大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2021年12月31日 | 写詩・写歌・写俳

<3635> 余聞 余話「年越し」

     行く年は来る年ゆゑに晦日蕎麦

 今日は大晦日。行く年来る年の日。寒さが酷くなって寒風が荒び、ときおり雪花が狂乱気味に舞い散っている。気象庁は年越し寒波とでも名づけるのだろうか。日本海側は大雪の報。大和地方は、ときおり日差しがあるものの雲の多い天候。

                  

 例年通り、昼食で簡素に年越し蕎麦を食った。写真がそれである。蕎麦は切れやすいので、禍を断ち切り、新年を迎える意味があるようで、大晦日はこの縁起によって蕎麦を食う。いつごろ始められたものか。行く年は来る年を意味しているから、年越し蕎麦は来る年のためと言える。来年はどのような年になるのだろうか。何はともあれ、明日は来年である。  風花や行方定めず疾くゆけり


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2021年12月30日 | 写詩・写歌・写俳

<3634> 余聞 余話 「迎春準備」

      時は誰一人も見捨てることなくて寄り添ひながら伴ひゆける

 令和三年(二〇二一年)も後二日。一夜飾りは縁起がよくないということで、三十日の今日、迎春準備をし、正月飾りを済ませた。丑年から寅年へ。で、飾りの張り子のトラのお出ましを願った。随分昔、信貴山の朝護孫子寺の初参りで求め、我が家にやって来たもの。懐かしい張り子である。朝護孫子寺は寅年に参拝者が多いことで知られ、近畿ではその名が通ている。果たして正月の人出はどのようになるのだろうか。

               

 今年も新型コロナウイルスに振り回された一年だったが、果たして来年はどうなって行くのだろう。三回目のワクチン接種の方向で、申し込みをした。接種はいつごろになるのか。見通しはまだ立っていないが、二月の後半か三月のはじめごろではないかという気がしている。インフルエンザのワクチンは十一月に済ませたので、今のところ何の問題もない。

 それはそうと、時は全てのものに平等で、誰一人見捨てることなく、寄り添って新年へ導く。いろいろと問題が生じ、それに関わりのあるものもいるけれど、時はなべてに公平で、みなに寄り添い、未来に向かう。何かありがたいような、そして、また、切ないような気持になる年の瀬ではある。 写真は玄関口(左)、玄関内(中・右)のそれぞれの正月飾。


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2021年12月29日 | 創作

<3633> 作歌ノート  2021年近作短歌三十五首

      生の身はこの世を映しゐたるなり日々にありある水面のやうに

 生きてこの世に存在している私たちは、如何ようにあっても、その生はこの世をその身の心身に映して生きている。それは年齢、性別、人種、国家、階級、職業、貧富、強弱、思想、環境等の違いに関わらず、全ての生きる身に等しく、共通して言える。この世に生を得、この世に接し、この世を映して、つまり、私たちは生きている。

 この生の様相はそれぞれさまざまで、そこのところも理解されなければならないが、この世を映すという点において言えば、みな等しいということになる、言い換えれば、今の世(現代)に生きている存在者は決して今の世(現代)から抜け出すことは出来ないということであり、私たちはそうした一種の宿命的な存在として生きているということになる。

                        

 そして、映すのは心身ということで、映る諸相は心理や心情に反映し、表情や行動に現われることになる。で、映るという意味で言えば、心身を水面に譬えることが出来る。穏やかな水面では映る景色も穏やかであるが、水面が乱れていれば、映る景色も乱れる。それは心理の表情に等しく、「楽は虚に出ず」の言葉が思い起こされる。

   この世を映す生きる身にとって、水面に乱れが生じないこと、即ち、「楽は虚に出ず」の虚を保つことが最善で、これが大切に思えて来る。詩歌の要諦などもこの水面の真理に関わっている。思うところ以上。では、以下に2021年近作短歌三十五首。 写真は池の水面に映る景色。穏やかな水面の一景。

  生きる身は現実といふ義務を負ふ未来といへる権利を有し

    生きものはみな環境に順応し生きゐる言はばウイルスもまた

  命題の確たる証うちに秘め立ち枯れてゐる向日葵の花

  露草の露草色の露の意味朝な朝なの露のひととき

  彼岸花燃える兆しに角ぐめるその勢ひへ母系の大地

  悩み持てあるものたちよみな生きてゐるものたちよつまり生とは

  「不束に生きて来ました」この身とはとほとほとほとなほもあるべく

  我は我の人生を生き来たりしがなほ幾ばくか思ひの旅路

  抜け出せぬ生の領域鮒は鮒を生きゐるあるは翼を夢見

  薔薇狂になれぬまま来て冬に入る隣家の庭の主が形見

  自転車は二輪車二つの脚で漕ぐ漕がねばならぬ自虐のやうに

  感性の衰微確かなる齢とはいへど聞く夕暮の鐘

  もみぢ葉は紅にしてありながら思ひの丈の夕景に顕つ

  如何なるも結果に終はり結果より始まるならひ日々相の生

  敗戦に終はりし日本そしてその敗戦よりの戦後の日本

  人生は日々の結果の積み重ねみなその日々にありて生きゐる

  生きるとはまづは息づき喰らふこと人間は人間の範疇の日々

  如何やうに飛ぶもよからむ与かれる翼の特権有するその身

  みな等しみな働いてゐるそして働きゐたるゆゑの身の上

  二〇二一年の春突き抜けて宇宙の果てへ立花隆

  人間が人間の世を汚濁する宇宙旅行に学ぶこととは

  大きさか小ささか何宇宙への旅人たちの学びしものは

  風景に多少の違ひはあるとして小さき命の日月の灯

  安心に勝るものなき日々相の日々の心身齢とともに

  誰もみな時を費やし生きてゐるつまり時間軸にある生

  不束に生きて来し身に歌があるいろはにほへとのいろはに沿ひて

  みなすべて無限の未来に有限の時を費やしながらの旅路

  旅の身は何かを残す身ならむに濃淡多少のあるは足跡

  生きてゐることの同等さりながら格差のこの世理不尽も見え

  あくせくはこの世の言はば常なるにまづ取り合へずお茶など如何

  ニヒリズム許さざる世の反作用かも知れぬ放火極悪事件

  見えて見えざるもの或るは世の相のその一端の悪弊なども  

  許容なきすがたの深化現代の許し許されざるその諸相

  先々が朧で見えぬ論客の果たして楽観悲観論争

  枯れゆくも命のすがた実を掲げゐるよ冬日に温めながら

 


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2021年12月28日 | 植物

<3632> 奈良県のレッドデータブックの花たち(157) シリブカガシ(尻深樫)                   ブナ科

                          

[学名] Lithocarpus glaber

[奈良県のカテゴリー]  希少種

[特徴] 山地に自生するマテバシイの仲間の常緑高木で、高さが15メートルほどになる。樹皮は灰黒色で滑らか。枝も灰黒色だが、新枝には黄褐色の短毛が密生する。葉は長楕円形で、先が尖り、基部はくさび形。縁には鋸歯がないか、あっても上部にわずか見られる程度。表面は濃緑色で、光沢があり、裏面は淡い色で、側脈が6~8対浮き立つ。葉は枝の上部に集まって互生する。

 雌雄同株で、カシやシイ類は花期が春だが、本種は秋。本年枝の先や葉腋に花序を出し、雄花序と雌花序が混生する。実は堅果で、長さが2センチほどの楕円形。開花年の次の年の秋に成熟するので、花と実が同時に見られることがある。

[分布] 本州の近畿地方以西、四国、九州、沖縄。国外では中国中南部、台湾。

[県内分布] 奈良市、生駒市、平群町。

[記事] シリブカガシ(尻深樫)の名は堅果の底の部分が凹んでいることによるという。材が堅く、建築、器具に用いられ、公園樹としても植えられる。 写真は花期のシリブカガシ(左)、花のアップ(中)、葉と実(右)。

   草木は私たちの環境をいつも整えてくれている

   山野の草木の風景等はそれをよく物語っている


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2021年12月27日 | 創作

<3631> 作歌ノート  瞑目の軌跡(三)

    騎馬一騎敗死に向かふまぼろしか水面を走る風の一筋

 硝子ケースの中に展示された甲冑一つ。その冷え冷えとした姿に十方よりの目が注ぐ。こうして、甲冑は千年後も二千年後も、展示されている間、ずっと、冷え冷えとして存在し、それぞれの時代人とあい対するのであろう。命を賭けた戦いはいつの時代も厳しく、やはり、そこには哀れが纏う。

 言わば、展示された甲冑には確固たる一個の生命、永遠に燃える命が隠されている。それは壮年のものか、青年のものか。どちらにしても短命であったことに違いはなかろう。見る者はこの甲冑に短命を思い巡らせる。半ば色褪せた宿命の甲冑に秘められたこの短命とは。やはり、甲冑には哀れを訊くことになる。

                                          

  そして、その上に、甲冑を如何に見るかは十方の眼の側の思いによる。美しさに殉じた十五歳のものかも知れず、でなければ、甲冑の主はもっと悲劇的な死に見舞われた者であったかも知れない。しかし、それを想像するに、甲冑を斜に見るようなことはよくない。冷え冷えとある甲冑は美しく想像して見るべきであろう。命を賭けて駆けた者がそこには存在する。敗死に向かった馬上の一雄もまた短命を駆け抜けたということである。 写真はイメージ、風が渡る水面。

  甲冑は玻璃の内側冷え冷えと十方の目に燃ゆる短命

  荊棘を人馬もろとも過ぎり行く幻聴夜半の雨の激しさ

  戦国の群雄の中の一雄の点睛の死と歌と風花

  美しき結句求めて急ぎたる武将も見えて見ゆる遠火事

  援軍の遅き極みにきりきりと馬上独りの武将の切歯

  問はば問ひ返すがごとく立つこころ古色を纏ひ辞世の一首

  古傷に思ひをいたす将などもありけむ都月下において

  短命は十五歳の春かその生は廃船朽ちて島陰にあり       十五歳(じふご)

  鴫の群潟打ち止まぬ夢のうち命運悲痛の歌を伴ふ

  能面の微笑を染める夕篝四方の闇より誰かの心         四方(よも)