昨日は3カ月ごとの前立腺癌の術後検診の日だった。2007年6月に手術を行い、再発の兆候が見られたことから、2009年2月に放射線治療を受けたがその後も癌マーカーの数値であるPSA値が上昇し、一旦はホルモン治療でPSA値が0になったのだが、その後またPSA値が上昇し、昨年10月に骨シンチ、MRI検査を受け一部疑義ありの結果で翌月疑義のあった腹部と骨盤のCT検査を受けたが「癌の再発は認められず」の結果にほっとしたのだが、その後の検診では、相変わらず検診のたびごとにPSA値が上昇することから、次回の検診日は再度癌転移検査のため骨シンチ検査を受けることで、今日の診察は終了となった。
10時30分の検診予約のため、血液・尿の採取のため9時30分に着く到着するように7時31分のバスで家を出た。年金生活ゆえに遊びの時は現役世代に迷惑がかからぬように通勤時間帯は避けるのだが、この日はもろにラッシュにぶつかった。混雑で電車が遅れ、病院到着は10分遅れとなった。すぐに採血採尿を済ませ、売店でサンドイッチを朝食に取った。予約時間になったので診療科のまえに行くといつも同様の現在の診療中の患者の予約時間は9時20分と掲示されたいた。1時間の遅れは経験上この病院では想定の範囲内と諦めた。しかし今日の病院は混んでいた。私同様におそらく勤務先の定期健康診断で癌が発見されたか疑義を指摘された人が多いのだろうと想像した。
私の診察順番はなかなか「呼び出し端末」がならず結局2時間遅れて診察室に入った。しかも診察時間は5分もかからなかった。
なお都合の悪いことに、この日健保組合の保険から国民健保に代わっての最初の日で変更申請したため、いつも利用していた、カード利用の自動精算機使用ができずに会計窓口での清算になったのだが、27人待ちの順番だった。その間受付の女性は何度もシステムトラブルなのか、バックヤードに行き来していた。結局病院を出たのは1時半だった。
2007年にこの病院を訪れた時は、病院の施設の新しさ、そして管理システムの新しさに目を見張った。しかし8年経過した今では、患者数、データ数は処理能力を超えているのだろう。また取り巻く環境も我らが団塊の世代が「いびつな社会」に仕立てあげているのだろう。日本創生会議は、団塊世代の介護問題で、「団塊世代は田舎に帰れ」と提案しているが、その前提になる、年金データ、個人の医療データ、医療保険制度と元となるデータ管理とその活用にどれだけ国が注力しているのかが「不信」でしかない。「マイ・ナンバー」も「ビックデータ」の活用も請け負う企業の信頼性はだれが担保するのだろう。また介護制度以前に医療制度の改革は誰が責任を持つのだろうか、役所の既得権益保護下の許認可行政が、医学大学の新規どころか医者の数量までもが規制され、しかも医者の品質表示は一向に進まず、純国産に限られ自由化の世界からは医療行政が鎖国化している現状のままだ。
今朝乗ったユリカモメに小学生の遠足の一団がいた。その中の男の子のグループが遠足の一団から離れて最後部席に陣取った。本当は先頭車両に行きたかったのだろうが、一般の観光客に占められあきらめたのだ。しかし、すぐに引率の先生に怒られ真ん中の団体車両に連れ戻された。その光景を思い出し帰りのユリカモメはたまたま空いていた先頭車両に座り、2020年東京オリンピックを控え変わりゆくユリカモメの沿線を写真に収めた。
2007年の時はあたりの風景を見る余裕もなかったが、2009年にはスカイツリーが通うたびに変化する工事進捗状況を車窓から写真に収め、現在は築地新市場工事が日々変化している。資本の論理は、利潤に向けてはダイナミックに躍動するが、資本の論理が犯した負の資産にはかたくなに行動を拒む。3.11後のFUKUSIMAに対して、沖縄戦後70年に対してシンゾウ君は何を考えているのだ。東京の変貌と、沖縄とFUKUSIMAの変貌の違いを、シンゾウ君の頭では違いが理解できないようだ。
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