日々の気付き

自分への提言

永遠に解決されない謎

2021年04月03日 16時57分42秒 | 日記
 如何なる人による、如何なる人への行動規制も、その全ては、根拠のない物である―あらゆる行動規制の背後には、「果果論」すなわち、1つの類型に属する現象が、別の1つの類型に属する現象に直結する、という考え(思考)があるからである。
 この果果論に基づく禁止が行動規制なのである。
 現象発生には、各類型について、1連の特殊な経時上のプロセスが存在することに間違いはないが、現象の根本的な原因は、如何なるプロセスからも独立しているのである。
 つまり、あらゆる現象の根本的な原因は、別の現象に在るのではなく、現象のイメージを含む「永遠」(過去と未来の全て)の全体的なイメージにあるのである―この事を理解しない人は、1つの現象を封じれば、それが構成要素となるより大きな現象の発生を止められる、と考え、規制を行なおうとするのである。
 この意欲が、幻想的な観念(果果論)に基づく誤解である、と考えるのは正しいし、その上に次のことを考慮する必要がある。
 すなわち、「何かを避けたい」という考えそれ自体が、「損失」「喪失」「被害」といった、ゼロの概念を含む思考に基づくリスクマネジメントなのである―しかし、ゼロに該当する実体は存在しない。
 したがって、何かが失われる、という恐れに基づく忌避の全てが、結果的に、不自然な心の状態を伴う「不如意」「不測」を発生させることになる―無い物を「在る」と思い込んで、何かを(行動や現象を)生み出すことになるからである。
 規制を細分化し、より精緻な法律を策定したところで、その目的が、忌避にあり、喜びや幸福、楽しさを直接的に生み出そうとする物でない限り、規制その物には、まるで価値がない。
 「どのように法を定めるか?」を問い続ける人がある―それらの人々は立法府で働く選ばれた人々である。
 上記の人々がどれほど努力しても、人類の幸福(喜び・楽しさ)には、結びつかないのである。

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