“家畜” は ”奴隷” である。
そして、“ペット” は “セックススレイブ” である。
家畜 も ペット も 動物 である。 他の動物との違いは人間の勝手な利用目的、分類にもとづく。
奴隷 も セックススレイブ も 人間 である。 自由人との違いは自由人の勝手な利用目的、分類にもとづく。
女性の奴隷 も、男性のセックススレイブ も存在したし、今日でも存在する。
韓国では 食用の犬 を、ペット用の犬とは違う名前で 「ヌロンイ」 と呼んで区別する。
“別の名前” で呼ぶことによって、彼らは同じ犬でも平気で殺して食べる。
韓国や中国の “犬食”(けんしょく) に眉をひそめる日本のペットオーナーたちが、豚や牛の大量殺戮 を是認しながら平気で食べていられるのは、豚 や 牛 が “ポーク” や “ビーフ” だからであって、“トイプードル” ではないからである。
“動物” が大好きだ という多くのペットオーナーが “動物の肉” も大好きで、平気で食べられるの は、 “別の名前” のおかげ である。
彼らは 動物にとっての現実 を見ようとしないのである。自分のしている現実から目をそむけて、韓国の犬食 だけを 「ひどい!」 「ありえない!」 と思っているのである。自分のしていることの、自分の言っていることのおかしさにまったく気づいていないのである。
動物好きを自認しながら、しょせん 人間中心のウソの世界 に生きているのだ。つまり、まやかし の上に生きているのである。
牛や豚(奴隷)を殺して食べながら、ペット(セックススレイブ)を可愛がるという 偽善 に気づかずに生きているひとたちが 「自分は自然が好きだ、動物が好きだ」 と思っているのだ。
“韓国の犬食” は ”人間による動物食” の戯画 である。
「戯画(カリカチュア)」 の意味がわからないひとがいるかもしれない。
「これはあなたが毎日していることと変わらないんですよ」 ということである。
“豚肉や牛肉” の料理を前にして “猫や犬” を思うひとがどれだけいることか。
「動物はわたしの友達だ。そして、わたしはじぶんの友達を食べない。」
ジョージ・バーナード・ショー
“Animals are my friends. And I don’t eat my friends.”
George Bernard Shaw (1856–1950)
法要のあと坊さんが食事の席で 「牛も豚も生き物、お米も野菜も生き物、生き物には変りはない。なんでもありがたく頂けばいいんです。」 というようなことを言って坊主の肉食を正当化していました。
また、ある小学校では場見学の最後に「牛さん、豚さん、ありがとう!」 と声を合わせて言わされます。
これを “感謝のトリック” と言います。“感謝” をすれば、何でも許されるという都合のいいトリックです。冷静に考えて下さい。空き巣に入った人間は、「ありがとよ」 と独り言を言いながら立ち去ってもおかしくありません。婦女暴行をした犯人はニヤニヤしながら横たわる被害者に 「ありがとよ」 と言って立ち去るかもしれません。そうした人間の “感謝” はもちろん本心なのです。“感謝” というのはその程度のものなのです。それを “神聖視” する愚かさに気づかない人間が世の中の圧倒的多数派を占めているのです。