ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

じいちゃんの戦争

2015-10-06 11:07:04 | Weblog
戦後70年、厳しい嫌な時代を思い出しながら孫に戦争の話をした。

「じいちゃんは、戦争を知っているの」
「そうだね、じいちゃんが一才になって直ぐ太平洋戦争が始まったんだ。でもね・・七十年たっても、ひどく惨めな戦争中の生活は昨日の出来事のようにハッキリとおぼえている。本当に恐ろしくてたまらなかったんだ。」
 「じいちゃん、戦争ってそんなに怖いの」
「そうさ、テレビのニュースやアニメの戦争とはちがうんだ、じいちゃんは人と人が爆弾や鉄砲で殺し合う中にいたんだ、怖かった。」
 「ぼくはアニメの戦争ゲームをよくするよ」
 「ゲームだと鉄砲で撃たれても痛くもなく、血も出ないだろう、でもね、本当の戦争はね、飛行機から機関銃で逃げまどう人を的あてゲームのように、ダッダッと弾丸をうつんだ、すると音の度に人が倒れて死んでいったんだ。本当に怖かった。ある時弟をつれて川土手を歩いていると飛行機の爆音と、警戒警報のサイレンが聞こえて無我夢中で手をぎゅっと握って、必死に走って返ったことがあった。弟は泣きながら転ばないように小さな足を弾ませていた。心の中でお母さん、お母さんと叫んでいた。空から降ってくる爆弾はどこに落ちるかわからないからとても怖かった。」
 じいちゃんの顔をじっと見上げていた。
 「お父さんが居れば心丈夫だったんだが、満州という零下四十度にもなるものすごく寒い戦場で戦っていて家にはひいばあちゃんと六才の姉ちゃんと三才の弟と四才のじいちゃんの四人だった。夜になると飛行機から落とされた時限爆弾がどこかで突然爆発してドカーン、ドカーンと大きな音が響いて家をガタガタと揺らすんだ、小さな心臓はドキドキして飛び出しそうになった。じいちゃん達は爆発の度にお母さんに抱きついて震えていた。防空頭巾をかぶって必死で耳をふさいでいても、ドカーンの音は聞こえて来るんだよ、四才だったから死ぬってことがどうなのかわからなかったけれど怖くてたまらなかった。でも泣いたりしなかった。お母さんの姿を見てじっと我慢をしていたんだ。でも毎日怯える生活も耐えられなくなって、田舎へ疎開することにしたんだ。」
 「じいちゃん、疎開いってどういう事。」
 「街に飛行機が来て爆弾を落とすから、それを避けるために安全な所へ逃げるんだ。引っ越しは大変だったよ、車のない時代だから大八車を借りて母親と幼い子供の四人で家財道具を積み込んで十五キロのガタガタ道を運ばなければならなかった。家は農家の納屋でヘビが卵を飲んでいたり、天井をはっていたり、と驚きの連続だった。前の小川でうなぎをつかみ、夕飯のおかずにしたこともあった。カボチャの花でカエルも釣って食べた。お母さんと土手を開墾して野菜も植えた。大きな切り株や石ころを除けて土を耕すのはとても疲れる仕事だった。お母さんは黙々と働き、腹をすかせた子供達の食事を一番気にしていた。どんなにひどい時もお母さんは子供の事を考えているんだ。うれしかった。」
 「う~ん・・そうだとボクも思うよ、でも忘れて、時々文句を言ったりしているよ」
 「そうだね、今の時代はものが溢れているから仕方ないだろう・・・じいちゃんの戦時中の話をもう少し話そうかな・・・」
 「ボク、もっともっと聞きたい。」
 「そう言えば、農道で暴れ牛に出くわしたことがあった。突進して来る牛の大きさに驚いて立ちすくんでしまった。当たると思った瞬間田圃へ飛び込んで避けた。ドスン、ドスンと土をけ散らし、すごい鼻息で通り過ぎた。飛び起きて一気に走って井戸端でゴクゴクと水を飲んだ。本当に怖かったよ。牛はものすごく大きい黒い岩のかたまりのようだった。」
 「牛がいたの、今は田圃で牛は見ないよ」
 「そうだよね、昔は牛がトラクターの役で鋤を引いて田圃を耕していたんだよ。じいちゃんはお百姓さんの手伝いをした。農作業は鍬を使って田圃を耕して稲の株の掘り起こしや、麦踏みもした。開墾した畑でイモをいっぱい収穫したよ。色々な体験は思い出となっているけど・・戦争は本当にいやだった、戦争をしてはいけない、絶対に。」
 「じいちゃん、戦争はいつ終わったの。」
 「昭和二十年八月十五日が終戦だった。でもその数日前に大空襲があった。夜畑の中にかくれて空を見上げると数えきれない飛行機が頭の上を飛び去って行くんだ、唸るような爆音が響いて、とても怖くて震えていた。街は真っ赤に炎で燃え上がり空一面を昼のように照らしていた。逃げ返ってきたすすけた顔の叔父さんがかすれる声で絞り出すように、焼かれてうめいている人の中を必死でかけてきた、と涙声で話した。兵隊でもない人を無差別に、子供も大人も男も女も、住む家も、何一つ残さず焼き払った恐ろしい焼夷弾を神様も仏様もどうすることも出来なかった。戦争は怖いんだ。平和がいい、平和は本当に素晴らしい、戦争をしない国に生まれて来てよかったね。でも平和を守るのは厳しいぞ」

戦争のない平和な70年が少しずつ変化している。次代の平和を担って行く若者に期待しよう!