Nさん
ゴールデンウィークですね。ぼくは自分からゴールデンウィークに特別なレジャーなどした記憶がないです。そして今ではもうカレンダーとは全く関係ない生活になってしまいました。
ゴールデンウィークというのは、まあ世間ではレジャー週間ですが、視点を変えてみれば日本という国を考える絶好の時期だと思います。昭和の歴史と昭和天皇を考え、憲法を考え、子供の未来を考える一週間と言えるでしょう。そして5月1日はメーデーです。90歳の母にとって五月はなによりもまずメーデーで、それは戦争からの解放と戦後民主主義の象徴なのです。
さて、おっしゃるとおり現天皇もだいぶ高齢になりました。今の天皇が死んだ場合、おそらく昭和天皇の時を踏襲した儀式が行われるでしょう。というのは日本国憲法下で行われた天皇の葬送と代替わりの儀式は昭和天皇が最初だからです。基本的にはそのスタイルで問題なかったので、公式にはそうなるはずです。
ただし民間レベルではだいぶ違うかもしれません。当時と今では政治状況が全く違い、現状は完全に復古主義的環境にあります。昭和の時以上に、国民への洗脳と統制は厳しいものになると思います。
広い意味での天皇制度はおそらく1500年程度あると考えられますが、詳細な事実が明らかでない古代を除くと、天皇が終身制であったのは、わずかに明治、大正、昭和のみです。他の時代では途中で辞めることも出来ましたし、好きな時点で改元も出来たし、一度辞めてから再び天皇に復帰することも出来ました。
つまり明治以降の近代天皇制は、それまでの日本の天皇制度とは実は全く違うものだと言うことです。
ぼくはこれを「明治政権による絶対王政の密輸入」であると考えています。ようするにヨーロッパ型の絶対君主制こそが当時最強の国家形態と考えた明治維新勢力は、それを日本にも導入しようとして、表面的には天皇制度継承の形をとりつつ、実はキリスト教教会と絶対君主による支配構造を、国家神道と皇国史観と(共産党の規定するところの)天皇制によって実現しようとしたのです。
現天皇は戦後民主主義世代なので、たぶん個人としては民主主義的な人ではないかと推察します。そういう人が皮肉なことに民主主義的憲法によって皇室と天皇という立場に縛り付けられ、基本的人権を奪われている状況は非民主主義的、非人道的事態であると、ぼくも思います。
しかし戦後史の経緯から、そうした議論がほとんど表面に出てこず、いまだに復古主義か反天皇制かという対立で終わっているのは、「成熟した民主主義国家」としては、あまりにお粗末なことですよね。
ゴールデンウィークですね。ぼくは自分からゴールデンウィークに特別なレジャーなどした記憶がないです。そして今ではもうカレンダーとは全く関係ない生活になってしまいました。
ゴールデンウィークというのは、まあ世間ではレジャー週間ですが、視点を変えてみれば日本という国を考える絶好の時期だと思います。昭和の歴史と昭和天皇を考え、憲法を考え、子供の未来を考える一週間と言えるでしょう。そして5月1日はメーデーです。90歳の母にとって五月はなによりもまずメーデーで、それは戦争からの解放と戦後民主主義の象徴なのです。
さて、おっしゃるとおり現天皇もだいぶ高齢になりました。今の天皇が死んだ場合、おそらく昭和天皇の時を踏襲した儀式が行われるでしょう。というのは日本国憲法下で行われた天皇の葬送と代替わりの儀式は昭和天皇が最初だからです。基本的にはそのスタイルで問題なかったので、公式にはそうなるはずです。
ただし民間レベルではだいぶ違うかもしれません。当時と今では政治状況が全く違い、現状は完全に復古主義的環境にあります。昭和の時以上に、国民への洗脳と統制は厳しいものになると思います。
広い意味での天皇制度はおそらく1500年程度あると考えられますが、詳細な事実が明らかでない古代を除くと、天皇が終身制であったのは、わずかに明治、大正、昭和のみです。他の時代では途中で辞めることも出来ましたし、好きな時点で改元も出来たし、一度辞めてから再び天皇に復帰することも出来ました。
つまり明治以降の近代天皇制は、それまでの日本の天皇制度とは実は全く違うものだと言うことです。
ぼくはこれを「明治政権による絶対王政の密輸入」であると考えています。ようするにヨーロッパ型の絶対君主制こそが当時最強の国家形態と考えた明治維新勢力は、それを日本にも導入しようとして、表面的には天皇制度継承の形をとりつつ、実はキリスト教教会と絶対君主による支配構造を、国家神道と皇国史観と(共産党の規定するところの)天皇制によって実現しようとしたのです。
現天皇は戦後民主主義世代なので、たぶん個人としては民主主義的な人ではないかと推察します。そういう人が皮肉なことに民主主義的憲法によって皇室と天皇という立場に縛り付けられ、基本的人権を奪われている状況は非民主主義的、非人道的事態であると、ぼくも思います。
しかし戦後史の経緯から、そうした議論がほとんど表面に出てこず、いまだに復古主義か反天皇制かという対立で終わっているのは、「成熟した民主主義国家」としては、あまりにお粗末なことですよね。