あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

憲法の危機と民主主義と近代(1)~模造品だった明治憲法

2015年05月08日 23時42分20秒 | Weblog
 世の中にはブランド品という物がある。誰でも目にしたことがあるだろう。もしかしたらあなたも持っているかもしれない。それはシャネルでもアップルでもホンダでもいい。その一方でニセモノもある。見た目は本物とよく似ていて、機能もそれなりにある。ニセモノで十分という人もいるかもしれない。だがやはりニセモノには本物を本物たらしめている本質的な力が無い。機能や耐久性や美しさなど、ようするに質が悪いのである。その違いはどこから来るものなのか。本物はオリジナルであり、それそのものの質を高めることを目指して作られてきた。一方のニセモノはただ売るためだけ、金儲けのためだけに作られる。つまり質の違いの原因はそこに隠されている目的、志の違いなのである。
 と、まあ、これはただの前置きとして…

 今週の初め5月3日は憲法記念日だった。しかし今年の憲法記念日は、おそらく憲法が史上最も危険にさらされる中での記念日となった。安倍総理の登場でもはや日本国最高法規はズタズタにされている。国際会議では「法と秩序」を盛んに言いつのる安倍氏が、こと国内では最大限遵守すべき憲法を頭から無視して暴走する。ホラーともコメディとも言えるような状況だ。
 マスコミは憲法問題というと第9条、安保・軍事政策面ばかり取り上げるが、現実にはそれ以上に、たとえば言論の自由や、生存権、労働権および労働基準、教育を受ける権利等々が先行的に侵害されつつある。もっとも、むしろそのような権利は一度も守られたことがなかった、自民党政権は積極的に守ろうともしなかったと言う方が正確なのかもしれないが。
 いずれにせよ、現在の自民党による新聞やテレビなどマスコミへの締め付けの厳しさは誰が見ても明らかで、それは末端の地方自治体にも強く影響している。たとえば埼玉で起きた「公民館だより」への護憲俳句不掲載問題などがそれを象徴しているが、それ以前からじわじわと公共施設や民間施設が反戦、人権、反差別などの催しを拒否する事態が増えていたのも事実だ。その口実は右翼が来て騒ぐからなどと言うものだったりするが、それこそが実質的な言論封殺、言論の自由の否定なのである。憲法はまさにそうした事態を避けるために言論の自由を保証しているのであって、憲法を犯している側が実質的に勝利してしまう状態が際限なく許され続けていく現状こそが間違っているのだ。

 これはたとえて言えば、交通法規などいちいち守っていられないから自分の好きに運転するのだという無法者が(実はそういう輩が多数派なわけだが)、法律を守っている者(もしくは守らざるを得ない者)を馬鹿にし、無視し、逆に嫌がらせを仕掛けてくるようなものである。
 いったいなぜこのような理不尽な逆転現象が起こってしまうのか。

 当ブログでは再三再四主張してきたことだが、日本の近代は密輸されたものだった。明治政府は欧米的な社会を作りたかったのだが、維新の経緯や当時の日本の民衆の文化を考慮すれば、日本社会をそのまま欧米化することなど出来るはずがなかった。そこで表面上は天皇を頂点に掲げた伝統的な体制の復活を装いつつ、本質的な構造としてヨーロッパ型の教会と絶対君主による国家システムを取り込んだのである。それがいわゆる狭義の「天皇制」だった。
 しかし民衆の側もそれを易々と飲んだわけではない。欧米の社会、欧米の政治体制を取り入れようとする限り、欧米の近代主義全般をも取り入れざるを得ない。こうして民衆の側には近代民主主義=自由民権思想が浸透してこととなった。その力に押される形で明治政府も近代的憲法を作らざるを得なくなり明治憲法が発布されたと言って良いだろう。
 だがこれこそが「ニセモノ」だった。本来、近代の憲法というのは市民革命の過程から生まれたものだ。その中から市民=大衆が権力者の権限を規制し、自分たちの権利を保障するために作られたのである。だから憲法は民衆の側から、つまり下から作られるべきものであった。
 ところが明治政府は大衆的革命によって生まれた政権ではなかった。明治維新は武士という特権階級同士での権力闘争であり、市民や農民階級が封建主義体制を打倒して新しい体制を作った市民革命とは違っていた。いわば上からの革命だったのである。欧州市民革命の主体であった人たちは、日本にあてはめれば自由民権運動で戦った人々であり、それは秩父事件に象徴されるように明治新政府の弾圧によって鎮圧されていった人々であった。
 明治政府による明治憲法は民衆の憲法ではなく、実際には形だけのガス抜きでしかなかったのである。

 明治憲法は形状だけを見れば立派な憲法である。しかしそれは権力者によって密輸入された模造ブランド品でしかなかった。立派な外見はヨーロッパ各国の憲法を形だけ模倣したものであって、その中身は民衆が権力を牽制するという本質を持たない欠陥品だった。
 「軍艦島」など安部氏がごり押しで進めてきた「明治の産業革命遺産」が世界遺産に選定されるというニュースが今話題になっているが、そうした報道の中で、一部の評論家が「明治時代の再評価」というこことを言い出している。「明治はそんなに悪い時代ではなかった」「近代化と民主主義が導入されていた」などという主張だ。しかしそういう理解は全くの形式主義でしかない。憲法に何が書かれ、法律に何が書かれ、当時の為政者が何を言っていたとしても、それがそのまま真実であったわけではない。そこに魂の入っていない憲法であれば、そこに何が書かれていようと実際上ただの飾りでしかなく、書かれている理念が現実に実現されることはない。それはまさに現代の我々が直面している問題でもある。
 安部氏はさかんに明治維新を褒め称え、現代日本の指針にしようとしているかのようだが、明治維新の歴史的限界についてはいったいどう考えているのだろうか。「戦争について痛切な反省」をしていると言けれど、戦争への道はすでに明治維新から始まって着々と進められてきた帝国主義的路線(侵略+国民統制→戦争)の帰結であって、戦争を本気で反省するなら戦後政治を生産する以前に、ちゃんと明治から戦前にかけての日本帝国の路線を清算しておかねばならない。

(つづく)