笑顔に会いたくて

2011年6月にカメラ購入。カメラ初心者が花や町、史跡・城などなど好きなもの探しに挑戦するブログです。

石田堤

2014-04-29 | 





さきたま古墳群から遊歩道のさきたま緑道を歩き、石田堤へと向かう。
石田堤は、石田三成が忍城を水攻めにした際に築いた堤である。




総延長28㎞といわれるこの堤はの一部がここに残っている。
28㎞のこの堤を石田三成は1週間で築いたと言われている。




石田堤近辺は、石田堤史跡公園となっている。




再現された堤。



横から見た石田堤。高さがよくわかる。



石田堤からさらにさきたま緑道を進み、北鴻巣駅に向かう。


途中、「夫婦の木」というケヤキの木があった。



手を手を結んだような形から、この名前がついたのだろう。



さきたま緑道は歩くにはとても気持ちが良い道である。
ランニングしている人も多い。



駅のそばには、埴輪を形どった案内版があった。



2時間近く歩いただろうか? やっと北鴻巣駅に到着。

行田市 忍城

2014-04-20 | 

行田市の忍城を見に出かけた。
忍城は、一昨年映画にもなった小説「のぼうの城」の舞台になった城だ。



東武線、行田市駅。










水城公園。






水城公園を通りぬけると、C57蒸気機関車がある。



行田市役所のそばにある浮き城の径。
遠くに忍城の櫓が見える。



再建された櫓。ここは行田市行田博物館になっている。






鐘。











水戸 偕楽園と仙波湖

2014-02-11 | 
日本三大庭園の一つ、偕楽園にいく。
偕楽園は水戸藩主 徳川斉昭の時につくられた。


好文亭の表門。
好文亭は偕楽園の中に建てられている。




好文亭に続く道。



吐玉泉。



好文亭。
好文亭の二階から仙波湖を望む、その眺めは素晴らしかった。



偕楽園。
梅の時期とは違い、梅の木が青々としている。
観光客も少ない。



「大日本史完成の地」の碑が、人眼につかにような木の陰にひっそりとあった。
水戸光圀から始まり、約250年かけて完成した。
気が遠くなるような話だが、よくぞここまで受け継がれ、完成したものだと思う。



仙波湖側から好文亭を見る。



水戸光圀公の銅像。



優雅に仙波湖を泳ぐ白鳥。



仙波湖には黒鳥もいる。
宇部市から贈られた鳥らしい。



白鳥は親善都市となった彦根市からの贈り物である。
桜田門外の変で、彦根と水戸は敵となった。
桜田門外の変は、言わずと知れた水戸藩士が彦根藩主井伊直弼を暗殺した事件である。
時を経て、2つの藩、いや都市は親善都市となったのだ。
白鳥はその親交の証なのだろう。







茨木県近代美術館で、「熊田千佳慕展」が開催されていた。
前から見てみたかった絵なので、美術館に立ち寄ってしまった。





水戸 弘道館

2014-02-08 | 
半年前、弘道館は復興工事中だった。
2014年2月の梅の季節にあわせて修復を急いでいるとのことだった。
そろそろ修正された弘道館は見られるのだろう。






ここ、水戸は東日本大震災の被害が大きかった。
弘道館も壁や塀が崩れたようだ。



被災状況の写真が貼ってあった。



震災前の姿の写真も展示されてる。
これを見て、思いをはせる。



工事中で、庭も荒れている。
以前きた時はこんな雑草が多い庭ではなかったと思う。



修復された塀。



三の丸空堀。







太平洋戦争で、水戸も空襲にあった。
昭和二十年八月だったそうである。焦土と化した水戸で生き残った銀杏である。
戦後復興のシンボルともなった木である。




黄門様の故郷 水戸

2014-02-05 | 
昨年の夏、水戸に行った。
水戸城址を見にいくためだ。
今は最高気温6℃という寒さだが、半年前はものすごく暑かった。



上野からスーパー日立で水戸へむかう。



水戸駅を降りると水戸黄門、助さん、格さんの像が迎えてくれる。



駅を出て5分ほど歩くと、「義公生誕の地」の看板が出てきた。
「義公」とは徳川光圀公のことである。



ここが生誕の地。今は水戸黄門神社となっていた。



水戸城はすでになく、天守や櫓などはない。
石垣もない。土塁の城なのだ。
しかし、水戸駅の周辺を歩くと城があったことを感じさせるものがたくさんあった。




ここは三の丸あと。
小学校になっている。その名も「水戸三の丸小学校」。




二の丸に「大日本史編纂の地」と書かれた碑があった。
大日本史は水戸光圀が開始し、約250年もかけつくられた歴史書だ。
ここは、市立水戸第二中学校となっている。



水戸第二中学校のシンボルになっている大シイ。
戦国時代からあるといわれ、樹齢400年以上と推定される樹木だ。
この水戸の変遷を見てきた樹木なのだ。




水戸城址通り。




本丸跡にむかって歩いていくと、こんな看板が出てきた。
本丸は、県立水戸第一高校になっている。



本丸と二の丸の間にある空堀。
空堀の底にはJR水郡線が通っている。







薬医門。
水戸第一高校の中にある。
隣には高項のテニスコートがあった。




本丸を降りていき、空堀の底から本丸を見上げる。
遠くに見えるのは本城橋。
空堀の右側が本丸、左側が二の丸になる。















北陸城めぐり11  一乗谷城

2014-01-27 | 
福井の一乗谷へ。
一乗谷は朝倉氏のつくった一乗谷城を中心とした城下町である。
その遺跡を見に行った。



まず、茶屋で越前そばで腹ごしらえ。




一乗谷城の城下町は一乗谷川に沿った細長い町である。







城は一乗山の上にある。
今回は城跡まで足を運ばなかった。




ここは復原町である。
発掘されたものを元に再現された町である。







唐門。
ここをくぐると朝倉氏の館跡である。




朝倉氏の館の跡。
第5代当主朝倉義景が住んでいた館の跡だそうだ。







その昔、弓道の練習をした庭。
盛り上がった土の手前に、的があったらしい。
地元の写真家のかたが教えてくれた。




庭園跡の池には蛙がいた。
蛙はどちらかというと苦手なものだが、笑ってしまうぐらいオタマジャクシやカエルがたくさんいて、
思わずカメラを向けてしまった。




バッタ。
無味乾燥なコンクリートの中で暮らしているとここんなバッタにも感動する。
今回の北陸旅行では、バッタやヤモリに多くであった。

北陸城めぐり10  丸岡城

2014-01-24 | 
昨年の夏の北陸めぐりには続きがありました。

北陸の旅の最後は福井。



現存12天守の1つ、丸岡城。
とてもこじんまりとしている。しかし、ともて風格がある。
柴田勝家の甥である柴田勝豊が築城した城である。




丸岡城の天守は、天守台よりも内側に建っている。
築城技術がまだ未熟な頃の城なのだろう。



そして、とても階段が急である。
外の階段も傾斜があるが、中の階段はもっと傾斜がある。
ロープが吊ってあり、それにつかまって登る。
降りる時はとても怖い。




瓦は珍しく、石である。
特産の笏谷石(しゃくだにいし)というらしい。
寒い北国の知恵で凍結して瓦が割れないようにと、石を利用している。



天守からのながめ。
暑い日だったが、風通しがよく、涼しかった。












北陸城めぐり9  金沢武家屋敷

2013-09-14 | 
兼六園を出たあとは、しばらく百万石通りを歩く。


21世紀美術館。



石川四高記念館。


金沢の繁華街である香林坊を通って、長町武家屋敷跡へ。


おっと~、俵屋のあめ。もう30年も前のこと、ここで水飴を買ったと記憶する。
懐かしい~。店構えは健在なんだ。


武家屋敷の街並み。










民家を改造した喫茶店。



中は雛人形、五月人形が飾ってあった。



足軽資料館。
武家屋敷に比べると狭い。
しかし、居間があって寝室があってと、ちょうど現代の私達が住む家のような間取りである。







北陸城めぐり8  兼六園

2013-09-11 | 
兼六園。
入ってすぐ、びっくり!!
霞ヶ池に水がない!!



徽軫灯篭と虹橋。水がなくて、なんだか変だ。
猛暑のせいで水が無いのか・・・?と一瞬思ってしまった。



霞ヶ池の底が見える。池の底を人が歩いている。
実は12年に一度の堆積土砂の除去作業をしているそうである。




めったには見られない兼六園の姿だ。




根上松。立派だ。



辰巳用水。



なぜか、館船。




瓢池。
この池は水がちゃんとある。霞ヶ池の魚はここに避難しているとか・・・。




噴水。
高低差を「いかして水が出ているという噴水。
が・・・霞ヶ池に水が無いので噴水も出ていなかった。



噴水の前には本来の噴水の姿の写真があった。



兼六園の真弓坂口を出ると、突然、石垣が見える。
手前は鯉喉櫓台石垣と遠くは本丸南面の石垣である。



復元されたいもり堀。


















北陸城めぐり7  金沢城②

2013-09-08 | 

戌亥櫓跡。



薪の丸の石垣。打込接(うちこみはぎ)。
寛永6年に、加賀藩の穴太衆によって改修されたという記録があるらしい。
穴太衆というのは石垣職人の集団である。




鉄門(くろがねもん)の石垣。
この石垣の上に門があったらしい。本丸入口の門だ。




本丸。今は緑豊かな自然園のようになっている。



丑寅櫓跡。




丑寅櫓の石垣。見事な野面積みの石垣だ。




鶴丸倉庫。武具が保管されていたらしい。
現存のもので、重要文化財である。




石川門。金沢城の裏門にあたる門だ。
重要文化財に指定されている。



城の中から見た石川門。



石川門を出て、石川橋を出て兼六園へ。
今は通りとなってこの橋の下は、百間堀という堀だったそうである。