暇になっても忙しい

定年を迎え、会社との雇用契約も終了。以前よりもだいぶ自由になる時間が増えてしまった今、さて何をしようかと。

47年後の再会

2008年08月13日 | どうなっているのか
8月7日付けのヘラルドトリビューン紙のヨーロッパ版に掲載されていた記事です。

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ドイツ人のRenateさんとHong Geunさんが初めてであったのは1955年の当時の東ドイツ。

二人とも大学で同じ化学の授業を受けていました。Hong Geunさんは北朝鮮からの
留学生でした。

1960年に東ドイツの小さな田舎町で招待客もなく、結婚式を挙げた二人の幸せは1年間で終わりとなります。

1961年、北朝鮮政府から東ドイツに留学していた350人の学生に対して、48時間以内の帰国命令がとどいたのです。

10ヶ月になる長男ピーター君を抱え、お腹には2番目の子を宿していたRenateさんは、涙ながらにイエナの駅で彼の乗った列車を見送りました。

手紙のやりとりは1963年2月26日の「息子は歩けるようになったか」と尋ねるHongさんの手紙を最後に、その後は、Renateさんから出した手紙は、配達もされずにそのまま返されてくるようになってしまいました。

彼女は北朝鮮大使館にも赴き、事情を説明しましたが、申し出は却下されます。

その後、彼女は、再び結婚することもありませんでした。

2007年になって、ドイツ政府とドイツ赤十字社の助けにより、Hongさんは北朝鮮の東海岸の町で新しい家族と引退後の生活を送っていることがわかりました。

彼女の送った手紙に対して、その4ヶ月後、昨年の彼女の誕生日7月27日に46年ぶりの彼の手紙が送られてきました。

そこには、覚えている彼の筆跡で「長生きができたら、きっとまた会うことができるという希望をあきらめない。君と二人の息子にどうしても会いたい。」と記されていました。

そして、先月25日、二人は平壌市内で、Hongさん74歳、Renateさん71歳、は47年ぶりに再会しました。

彼女のお土産は、本、洋服、ビタミン剤とカメラ。Hongさんは彼女に指輪とシャツをプレゼントしました。

12日間の滞在中、二人は毎日出会い、途中一泊泊まりで山岳地帯のリゾートにも
出かけました。 ただ、二人は、別々の部屋で泊まったのです。

「最初、彼は47年間使わなかったのでドイツ語が、わからないようだったけど、
すぐに思い出してくれたわ。 彼は年を取ったけど、彼の仕草や話し方はちっとも
変わってなかった。」

Hongさんには、現在、娘一人と息子二人の家族がいて、娘さんが同席、奥さんはRenateさんと会いたい希望を持っていましたが、病で会うことはできなかったそうです。

この次、いつ二人が会えるかは北朝鮮政府の許可が下りるかどうかによります。

「夫は、私に、何もかも任せてしまって申し訳なかった、二人の息子を育てて
くれたことに感謝すると言ってくれました。」

そして、

「私の人生の中で、私に会えたことは、偉大な授かり物だ(Great honor)とも、
言ってくれました。」


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二人の抱き合う写真は、感動的です。(ヘラルドトリビューン紙の掲載許可をいただいてません。)




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