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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

未来の落とし物(112)

2025-06-24 21:02:00 | 「未来の落とし物」

「どうしたんです、そんなに息を切らせて」と、鋏を手に花を生けていた桃姫は、迷惑そうに言った。「いつも小うるさい爺も、お節介な辰巳の二人とも、珍しくそろって出かけているんです。そんなに大騒ぎしないで、少しはのんびりしていましょうよ」
「申し訳ございません」と、女中頭の女性は桃姫の前で深々と頭を下げると、涙声で言った。「お陽が、捕らえられてしまったんです」

「どういうこと?」

 と、女中頭が言うには、町に買い物に出た数人の女中が、帰りにふと立ち寄った商店で鏡を手に取って見ていたところ、弾みで落としてしまい、すぐに謝ったものの、落とした鏡はもう商品にはならないから、買い取りを要求されたとのことだった。
 鏡を落とした女中はやむを得ないと値段を尋ねたところ、月の給金の倍の値段だとぼったぐられ、そんな高額な物は買い取れないと言うと、知り合いの茶屋を紹介するから、そこで働けと脅迫を始めたという。
 女中達の中ではお姉さん肌のお陽は、鏡を落とした女中をかばって店の連中に向かい、そんな脅迫には従わない、私達は上屋敷で働く者で、生まれは違うが、サムライの上屋敷で働いている以上、家の名前を辱めるような真似はできない、と頑として店の要求に反発して、口論になってしまった。
「鏡は、壊してしまったんですか」と、桃姫は女中頭に言った。「高価な鏡なら、それなりの値段はするんだろうけど」

「滅相もありません」

 と、女中頭が続けて言うには、言いがかりをつけられた鏡は壊れているわけでもなく、ただ落としただけにもかかわらず、やれ魔がついたとか、縁起でもないと言いがかりをつけ、買い取りを要求されたのだという。
 しかも、女中達が立ち寄った店は無頼の者達が正体を隠すために始めた商いで、聞けばあくどいやり口で大枚を稼いでいると噂される店だった。

「知らなかったとはいえ、今になっては後の祭り。頑なに首を振るばかりのお陽では話にならんと、勤めている藩邸の上役を連れて来い。それまでお陽は店で預かると、そう言って、女中の一人を使いによこしたのです」
「――急ぎましょう」と、桃姫は立ち上がると言った。「そんな輩とまともに関わることはありません。私がいって話をつけましょう」
「姫様、それではなおさら話がもつれてしまうのではありませんか」と、意外な桃姫の反応に驚き、女中頭は桃姫の袖を引いて、引き留めながら言った。「誰か策を持つ者を話し合いに向かわせた方が良いのではないですか」
「だめです」と、怒りで頭に血が上った姫は言った。「話し合いで解決するような連中ではないでしょう。遠く薩摩から来たとはいえ、都の連中に蔑まされては、お家に泥を塗るようなものです。そのような連中になどに尻尾は振りません。戦になってでも、お陽を取り戻します」

 


未来の落とし物(111)

2025-06-24 21:01:00 | 「未来の落とし物」

「――切れるのか」と、辰巳の手元を覗きこんだ爺は、姫よりも先に言った。「確かに刃がついているように見えるが、これほど小さな刃物を打つには、それ相応の技術が入り用だぞ」
「さすが、京の職人でございます」と、辰巳は感心したように言った。「青のような鳥が振るうために打たれた刀です。器用に木剣を使う青ならば、自在に使えるかと――」
「青――、入ってきて頂戴」と、顔を上げた桃姫は口元に手を当てて青を呼んだ。

 チチッ――……

 と、鴨居の飾りをくり抜いて作った青専用の出入り口から、さっ、と目にも止まらぬ早さで青が部屋に入ってきた。
 畳の上にちょこんと立った青は、みんなの話を耳にしていたのか、辰巳が持ってきた刀を興味深そうに見ると、こくりと首を傾げて辰巳と姫の顔を交互に見た。
「――」と、顔を見合わせた2人だったが、青が言いたいことがわからない様子を察した爺が、「お前の刀じゃ。使えるなら抜いて見せよ」
 ちょんちょんと前に出た青は、さっと柄を口にすると、大きく振り上げ、使い勝手を試しているようだった。
「おお。やはりぴったりのようですな」と、辰巳は満足そうな笑顔を見せた。
「これは本当に、青にぴったりな刀ですね」と、桃姫も満足そうに微笑んだ。

「――さぁ、休憩もそのくらいですぞ」

 と、爺がせかすように言うと、辰巳も頭を低く足早に桃姫の部屋を後にした。
 辰巳が開けた障子から一緒に外に出た青は、庭の木から木へと何度も飛び移りながら、新しい武器を手に稽古をしているようだった。
「良かったですな、青殿」と、辰巳は満足そうに言うと、足早に廊下を奥に戻っていった。

 ――――    

 青が上屋敷に来てから、早い物で三ヶ月が過ぎようとしていた。
 稽古に励む桃姫に引けを取らず、剣の稽古に励む青は、見た目の大きさに反してぐっと逞しくなったように見えた。
 あいかわらず自分の役目に忠実で、桃姫の側をつかず離れず、紐で繋がっているのではないかと思うほど、側に寄り添って桃姫を守り続けていた。
 そんな桃姫も、青を遠ざけることなく、まるで姉弟のように接してかわいがっていた。

「――姫様、大変でございます」
 
 と、女中頭の女性が、血相を変えて桃姫の元に駆けこんできた。

 


未来の落とし物(110)

2025-06-24 21:00:00 | 「未来の落とし物」

「――これは」と、辰巳は、主人の手にしていた刀を見て言った。「大切な物ではないのか」
「これは、先代を真似て私が打った刀です」と、主人は言った。「いなくなってしまった先代に追いつきたくて、私が鍛えた刀のひとつです。まるで未熟な刀ですが、よろしければ、その青とかいう鳥にお持ちになってください」

「いえいえ、お代はいりません」 

 と、ただで貰うには忍びないという辰巳を押しとどめ、主人は辰巳に小さな刀を持たせて店から送り出した。

 ――――    

 翌日、辰巳は稽古中の桃姫の元を訪れた。
「稽古中だぞ、辰巳」と、障子の外で返事を待っている辰巳に、爺は不機嫌そうに言った。「せっかく筆が乗ってきているところだ。急ぎのようでなければ、休憩まで待っておれ」
 と、書道に励んでいた桃姫が、大きく伸びをすると言った。
「――いいじゃない、爺。そろそろ休憩に入ってもいい頃でしょ。ぶっ続けで文字を書き続けて、目が白黒してしまっているわ」
 と、桃姫の後ろに控えていた側女が、「ぷすりっ」と、小さく吹き出した。
「なっ」と、正座のまま立ち膝になった爺は口を真一文字に結び、悔しそうに膝を打って言った。「そろそろこの辺で、休憩に入りましょう」

「入れ」

 と、爺は舌打ちをしながら言った。
「――失礼いたします」と、そろそろと障子を開け、辰巳が手になにかを持って部屋に入ってきた。「姫様に土産がございます」
「菓子ならいらんぞ」と、爺はつまらなさそうに言うと、桃姫は「黙っていなさい、爺」と、あわてて爺の言葉を打ち消した。
「なに用なの、辰巳」と、桃姫は目を輝かせて言った。
「いえ、菓子ではございません」と、辰巳が首を振って言うと、桃姫は頬を膨らませてそっぽを向いた。
「昨日、町に使いに出た折り、青が持つのに格好な打ち物を見つけたのでございます」と、辰巳は頭を下げると、持ってきた包みを桃姫の前で広げた。
「これは、刀?」と、包みの中にあった刀を見て、桃姫は驚いたように言った。「こんなに小さな刀は、見たことがありません。おもちゃじゃないの」
「いいえ、おもちゃではありません」と、辰巳は首を振ると、失礼いたします、と一礼をして刀を抜いて見せた。


未来の落とし物(109)

2025-06-23 21:02:00 | 「未来の落とし物」


「――これは済まぬ。おかしな事を口走ってしまった」

 と、辰巳はあわてて手を下ろすと、にやけた顔を隠すように頭を下げた。
「いやいや、こちらこそ、無礼をお許しください」と、目を見開いて凍りついていた主人が、あわてて辰巳に言った。「お侍さんがその刀の持ち主を知っていたようなんで、驚いてしまったんです」
「持ち主?」と、辰巳は聞き返した。「これは、童のおもちゃではないのか」と、もう一度置かれた刀を見返した。
「さようです」実は……と、主人は刀のいわれを辰巳に話した。
 おもちゃのようにも見える小さな刀は、ほかの刀と同様に鋼から打ち上げられた本物の刀だった。主人の先代の刀鍛冶が打ったというその刀は、辰巳が指摘したとおり、鳥のために特別に仕立てられた刀だった。その話を先代から聞いたときは、根拠のない与太話と思っていたが、たった一度、小さな青い鳥が店を訪れ、先代は迷うことなく自分が打った刀を差し出すと、その鳥は満足そうに翼の下に刀を納め、またすぐに飛び出していったとのことだった。
「その刀が、どうしてここに――」と、辰巳は聞いた。
「その刀は、先代が置いていった刀なんです」と、主人は思い出すように言った。「私がこの店を預かるようになったのは、先代が急に姿を消したからなんです」
 主人によれば、関白の時代が訪れ、町にクルスの宣教師達が行き来するようになると、落ち着きがなくなった先代の主人は、一振りの小さな刀を鍛え、できあがった刀を主人に預けると、どこへともなく姿を消したのだという。
「なんとも、奇妙な話だな」と、辰巳は話に聞き入っていた。「でも、どうしてこの刀を預けていったんだ」
「先代が言うには、自分が打った刀を持っていた鳥が、新しい刀を求めてやってくるはずだ、と言うんです」と、主人は言った。「以前に打った刀は満足のいく出来ではなかったから、剣の腕を磨いた鳥には、物足りない物になるということでした。なので、鳥がまたこの店に来て、別の刀を所望するというんです」
「その鳥は、はたして店に来たのか?」と、辰巳は聞いた。
「――」と、主人は首を振った。「先代がいなくなってから数年経ちますが、鳥はまだ訪れていません。ただ、いつ店に来てもいいように、出入り口の側に置いてあるんです」
「ふむ」と、辰巳はわずかに思案をすると、思い切ったように主人に言った。「実は、我が藩邸に一羽、剣術をたしなむ鳥がいるんだ」
「なんと……」と、刀鍛冶の主人は面食らった顔をして、飛び上がった。「私が見た鳥とは違う鳥でしょうが、世の中奇妙なことがまだまだあるんですな」
 頼まれた使いも忘れ、ついつい主人と話しこんでしまった辰巳は、暮れてきた空を見てあわてて腰を上げた。
 店を出る間際、

「よかったら、私が打った刀をお持ちになってみますか?」

 と、主人が辰巳を呼び止め、裏に引っこむと、なにやら手に小さな物を持って戻ってきた。

 


未来の落とし物(109)

2025-06-23 21:01:00 | 「未来の落とし物」


「――これは済まぬ。おかしな事を口走ってしまった」

 と、辰巳はあわてて手を下ろすと、にやけた顔を隠すように頭を下げた。
「いやいや、こちらこそ、無礼をお許しください」と、目を見開いて凍りついていた主人が、あわてて辰巳に言った。「お侍さんがその刀の持ち主を知っていたようなんで、驚いてしまったんです」
「持ち主?」と、辰巳は聞き返した。「これは、童のおもちゃではないのか」と、もう一度置かれた刀を見返した。
「さようです」実は……と、主人は刀のいわれを辰巳に話した。
 おもちゃのようにも見える小さな刀は、ほかの刀と同様に鋼から打ち上げられた本物の刀だった。主人の先代の刀鍛冶が打ったというその刀は、辰巳が指摘したとおり、鳥のために特別に仕立てられた刀だった。その話を先代から聞いたときは、根拠のない与太話と思っていたが、たった一度、小さな青い鳥が店を訪れ、先代は迷うことなく自分が打った刀を差し出すと、その鳥は満足そうに翼の下に刀を納め、またすぐに飛び出していったとのことだった。
「その刀が、どうしてここに――」と、辰巳は聞いた。
「その刀は、先代が置いていった刀なんです」と、主人は思い出すように言った。「私がこの店を預かるようになったのは、先代が急に姿を消したからなんです」
 主人によれば、関白の時代が訪れ、町にクルスの宣教師達が行き来するようになると、落ち着きがなくなった先代の主人は、一振りの小さな刀を鍛え、できあがった刀を主人に預けると、どこへともなく姿を消したのだという。
「なんとも、奇妙な話だな」と、辰巳は話に聞き入っていた。「でも、どうしてこの刀を預けていったんだ」
「先代が言うには、自分が打った刀を持っていた鳥が、新しい刀を求めてやってくるはずだ、と言うんです」と、主人は言った。「以前に打った刀は満足のいく出来ではなかったから、剣の腕を磨いた鳥には、物足りない物になるということでした。なので、鳥がまたこの店に来て、別の刀を所望するというんです」
「その鳥は、はたして店に来たのか?」と、辰巳は聞いた。
「――」と、主人は首を振った。「先代がいなくなってから数年経ちますが、鳥はまだ訪れていません。ただ、いつ店に来てもいいように、出入り口の側に置いてあるんです」
「ふむ」と、辰巳はわずかに思案をすると、思い切ったように主人に言った。「実は、我が藩邸に一羽、剣術をたしなむ鳥がいるんだ」
「なんと……」と、刀鍛冶の主人は面食らった顔をして、飛び上がった。「私が見た鳥とは違う鳥でしょうが、世の中奇妙なことがまだまだあるんですな」
 頼まれた使いも忘れ、ついつい主人と話しこんでしまった辰巳は、暮れてきた空を見てあわてて腰を上げた。
 店を出る間際、

「よかったら、私が打った刀をお持ちになってみますか?」

 と、主人が辰巳を呼び止め、裏に引っこむと、なにやら手に小さな物を持って戻ってきた。

 


未来の落とし物(108)

2025-06-23 21:00:00 | 「未来の落とし物」

 爺も、青が用心棒として働き始めてから、桃姫の表情がつとに明るく変化していることに手応えを得ていた。
 薩摩の城にいる殿様宛てにしたためた文にも、新しく青を用心棒として迎えたこと。桃姫が郷里にいる時と同様に、楽しそうな笑顔を見せるようになったことを書き留めていた。
 返ってきた殿様からの文には、京に上洛した折にはぜひとも会ってみたい、と奇妙なカワセミの用心棒と桃姫の元気な様子に、喜びを隠しきれないと言った気持ちがひしひしと伝わってくる内容が記されていた。

 ある日、京の町に使いに出ていた辰巳が、刀鍛冶の店の横を通りかかった時だった。
 ふと、久しく使う機会の無い脇差しを、使いに出されたついでに手入れでもしておこうか。と、そう思って暖簾をくぐった。

 カッチンカチチン、カッツンカツツツン――。 

 と、店の裏にある工場だろうか、鉄を打つ音が休むことなく聞こえてきていた。
「腰の物を研ぎ直したいのだが、やって貰えるだろうか」と、辰巳はどこか薩摩のなまりを感じさせるように言った。
「こちらは、初めてですか」と、額に手ぬぐいを巻いた、いかにも鍛冶職人と言った姿の主人は言った。「恐れ多い物でなければ、請け負わせていただきますよ」
「おお、それはありがたい」と、辰巳は店の畳に持ち物を下ろし、脇差しを抜いて腰を掛けた。「どのくらいでできるだろうか」
「ちょっと拝見――」と、辰巳から脇差しを預かった店主は、後ろに下がって半紙を口に挟むと、一礼をして鯉口を切り、そろそろと鞘から刀を抜いていった。

「一日預からせて貰えば、しっかりとお手入れできますよ」

 と、主人は刀を鞘に納めると言った。
「ぜひお願いしたい」と、辰巳は小さく頭を下げて言った。「代わりに持たせてくれる物はあるかな」
「ありますとも」と、言った店主は土間に降りてくると、置いてあった葛籠の蓋を開けた。「この中でお好きな物をお持ちください。どれも手入れはしてありますんで」
 と、辰巳は自分の脇差しと遜色のない刀を選び、支払う料金を決めて、店を出ようとした。

「――この刀は、お主が作ったのか」

 辰巳が目に留めたのは、出入り口の隅に置かれていた小さな刀だった。
「もしもこのくらいの鳥に持たせることができれば、さぞ絵になるであろうな」と、辰巳は手で青の大きさを測りながら、主人を振り返って言った。

 


未来の落とし物(107)

2025-06-22 21:02:00 | 「未来の落とし物」

「――うむ」と、爺は考えるようにうなずいた。「桃姫様がもし望まれるのならば、青を仕官させてもいいのではなかろうか。人ではないから、という理由で仲間に引き入れないとすれば、車を引かせる牛も戦場を駆ける馬も、同様に手放さなければならないだろう」
「本当?」と、青を頭の上に乗せた桃姫は、驚いて言った。「私はうれしいけれど、父上がそれを聞いたら、なんて言うか気になるわ」
「いやはや、カワセミを牛馬と同様に捉えるのは、いかがなものでしょう」と、辰巳は困ったように言った。
「殿に承諾を得る役目なら、私が引き受けます」と、爺は胸を張って言った。「これほどの手練れをみすみす野に戻してしまったなら、それこそ我が藩に取って不利益でしかありません」

「ありがとう、爺」

 と、桃姫は飛び上がってよろこんだ「また一緒にいられるんですってよ、青」
 青は桃姫の言った意味がわかっているのか、桃姫の周りを奇妙な踊りを舞うように飛び交い、ピタリと桃姫の肩に止まった。
「士官となれば、役職はいかがするのです」と、辰巳が考えるように言った。
「当座は、桃姫様の用心棒でいいのではないか」と爺は言った。「――うかうかしてると、辰巳がお役目を奪われるかもしれんぞ」
 と、辰巳はあわてて首を振って言った。
「加納殿、それは言葉が過ぎやしませんか。私も桃姫をお守りしてここまでやって来た身です」
「ほっほっ――」と、爺は意地悪そうに笑いながら、辰巳に言った。「うかうかしていると、小鳥に大事なお役目を奪われるぞ」
「それは無しですよ」と、辰巳は爺に詰め寄って言った。「ずいぶんとがんばってきたじゃないですか」
 と、桃姫は肩に青を乗せたまま、くつくつと笑っていた。

 ――――    

 青は、桃姫の側をつかず離れず、用心棒としての仕事に専念していた。

「お前の役目は、桃姫をお守りすることだ」 

 と、言った爺の言葉を、不思議と理解しているようだった。上屋敷で働く人々をはじめ、外から出入りする者達の動きをよく観察し、怪しい者とそうでない者との区別をちゃんと見分けていた。
 誰に教わったものでもなかったろうが、はじめは「たかが鳥でしょ――」と、訝しんでいた上屋敷の人々も、人に負けない青の働きぶりを認めざるを得なかった。

 


未来の落とし物(106)

2025-06-22 21:01:00 | 「未来の落とし物」


「どこからでも、撃ちこんでくるがいい」

 と、爺は木の枝で休んでいる青い鳥を見て言った。
 チチッ――。と、青は翼を羽ばたかせると、なにかを伝えようとして小さく声をあげた。
「あ、ごめんなさい」と、爺の隣に立っていた桃姫が、あわてて辰巳の側まで下がった。
 そよそよと、木々の間を絶え間なく風が吹き抜けていた。
 しんとした静寂とまではいかなかったが、ピリピリとした緊張感に、桃姫の顔からもいつの間にか笑顔が消えていた。
 枝に止まる青は爺に向き合うと、どこにしまっていたのか、翼の間から木の棒を取り出し、器用に嘴で挟み掴んだ。
 と、ちょこんと枝から落ちるように、青が宙に飛び出した。
 狙い澄ました矢が突き進んでくるような軌道を描き、青は木刀を咥えながら爺に向かって行った。
 思った動きではなかったが、十分に青の動きを捕らえた爺は、多少の手加減はするつもりで、狙い澄ました一撃を放った。
 勝負は、一瞬だった。
 どのように飛び越えたのか、爺の振るった長刀の切っ先をすり抜けた青は、爺の手の甲をしたたかに打ち据えて、休んでいた木の枝に戻ると、咥えていた木剣を翼に納めた。
 目を丸くしていた桃姫の隣で、辰巳は「ほぉ――」と、感心したような声を漏らした。

「お主、どこでその剣を習った」

 と、爺は思わず青に話しかけていた。郷里の薩摩で京都から帰ってきた東郷が身につけたという、ジゲンリュウ剣術に、どこか太刀筋が似ているのを感じていた。
 枝に止まった青はなにも答えず、ただ首を振るばかりだった。
「さぁ、もう一合、お相手願います」と、爺は手を赤く腫れ上げさせたまま、再び長刀を構えた。
 戯れに手合わせを煽った桃姫は、爺の人が変わったような真剣さに驚き、もうそのくらいにしてはどうか、と間に割って入ろうとしたが、火花が散るような双方の気迫に圧倒され、辰巳ともどもじっと見守ることしかできなかった。

「――てやっ、トオオー」

 と、爺の発する気合いが、森の中に響き渡った。
 気合いのこもった打ち合いが続くこと数合、辰巳と同様に両手の甲を赤く腫れさせた爺は、ついに降参した、と長刀を置いて青に頭を下げた。
「私の負けです」と、爺は言った。「どこでそんな剣を覚えたのじゃ。人でない者が、人を負かすほどの剣を振るうなど、いまだかつて見聞きしたことがない」
 と、辰巳も感心したように言った。
「加納殿には気の毒ですが、見事な立ち会いでした。青が鳥でなかったなら、間違いなく我が藩に仕官させていたでしょうな」

 


未来の落とし物(105)

2025-06-22 21:00:00 | 「未来の落とし物」


「桃姫様、これはどういう事ですか――」

 女子の稽古着に身を包んだ桃姫は、両手に長刀の木剣を持ち、肩で息をしながら一心に撃ちこんでいた。
 相手をしているのは、目にも止まらぬ素早さで飛び交う鳥だった。

「――爺」

 と、立ち止まってつぶやいた桃姫は、頭上から飛んできた青い鳥に額の辺りを木の棒で打たれ、「痛ッ」と、地面に尻餅をついた。
「大丈夫ですか、桃姫様」と、辰巳は言いながら、桃姫に駆け寄った。
「イタタタタッ……」と、桃姫は辰巳に手を取られながら、立ち上がった。
「桃姫様、これはどういう事ですか」と、爺は言った。「まだ午後のお稽古が残っているではありませんか。休憩には早すぎますぞ」
 と、爺が顔を上げると、桃姫が熱心に看病をしていたカワセミが、側の木の枝にちょこんと止まり、得意そうに羽繕いをしながら、こちらを見て首を傾げていた。
「――しかも鳥を相手に剣術など。武士の家には似つかわしくありませんぞ」と、爺は言った。
「爺は勝てるっていうの」と、尻についた泥を払いながら、桃姫は言った。「青に剣術で一本取れるのなら、すぐにでも屋敷に戻ります」
「アオ?」と、爺は聞き返した。
「カワセミの名前です」と、桃姫はつまらなさそうに言った。「アオではなく、青です」
 と、桃姫は持っていた長刀の木剣を、黙って爺に差し出した。
 爺は差し出された長刀を受け取らず、桃姫の隣で恐縮している様子の辰巳を見た。
 なにか言いたげな爺を見て、辰巳は小さく首を振った。「やめておいたほうが、いいですよ」と、爺には辰巳が、そう言っているように見えた。
「私も、ご覧の通りです」と、辰巳は恥ずかしそうに手の甲を爺に見せた。その手には、鞭を打たれたような赤い線が幾本か延びていた。
「――」と、爺は深く息を吐くと、桃姫が差し出した長刀を手に取った。
 長刀は、得意ではなかった。しかし、小鳥相手に一本を取られるなどとは、思いもしていなかった。
 すぐに構えない爺を見て、桃姫はからかうように言った。

「どうしちゃったの、爺――」

 と、桃姫が疑うような表情で言った。「小鳥には歯が立たないの」
「もちろん。剣術の手本をお見せしましょう」と、爺はゆったりと長刀を構えた。「姫が大切にされていた鳥がどうなっても、責任は持てませんぞ」

 


未来の落とし物(104)

2025-06-21 21:02:00 | 「未来の落とし物」


 ―――― 

 カワセミが息を吹き返したのは、姫が逗留している上屋敷の一室だった。
 動物は診察したことがない、と何度も断る医者を無理に呼び寄せ、容態を見せもした。
 どうして桃姫が小さな青い鳥にこだわるのか。長年そばに使えた爺にとっても、思い当たる理由は見つからなかった。ただもしかすると、幼少の頃、ふる里の薩摩国の川で見かけた宝石のようなカワセミの姿が、頭の片隅に残っていたからではないか、とそう考えていた。

「どこか懐かしいものを感じておられるかもしれない」

 気が触れたのではないかといぶかしむ女中達に対して、爺はもう少し様子を見てあげよう、そう言って諭していた。

 元気を取り戻した青い鳥に愛着を覚えつつも、野に放すのが青い鳥のためになる、と桃姫は最初から考えていた。
 無理を押して寝食を共にし、手探りで看病を続けた結果、カワセミは自由に宙を舞い、うれしそうにとんぼを切るまでに回復することができた。
 上屋敷で働く者達に気味悪がられていた桃姫も、青い鳥が回復するのに合わせて徐々に元の生活を取り戻していった。
 広い上屋敷に、爺の小言が聞こえない日はなくなった。

「姫様はどこに行かれた。誰か桃姫様の行方を知るものはおらぬか」

 怒り心頭に達したような爺を見かけた途端、上屋敷じゅうの者達がそそくさと蜘蛛の子を散らしたように、どこへともなく姿を消した。
 元通りの生活を取り戻したのもつかの間だった。桃姫のいたずら心が、またもや騒ぎ始めた。
 バタバタと足音も大きく行き来する爺の前に、間の悪い辰巳が台所で鉢合わせた。

「――おお、辰巳。ちょうど良いところにおった。桃姫様を見かけなかったか。ちょっとばかし厠へ行っている間に、姿を消してしまったのじゃ。ここのところ、しっかりお稽古に励んでおられると思ったら、また退屈の虫が騒ぎ始めてしまった」

 と、爺は辰巳を叱りつけるように言った。
「そう、おっしゃられましても……」と、ひしゃくで水を飲んでいた辰巳は手を止めると、申し訳なさそうに目を伏せて言った。
「お前も知らんのか」と、爺は辰巳にも責任があるかのように声高に言った。「桃姫の行方が知れないなど、お付きの者の失態だぞ。郷里にいらっしゃる殿に、どのようにお詫びするつもりじゃ」
「いや、加納殿。私めにお任せください」と、辰巳はひしゃくを置くと頭を掻き掻き言った。「じつは、桃姫様は、珍しく剣術に夢中でして――」
「なにを言っておる」と、爺は舌打ちをして言った。「なによりも体を動かすのが苦手な桃姫だぞ。剣術の類いはこれまで指南役を何人頼んでも、向上するのは時間がかかりますと、名のある指南役のいずれもが、お役御免を申し入れて匙を投げたほどだぞ」

「――はぁ。それがですね」
  
 と、辰巳に案内されるまま、爺は上屋敷の近くにある森に足を運んだ。
 森に延びる小道を進むにつれ、カツン、カッツン――と、激しく木剣を打ち鳴らす音が聞こえてきた。
 わずかに開けた場所に来ると、爺は目を見開いて驚きの表情を浮かべた。