おそるおそる顔を上げると、列車の天井が、大きな球体をぶつけられたように丸くへこんでいた。
「わかりましたか」と、彼は私に言った。「あいつらも、気圧を扱うんです。多少は数術の心得があるらしい――」
彼は、私の腕を取りながら立ち上がると、姿の見えない敵にくるりと背中を向け、襲いかかる衝撃波を次々によけながら、私を先に行くようにうながし、前方の車両へと足早に向かった。
ドン、ドドン――と、車両の内壁が、続けざまにへこんでいった。彼はなす術もないのか、狭い通路をよろけながら駆け抜け、さらに前の車両へ移動した。
列車が何両編成なのかはわからなかったが、逃げられる車両は、もうほとんどないはずだった。
乗客のいない車両に駆けこむと、閉じたばかりのドアが、バン、と激しい音を立てて押し破られ、はずれたドアが回りながら頭上をかすめ飛んだ。私達は間一髪床に伏せ、宙に舞った重いスチール製のドアから逃れた。
彼は一人立ち上がると、見えない追っ手に向かっていった。
「姿を消せば、有利になれると思うのは大間違いですよ」
私は身を伏せたまま、這い進んで座席の下に体を滑りこませた。彼は、両手の甲にそれぞれ素早く指を走らせると、シンバルを打ち鳴らすように大きく腕を広げ、左右の拳骨を胸の前で勢いよくぶつけ合わせた。
ズドドン――と、閃光がほとばしった。
まるで、光が爆発したようだった。内蔵が、腹の中で躍り上がるほどの重々しい衝撃が、車両中にとどろいた。私は両手で光を遮りながら、強く目を閉じた。しかし一瞬早く、目の前が真っ白になるほどのまぶしさで目が焼かれ、再び目を開けると、見えるものすべてが緑色のシロップをかけたように変色して見えた。私が彼に初めて出会った時に体験した、雷鳴のような衝撃と同じだった。
「ぐあっ……」という声が聞こえた。
出入り口の前の空間が、ゆらゆらと陽炎のようにぶれていた。生肉が焦げたような匂いが漂ってきた。幾筋もの細い煙が、人の輪郭に沿って立ちのぼっていた。
私は座席の下から這い出すと、立ちのぼる煙に目を据えたまま立ち上がった。ぷつぷつと、炎がはぜるような音が聞こえた。見ていると、陽炎のように揺らめいていた空気が、はっきりと人の形を浮かび上がらせた。半透明のフィルムを全身にまとった男が、赤黒い炎を体のあちらこちらでいぶらせながら、宙をつかむようにヨロヨロと前に進み、力なく通路の床に倒れ伏した。
彼は、倒れた男をじっと見下ろしていた。深い呼吸をゆっくりと繰り返し、荒くなった息を整えているようだった。その額には、うっすらと汗がにじんでいた。
私は、うつむいたままじっと動かない彼に声をかけようとした。
と、不意に視線を感じ、はっとして後ろを振り返った。
破壊された車両のドアの陰から、騒ぎを聞きつけて集まってきた乗客達が、おそるおそるこちらの様子をうかがっていた。
私は彼の腕を揺すって我に返させると、先に行くようにうながし、前の車両に移動した。
ドアの前で、足下に落ちていた帽子を拾った。つばが山折りになった野球帽だった。私は目深に被りながら、ちらりと乗客達を振り返り、後ろ手に枠だけになったドアを閉めた。
騒ぎを聞きつけてやってきた乗客は、誰一人として、私達の後をつけてこようとしなかった。
前の車両に移動した私達が座席に腰を下ろすと、いくらもたたず列車がスピードを落とし始めた。いつのまにか、窓の外はうっそうとした山林に変わり、木々の中に溶けこむようにして建てられた住宅が、転々と見え隠れしていた。
車掌のアナウンスが、まもなく停車する駅名を告げた。あらかじめ騒ぎが起こることを知っていたような、不自然なほど落ち着いた口調だった。
「ここで、私達を拘束するつもりだったらしいですね」と、彼がくすりと笑った。
「別の追っ手が、待ちかまえているんじゃないだろうか……」と、不安を覚えた私は、窓に顔を寄せ、近づいてくる駅の様子をうかがった。
「心配することはないと思います。この列車の有様を見れば、連中は早々に姿をくらますでしょう」と、彼は立ち上がりながら言った。「私達も、この駅で乗り換えましょう。今度は、こちらが挨拶にうかがう番です」
7
私達は、停車した駅で列車を降りた。
朝の通勤時間に入り、ホームは、列車を待つ多くの人々でにぎわっていた。
人々は、口々にどよめきの声を上げていた。振り返って見ると、私達が乗っていた列車が、傷だらけの変わり果てた姿をさらしていた。
迷彩服の男達が襲ってきた車両は、窓ガラスがすべて割られ、中に飛びこんできた時のロープが、屋根からそのままぶら下がっていた。見えない迷彩服の男に追われ、私達が走り抜けた車両は、どの車両も、内側からボコボコとあぶくのように膨れあがり、針を刺せば今にも破裂しそうなほど変形していた。
駅員達が、ホームに溢れている乗客をかき分け、息を切らせて右往左往している姿があった。列車の運休を知らせる案内が、困惑する人々の声に混じって、何度も繰り返し流れていた。混乱した様子からすると、列車で起こった事については、なにひとつ連絡が入っていないようだった。おそらくは、乗っていた車掌達も、私達を襲った連中の仲間から、運転を続けるように脅されていたのだろう。被害にあった乗務員達は、はたして無事だったのだろうか……。人混みに邪魔され、それらしい姿はどこにも見つけることができなかった。
列車の中で見かけた乗客の一人が、集まった人々の対応に追われている駅員の一人と話をしながら、私達の方を指さしている姿が目に入った。私は気がつかないふりを装いながら、前を行く彼にそっと耳打ちをした。
「早くここを離れた方がいい――」
ちらりと様子をうかがった彼は、
「ええ。あまりゆっくりもしていられないようです」
「わかりましたか」と、彼は私に言った。「あいつらも、気圧を扱うんです。多少は数術の心得があるらしい――」
彼は、私の腕を取りながら立ち上がると、姿の見えない敵にくるりと背中を向け、襲いかかる衝撃波を次々によけながら、私を先に行くようにうながし、前方の車両へと足早に向かった。
ドン、ドドン――と、車両の内壁が、続けざまにへこんでいった。彼はなす術もないのか、狭い通路をよろけながら駆け抜け、さらに前の車両へ移動した。
列車が何両編成なのかはわからなかったが、逃げられる車両は、もうほとんどないはずだった。
乗客のいない車両に駆けこむと、閉じたばかりのドアが、バン、と激しい音を立てて押し破られ、はずれたドアが回りながら頭上をかすめ飛んだ。私達は間一髪床に伏せ、宙に舞った重いスチール製のドアから逃れた。
彼は一人立ち上がると、見えない追っ手に向かっていった。
「姿を消せば、有利になれると思うのは大間違いですよ」
私は身を伏せたまま、這い進んで座席の下に体を滑りこませた。彼は、両手の甲にそれぞれ素早く指を走らせると、シンバルを打ち鳴らすように大きく腕を広げ、左右の拳骨を胸の前で勢いよくぶつけ合わせた。
ズドドン――と、閃光がほとばしった。
まるで、光が爆発したようだった。内蔵が、腹の中で躍り上がるほどの重々しい衝撃が、車両中にとどろいた。私は両手で光を遮りながら、強く目を閉じた。しかし一瞬早く、目の前が真っ白になるほどのまぶしさで目が焼かれ、再び目を開けると、見えるものすべてが緑色のシロップをかけたように変色して見えた。私が彼に初めて出会った時に体験した、雷鳴のような衝撃と同じだった。
「ぐあっ……」という声が聞こえた。
出入り口の前の空間が、ゆらゆらと陽炎のようにぶれていた。生肉が焦げたような匂いが漂ってきた。幾筋もの細い煙が、人の輪郭に沿って立ちのぼっていた。
私は座席の下から這い出すと、立ちのぼる煙に目を据えたまま立ち上がった。ぷつぷつと、炎がはぜるような音が聞こえた。見ていると、陽炎のように揺らめいていた空気が、はっきりと人の形を浮かび上がらせた。半透明のフィルムを全身にまとった男が、赤黒い炎を体のあちらこちらでいぶらせながら、宙をつかむようにヨロヨロと前に進み、力なく通路の床に倒れ伏した。
彼は、倒れた男をじっと見下ろしていた。深い呼吸をゆっくりと繰り返し、荒くなった息を整えているようだった。その額には、うっすらと汗がにじんでいた。
私は、うつむいたままじっと動かない彼に声をかけようとした。
と、不意に視線を感じ、はっとして後ろを振り返った。
破壊された車両のドアの陰から、騒ぎを聞きつけて集まってきた乗客達が、おそるおそるこちらの様子をうかがっていた。
私は彼の腕を揺すって我に返させると、先に行くようにうながし、前の車両に移動した。
ドアの前で、足下に落ちていた帽子を拾った。つばが山折りになった野球帽だった。私は目深に被りながら、ちらりと乗客達を振り返り、後ろ手に枠だけになったドアを閉めた。
騒ぎを聞きつけてやってきた乗客は、誰一人として、私達の後をつけてこようとしなかった。
前の車両に移動した私達が座席に腰を下ろすと、いくらもたたず列車がスピードを落とし始めた。いつのまにか、窓の外はうっそうとした山林に変わり、木々の中に溶けこむようにして建てられた住宅が、転々と見え隠れしていた。
車掌のアナウンスが、まもなく停車する駅名を告げた。あらかじめ騒ぎが起こることを知っていたような、不自然なほど落ち着いた口調だった。
「ここで、私達を拘束するつもりだったらしいですね」と、彼がくすりと笑った。
「別の追っ手が、待ちかまえているんじゃないだろうか……」と、不安を覚えた私は、窓に顔を寄せ、近づいてくる駅の様子をうかがった。
「心配することはないと思います。この列車の有様を見れば、連中は早々に姿をくらますでしょう」と、彼は立ち上がりながら言った。「私達も、この駅で乗り換えましょう。今度は、こちらが挨拶にうかがう番です」
7
私達は、停車した駅で列車を降りた。
朝の通勤時間に入り、ホームは、列車を待つ多くの人々でにぎわっていた。
人々は、口々にどよめきの声を上げていた。振り返って見ると、私達が乗っていた列車が、傷だらけの変わり果てた姿をさらしていた。
迷彩服の男達が襲ってきた車両は、窓ガラスがすべて割られ、中に飛びこんできた時のロープが、屋根からそのままぶら下がっていた。見えない迷彩服の男に追われ、私達が走り抜けた車両は、どの車両も、内側からボコボコとあぶくのように膨れあがり、針を刺せば今にも破裂しそうなほど変形していた。
駅員達が、ホームに溢れている乗客をかき分け、息を切らせて右往左往している姿があった。列車の運休を知らせる案内が、困惑する人々の声に混じって、何度も繰り返し流れていた。混乱した様子からすると、列車で起こった事については、なにひとつ連絡が入っていないようだった。おそらくは、乗っていた車掌達も、私達を襲った連中の仲間から、運転を続けるように脅されていたのだろう。被害にあった乗務員達は、はたして無事だったのだろうか……。人混みに邪魔され、それらしい姿はどこにも見つけることができなかった。
列車の中で見かけた乗客の一人が、集まった人々の対応に追われている駅員の一人と話をしながら、私達の方を指さしている姿が目に入った。私は気がつかないふりを装いながら、前を行く彼にそっと耳打ちをした。
「早くここを離れた方がいい――」
ちらりと様子をうかがった彼は、
「ええ。あまりゆっくりもしていられないようです」