桜の花びらが川沿いの小道に絨毯のようにびっしりと落ちていた
夜の間に散ったものか まだ誰にも踏まれていない
この辺りに住む人が散歩に よく利用する道だった
桜 さくら 時期(とき)が来たら迎えに来ると その人は言ったのだ
「充分に生きたと認めたらね」優しい微笑み
あれからどれだけ時間が流れただろうか
さくら桜
かすみかくもか
散り際でさえも桜は美しい
桜の花の下で・・・
不意に声がかかった「元気そうね」
その女性は微笑んだ
五十年前と全く変わっていない
桜色のワンピースを着ていた
長い髪を押さえる服と同じ色のスカーフ
「迎えに来たの?」
見上げるとクスクス笑った
「まだよ 貴女の番はまだ あんまり毎年 桜の頃に姿を見掛けるものだから 」
あの時随分と大人に見えたその女性は こうして見ると随分と若い
「ルール違反だけど教えに来たの
貴女はまだまだ死なないわ
この人生 時間はたっぷりある
私が迎えに来れるのは きっと貴女が忘れた頃
約束したでしょう
だから安心して 生きて
しっかり生き続けるのよ」
五十年前 半世紀前 彼女は一人ぼっちだった
津波に両親がさらわれて
海辺にぽつん 施設では いじめられた
お腹は空く 寒い 寒い
海に行こうと思った
海に行けば お父ちゃんとお母ちゃんが待っている
行くんだ あっちへ行くんだ
夜の海 潮の匂い
浮かぶ丸い月
ざぶざぶ
あの月の所まで行こう
お父ちゃん お母ちゃん
なんで うち一人だけ 置いていったん
お母ちゃん お母ちゃん
会いたいよ
お母ちゃんに会いたいよ!
水は口の中に入ってくる
足は下に届かなくなる
全く急に海が深くなったのだ
そうして海の一部になる
海の中
ごぼごぼ 鼻が痛い 息が苦しい 苦しい 苦しい
くるしい・・・
あんまり苦しくて咳込みながら目を開けると
そこは白い部屋
綺麗な女の人がこちらを見ていた
呆然とする 口がきけなくなる
こんなに綺麗な女性を見るのは 初めてだった
「どうして一人生き残ってしまったか―って思っていたでしょう?」
目を真ん丸にした女の子に その女性は言葉を続ける
「お父さんとお母さんが貴女だけは生きて欲しいと願ったから 大人になって恋して 結婚して 子供を産んで育てて
いっぱい幸せになってほしいと」
「だあれ 」
やっと一言
「死神よ 貴女はまだ死ぬ時間が来ていない
だからこの世に返品する
貴女は私が当番だから 必ず迎えにきてあげる
そうだ オマケしてあげる
内緒よ 特別サービスだから」
そう言って片目を瞑った
「死ぬんだったら いつの季節が良い その季節 貴女の好きな場所に迎えにきてあげる」
女の子は考えた 暫くして顔あげて まっすぐな瞳で言った
「さくら 桜の花が好き」
「じゃあ 桜の花の季節に また会いましょう 頑張って生きるのよ
辛い事があっても自分から死ぬのは駄目よ
楽に死んじゃったらね 死んでからがしんどいの」
あの綺麗なお姉さんに会うんだ
迎えにきてもらうんだ
不思議な事にそれが生きる力になった
生きて働いて 結婚して子供を産んで また働いて 働いて
子供が結婚して それぞれ家庭を持って
あれほど長い時間も年月も 過ぎてしまえば一瞬のこと
そう二度目に死神と会ってからも 随分長い時間が流れた
昔の小さな女の子は もうすっかり年をとって お婆さんになって ある朝倒れた
救急車で運ばれる
酸素吸入 点滴 色々なものが体につけられている
血圧 脈拍 血液中の酸素
呼ばれて部屋にも家族がつめている
もう意識がないから 何もわからない
ふわり体が急に軽くなる
桜の花が咲いている 一際見事に桜が咲いている樹の下に いつの間にか立っていた
「迎えに来たわ 約束したでしょう? 桜の木の下 花の季節が良いと」
桜を従えるかのように美しい死神は微笑んでいた
「本当に頑張ったわね あの小さな小さな女の子が こんなにこんなに頑張って生きてくれたのね」
「だって約束したもの またお姉さんに会いたかったのだもの」
口を開けば 老女の体は少女に戻っていた
「そう・・・では 貴女を桜にしてあげる
これからもずっと気にかける人達を見守っていけるように 」
「できるの?だって わたしはただ生きてきただけ 生きただけ」
「それでも百年だわ これは凄いことだわ
生きて生き続けること その為に人は生まれてくるのだから 」
女の子は嬉しそうに笑った
その頃 病室では
「おばあちゃんが笑ってる」
「ほんとだ いい顔」
臨終
魂が抜け出たあとは儀式が待っている
その為に体が存在する
老女は死に 魂は桜の守り手と存在を変える
決して自分で命を断ってはいけない
それは美人死神と呼ばれる彼女が人であった頃の哀しい記憶
鈴の音は今も耳を離れない
ちり・・・りん・・・
大切な人の死は鈴が教えてくれた
そして人間だった死神は 自分も死んだ
生まれ変わることもできず 人間の魂を狩り
死神であり続ける
美人死神は どんなに愚かしくても 人間が好きなのだった
できる範囲でなら運命をねじ伏せてでも