<637> 帰 郷
故郷に ふるさと香る 夏の海
今日は我が故郷、瀬戸内の田舎町で父母の法要があり、久しぶりに帰郷した。海辺にある故郷は子供のころに比べると随分変質して見えるが、それでも随所に面影が残っている。灘よれ入り組んだ湾の奥のところ、周囲を小高い山に囲まれた所謂盆地状の跼るようなところに集落が点在している。
車で出かけたのであったが、到着が法要の時刻より少し早かったので、昔の記憶を辿るべく、湾から湾へ巡航する船の発着場だった海辺に行ってみた。巡航船は廃航になって相当の年月が経ち、今は桟橋もなく、護岸工事が行なわれ、高い防潮堤になっている。少しの時間であったが、車を停めて降りてみた。
海岸べりでは今もケミカル工場が操業しているが、私が子供の時分の方が活気に満ちていた。出入りする船も多く、近くの島には小さいながらも造船所があり、溶接の火花が見えたり、作業による鉄の音などが聞かれたりした。今はレジャーボトが停泊する光景に変わり、都市部の遊興族にその場を提供して、物静かで海に何か他人行儀なものが感じられる。
それでも、海に近づくと浜辺に打ち寄せられた海藻から生じているのだろう、潮の香が漂っているのがわかり、懐かしさが込み上げて来た。ハゼを釣った。フグを釣った。イイダコを釣った。白い巡航船は白波を蹴立てて勢いよくやって来た。暫く、そんなことを思い出しながら立った。
半身を海に沈めて傾ける廃船 父の時代の形見
半身を海に沈めて傾ける廃船オブジェのごとくにも見ゆ
少し推敲して言葉を換えているが、以前、このような歌を作ったことがある。久しく船尾を海に沈めた木造船が島の砂浜に見えていたが、今はすっかり消え去っている。これは年月の力というものだろう。父はこの巡航船発着場近くの工場に勤める兼業農家の主だった。働き者であった父の時代は労働の時代であった。写真は故郷瀬戸内の海。