認されたことによるという。 写真は左から大台ヶ原山のミヤコザサの笹原(一六五〇メートル付近、後方はツツジ科の低木群)、枯れた葉のミヤコザサに被われた台高山系の三津河落山(さんづのこうちやま・一六三〇メートル)山頂、花穂をつけた細い稈と花穂のアップ(大台ヶ原山)。   若苗のすくすく大和平野かな

 


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2020年06月25日 | 植物

<3086>  大和の花  (1060) スズタケ (篶竹)                                     イネ科 スズタケ属

                 

 タケとササはよく似るが、タケは大形、ササは小形で区別される。また、稈鞘が稈から離脱するか否かによって判別され、離脱するものをタケ、離脱せずいつまでも稈についているものをササとする。この基準から見れば、スズタケはその名にタケとあるが、小形で、稈鞘が離脱しないので、ササ類に分類される。

 茎に当たる稈は直立し、上部で枝を分け、1節から1個の枝が出て、高さが1メートルから3メートルほどになる。節に膨らみがなく平坦なのが特徴で、稈鞘は節間よりも長いので、稈面の見えないのが普通である。葉は披針形。薄い革質で、毛は見られない。葉鞘は紫色を帯びる。

 タケ、ササ類は開花結実すると、株全体が枯死する1稔性の植物で、この性質はシシウドなどセリ科の植物にも見られ、タケは50年、ササは30年に一度の割合で開花するという。で、タケやササの花は珍しく、思うようには見られないところがある。スズタケは枝先に円錐状の花穂を出し、5個から10個の小花からなる披針形の小穂をつける。小穂は紫色で、淡黄色の雄しべがぶら下がる。

 北海道南部、本州の太平洋側、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島に見られ、ブナ林の林床に多く、大和(奈良県)でもその傾向にあるが、近年シカの食害によって枝先の芽が食べられ、少なくなっていると言われる。別名スズダケ、ミスズ。信濃の枕詞「みすず刈る」のみすずはスズタケを言うようである。 写真は花を咲かせるスズタケ(左)、花序のアップ(中)。以上はブナ林下の個体。右の写真は直立して花をつける個体で、草原のもの。いずれも大峰山脈での撮影による。   黴の香や書棚の奥の名詩選