ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

私はピアノ:2000字の話

2015-10-21 17:15:04 | Weblog
 私はピアノ。
 手の指は八十八鍵、足はキャスター付き。でも鍵は自分で叩けない。足も自分で動けない。人間様のなすままに、置かれた場所で終日じっとしている身です。
 生まれ故郷の工場を車に乗って運ばれて着いた所は楽器店。お店で時々客がピンポンと居眠りは駄目ですよ、と私を軽く叩く。
 ある日四人の親子がやって来た。
 子供は可愛い女の子。
 妹は店へ入るやスキップで、並んだピアノを小さな指で叩いて、耳を傾け、音はどこから出てくるの、と不思議そうに首を振り振り又叩く、姉はだまって、品定めと値段のひそひそ話を、心踊らせ上目遣いで聞いていた。妹はそんな事にはおかまいなしで、ピアノに次々触ってはピンポンピンポンと叩きながら私に近づいて小さな指で優しくタッチ、ママこのピアノがいい、これに決めてよ、と言いだした。姉は相変もわらず両親の顔をだまって見ていた。親の会話に「高過ぎないの」という言葉が気掛りで自分の気持ちを言いだせない、可愛いなあ・・・親の気持ちを感じるなんて・・・・・
こんな家族に買ってもらえればいいなあ・・
でも高価だから奮発してくれるかどうかわからない。ちびちゃんがもう一度軽く私の顔をタッチして横合いから背伸びしながら・・・
「ママ、パパ、姉ちゃん、私はこのピアノがいい」と宣言した。迷っていた両親は娘を交互に見つめて頷き合った。その仕草は決断の合図に違いないと思った。正解だった。ついに新しい生活が始まると思うと、高ぶった感情が鍵盤を揺らし、思わずトレモロを奏でた。二人は手を取り合って飛び跳ねて、軽く私にタッチして顔をほころばせ、直ぐにピアノを弾きたくて手を広げたり閉じたり、もぞもぞしていた。
 二日後、私は車に乗せられ、初めて見る街の風景に目を奪われた。この移動が終わればもう二度と目にしない街を頭に焼き付けようと夢中になった。ゆっくり走って、とつぶやいても車はスピードを上げてあっという間に着いた。そこは古い家並の団地で車は狭い道をやっと通り抜け、バックで玄関前に停車した。地上へはクレーンで楽に下ろされた。でもこれから大変だと思った。私の図体は大きくて重い、二百五十キロの巨漢です。先ず玄関へ何とか運び込まれて、一休み、それからえっちらおっちら、希望は、明るい窓際の庭の見える応接間、でも着いたところは、ちょっと暗めの六畳間、床は畳で壁を背にして私の居場所が決まりました。
 いよいよ私の人生が始まった。
 家族みんなで大歓迎。ふたを開けると大はしゃぎ、二人の小さな指がめちゃくちゃに鍵盤を飛び跳ねて止まりません。私も精一杯いい音を響かせて一緒に喜びを満喫しました。
 落ち着きが戻ると、姉がバイエルの教本を弾き始めた。私はいつでも鍵盤のタッチに合わせて正確な音を出す準備はできていた。みんなは姉ちゃんの指の動きに目を凝らし、ピアノが奏でる響きを楽しんだ。これが幸せなのだと思うと、少し心がウルットして感情の高ぶった音を出しそうになった。
 ママ、ピアノ習いたい、と妹が声をあげた。
 そうだね、お姉ちゃんと一緒に行こうかな、
 妹は早く姉に追いつきたくて、時間があれば直ぐに弾き始める、でも小さな指は中々思うようには鍵盤上をうまく動かない。時々私をバンバン叩いてかんしゃくを爆発させるが、収まると確り練習を始めました。感心、感心。でも少し上達するにつれ指導が厳しくなってきてぶつぶつ言いながら弾いていた。私は少しでもいい音で元気づけようと頑張ったが難しかった。妹は学年が上がると水泳に熱中してピアノと疎遠になっちゃった。姉ちゃんも部活で疲れてピアノは弾かなくなってしまった。二人の元気な声の中にいながら音も立てず、じっと淋しさに耐えていた。しまいにはふたをされ、カバーをかけられ、物置状態に。
 でも、どうすることも出来ません。
 私はピアノ。つくづくせつなかった。
 それでも我慢の十五年、思わぬ大ピンチがやって来た。家の改築で弾く人のいないピアノに処分の決定。住み慣れた所を離れ、いったい何処へ売られて行くのやら、不安な日々が続いた。議論の末、ママの兄さんに引き取られる事に決まった。
 とうとう思い出の詰まった家を出る日がやって来た。ウントコドッコイショと玄関まで引きずられ、トラックに乗せられた。百キロのドライブはじっと目を閉じたままだった。  
 今度の家で、居場所は何処になるのだろう。
 広い座敷の西の隅、障子の向こうは木々の庭、私の理想の場所でした。ところで誰が弾くのかな・・習い始めたばかりのおじいさんが赤とんぼをたどたどしい指使いで弾いた。
 ピアノの音が再び響いてうれしかった。
 おじいさんの楽しみのお裾分けを頂こう。

2000字の話 心のボール

2015-10-20 22:15:44 | Weblog
 夜明け前の鎮守の森に太鼓が響き御神輿が威勢のいい掛け声で周りの人を祭りの渦へ誘い込む。人垣に遮られて見えない。大人の足をかき分けながら前へと分け入って、一番前に出た。首を一杯後ろへそらして見上げると神輿の頭飾りがゆれていた。
 大きくなったら法被を着て鉢巻きして、足袋はだしで・・・と空想していると神輿はだんだん離れて行った。周りの人もまばらになって、気付くと母さんも姉さんもいなかった。どうしよう、と立ち上がって周りをきょろきょろ見回すが顔見知りの人もいなかった。少し待てば探しにもどって来てくれる、と高をくくってじっと待ったが駄目だった。泣きべそをかきながらぼんやりと座り込んだ。すると、目の前で何かが動いた、目を凝らすとボールがポッ、ポッと灯ったり消えたりを繰り返して、こちらへついておいで、と促すように転がった。思わず腰を浮かせて手を伸ばすと弾んで消えた。少し前方で、ふわりと空中に浮かんだままかすかな明かりを灯してここまでお出でよ、と又誘われて、思わず一歩飛び出し、手を伸ばすとスルリと抜けて地面に落ちて大きく跳ねてずっと前で上下しながら浮いていた。気が付くと周りは小さな森になっていた。それでもまだあきらめず、ボールを追いかけて、杉の木立をすり抜けた。突然そこは別世界。夜中に起こされて神輿の宮だしにつれて来られた眠たい目に、光が眩しくて瞬きを繰り返した。空は雲一つなく、太陽がさんさんと降り注ぐ真昼だった。
 イノシシ、たぬき、キツネ、ムササビ、シマフクロウが一斉にこちらを見つめていた。真中にどかっとたくさんの食べ物が置かれていた。くり、みかん、サツマイモ、大根、人参、イチゴ、桃、梨、リンゴにキーウイー、バナナ・・・季節も何もおかまいなしで不思議な組み合わせに面食らった。威厳に満ちたシマフクロウが、「おやおや、なんだか怪訝な顔、何かおかしいかな、」と話しかけた。思わず「ここは何処、何をしているの」と聞き返した。「ここは夢の森の国なのだよ、姿はみんな違うけれどみんな不思議なボールの入るポケットを持っている仲間なのだよ、あんたをここへ案内して来た、あのほのかに灯るボールをね、」でも何の事だかわからない。
ボールが一体何をするのだろうか。今度はずんぐり姿のイノシシが「まあゆっくりと、そこへ座ってご馳走を食べながら話そうよ」と言った。でも料理は何処にあるの、と問いかけようと、思ったらビックリ仰天、目の前に豪華な料理が勢揃い。「さあどうぞ、お腹いっぱい食べなさい」と今度はタヌキが言いました。目をこすり、ほっぺたつねると夢ではなくていたかった。いやいや、キツネとタヌキに化かされている、と思いつつ、試しにつまんだ巻き寿司はいつも食べている母の味、不思議、益々訳が分からない。母の味をどうして知っているの・・・「確かに、それは不思議だよね、あなたをここへ連れて来た丸いボールを覚えている、ボールは人の心がみえるのよ、はぐれたあなたを見つけて、しばらく僕らと遊んでいればあなたの母さんが迎えに戻って来ると言っていた。」とモモンガが喋りだす。
 「みんな夜が得意な方ばかり、明るい太陽浴びながらどうしてボクを歓待してくれるのか教えて」「それは我々にも解らないのだけれど、あのボールが弾んで来て、ポケットに飛び込むとあっという間にワープしていつものメンバーに出会うのです。そこには困った人や悲しみに沈んだ人がボールに誘われてやってくる。その人たちの困った事や哀しい事を私たちはどうする事も出来ません、でもあのボールが作り出す明るい広場に集まって、心と心をつなぎ合い、寄り添って同じ思いを共にする、ただそれだけで淋しさや悲しみも少しずつ消えて行くようです。明るい空の下にいるだけで暗い思いも和らいで、元気が湧いて来るのでしょう。私たちに出来るのは、ただ一緒にいてあげる事、それだけです。淋しい人や哀しい人にとって、誰か側にいてくれる、それだけできっと心が和むはず。不思議なボールもみんなの心が読める訳ではありません。それでもいつも街角や人通りの多い所を飛び跳ねたり転がったりと休む事なく移動して、淋しさ抱えた人がいれば優しく寄り添って、深く沈んだ心の影に明るい光をそっと当て、暗い気持ちを和らげる。でもね、不思議なボールだけでは駄目なの、魔法で望みを叶える事は出来ません。みんなの心のポケットの優しさをそっとボールにひそませて優しく届けてあげなければ」と聞きながら、寿司をつまむと明るい空が消え去って夜明けの神社の石段に座ってまどろんでいた。やっぱりあれは夢だった、とつぶやいた前をボールが転がった。驚き追いかけ立ち上がる、と笑顔の母さんが手招きして呼んでいた。目をこすりながら手をふった。思いやりのボールは誰のポケットにもあるのだ、と思った。

ぱしふぃっくびーなす寄港

2015-10-18 14:43:13 | Weblog




久し振りに大きな汽船を見た。
萩ー今治ー宮崎ー神戸ルートのクルーズの途中の寄港。
この船が今治港の大型フェリー岸壁へ接岸できれば町の活性化になるのだが
今接岸しているのは貨物船の岸壁だ。
大型フェリーの専用岸壁では海の深さが足りないのだろうか?

じいちゃんの戦争

2015-10-06 11:07:04 | Weblog
戦後70年、厳しい嫌な時代を思い出しながら孫に戦争の話をした。

「じいちゃんは、戦争を知っているの」
「そうだね、じいちゃんが一才になって直ぐ太平洋戦争が始まったんだ。でもね・・七十年たっても、ひどく惨めな戦争中の生活は昨日の出来事のようにハッキリとおぼえている。本当に恐ろしくてたまらなかったんだ。」
 「じいちゃん、戦争ってそんなに怖いの」
「そうさ、テレビのニュースやアニメの戦争とはちがうんだ、じいちゃんは人と人が爆弾や鉄砲で殺し合う中にいたんだ、怖かった。」
 「ぼくはアニメの戦争ゲームをよくするよ」
 「ゲームだと鉄砲で撃たれても痛くもなく、血も出ないだろう、でもね、本当の戦争はね、飛行機から機関銃で逃げまどう人を的あてゲームのように、ダッダッと弾丸をうつんだ、すると音の度に人が倒れて死んでいったんだ。本当に怖かった。ある時弟をつれて川土手を歩いていると飛行機の爆音と、警戒警報のサイレンが聞こえて無我夢中で手をぎゅっと握って、必死に走って返ったことがあった。弟は泣きながら転ばないように小さな足を弾ませていた。心の中でお母さん、お母さんと叫んでいた。空から降ってくる爆弾はどこに落ちるかわからないからとても怖かった。」
 じいちゃんの顔をじっと見上げていた。
 「お父さんが居れば心丈夫だったんだが、満州という零下四十度にもなるものすごく寒い戦場で戦っていて家にはひいばあちゃんと六才の姉ちゃんと三才の弟と四才のじいちゃんの四人だった。夜になると飛行機から落とされた時限爆弾がどこかで突然爆発してドカーン、ドカーンと大きな音が響いて家をガタガタと揺らすんだ、小さな心臓はドキドキして飛び出しそうになった。じいちゃん達は爆発の度にお母さんに抱きついて震えていた。防空頭巾をかぶって必死で耳をふさいでいても、ドカーンの音は聞こえて来るんだよ、四才だったから死ぬってことがどうなのかわからなかったけれど怖くてたまらなかった。でも泣いたりしなかった。お母さんの姿を見てじっと我慢をしていたんだ。でも毎日怯える生活も耐えられなくなって、田舎へ疎開することにしたんだ。」
 「じいちゃん、疎開いってどういう事。」
 「街に飛行機が来て爆弾を落とすから、それを避けるために安全な所へ逃げるんだ。引っ越しは大変だったよ、車のない時代だから大八車を借りて母親と幼い子供の四人で家財道具を積み込んで十五キロのガタガタ道を運ばなければならなかった。家は農家の納屋でヘビが卵を飲んでいたり、天井をはっていたり、と驚きの連続だった。前の小川でうなぎをつかみ、夕飯のおかずにしたこともあった。カボチャの花でカエルも釣って食べた。お母さんと土手を開墾して野菜も植えた。大きな切り株や石ころを除けて土を耕すのはとても疲れる仕事だった。お母さんは黙々と働き、腹をすかせた子供達の食事を一番気にしていた。どんなにひどい時もお母さんは子供の事を考えているんだ。うれしかった。」
 「う~ん・・そうだとボクも思うよ、でも忘れて、時々文句を言ったりしているよ」
 「そうだね、今の時代はものが溢れているから仕方ないだろう・・・じいちゃんの戦時中の話をもう少し話そうかな・・・」
 「ボク、もっともっと聞きたい。」
 「そう言えば、農道で暴れ牛に出くわしたことがあった。突進して来る牛の大きさに驚いて立ちすくんでしまった。当たると思った瞬間田圃へ飛び込んで避けた。ドスン、ドスンと土をけ散らし、すごい鼻息で通り過ぎた。飛び起きて一気に走って井戸端でゴクゴクと水を飲んだ。本当に怖かったよ。牛はものすごく大きい黒い岩のかたまりのようだった。」
 「牛がいたの、今は田圃で牛は見ないよ」
 「そうだよね、昔は牛がトラクターの役で鋤を引いて田圃を耕していたんだよ。じいちゃんはお百姓さんの手伝いをした。農作業は鍬を使って田圃を耕して稲の株の掘り起こしや、麦踏みもした。開墾した畑でイモをいっぱい収穫したよ。色々な体験は思い出となっているけど・・戦争は本当にいやだった、戦争をしてはいけない、絶対に。」
 「じいちゃん、戦争はいつ終わったの。」
 「昭和二十年八月十五日が終戦だった。でもその数日前に大空襲があった。夜畑の中にかくれて空を見上げると数えきれない飛行機が頭の上を飛び去って行くんだ、唸るような爆音が響いて、とても怖くて震えていた。街は真っ赤に炎で燃え上がり空一面を昼のように照らしていた。逃げ返ってきたすすけた顔の叔父さんがかすれる声で絞り出すように、焼かれてうめいている人の中を必死でかけてきた、と涙声で話した。兵隊でもない人を無差別に、子供も大人も男も女も、住む家も、何一つ残さず焼き払った恐ろしい焼夷弾を神様も仏様もどうすることも出来なかった。戦争は怖いんだ。平和がいい、平和は本当に素晴らしい、戦争をしない国に生まれて来てよかったね。でも平和を守るのは厳しいぞ」

戦争のない平和な70年が少しずつ変化している。次代の平和を担って行く若者に期待しよう!