ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

1944年投下ビラ 「地震の次は何をお見舞いしましょうか」

2013-02-28 10:29:42 | 地震、大災害

「地震の次は何をお見舞いしましょうか」

番組名: NHK[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~  放送日: 2011-08-10


番組内容:
愛知県半田市には、日本最大の軍用機メーカーだった中島飛行機の工場・半田製作所があった。総面積270万平方メートル。従業員2万9千人。部品工場から滑走路まで完備した施設では、攻撃機「天山」や偵察機「彩雲」が一貫生産によって、1400機が製造されていた。

日本の戦況が悪化し、熟練工が戦地に次々と送られると、航空機増産の使命は「学徒勤労令」によって10代の少年・少女たちに課されることになった。
さらに「過酷な運命」が工場で働く学徒たちを襲った。
昭和19年(1944年)12月7日。午後1時36分、マグニチュード7.9の東南海地震が発生。死者・行方不明者、1223人にのぼったこの震災で最大の犠牲者を出したのは中島飛行機半田製作所だった。工場の倒壊による死者は、学徒96人を含む153人にのぼった。

国は軍需工場の被害がアメリカに知られることを恐れ、情報操作を行った。新聞は地震発生の事実を伝えるのみで具体的な被害には一切触れず、被災地では学徒たちに対して厳しい箝口令がしかれた。

東南海地震がもたらした悲劇が明らかになったのは、戦後十数年を経た後のことだった。
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ナレーション:
「東海地方に壊滅的な被害をもたらした大震災。しかし、国民にその実態が伝えられることはありませんでした。
発生の翌日、12月8日の新聞です。この日は真珠湾攻撃から3年の記念日。1面を大きく飾ったのは昭和天皇の写真でした。


地震については、発生の事実を伝えるのみ。具体的な被害にはいっさい触れていません。
新聞が沈黙を守るいっぽう、被災地では学徒たちに対して厳しいかん口令がしかれていました」


土屋嘉男氏: 「絶対これはね、ひとに言っちゃいけないって言うの、地震のこと。」「ほいで、秘密に、だから、うちにハガキ出すんでも、地震がありましたなんて書いちゃいけないって。検閲だから、全部手紙は・・・」

インタビュアー: 「それは軍からですか?」

土屋嘉男氏: 「うん、だから当時ね、どーいう地震なのか、震源地はどこなのか、何にもわかんない。ずーと、わかんなかった」


ナレーション:
「しかし、こうした日本の隠ぺい工作はムダに終わりました。震災から3日目の12月10日、アメリカ軍が撮影した偵察写真です。そこには地震の被害が克明に写し出されていました。アメリカは震災の実態を正確につかんでいたのです」

 

 「数日経ってB29が来て、ピラピラピラー っと・・・」

 「・・・見たら、ビラ!」

「拾ってみたら、これがまたショックだったんだ!」

「毛筆で、筆で『地震の次は、何をお見舞いしましょうか』 って書いてあったんだ!」 


インタビュアー: 「・・・あ、それじゃ、アメリカは知っていた・・・?」

土屋嘉男氏: 「知っていた!」  (どころではなかったのだ)

土屋嘉男(つちや よしお):1927年5月18日生まれ/俳優/主な作品:
『七人の侍』 『地球防衛軍』 『ガス人間第一号』 『怪獣大戦争』 『薔薇の葬列』 (ウィキペディアより)

 

この貴重な番組は、以下のNHKのサイトですべて見ることができる。この番組の放映はNHKの数年に一回の快挙である。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001220050_00000

NHK[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~

 

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