大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年06月30日 | 写詩・写歌・写俳

<3815> 余聞 余話 「ひび割れた大地」

      潤ひをなくせし大地ひび割るる人の世界にトレースすれば

 ネット社会の出現によってグローバル化が一段と進み、いろんな意見や考え方が四方八方、世界中から発せられ、聞かれるようになり、また、私を含む誰もが自由に自分の意志(意見)を発せられる世の中になって、一層多様性を認め合うことができ、世界はそのネット社会の潮流に従ってバラエティ―に富んだ明るい関係性における夢想に値する開かれた状況というものが期待された。

   こうしたネットによるコミュニケーションの理想的な様相は、ネットの構築がなされるにおいてその力学が働き、基本的には概ね世界の良好な関係性に与している状況にあると見なせる。だが、ネット社会はまだ経験の浅いところがあって、不備も大いに見られ、ネットを悪用する向きも現われ、その情報の操作によって、或るは仲間意識を推し進める動きに繋がったりして、多様性とは逆の利己的な負の働きに繋がっているところも悲しいかな見られる。

                                       

   このところ分断という言葉をよく耳にするが、この分断も、自由平等の多様性においては負の側面であろう。ネット社会のネットの影響が大きく働いているように思われる。分断は政治が絡んで起きることが多く、主張の相違、心情の衝突によるところ。アメリカにおけるネット好みのトランプ政権下で表面化した分断の様相は深刻さを露呈し、話題になり、バイデン政権になってからもその様相は尾を引いている。これは自由平等な民主主義国家におけるネット社会の一つの現象に違いないが、これはネット社会における経験の浅さが起因していることだと理解してよいのだろう。

   アメリカに端を発しているこのネット社会の分断現象はアメリカに止まらず、伝染するがごとく世界の分断、分裂に影響を及ぼしている感が見て取れる。ロシアのウクライナに対する侵略戦争は論外であるが、このロシアの軍事侵攻以来の世界情勢を概観しても国家間の分断はより鮮明になりつつある。この分断は戦後世界の東西冷戦期に似る感があるが、時代の相違は明らかで、そこにはネットの情報の影響力が大きく関係していると思える。

   時代はこうした経験を経て、人間を成熟させて行くのであろうが、今は経験の浅い過渡期というところ。そのように理解してよいように思われる。それにしても、分断などというのは世の中にあまり格差がなく、平均的に潤っていれば起きることはない。それは、大地が水分を失って干乾び、荒んで来ると、ひび割れ、酷くなると、深い亀裂を生じるのと同じで、人の世界でも言えることではなかろうか。

   ロシアはウクライナがロシアに振り向いてくれないということで、逆恨みのごとくウクライナに襲いかかった。この理不尽を思うに、ロシアはウクライナを振り向かせるほど立派な優れた国であるかということがまずは問われる。あるとするならば、軍事侵攻という力づくの悲惨な状況を生み出すような展開に及ばなくてもウクライナを納得させ、自然に寄らしむることができるはずである。

   思うに、分断や分裂などというのは、その関係性の素地において潤いのある中では起きようがない。そこのところが理解されなければ、ウクライナにおけるロシアの軍事侵攻の問題は、どちらが勝っても負けても解決しない。勝ち負けは戦火の話で、分断の構図は変わらず残り、くすぶり続け、真の平和は得られない。分断の解決にはひび割れた大地に必要な水のように人々の心情の内側に湧いて来る潤いの何かがなくてはならない。その何かを見出すことが肝心である。それは、例えば、互いを思いやる共生の精神を発揮することであろう。そんな感を抱かせる猛暑の中のひび割れた大地ではある。 写真は潤いを失い、ひび割れ、亀裂した大地。

 


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2022年06月29日 | 写詩・写歌・写俳

<3814> 余聞 余話「六月の梅雨明け」

    六月の梅雨明け異常なる早さ梅雨前線北海道へ

 二十七日の九州南部、関東甲信、東海地方に続き、二十八日、九州北部、中国、四国、近畿、北陸地方の梅雨明けが発表された。残るは東北地方だけ。近畿地方では入梅が今月十四日だったので、梅雨は過去最短の十四日間ということで、異常に短い年になった。近畿地方では梅雨開け前後から晴天の日が続き、連日の猛暑。「熱中症にご注意」の呼びかけがなさされている。奈良盆地の大和平野は今日二十九日も朝から照りつける空模様。

                       

 反面、この異常気象によって北上した梅雨前線が梅雨のない北海道にかかり、東北以北で大雨を降らせているようである。これはやはり地球温暖化の現れと思える。暑くなると電気の使用量が増え、供給が需要に追いつかず停電が懸念される。ということで、頻りに喧伝されるようになった。この電力逼迫もさることながら、梅雨の期間が短いということは、雨量が少ないということで、全国軒並み平年より降水量が少なくなっているという。この水不足も悩ましいところ。いまのところ水田のイネはすくすく育っているが。

   そして、高齢者には暑さが長いという予想がなされている今年の夏は要注意。既に熱中症の犠牲になった話は連日伝えられている。心して過ごす必要がある。 写真は雲の蓋が取れ、炎天が続く奈良盆地の大和平野。


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2022年06月28日 | 植物

<3813>奈良県のレッドデータブックの花たち(237)ベニバナヤマシャクヤク(紅花山芍薬)   ボタン科

                    

[学名] Paeonia obovata

[奈良県のカテゴリー]  絶滅寸前種(環境省:絶滅危惧Ⅱ類)

[特徴] 山地に生えるヤマシャクヤク(山芍薬)の仲間の多年草で、高さは30~60センチになる。葉は2回3出複葉で、2~3個が互生する。小葉は倒卵形。花期は5~6月で、ヤマシャクヤクよりやや遅れて開花する。花は直径4~5センチで、萼片は3個、花弁は5~7個で、上向きに半開する。雄しべの葯は黄色で多数。雌しべは2~4個で、雌しべの柱頭が長い特徴がある。実は袋果。秋に熟し、裂開して黒紫色の種子を現わす。

[分布] 北海道、本州、四国、九州。国外では朝鮮半島、中国東北部。

[県内分布] 天川村、御杖村。

[記事] 全国的に減少している植物の一つで、環境省も注目している。紀伊山地は昔から産地として知られ、紀伊山地の諸山を踏査した幕末の紀州藩士畔田萃山はヤマシャクヤクについて「花に白色、淡紅色の2品有り、形は芍薬に同じくして小さく単弁なり」として、ベニバナヤマシャクヤクに触れている。

 近年、大和地方(奈良県域)でも天川村と御杖村の一部でしか確認されていない。減少要因は園芸用採取や植生の遷移。シカの食害もあげられている。 写真は花を咲かせるベニバナヤマシャクヤク(左)と花のアップ(中)、裂開した袋果。

   生きて存在しているということは

   時の先端にあることを意味している

 


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2022年06月27日 | 創作

<3812> 作歌ノート  雑纂 回顧 

              青春が求めし精神鉛筆で付せし傍線部分の活字        精神(こころ)

     心よりいず、願わくば再び心に至らんことを。

     これこそそうだ、見つかった。歓喜。 

                 『ベートーヴエ ン音楽ノート』(小松雄一郎訳)

 これらの短い言葉はベートーヴエ ンの心の持ちよう、生活態度から発せられた言葉であり、その言葉には何か脈絡が感じられる。もちろん、これらの言葉は、ベートーヴエ ンだからこそ説得力を持つものであることは誰もが認めるところだろう。私はこの音楽ノートをいつ読んだか、定かに覚えていないが、青春時代の賜物であったような気がする。音楽ノートの珠玉の言葉に出会うと、言葉の力は心(魂)の力だと感じる。そして、記憶に残しておきたい言葉や文章の部分に鉛筆で傍線を引き、忘れまいとした遠い昔があったことを思い起こす。その傍線を辿ってまた読み返してみると、青春時代の感銘が心の奥から蘇って来る。

                    

  藤村の『破戒』『新生』『夜明け前』感銘の二字青春にあり

  絶望の二字懐かしき屋根裏に居場所ありけり金糸雀の唄

  抒情詩にこもりゐたりし青春期屋根裏部屋の金糸雀の唄

 島崎藤村の『破戒』、『新生』、『夜明け前』。二十歳前後のころ、夢中になって読み、心を揺さぶられた。少し青臭さの見える「絶望」の二字はこれも若さの心持ちと言えよう。「唄を忘れた金糸雀は 後ろの山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ」。この何かやるせないような気持ちにさせる歌詞には心に響くものがある。母屋の屋根裏部屋は私にとってまさに青春時代の城であり、居場所であった。私はこのころから短歌にあこがれ、もっぱら石川啄木であった。

 この三首も冒頭の一首と同じく青春時代を振り返って詠んだものであるが、そのころは受験勉強もままならず、不安に付き纏われ、ときには青臭い絶望の思いも抱いたのであった。しかし、向学心に燃え、心の不安定はあったけれど、憧れも人一倍であったようで、何とか乗り切れた。そんな不安と憧れの入りまじった青春時代は、私にとって純粋さの時代でもあった。

 言葉ではなかなか言い表せないが、感性の瑞々しさと純粋さ、幼さと言ってもよいだろう、そういう時代に読んだ書物の感銘は格別で忘れある。誰かが言っているように、本はなるべく若いうちに沢山読んでおくべきである、と、いまさらながら思うことではある。  写真は岩波文庫本『ベートーヴェン音楽ノート』(右)と傍線部分(左)。

 


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2022年06月26日 | 植物

<3811>奈良県のレッドデータブックの花たち(236)フナバラソウ(舟腹草)  キョウチクトウ科(旧ガガイモ科)

               

[学名] Vincetoxicum atratum

[奈良県のカテゴリー]  絶滅寸前種(環境省:絶滅危惧Ⅱ類)

[特徴] 日当たりのよい山地や丘陵の草原に生える多年草で、茎は分枝することなく直立し、草丈は40~80センチになる。葉は長さが10センチほどの楕円形から卵形で、毛が生え、淡緑色で対生する。花期は6月の梅雨のころで、上部の葉腋ごとに濃いチョコレート色の花冠が5裂する星形の花を数段固めてつける。花の奥には花冠より濃い副花冠があり、黄白色のズイ柱を囲むようにつく。

[分布] 北海道、本州、四国、九州。国外では朝鮮半島、中国東北部。

[県内分布] 曽爾村

[記事] フナバラソウ(舟腹草)の名はガガイモの実と同じく、楕円形の実が二つに割けて種子を出した後の皮が舟底(舟の腹)のようになることによるという。全国的に減少の著しい草花で、大和地方(奈良県域)でも曽爾高原でしか見ていないが、最近その姿を見なくなった。減少要因についてレッドデータブックは「山地草原の消失、愛好家による採取」をあげているが、シカによる食害は考えられないか。 写真は花期のフナバラソウ。

   風に吹かれている

   生の旅をしている