動画: ひつだん in 奈良:無いはずの言葉が涙と共にあふれ出す!
すでに 前記事 に書いたが、わたしは先日奈良で開催された 「ひつだん会」 というイベントに動画撮影の仕事で協力させて頂いた。「ひつだん」 も 「ひつだん会」 も一般的にはほとんど知られていない言葉で、こうしたイベントはたしかに一般向けではないだろう。実際、「ひつだん」 は障害のために通常の言語コミュニケーションが成立しないひとたちのためのものである。
わたし自身はそうした障害の当事者でもなく、家族や知り合いにもそうした当事者はいない。しかし、5年前に障害児教育に携わる友人から 「ひつだん」 なるものを聞き、非常に好奇心に駆られて 「ひつだん会」 の見学に行ったことがあった。そこで、今までの自分の人間観がくつがえるほどの衝撃を受けたのだ。障害の当事者にとってはもちろんのこと、非当事者にとっても、人間と言葉についての根源的誤解を吹き飛ばす非常に起爆力のある事象である。
● いかにわれわれは人間の能力を過小評価していることか!
● われわれは人間の持つ深い能力、障害者の住む豊かな言葉の世界について何と無知であることか!
● 「ひつだん」 はわれわれの人間についての深い誤解に気づかせてくれる。その意味で、「ひつだん」 は障害者やその家族だけの問題ではない。
そして、今回は自分から動画撮影の役を買って出たというわけだ。ザウルスのフィールドワークの一端である。
イベントは奈良で開催され、市内の場所を変えて2回開催された。
2回のイベントを合計4本の動画にまとめたので、その一部でもぜひご覧いただきたい。
https://rumble.com/user/zaurus22
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なお、撮影に当たってはあらかじめ参加者全員に、撮影されたくない方は申し出て頂ければ、映らないようにしますと警告したが、申し出たひとはほとんどいなかった。撮影の目的が自分たちと同じ境遇のまだ見ぬ仲間たちにも 「ひつだん」 を広く知ってもらうためであることが、当人や家族にも十分理解されているようだった。撮影するわたしを 「障害者を世間のさらしものにしようとしているのか」 と見るような視線はまったく感じなかった。わたしが鈍感なだけかもしれないが。
実際、柴田教授の 「ひつだん」 の相手には、以下のような言葉を綴ったひともいた。もちろん動画にはこの場面が収められている。ぜひご覧いただきたい。
「人間として認められて、とてもうれしいですが、指で自分の気持ちが伝わるなんて、夢のようですが、これは仲間のために使ってほしいです。
わたしは自分の意志はある程度伝えられるのですが、まったく伝えられなくて苦しんでいる仲間がいるので、その人たちをよろしくお願いします。
私を見てもみなさんが何だか全然見くだした感じがしないのが信じられなくて、これが平等な感じなんだと今つくづく心の底から実感できています。
施設のひとたちはいつも丁寧にわたしを平等に関わって下さいますが、一歩社会に出ると、わたしには針のような眼差しが降って来るので、わたしは本当は外に出ると傷だらけなのですが、温かいひとのおかげでその日のうちにまっさらになりますが、やっぱり眼差しによる傷はいっぱい負うので、みんなもきっと大変だろうなあと思っていましたが、こんなに温かい眼差しだけがわたしに向かってくるなんて、夢のようなので、本当にありがとうございます。
私も一人前の娘としてこれまで生きてきたけれど、ここまでそれを受け止めて頂いたのは初めてのことなので、心から感謝申し上げます。
これはきっと、新しい時代がここにちょっと早く来たということでしょうね。いつかこんな時代が来たらいいなあと夢に見ていましたが、今日はこの部屋の中だけかもしれないけれど、本当にわたしたちが認められる社会のことが実感できてとても感動しています。
何だかとってもいい気持ちになりましたが、だからこそ、たくさんの仲間にこの眼差しを感じてもらいたいと思います。
みんな同じ人間だし、みんな大切な人間なのに、何だかそのことを否定するような声もいっぱい聞こえる昨今なので、まったくわたしたちを当たり前の人間として見ることのできる社会が可能なのだということを本当に夢のように感じています。」 (ひつだん in 奈良 2024. 2.12.)
https://rumble.com/user/zaurus22