大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年05月31日 | 写詩・写歌・写俳

<3061>  余聞 余話 「野鳥たちの初夏」

    カルガモの親子に五月日和かな

 バードウイークは過ぎたが、夏の初めのこの時期、野鳥たちには巣作りから子育てまで忙しく、その様子が見て取れる。大和民俗公園ではヤマガラがコゲラの作った巣であろう、クヌギの幹に穿った穴に来て頻りに様子見をしていた。抱卵準備のためと思われる。

         

 この間掲載した自宅近くの池のカイツブリは最初の抱卵に失敗したようで、二回目の抱卵を始めた。今度は成功するだろう。浮巣を丈夫にしているように見える。同じ池ではカルガモの夫婦が小さなヒナに寄り添って泳ぐ姿が見られる。カルガモのヒナは七、八羽と多いのが普通であるが、何かアクシデントがあったのだろう。ヒナは一羽。言わば、一粒種で、元気よく、親鳥に見守られながら泳いでいる。 写真はヤマガラの巣作り(左)、浮巣に見られるカイツブリの抱卵(中)、ヒナを見守り泳ぐカルガモの親鳥(右)、


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2020年05月30日 | 写詩・写歌・写俳

<3060>  余聞 余話 「墳丘黄変」

    墳丘の草地一面ブタナ咲くこの風景に見ゆるものとは

 コロナ禍の自粛で休園していた馬見丘陵公園がこの間から開園され、久しぶりに歩きに出かけた。木々の緑が深まり、花も春から夏に変わっていた。樹木で言えば、ヤマボウシが花盛り。草花で言えば、タンポポと入れかわり、ブタナが墳丘の草地を被い尽くして黄色い花を咲かせていた。 

                  

 その黄色い花の絨毯はタンポポを凌ぐ感があり、写真に収めた。ブタナは大和の花シリーズで紹介したとおり、ヨーロッパ原産のキク科の多年草で、日本には昭和時代の初めに渡来し、野生化して全国的に広まっている。タンポポのようなロゼット状の根生葉をつけ、花もタンポポに似て、黄色い舌状花を咲かせる。

   ともに日当たりのよい草地に生え、群生することが多いが、タンポポとの違いは、濃緑色の花茎が枝分かれし、長く伸び出すこと。で、一見して見分けられる。ブタナは豚菜で、フランス語の「salade de pore」(ブタのサラダ)の訳によるところ、ブタの飼料を意味する。古墳時代に造られた墳丘を被い尽くして咲く明るい黄色の花を見ていると、グローバル化の時代が思われ、新型コロナウイルスのことなども連想されたことではあった。  写真は一面に咲くブタナ(馬見丘陵公園一本松古墳付近)。


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2020年05月29日 | 植物

<3059>  大和の花  (1046) イ (藺)                                              イグサ科 イグサ属

                                                   

 湿地に生える多年草で、地中を這う地下茎から茎が株になって直立し、高さが30センチから1メートルほどになる。茎は円柱形で、濃緑色。葉は退化し、茎の下部に鱗状になってつく。花期は5月から9月ごろで、茎頂に集散花序を出し、緑褐色の小花を密につける。花序の上には茎と同形の苞が伸び上がり、花序は茎の途中についているように見える。

 イ(藺)は変種を含め北半球の温帯に広く分布し、日本においては、北海道、本州、四国、九州に野生し、大和(奈良県)でも普通に見られる。イ(藺)はイグサ(藺草)とも呼ばれ、畳表、花筵、編み笠、草履などに用いられるので、その名は一説に居(い)から来ているという。また、茎の髄をかつて行灯の燈心に用いたのでトウシンソウ(燈心草)の名もある。

   主に畳表とし、栽培され、熊本県の八代地方が主産地として知られるが、近年、安価な中国産に圧され、減少傾向にあると言われる。栽培は厳しい寒に植え付け、暑い夏の盛りに刈り入れをするので、俳句の季題は「藺刈る」が夏、「藺植う」が冬となっている。なお、日本でイの栽培が盛んになったのは、庶民の間で畳が用いられるようになった江戸時代以降と言われる。 写真はイとその花。   更衣妻の始末上手かな


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2020年05月28日 | 植物

<3058>  大和の花 (1045) チゴザサ (稚児笹)                                   イネ科 チゴザサ属

                                  

 湿田や湿地などに生える多年草で、茎が下部でまばらに枝をわけ、高さは30センチから50センチほどになる。根茎は長く地中を這い、群生する。葉は長さが4センチから7センチの披針形で、先は尖り、互生する。

 花期は6月から8月ごろで、茎頂に円錐花序を出す。花序の枝は細く、淡緑色乃至は紫褐色の小穂をまばらにつける。小穂は長さが2ミリほどの楕円状球形で、淡紫色の柱頭が現れ、2個の結実花となる。

 日本全土に分布し、朝鮮半島、中国、台湾をはじめ、東南アジアからオーストラリアまで、広く見られ、大和(奈良県)でも湿地などで普通に見られる。なお、チゴザサ(稚児笹)の名は葉がササに似て小さいことによる。 写真はチゴザサ。群生(左)、花序(中)、小穂に淡紫色の柱頭が現れた花序(右)。    そこここで田植ゑ支度の奈良盆地

 


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2020年05月27日 | 写詩・写歌・写俳

<3057>  余聞 余話 「許容の風景」

     私がこの世に生きてゐられるは許容の風景あるゆゑならむ               私(わたくし)

 私は今まで、生ある私たちを「時と所の産物」と、機会あるごとに言って来た。ここでいう時と所は風土と言い換えてもよいように思える。ということは、風土に影響されながら私たちの生はあるということになる。これは日本人が日本の風土において暮らし、生きているという考えに基づく。もちろん、海外に進出して暮らしを立てている御仁もいるから一概には言えないだろうが、概して、日本人は日本の風土においで暮らし、生きている。

 言わば、風土は時と所の要素を有し、私たちの五感に触れ、意識無意識を問わず、私たちに影響を及ぼす。つまり、風土は単なる景色というのではなく、総体的風景を意味するものと考えればよいと言えようか。私たちはこの風土の刹那刹那の風景に抱かれ、導かれ、影響されつつ日々刻々を過ごしている。言葉を変えて言えば、私たちは日々刻々においてこの風景を感受し、心に掬い入れながら生きているということになる。

                                                     

 私がこの世に生きていられるのは、きっとこの日々刻々に接して止まないこの風土の風景が私を許容してくれるからだと思う。このことを日々連綿として見られ感じられる風景が意識されるとき、何か言い知れないありがたさのようなものが心の奥から湧いて来るのを感じるということが、慣れ親しんでいる日常にもあるということ。

   この風景というのは、心身と結びつき、切りがないほどであるが、例えば、遠くで鳴いている蛙なんかでもその風景の一端にあって、私を感興に導くということがある。この感興こそ許容の証で、私を慰め、勇気づけてくれる。私たちは、こうして生きて来て、今ここにある。そして、こうした風土の風景において私などはこの風景への思い入れを、ありがたいことに、詩歌などに記しているのである。  写真はイメージで、掌。

     灯火を掲げてやまず今日もまた許容の風景に立ちつつぞある     風景(けい)

   掌は心花の後なる実桜に夏来たれるを触れてゐるなり          掌(て)、後(のち)

   掌は我が感性の一端で許容の風景に触るる働き                 風景(けい)、 掌(てのひら)