笑顔に会いたくて

2011年6月にカメラ購入。カメラ初心者が花や町、史跡・城などなど好きなもの探しに挑戦するブログです。

駿府城

2012-10-28 | 
静岡へ。


ちびまるこちゃんが出迎えてくれた。




駿府城は、いわずとしれた徳川家康の晩年の城だ。
現在、駿府城は市民の憩いの公園になっていた。




本丸跡には徳川家康像がある。








この日は、よさこい祭りなのだろうか?
駅で、公園で、ステージが設けられ、踊っていた。




復元された東御門櫓門。




巽(たつみ)櫓。




さすが静岡。消火栓も富士山があざやかだ。

掛川城(2)

2012-10-23 | 

天守閣からの眺め。




掛川城御殿。二の丸に建てられた、江戸時代から現存する御殿である。





重要文化財の御殿。庭で、「功名が辻」の山内一豊と千代になって記念撮影ができる。




御殿の中には、鎧がずらりと並んでいた。




御書院。




御殿から天守を望む。









城のそばに図書館。




大手門。




城近くの「こだわりっぱ」というお店で食べた紅ほっぺアイス。
とってもおいしかったで~す。

掛川城

2012-10-20 | 
山内一豊で有名な掛川城へ行った。
江戸時代には、山内一豊は高知に移り、その後、松平氏、太田氏の居城となった。


掛川駅



駅前には二宮金次郎の銅像があった。




駅前の道をまっすぐ進むと・・・



掛川城の天守が見えてきた。



本丸は広場になっていて、花壇があった。




本丸付近から天守閣を見上げる。
最近は廃城となった山城で、天守跡地に行くことが多かった。
う~ん、久しぶりの天守閣。青空にはえて、美しい~♪




急な階段を上りきると、天守閣に到達する。




霧噴き井戸。今川氏が城主だった時、井戸から霧が噴き出てきて城を覆い、徳川家康の攻撃から守ったという伝説がある。




塀には△□の形をした狭間(さま)がある。この小さな穴から、鉄砲をかまえ、攻めてくる敵を迎え撃った。




中に入ると、山内一豊があった。



長崎 出島と長崎奉行所

2012-10-16 | 

出島入口。実は、ここは水門だった所。
門の前は埋め立てられて、今は道路である。



中に入ると当時の出島の町並が復元されていた。
20年ほど前になるだろうか、出島を訪れた時はこんな建物はなかったように思う。
長崎県が力を入れて、発掘調査、そして復元をしている。



ここはオランダ商館長 カピタン部屋。
事務をしていた部屋らしい。



食事の席を再現。キリスト教禁止の時代、クリスマス会ができず、冬至として祝いの宴をしたりしていたそうである。
この出島で、鶏や豚なども飼っていたそうである。



屋根の上には物見台がある。
ここから入港してくる船を見ていたのだろう。



出島の模型。



なぜかお金が・・・。
風雨にさらされて、ちょっと壊れた部分もあったりして・・・。




表門。
実はここに橋がかけられていて、長崎の町の出入り口になっていた。
ここに門が復元される構想があるらしい。



橋がかかると、この風景も少々かわるのだろう。



長崎奉行所跡。



今は歴史博物館になっている。




長崎駅前。
男子体操個人総合優秀した内村航平選手を祝し、「内村選手 おめでとう」の垂れ幕があった。











長崎

2012-10-14 | 
長崎へ。


まず、夕食を求め、出島ワーフへ。
2年前オランダ村で見た黒船「観光丸」が、なんとこの港に停泊していた。
2年前のNHKの大河ドラマ「竜馬伝」で、撮影に使われた船だ。




出島ワーフ。



夕日を見ながら、海の幸を堪能。
お腹いっぱいなったところで、稲佐山へ向かう。




稲佐山からの夜景。
さすが日本三大夜景の1つである。長崎港を囲んで光が散りばめられ、とても美しい。
カメラ技術がまだ未熟で、夜景がうまくとれなかったのが悔しい。










グラバー邸。







グラバー園からの眺め。
遠くに見える山が稲佐山。前日は、あの山の上から見下ろしていた。



豪華客船が入港か・・・。


佐賀城

2012-10-12 | 

佐賀城に行く前に、ちょっと温泉に立ち寄り。
武雄温泉。温泉街入口の武雄温泉楼門。



武雄市にある歴史資料館「蘭学館」。市の図書館と併設せいている。
とても小さい資料館だが、なかなか面白い。
幕末は長州、薩摩が注目されるが、この佐賀藩は近代化に大きく貢献している。
モリチール砲という、初めて日本発の大砲をつくり海外からの防御に貢献したのもこの佐賀藩だった。




佐賀城。ここは、佐賀藩主鍋島氏の居城。鯱の門と続櫓。



復元された本丸御殿。今は佐賀城本丸歴史館になっている。



天守台。



市役所そばの堀。



長崎街道。




街道沿いには、こんな絵が続いている。
















吉野ヶ里遺跡

2012-10-10 | 
吉野ヶ里へ。
吉野ヶ里の環濠集落は、城の原型ともいわれている。
堀と柵に囲まれて、櫓のような見張り台がある。
自分達の縄張りを囲っていたのだろう。
この最古の城の先駆けとなった遺跡をみたくて、この吉野ヶ里歴史公園にやってきた。



吉野ヶ里公園駅を降りると、マスコットキャラクター「ひみか」ちゃんが道案内してくれる。




南内郭。王や支配者層の居住地。右側の見張り台は、櫓門というらしい。ここで、この集落に出入るする人を監視していた。












堀だ!!
柵と土塁と濠が村を囲んでいる。




南のムラ。一般の人の居住地である。








左後方に見える小高い丘は、北墳丘墓。歴代の王の墓であった所である。中に入ると、展示室になっていて、ここから出土したものが展示されていた。




北内郭。政をした所。この建物は主祭殿で、祭りや会議などをおこなっていたところと考えられている。



倉と市の広場。



かつて吉野ヶ里公園を訪れた時には、こんなに楽しめる所という印象はなかった。
経験を積んで、こういう日本の歴史的なものが面白く感じられるような歳になったからなのだろうか?
ちょっとした興味で立ち寄ってみたが、写真撮影を含め、3時間近く、たっぷりと吉野ヶ里公園を歩きまわった。




長崎本線。公園を出てから駅へ向かう道で。




吉野ヶ里駅を通過する「特急かもめ」。


松浦鉄道

2012-10-07 | 
松浦鉄道で伊万里へ。





伊万里駅。



さすが、焼き物の町。あちこちに立派な伊万里焼の置物がある。










伊万里湾はカブトガニの生息地で有名らしい。
立ち寄った伊万里市歴史民俗資料館のお兄さんが教えてくれた。
商店街のタイルにカブトガニの絵が書いてあったのはそのせいか・・・と納得。




伊万里からさらに、松浦鉄道で有田駅へ。






有田駅のホーム。








平戸城

2012-10-03 | 
平戸城へ。





途中、少年たちが野球の練習をしていた。
グランドの脇を通った時、「こんにちは~!!」と挨拶された。
野球少年らしく元気が良く、気持ちいい挨拶だ。


平戸城。
お笑いタレントの長崎亭キヨちゃんぽんが出迎えてくれた。




平戸城の天守からの眺め。
気持ちいい~!!








矢倉。








夏の思い出 平戸2

2012-10-01 | 

松浦博物館。
ここで松浦家の家系図を見てびっくり。平戸は皇室と関係があることを知りました。
家系図によると明治天皇の生母の母(愛子様)が、ここ松浦家のかたとのことである。
平戸で宿泊したホテルは、昭和天皇もご宿泊され、最近では秋篠宮文仁親王も立ち寄られたホテルであった。
一人、感動してました。



じゃがたら娘像。




ポルトガル船入港の地。戦国時代、1550年頃のことである。




幸橋。オランダ橋ともいう。平戸市役所の前にかかる橋で、ここは重要文化財らしい。
「幸い」があるかと期待しながら渡ってみました。



平戸への入り口、たびら平戸口。
この駅は日本最西端の駅だ。