今回から、『食ひ改めよ -無病健康法-』(久留弘三:著、体行会:1937年刊)という本を数回に分けてご紹介したいと思います。なお、この本は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。
この本は、がんとは直接関係ありませんが、著者は、
「食物は生命をつくる力をもってゐるからには、同時に生命を殺す力も持ってゐる筈(はず)である。」
と明言して、食による健康維持・増進の秘訣を明らかにしているので、がん患者の方にも必ず参考になると思います。
また、昔の日本の歴史や文化を知ることができるのも面白いと思います。
例えば、戦国時代末期に日本に来たキリスト教の宣教師、フランシスコ・ザビエルの紀行文の一節を次のように引用して、かつて日本人は今(昭和12年当時)よりも体格がはるかに優秀だったと説いています。
「日本人は身体長大にして強健快活、礼儀正しく父母を尊敬し、名誉を重んじ、義に富み、実践躬行し、武術を練り、勇猛耐忍、喜怒色に顕はさず、寒暑飢渇に耐え、勤務に倦まず、貪慾を嫌ひ、盗竊を憎み、不正を好まず、玄米を常食し、牛馬羊豚を食せず、蓆上着衣のまま臥して非常の備をなす等、誠に世界無比の理想人なり」
我々のご先祖様は、「世界無比の理想人」だったのかと思うと、ちょっと誇らしいですね。
なお、躬行(きゅうこう)は「自分で実行すること」、盗竊(とうせつ)は「盗むこと」、蓆上(せきじょう)は「むしろ(敷物)の上」という意味です。(『大漢和辞典』(服部宇之吉:著、春秋書院:1925年刊)より)
ところが、強健だったはずの日本人も、明治以降次第に病弱になっていったようで、明治33年には1000人に1.5人足らずだった結核性胸部疾患は、30数年で20倍近く増加したそうです。
著者は、「人生五十年」と言ったのは昔の夢で、今では日本人の平均寿命は、男:44歳、女:46歳にすぎず、日本は世界一の病弱国になってしまったと嘆いています。
そして、日本が世界一の病弱国になってしまった原因の一つとして、明治以降、米に砂を混ぜた「混砂白米」(こんさはくまい)が流行していたことを指摘して、次のように書いています。
「即ち白米の中に早搗粉(はやつきこ)と称する砂(すな)土(つち)石粉(いしこ)又は液体類を混入するのであるが、かかる毒物を混入したる白米を主食として多年に亘(わた)って摂(と)ることが、どれ位我が国民の体質を害(そこ)なはしめたか。」
戦前の日本人が、砂の混じったご飯を食べていたとは驚きですね。早搗粉は、玄米の精米時間を短縮するために用いられた石英質の粉のようですが、これは洗米しても完全には除去できなかったようです。
当時、肺結核は死病と恐れられていましたが、この病気自体は昔からあったわけで、なぜこれが戦前に国民病と言われるほど流行したのか、よく考えると不思議です。ひょっとすると、「混砂白米」が肺結核流行の原因だったのかもしれませんね。
次回からは、健康法の話を中心にお伝えしますので、お楽しみに。