笑顔に会いたくて

2011年6月にカメラ購入。カメラ初心者が花や町、史跡・城などなど好きなもの探しに挑戦するブログです。

温泉津(ゆのつ)温泉へ

2011-08-27 | 日記
東萩⇒益田⇒浜田⇒温泉津と、山陰本線をいく。
特急に乗らず、のんびりと各駅停車の旅である。
天気もよく、日本海がとてもきれいであった。同じ日本海でも、漁港、浜、岩壁といろんな顔があり、海の色も違う。見ていて飽きない。








温泉津到着。温泉津は文字通り温泉街であり港町である。そして焼き物の町でもある。
15段の巨大な登り窯があった。




窯元の森山窯さんを訪ねる。ちょうど鎌倉のお客さんに納めるものを作成していた。
温泉津焼は、派手さはないが、日用的でなじみやすい感じである。







温泉津温泉街。







温泉津港。今は漁港であるが、かつては銀の積出港でもあった。






温泉津港のすぐ隣にある沖泊。
かつては石見銀山の銀の積出港として賑わった所である。
鼻ぐり岩という、船が停泊するために岩をくり抜いてつくられた岩がある。
しかし、草に覆われていて、岩を確認できなかったのが残念。
ここから、世界に向けて銀が運ばれていったのかと思うと、感慨深いものがある。
全盛期には世界の銀生産量の3分の1がここから運ばれたらしい。世界に開かれた港である。
しばし、15~17世紀に思いを馳せる。



松下村塾

2011-08-26 | 日記
菊ヶ浜から指月山を望む。浜では釣りをしている人もいた。
萩は漁港があり、魚がおいしい。







松下村塾。ここから久坂玄瑞ら多くの幕末の志士が育ったのだと思うと、小さい塾が大きく感じられた。




松陰神社を訪問した日は、ちょうど吉田松陰の生誕日であった。生誕祭をやっており、鉄砲隊のパフォーマンスがあった。火縄銃の「バン!!」という爆音が轟き、白煙があがる。音に驚いて、そばで子供が大声で泣き出してしまった。子供には恐いよね、この大きな音。
私も音に反応して体がふるえカメラがぶれてしまった。








伊藤博文旧宅。






萩城下町を歩く

2011-08-24 | 旅行
幕末の志士の生きた時代を感じながら、萩の城下町を歩く。
坂本竜馬はあまりにも有名でファンも多い。竜馬ほどではないが、高杉晋作は静かなファンが多いように思う。
この日も、高杉晋作の銅像の前で記念撮影をする人が多くいた。




高杉晋作旧宅。




木戸孝允旧宅前




旧久保田家住宅。江戸末期に建てられ、平成に入ってもこの家に人が暮らしていたというから驚きである。
現在は萩市がひきとり、平成15年に萩市指定有形文化財に指定されている。

土間と梁組は重厚である。







欄間の彫物が見事である。







菊屋家住宅。豪商の家で重要文化財である。庭が素晴らしく美しい。中央には籠を置く平石がある。







伊藤博文から贈られた時計。今も現役の時計で正確に時を刻んでいるから驚きである。



平安橋。外堀にかかる、18世紀頃につくられた玄武岩の石橋である。
武家屋敷にいた観光客も、この橋までは見にこない。地元の車が時折通るだけであった。
この橋を渡って城下町から三の丸へ行ったのかと思うと、歴史を感じる橋である。








萩城

2011-08-18 | 旅行
萩城跡。
萩は、幕末・明治に活躍した偉人達を多く排出している。
しかし、彼らが活躍した地ではなく、彼らの生誕の地である。
「幕末、萩城は外に人が出て行き、空になってしまった。城主も他の城に移っている。そのため、明治維新後、わずか7年目には取り壊されることになってしまった。」という、萩博物館で受けた説明が印象的。

萩城天守閣跡はいろいろな想像をかきたてる。







武家屋敷の門と壁、町並みはきれいに保存されている。
ふと見ると、白壁の向こうには生活が見える。








萩へ

2011-08-16 | 旅行
羽田から萩へ。
羽田は曇り。離陸後、雲の上では雲海が美しかった。
着陸は萩石見空港。日本海側は晴れていて、青い海が美しかった。

飛行機に乗ると心が躍る。旅先で何が待っているのか、
わくわくするのは私だけだろうか・・・




萩は2度めの訪問。前回は約30年前である。
30年の歳月は長い。記憶の中の萩とは違うところが多々あり、何を見ても、どこを歩いても新鮮であった。

萩は歩いても良いが、「まぁーるバス」という赤いバスでも回ることができる。
この暑い炎天下、助かった。バスに乗っている間は、冷房で体のほてりが鎮められ、気持ち良い。



萩といえば夏ミカン。
白壁と青い空に夏ミカンの木はよく、映える。