猫きらい人間が・猫ちゃんに癒される日々

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川村妙慶さんの法話より(2008.3.19)

2008年03月28日 08時56分52秒 | Weblog

   それぞれの目線

       ☆・・・川村妙慶さんの法話のHPです・・・☆

http://homepage3.nifty.com/sairenji/message/message.htm

 

ある村の集落があります。そこの方たちは申し合わせたように、必ず同じものを盆、正月、お彼岸、お歳暮などにお配りするそうです。
 
あるお宅には、その村のそれぞれの家から届けられるのですが、すべて同じ物だそうです。玄関には同じ商品が山のように積まれていました。
 
理由を聞くと、自分の所だけ違うものを送ると「村八分」にあってしまうからと。
 それぞれの家の方が選んで送るということが歴史上からできないのですね。
大変なご苦労だと感じました。

村八分という言葉があります。これは村の掟を破ったものは、村の人間が申し合わせて無視をするというものなのです。

なぜ8分というのでしょう。それは10の内2は、火事、葬儀だというのです。これは必ず協力するが、他の8分(出産、旅行、お祭り、お祝い事 その他)は付き合わないとのことだそうです。
村に共存するということは大変な苦労があるのですね。

しかし、 新潟の方からこんな貴重な話しもいただきました。
 稲刈りが休みと決められた雨の日、休まずに荷車を引き回し、
地盤の緩くなった道を壊しても知らん振りする。
盗みを働き貧しい人々の生活を更に困窮させる。
暴力で欲求を満たしたり、人に怪我をさせるなど、
何度注意しても直らないこれらの悪行に対し、村人が最後の手段として
この制裁を用い、集落の秩序を守ったといいます。

ただし、火災と葬式のときだけは制裁を中断、助け合ったそうです。
よって、村八分にはいじめの要素は全くなく、
みんなで助け合って生きていく中で、安息な秩序を保つための「情けを含んだ制裁」というふうに私は理解していました。
あらためて知らせれました。ありがとうございます。


しかし、会社や学校、組織にも「村八分」というものがあります。
その中には「私にとっては気にくわない奴だから」村八分にしたの。
という身勝手な思いで無視をするという人がいます。
それは、あくあでも「自分の目線」でしか人を見てないのです。

鳥の目線があります。
草木の目線もあります。
子どもの目線
環境で生きてきた目線

人間、それぞれの目線があるということを、どうぞ知ってください。