この写真、まさに 「森林限界の風景」 です。ここから上は木の無い世界、草だけになります。そういった単語は無いのかも知れませんが、更にその上は 「植物限界」 の世界が待っています。バイクと人間はそんな 「木も草も生えていない世界」 に上って行きました。
ここに道を通した人たち、こんな道の大部分は 「観光目的」 ではなく、生活上の必然でトンネルが掘れない時代の産物です。最初は 「獣道」 のようなものだったのかも知れません。それが後に幅が広くなり、もっと後に舗装されていったのでしょう。
ここは場所的にはイタリア、細かく言えば南チロルの山の上、こんな道を上がったり下がったりしている時に 「人はつくずく一人では生きれない者たち、他者との繋がりを絶えず求めて止まない者たち」 と言えるな、と思い返したりします。
道って、ネットワークな感じですね。道が通るって、データーが通るようになったに似ていて、昔の土ぼこりが立つ細い道がアナログ通信の世界だったとしたら、舗装されたこの高所アルペン街道はデジタル通信みたいに快適で高速な移動を約束しています。
ここに道を通した人たち、こんな道の大部分は 「観光目的」 ではなく、生活上の必然でトンネルが掘れない時代の産物です。最初は 「獣道」 のようなものだったのかも知れません。それが後に幅が広くなり、もっと後に舗装されていったのでしょう。
ここは場所的にはイタリア、細かく言えば南チロルの山の上、こんな道を上がったり下がったりしている時に 「人はつくずく一人では生きれない者たち、他者との繋がりを絶えず求めて止まない者たち」 と言えるな、と思い返したりします。
道って、ネットワークな感じですね。道が通るって、データーが通るようになったに似ていて、昔の土ぼこりが立つ細い道がアナログ通信の世界だったとしたら、舗装されたこの高所アルペン街道はデジタル通信みたいに快適で高速な移動を約束しています。
全く同感です。「凄い」 ですね、昔にそこを通った人、その後に道を通した人、「人間技」 でここまでできるのか、って思います。こういうところは何度行っても飽きません、「何度でも」 ですね。
標高は高くても平らな場所があるから人は住むし道は作られるでしょうが・・・
写真を見ているとまた走りに行きたくなりますね(^^)