笑顔に会いたくて

2011年6月にカメラ購入。カメラ初心者が花や町、史跡・城などなど好きなもの探しに挑戦するブログです。

雪の翌日の午後

2014-02-23 | 
大雪の翌日、正午過ぎ、風も雨もやんだ。
朝とは違い、雨で雪が溶け、水でべちゃべちゃの道になっていた。
雪かきをする人も多くなった。







宅配便の車が、この雪の中荷物を運んでいた。
新聞といい、流通のトラックといい、この雪の中、多くの人が動いている。
本当にお疲れ様です。
そして、そんな方達に生活が支えられているのだとあらためて感じる。



こちらは郵便配達。




アンパンマンの雪だるま。
つるんとしていて、完成度が高い雪だるまだ。
とても可愛い。




子供は、この雪の中でも、元気に遊んでいた。



薄日がさし、気温も上がってきて、屋根の上の雪は溶けていく。











水分を多く含んだ雪はとても重い。
雪で桜の木の枝が折れていた。








大雪の翌日

2014-02-21 | 
夜通し、不気味に風が吹いていた。
15日の朝、積った雪を見て唖然とした。
街が雪の中に埋もれている感じであった。
こんなに雪が積もるとは・・・・。



土曜日であったが、通勤に行く人はいる。
この雪を一足一足踏みしめながら駅に向かっていた。
お勤め、ご苦労様です。



脇道にもタイヤの跡があった。







靴の跡もたくさんある。
















都心に近いこの町で、こんなに雪が積もるとは思わなかった。
ただただ驚くばかりである。



再び大雪

2014-02-20 | 
2月14日 今年のバレンタインデーは大雪だった。
先週の大雪より、さらに積雪があったように思う。


昼間、雪がひどくなる前にと買い物に行った。
水分を多く含んだ雪は、アスファルトの上ですぐ溶けてしまう。
この時はまだ、積雪が30cmに迫るような大雪になるとは思っていなかった。




人通りがないところは、うっすらと積もり始めていた。




雪の中、紅梅が春を先どりするかのように咲いていた。




この雪の中、ゴミ収集車は動いていた。
御苦労さま。







うっすらと雪化粧。きれいだ・・・と昼間は呑気なことを思っていた。




日が暮れてから、どんどん冷えてきて、雪も激しくなってきた。
外は別世界だ。







23時頃の玄関前。2時間ほど前に雪搔きをしたのに、再び雪が積もっていた。
しかも、2時間前よりも雪も風も強くなっていた。


この大雪で被害にあったかたが大勢いる。
孤立してしまった世帯も多くある。
一日も早く、正常の生活にもどられるよう祈るばかりです。


大雪が降った日

2014-02-13 | 
2014年2月8日 この神奈川も大雪が降った。
25㎝は積もっただろうか。
45年ぶりの大雪だそうだ。
この大雪の中、予定があったため川崎まで出かけた。



朝から降りだした雪は、昼頃からどんどん勢いが増した。




まるで雪国のような風景。スキー場にでも来たかのうようだ。







桜の木も、雪に埋もれて震えているようだ。



この雪だったが電車はほぼ定刻通り動いていた。
鉄道関係のかたご苦労さまです・・・という気持ちになる。
降りると、川崎駅前はすっぽりと雪の中だ。



地上を歩く人は少ない。
皆、地下街を通っているようだ。



風が強くなってきて、だんだん吹雪いてきた。




とても寒い。
この日の雪は、いつもの水分を多く含んだべちゃべちゃの雪と違い、さらさらしている。
踏みしめると、きゅっきゅっと鳴る雪だった。






大雪の翌日は、比較的暖かい日だった。



あちこちで雪かきのあとが見られた。どこも雪が高く積まれていた。
その雪も、陽があたるところはとけるのが速かった。



誰がつくったのか雪だるまがあった。



水戸 偕楽園と仙波湖

2014-02-11 | 
日本三大庭園の一つ、偕楽園にいく。
偕楽園は水戸藩主 徳川斉昭の時につくられた。


好文亭の表門。
好文亭は偕楽園の中に建てられている。




好文亭に続く道。



吐玉泉。



好文亭。
好文亭の二階から仙波湖を望む、その眺めは素晴らしかった。



偕楽園。
梅の時期とは違い、梅の木が青々としている。
観光客も少ない。



「大日本史完成の地」の碑が、人眼につかにような木の陰にひっそりとあった。
水戸光圀から始まり、約250年かけて完成した。
気が遠くなるような話だが、よくぞここまで受け継がれ、完成したものだと思う。



仙波湖側から好文亭を見る。



水戸光圀公の銅像。



優雅に仙波湖を泳ぐ白鳥。



仙波湖には黒鳥もいる。
宇部市から贈られた鳥らしい。



白鳥は親善都市となった彦根市からの贈り物である。
桜田門外の変で、彦根と水戸は敵となった。
桜田門外の変は、言わずと知れた水戸藩士が彦根藩主井伊直弼を暗殺した事件である。
時を経て、2つの藩、いや都市は親善都市となったのだ。
白鳥はその親交の証なのだろう。







茨木県近代美術館で、「熊田千佳慕展」が開催されていた。
前から見てみたかった絵なので、美術館に立ち寄ってしまった。





水戸 弘道館

2014-02-08 | 
半年前、弘道館は復興工事中だった。
2014年2月の梅の季節にあわせて修復を急いでいるとのことだった。
そろそろ修正された弘道館は見られるのだろう。






ここ、水戸は東日本大震災の被害が大きかった。
弘道館も壁や塀が崩れたようだ。



被災状況の写真が貼ってあった。



震災前の姿の写真も展示されてる。
これを見て、思いをはせる。



工事中で、庭も荒れている。
以前きた時はこんな雑草が多い庭ではなかったと思う。



修復された塀。



三の丸空堀。







太平洋戦争で、水戸も空襲にあった。
昭和二十年八月だったそうである。焦土と化した水戸で生き残った銀杏である。
戦後復興のシンボルともなった木である。




黄門様の故郷 水戸

2014-02-05 | 
昨年の夏、水戸に行った。
水戸城址を見にいくためだ。
今は最高気温6℃という寒さだが、半年前はものすごく暑かった。



上野からスーパー日立で水戸へむかう。



水戸駅を降りると水戸黄門、助さん、格さんの像が迎えてくれる。



駅を出て5分ほど歩くと、「義公生誕の地」の看板が出てきた。
「義公」とは徳川光圀公のことである。



ここが生誕の地。今は水戸黄門神社となっていた。



水戸城はすでになく、天守や櫓などはない。
石垣もない。土塁の城なのだ。
しかし、水戸駅の周辺を歩くと城があったことを感じさせるものがたくさんあった。




ここは三の丸あと。
小学校になっている。その名も「水戸三の丸小学校」。




二の丸に「大日本史編纂の地」と書かれた碑があった。
大日本史は水戸光圀が開始し、約250年もかけつくられた歴史書だ。
ここは、市立水戸第二中学校となっている。



水戸第二中学校のシンボルになっている大シイ。
戦国時代からあるといわれ、樹齢400年以上と推定される樹木だ。
この水戸の変遷を見てきた樹木なのだ。




水戸城址通り。




本丸跡にむかって歩いていくと、こんな看板が出てきた。
本丸は、県立水戸第一高校になっている。



本丸と二の丸の間にある空堀。
空堀の底にはJR水郡線が通っている。







薬医門。
水戸第一高校の中にある。
隣には高項のテニスコートがあった。




本丸を降りていき、空堀の底から本丸を見上げる。
遠くに見えるのは本城橋。
空堀の右側が本丸、左側が二の丸になる。