<2611> 大和の花 (735) ウ ド (独活) ウコギ科 タラノキ属
山野に生える多年草で、高さは1.5メートルほどになる。茎は太く、葉は2回羽状複葉で、先が尖り、縁に鋸歯が見られる卵形の小葉が5個から7個つき、両面に短毛がある。葉柄は長く、互生する。花期は8月から9月ごろで、茎の上部で枝を分け、球状の散形花序を多数円錐状につけた大形の花序を出す。
花は淡緑白色の5弁花で、直径3ミリほどと小さく、雄しべも雌しべも5個で、葯は白色。円錐花序の上部に両性花、下部に雄花がつき、両性花の子房は下位で、結実を見る。液果の実は直径3ミリほどの卵球形で、秋になると、黒紫色に熟す。
北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、千島、サハリンに見られるという。大和(奈良県)では山野の林縁や草地で見られる。山野に自生するものをヤマウド(山独活)、太陽光を遮断して暗闇で育てる軟白栽培のものをシロウド(白独活)と呼ぶ。
ヤマウドは香りが強く、若芽、若葉、つぼみ、茎をてんぷら、ぬた、酢味噌和え、味噌汁の実などにする山菜として名高い。シロウドはサラダや煮浸しなどにする。また、ウドは根茎を独活(どくかつ)と称し、乾燥して煎じたものを服用すれば、頭痛、目まい、歯痛などに効くという。
なお、ウドの名は土に埋めて育てる埋土(うど)による説などがある。独活の語源ははっきりしない。「ウドの大木」とは、大きいウドが役に立たないことから図体ばかりでかく中身がともなわない意に用いられる。 写真はウド。左から自生のもの、花序がはっきり見えるもの(大が両性花序、小が雄花花序)、両性花序のアップ、果期の姿(奥宇陀の曽爾高原ほか)。
実は成果種子は明日への望みなり思へば種子は恃みなりけり
<2612> 大和の花 (736) トチバニンジン (栃葉人参) ウコギ科 トチバニンジン属
山地の林内に生える多年草で、茎は直立し、高さは50センチから80センチほどになる。葉は5小葉からなる掌状複葉で、長い柄を有し、3個から5個が茎頂に輪生してつく。花期は6月から8月ごろで、茎頂から一個の長い花茎を立て、その先端に球状の散形花序を出して黄緑色の小さい花を多数つける。この花は地味であるが、液果の実は赤く熟し、よく目立つ。
北海道(南西部)、本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では南部の紀伊山地でよく見かける。トチバニンジン(栃葉人参)の名は葉が栃の葉に似て、横に這う根茎を人参に見立てたことによる。別名のチクセツニンジン(竹節人参)は根茎が竹の根節に似ることによるという。また、大和の吉野地方ではヨシノニンジン(吉野人参)の名で呼ばれるが、これは吉野地方に産する意による。
トチバニンジンが発見されたのは江戸時代初期のころで、亡命帰化人の何欽吉(かきんきち)という明国人が亡命先の薩摩で医業の傍ら見つけたという。トチバニンジンが中国の薬用人参に似ていたことがきっかけだったようで、これを和人参とし、薩摩人参の名で広く行き渡らせたという。根茎を日干しにし、煎じて健胃、去痰に用いられる。
写真はトチバニンジン。左から花期の姿(天川村の山中)、渓谷の岩場にソバナの花と隣り合わせの赤い実をつけた個体、赤い実のアップ(上北山村の山中)。 幸運もあれば不運もあるこの世努力のほかに努力のほかに
<2613> 大和の花 (737) カクレミノ (隠蓑) ウコギ科 カクレミノ属
海岸の近くに多く見られる暖地性の常緑小高木で、高さは3メートルから8メートルほどになる。樹皮は灰白色で滑らか。丸い皮目がある。この樹皮にはウルシ(漆)成分の白い樹液が含まれ、傷をつけると出て来るが、皮膚につくとかぶれるので注意が必要と言われる。この樹液は黄漆(おうしつ)と称せられ、ウルシの代用として家具などに塗布される。
葉は長さが7センチから12センチほどの広卵形乃至は菱形状広卵形で、表面は濃緑色で光沢があるが、木の成長に従って変化が見られ、若木のときは3裂から5裂し、成木になるに従って3浅裂の葉と縁の全く裂けない葉とが混生するようになり、この葉の変異によって別種を思わせるところがある。写真は春日大社神苑の萬葉植物園で撮らせてもらったものであるが、2株あり、2株はその特徴をよく示している。
雌雄同株で、花期は7月から8月ごろ。枝先の葉の付け根から長い花序柄を伸ばし、球形の散形花序を1個から3個つけ、淡黄緑色の小さな花を多数咲かせ、花序には両性花ばかりのものと、両性花と雄花の混生するものとがある。花弁、雄しべとも5個、花柱は1個で数裂する。液果の実は長さが1センチほどの広楕円形で、晩秋のころ黒紫色に熟し、先に花柱が残る。
本州の関東地方南部以西、四国、九州、沖縄に分布し、国外では朝鮮半島南部と台湾に見られるという。大和(奈良県)では南部の紀伊山地に点在するが、あまり多くない。カクレミノ(隠蓑)の名は茂る葉を蓑に見立てたことによるという。花や実が葉に隠れるようにつくからだろう。
仁徳天皇の皇后磐之媛命が大嘗会の酒器を盛るミツナカシハ(御綱葉)を採取のため紀伊国熊野の岬に赴いた。その間に天皇が八田皇女を妃に迎え入れたことに磐之媛命は激怒し、ミツナカシハを捨てて天皇の元に帰らなかったという逸話が『日本書紀』や『万葉集』等に見える。また、『延喜式』には三津野柏とあり、このミツナカシワにオオタニワタリ(大谷渡)やカクレミノの説が有力視されている。
大和(奈良県)ではポピュラーな木でなく、一般にあまり知られていない樹種であるが、この説によると、万葉植物として相当昔からその存在が知られていたことになる。 写真はカクレミノ。実(左)、枝葉(中2枚)、幹(右)。
日常の日々を重ねて時は往きゆきゆきゆきて今日の日常