とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

雑誌 レコード芸術 2013-1月号を買う。

2012年12月30日 | クラシックCD


 「レコード芸術」との付き合いはいつからだだったのだろう。、付録に第50回レコードアカデミー賞と題された冊子がついていた。その第1回の大賞作品がブリテンの戦争レクイエム、その他の受賞作はブルーノワルターの指揮するマーラー巨人、ロストロさんとリヒテルのベートーベンのチェロソナタ全集、カール・ベームフィルハーモーニーとのコシ・ファン・トゥッテ全曲だった。いずれも所持しているが、この受賞の記憶があることから購入したのは確かだし、すくなくともこの時期に読んでいたか、おそくとも2-3年の間には読んでいたはずだ。いずれにしろ中学生の時に出会った雑誌だったのは間違いない。高校に入学すると図書室にはあったので欠かさず読んでいた。
 大学に入学すると、輸入レコードのバーゲンセールによく出かけるため、山野やWAVEで輸入雑誌でチェックをしていたことから、レコード芸術の評価があまりにも、レコード会社のPRに偏った論評が多々あったことを知り、自前で購入するのは付録につられての新年号だけになった。
 新年号は1975年までは「作曲家別洋楽レコード総目録」が付録として付いたが、1976年からは「Record Year Book」に変わった。この付録のためだけに毎年新年号は購入している。出来ればCD-ROM版が欲しいのだが、これは日本の音楽文化の貴重なデータだと思う。しかし「評論雑誌」としての価値は、大学時代に海外雑誌の評論を読んだ時に、愕然とした。まさに論評者が評論家ではなく広告ライターにすぎないことを知ったからだ。当時のメジャーレコード会社の録音だけを論じていたPR雑誌だったのだ。(今も同じだが)また評者にしても、ワンパターンの評論に終始し、基礎的な資料のチェックがなさすぎるし、いつまでも物故者もの評価だけで喰っている評論ではあるまいと思うのだが。

 今回典型的な記事をみつけてしまった。少し長くなるがこの雑誌でしばしば見られる誤った論評パターンを紹介します。
ハインリッヒ・ホルライザー指揮バンベルグ交響楽団 「ブルックナーのSym No.4」に関して
 
 もう一つ注目すべきは「1959年のバンベルク響の記録」としての重要性。このオーケストラは、共産化されたチェコを逃れた楽員たちがバンベルグで結成した新生楽団で、実質はチェコ人のオーケストラだった。(そもそもプラハに住むドイツ人が設立したドイツフィルハーモニーが母体で敗戦によりドイツに引き上げた人たちで再結成された)
 2012年の来日公演ではほとんどがドイツ人になっていたようだがこの録音時は、まだチェコの楽員が中心だったはずで、ボヘミアの香りが色濃く残っている。(1990前後の来日時すでに日本人も多数在籍しており、すでに国際化している。ボヘミアの香とは具体的に何をしめすのか不明)
 チェコというとホルンだが、冒頭を皮切りに、随所で主題を担うソロの柔らかく暖かな音色は聴きものだ。(この楽団とチェコとやわらかなホルンは結びつかない)

 正に詐欺師的な口車としかいいようのない論評が50年間すくなくとも生きながらえていることがこの雑誌の持ち味か、
 この評者は、ドヴォルザークの新世界交響曲でのコンセルトヘボウの演奏をどのように評価するのだろう。この楽団のソロホルン奏者は女性だ。私はこのホルン奏者の演奏がすきだし、新世界も好きだ。先の評者は、きっとこう述べるだろう。この女性奏者の遺伝子は男性遺伝子がまさり、先祖はボヘミア人とアメリカインディアンの混血であろう。だから新世界交響曲にふさわしい、力強い響きと、ふるさとボヘミアの郷愁を誘う素晴らしい音色が出るのだろう・・・と


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