くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

数術師(15)

2014-08-07 07:03:05 | 「数術師」
 終点を告げる車掌のアナウンスが入った。窓の外は、深い山々が広がる景色ではなく、コンクリートのビル群が、背の高さを競うように林立する大都会の風景に変わっていた。
 彼は列車を降りると、改札口を足早に目指す多くの乗客達とは違い、人々とは反対の方向にホームを進み始めた。商品が窮屈そうに並ぶ売店を過ぎ、”関係者以外立ち入り禁止”と書かれたドアの前で立ち止まると、右手の指先で文様を描いて術をかけ、ためらうことなく中に入っていった。
 ドアの向こうは、車が行き交う大通りに面した駅のはずれだった。
 ピロロロロロロ――――
 と、列車の出発を知らせる小気味のいい電子音が、遠く離れた頭上のホームから聞こえてきた。
 彼に続いて、私がくぐってきたドアを閉めると、四角いドアの枠が、コンクリートの壁の中に沈むように溶けこみ、跡形もなく消え去った。
 私達は、街の中心部に向かった。途中、街路図を描いた看板を見つけた。記憶を失う前ならば、きっと知っていたに違いない街の名前が書かれていた。しかしこの時の私は、街の名前を知ることはできても、果たしてどこに位置しているのか、思い描いた地球儀にピンを刺すこともできなかった。
 気がつけば、彼は列車の中とは違い、ほとんど口をきかなくなっていた。どことなく、緊張感を漂わせるような表情だった。ぴりぴりとした様子が、こちらの緊張感を否応なく高め、新たな衝突の訪れを予感させた。私は、帽子を目深に被り直すと、辺りに注意を払いながら、黙って彼の後ろについていった。
 ちょうど、昼休みが始まる時刻だった。彼は、建設会社の大きなビルの前に立った。昼食をとりに出かけて行く社員達が、行列を作って次々と自動ドアをくぐり、私達の前を楽しげに通り過ぎていった。
 ロビーの奥にちらりと見えた守衛の男が、外の私達に厳しい目を向けていた。
 もしかするとあの守衛も、私達を襲ってきた連中の仲間なのかもしれない。この大きな会社が、”神の杖”の総本部なのだろうか……。だとすれば、どこといって変わったところもない会社の雰囲気は、裏の顔を巧妙に隠した仮そめの姿にほかならなかった。
 彼は正面玄関を離れると、そばにあった生け垣に近づいた。びっしりと葉を茂らせた枝をかき分け、中を覗きこみ、指でつまめるほどの小石を二・三粒、手にとって確かめるように拾い上げた。
 一体なにをするつもりなのか、好奇心を持って見ていると、彼は拾った小石をズボンのポケットに入れ、人の往来が少ないビルの横に回っていった。
 壁に沿って歩く彼は、きれいに装飾された壁が途切れている箇所を見つけると、くるりと振り返り、方位を確かめるためか、腕を伸ばしながら空を見上げた。なにか特別な違いがあるのか、同じような箇所を見つけて何度か往復すると、納得したように足を止め、ポケットにしまった小石を取り出し、壁に向かっておもむろになにかを書き始めた。
 それまで黙って見守っていた私は、驚いて思わず注意しようとしたが、彼が文様を描いて術をかけていることに気がつくと、伸ばしかけた手を下ろして声を飲みこんだ。
 彼が描いた文様は、書き終えると脈を打つようにまぶしく明滅し、壁にくっきりと太く浮かび上がった。浮かび上がった数印は、脈が弱くなるように少しずつ光を失い、しぼんで細い線に戻ると、ひっかき傷のようなかすかな跡を残して、壁の中へ溶けるように消えてしまった。
 どのような術をかけようとしているのか、私の直感が、彼が描く文様になんらかの法則を読み取った。しかし、その法則が表現している内容がどんなものであるのか、すぐには考えもつかなかった。
 数印を書き終えると、彼はまたビルの周囲を回り、壁の空いている箇所を見つけると、同じように小石で文様を描いていった。私は、消えかかった数印を指でなぞってみた。一見すると、ギリシア文字やアラビア数字をつなぎ合わせ、数学記号をアクセントにもちいて、幾何学的に組み合わせているように思えた。
 なにが書かれているのか、彼の筆跡を何度か指でたどっていくうち、いくつかの数式が含まれているのに気がついた。短い二重線として描かれたものがイコールならば、方程式を用いて、解を求めているのかもしれなかった。だが、書かれているのが数式だと仮定して、絵文字のように崩された字体は、決められた規則に基づいたものなのか、また、文様のように崩して描くことで、なぜ様々な現象を起こすことができるのか、わからないことは多かった。
 彼が壁に書いている数印の意味を知るには、かけられた術の効果を、この目で見届ける以外に方法はなかった。
「これで、最後です」と、彼は言いながら、ビルの壁に小石を走らせた。
「さあ、それではご挨拶にうかがいましょうか――」彼は数印を書き終えると、持っていた小石をそばの生け垣に放り投げた。

         8
 私達は、ビルの正面に戻って自動ドアを抜け、一階のロビーに入った。昼休みとはいえ、スーツ姿の人達が途切れることなく出入りしていた。
 受付の女性の前を過ぎ、エレベーターに向かった。人の出入りが多いため、部外者である私達も、それだけで周囲から違和感を抱かれることはなかった。だが火傷を負った顔を隠すため、目深に帽子を被っていた私は、どうしても人目についてしまうようだった。
 背の高い守衛の一人が、歩いている私達に無言で近づき、壁のように立ちふさがった。
「どのようなご用件ですか――」
 と、目をそらして口ごもってしまった私にかわって、彼が守衛の顔を見上げながら答えた。
「あなたこそ、なにかご用ですか――」
 守衛は、険しい表情を浮かべながら、恐い視線を彼に向けると、同じ質問を繰り返した。
「どのようなご用件ですか――」
 彼は、守衛とぶつかりそうなほどそばに近づくと、じっと目を合わせながら言った。
「あなたは、自分がしなくてはならないことをしなくてはならない。だから私達も、ここにこうしているんです」
 静かに本を朗読するような、経文を唱えるような独特のイントネーションだった。
 私はふと、自然に下げられた彼の手が、言葉に合わせてわずかに指を動かしているのに気がついた。
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