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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

未来の落とし物(122)

2025-06-28 21:00:00 | 「未来の落とし物」


「ここは、あのカワセミの墓だったのか」

 と、瞬は言った。言った途端、おかしな事に気がついた。「墓の一つはカワセミとして、先にあったもうひとつの墓は、誰のものなのか――」

「そうか。もうひとつの墓は、カワセミの親の墓だったんだ」

 と、瞬が言うと、青い鳥は「チチッ」と、短い声を上げた。
 この刀は、あの親子が持っていた刀なんだろう。と、瞬は考えていた。親鳥から子供の鳥に渡り、そして刀は次の――しかし、刀は二代までしか受け継がれなかったことに、瞬は気がついた。
 サムライとして生きるよりも、鳥として生きることを、子供達は望んだのだろう。そのほうが、鳥にとっては幸せに違いない。小難しい人間の世界で生きるよりも、大空を飛び交って狩りを生業にする方が、彼らにとっては自然なことなのだから。
 と、青い鳥の歩みは止まらず、地面から伸びた刀を咥えると、するりと刀身を引き抜いた。
 空間を断ち切るその類い希な剣は、屋外に長年放置されていたにもかかわらず、わずかな錆もなく、刃に受けた光をキラリと怪しげに反射させた。
 青い鳥は、誰に習ったわけでもなく、記憶していたカワセミの動きを一通り演武して見せた。

「お前は、あの鳥の剣術を習得したのか?」

 と、瞬は声に出して言った。
 青い鳥はなにも答えず、カワセミが見せたのと、そっくりに身構えた。

 どん―― 。

 と、一瞬の暗転の後、景色がすべて変わり、恐ろしげな武器を持った人間が、こちらに向かって襲いかかってきた。過去の映像を見ているのだとわかっているはずの瞬だったが、その迫力に思わず頭を低く身を守ってしまった。かと思えば、耳を覆いたくなるような奇声と共に後ろから襲いかかってきた人間から、かろうじて身をかわして避け、さらに頭の上をかすめ飛ぶ矢を交わし、間髪を入れずに、雨あられと撃ち出される銃弾の雨をくぐり抜けた。

「いつまでも、逃げてばかりはいられないぞ。なにか手を打たなければ、いずれ小さなミスをしたとたん、隙を突かれて命を落としかねない」

 と、瞬のすぐ側に、カワセミが持っていたあの刀が、足下から立っているのが見えた。

「早くその刀を取るんだ。カワセミの意志を継ぐのは、もうお前しかいないんだから」

 と、瞬は言った途端、唐突に自由になった青い鳥の体で、目の前に立つ刀を引き抜き、休まず襲いかかってくる暴漢達に向かって、反撃の一刀を振るった。

 ズドン――。

 結果は、火を見るよりも明らかだった。

 

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未来の落とし物(121)

2025-06-27 21:02:00 | 「未来の落とし物」


「辰巳――」

「わかっておりますよ」と、辰巳は爺に言われるよりも早く、駆けだしていた。「医者を連れて戻りますから、気をつけてお帰りください」
「辰巳も気をつけてね」と、桃姫はあっという間に離れていく辰巳に言った。

「気をつけて」

 と、爺とお陽も、離れていく辰巳に声を掛けた。
 辰巳の後ろ姿は、光の加減か、満面の笑みを浮かべているように見えた。

 ――――    

「今度はなんだ」と、瞬はどきりとして言った。
 サムライの一人が遠ざかっていく場面が一変し、天地がひっくり返るような重苦しさを覚えた途端、目の前に草むらが現れた。
 先ほどまで耳にしていた音が消え、見ていた人々の姿もなかった。
 あるのはただ、手で盛りつけたようなこんもりとした地面と、青々と広がる草むらと、弔いに使われる線香のような匂いだった。
「今度はどこだ」と、瞬は言いながら、首を回そうとした。
 思い通りには動けないと思っていたが、意外にも見ていた画面がぐるりと変わった。
 どこだ? 亡骸を弔う墓場という場所か――。と、瞬が見たのは、角張った石を積み上げた碑のような物が点々と建ち並んでいる様子だった。
 だとすれば、目の前にある土の山は誰の墓だ。と、瞬は独り言のようにつぶやいた。
 青い鳥は答えることなく、ただじっと同じ場所に立ち、時間の経過と共に変化していく様子を瞬に見せていた。
 わずかな時間ではなかった。彼方から昇った日が、茜色に空気を染めながら遙か先に消え、黒い闇が世界を覆った後は、また遙か彼方から日が昇ってきた。青い鳥が見てきた景色が、次々に過ぎ去っていった。
 なにを見せたいのか。青い鳥の意図を汲むことができないまま、こんもりと盛り立てられていた地面も、時間の経過と共に様々な変化を見せ、急に動きが遅くなったと思うと、地山の隣にもうひとつの地山ができ、その前で手を合わせる辰巳や桃姫らしい人の姿が、繰り返し、わずかの間コマ送りに見え隠れした。
 瞬と一体となっている青い鳥が、ふわりと地面に降り立ち、二つ並んだ地山の前に進んでいった。
 短い距離だったが、青い鳥が一歩を踏み出すごとに景色が変わり、土が剥き出しになっていた地山は緑に覆われ、風雨にさらされた地山は徐々に風化し、高さも鳥の足下まで低くなってしまった。やがて、青い鳥が正面に来た頃には、元の地面と同じ一様な高さとなっていた。
 と、二つの地山のあった間に、一振りの刀が突き刺さっているのがわかった。

 

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未来の落とし物(120)

2025-06-27 21:01:00 | 「未来の落とし物」

 その切り口がいかに鋭いか、わずかの間一滴の血も流れないほど、サムライの体はさっくりと切断されていた。

「化け物だ、逃げろーっ」

 と、誰かが叫ぶと、集まっていた男達は無抵抗を示すように武器を放り出し、一目散に店の出入り口向かって走り出した。

「――おまえら、やっちまえ」

 と、腰を抜かして尻餅をついていた新之丞は男達を止めようとしたが、我先にと走る男達の勢いで廊下が揺れると、ズドン――と、新之丞 のいる目の前で柱という柱が切り裂け、屋根が雪崩を打って落ちそうなほど、みりみりと音を立ててずれ動いた。
 その様子を見ていた新之丞は、わなわなと震えるまま、一歩も動けないでいた。
 桃姫達も、店の外に逃げ出した男達に続き、今にも崩れ落ちそうになった店を逃げ出した。

 ――――    

 上屋敷に続く道を歩きながら、辰巳は夢を見ていたのだろうか、と考えていた。
 茜色に染まりかかった空を見上げていた辰巳は、笑い声の聞こえる後ろを振り返った。
 疲れ果て、年相応に老けこんで見える爺の頬が、桃姫の無事な様子にいつになく緩んでいた。

「桃姫様、からかうのもいい加減になさい」

 と、くつくつと笑いながら肩をすくめる桃姫の周りを、青の親に違いないカワセミが、はしこく飛び交いながら桃姫の顔をくすぐっていた。
「青のアオがいけないんですもの」と、桃姫は笑いながら言った。「私の肩に止まろうとして、耳たぶをくすぐるんですもの」
「それは、ほら――」と、爺は桃姫の手元を指さして言った。「青を揺らさないように、もっとちゃんと持ちなさいと、そう言っているんですよ」
「ごめんなさい」と、桃姫は頭の上に止まったカワセミに言った。「大丈夫ですよ。屋敷に戻ったら、すぐに医者を呼んで診て貰いますから。心配しないでくださいね」
「それなら、誰か医者を呼びに行かなきゃだめですね」と、お陽は言った。「私が呼びに参りましょうか」
「ならんならん」と、爺は走り出そうとしたお陽を引き止めた。「辛い目に遭ったばかりで、まだ十分に癒えもしないうちから働いてはならん」

 

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未来の落とし物(119)

2025-06-27 21:00:00 | 「未来の落とし物」


「――おいっ見ろ」

 と、誰かが塀の上を指さして言った。
 その場にいた者の目が、一斉に指をさされた方を向いた。
 清作に追い立てられていたカラスの姿は、既に見えなくなっていた。変わって塀の上に現れたのは、青と瓜二つな、いや、青よりもわずかに体格のがっちりした、一羽のカワセミだった。
「あお――」と、桃姫は手の中の青と、塀の上に現れたカワセミとを、見比べるように言った。「誰なの」

 チチッ――。

 と、桃姫に答えるように、薄らと目を開けていた青が、短く鳴き声を上げた。
 チチッ――と、青に答えるように鳴いたカワセミは、ひらりと翼を羽ばたかせると、廊下の端にちょこんと降り立った。
「なんだ、こいつ」と、そばにいた男の一人が、足蹴にしようと近づいた。

 ――サクッ。

 と、どうやったのか、廊下のカワセミがわずかに首を振ったかと思うと、蹴り上げたはずの男の足が、ふくらはぎの先からなくなっていた。
 重心を失って背中から落ちた男の悲鳴が、またぞろ店中に響き渡った。
 固唾を飲んで見守っていた辰巳は、廊下の端に立ったカワセミの嘴に、鍛冶屋で見た刀が咥えられているのに気がついた。
「もしかして、あれは――」と、辰巳は独り言のように言った。

「なんてこった」

 と、番頭らしき新之丞が、がっくりとうなだれて言った。「妙な鳥は子供だったんだ。さんざん手を焼かされた鳥にだって、そりゃ親がいるのに決まってるよな――」
 先生と呼ばれていたサムライが、新之丞が言い終わるより早く、構えていた刀の切っ先を廊下の鳥に向け、渾身の一撃を振るった。
 サムライの振るった剣を見た爺は、背筋に冷たい物が走るのを感じていた。あの男と剣を交えていたなら、勝てなかったかもしれない。正直、先生と呼ばれていても得心がいくほど、実力的に遜色のない一撃だった。
 サムライの一撃を頭上に、しかしカワセミは微動だにしなかった。咥えていた刀を器用に持ち替えると、素早く首を振って目の前の空気を裂いた。
 力の差は歴然だった。山のように聳える巨人に対する、まだ立ち上がることもできない乳飲み子のようだった。
 しかし、誰もが血の気を失った。斬りかかったサムライの体が、振り下ろした刀ごと、肩口から足下まで、綺麗な線を引いたように、まっすぐに断ち切られてしまった。

 

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未来の落とし物(118)

2025-06-26 21:02:00 | 「未来の落とし物」


「――うむ」

 と、サムライがうなずいた時だった。

 カァ。カカ。カガァ――。

 と、カラスの鳴き声が聞こえた。外敵を見つけて警告を発する甲高い鳴き声だった。
 耳を塞ぎたくなるようなけたたましさに、血気にはやる連中の手も、思わず止めずにはいられなかった。
「おいおい、なに後ろ向いてんだよ」と、番頭らしき男は言った。「カラスが珍しいのか。真面目にやれ」
 男達の一人が、中庭を見て言った。
「いつも、台所のおこぼれを突きに来るカラスです。うるさいな――」と、男は言うと中庭に降り、塀の上に止まって鳴くカラスを追い払おうと、持っていた短刀を振り回した。

「あっちいけ、ほら。切っちまうぞ」

 飛び上がったカラスは、しかしその場を離れず、短刀を振る男を見下ろすように、頭上にとどまっていた。
 と、意地になってカラスを追い払おうとする男の腕が、短刀を持ったまま、ずるりと手首から離れ落ちた。
 じりじりと、凶悪な刃が桃姫達に迫る中、またもや店中に響くような叫び声が上がった。

「うおあーっ。ああっーっあ」

「――うるさいな、騒いでんじゃねぇよ」と、番頭らしき男は声を荒げ、中庭で膝をついている男に言った。「カラスと遊んでるんじゃねぇぞ」
 と、番頭らしき男はなにかを言いかけたまま、息を飲んだ。
「おまえ、その腕……」と、中庭の男が、さっくりと切れ落ちた手首から溢れ出る血を止めようと、もう片方の手で必死に押さえていた。

「新之丞さん、血が止まらねぇよ」

 と、苦痛に顔をゆがめた男は、番頭らしき男に言った。
「どうしたんだ、清作」と、桃姫達に向かっていた連中の一人が、異変に気がついて言った。「誰にやられた――」   

 チチッ――。

 と、声を上げたのは桃姫の手の中で横たわる青だった。青は、なにを感じたのか、急に立ち上がろうと、小さな足で宙を蹴っていた。

 

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未来の落とし物(117)

2025-06-26 21:01:00 | 「未来の落とし物」


「はっきり言わせてもらおう」

 と、番頭らしき男と向かい合い、正座をした爺は言った。
「お前達に支払う金など、一銭も持ち合わせてはおらん」
「――なんだと」と、舌打ちをした番頭らしき男が爺に掴みかかろうとしたが、刀に手を掛けた辰巳がそっと爺の後ろに回り、前に出てきた番頭らしき男を後じさりさせた。
「明らかな言いがかりに怖じけずいては、サムライの名折れ」と、爺は覚悟を決めて言った。「生き恥をさらすくらいなら、この場で命を散らせた方がましだ――」

「無念の極みだが、ここで我が命を絶った事が知れれば、薩摩の家が黙ってはいまい。必ずや我が仇を討つため、国を挙げて兵を送り出してくれるだろう」

 わずかの間、番頭らしき男は神妙な顔つきをしていたが、爺の前にどっかりと腰を落とすと、大笑いしながら言った。
「そんな脅しには乗りますまいよ。お前さんたちがこの店に来たことは知れても、この店からどこに行ったのか、足跡も残さず行方をくらませてしまえば、たとえサムライ達が押し寄せてきても、槍を突く相手がわからなければ、仇討ちになどなりますまいよ」

 ケケケケケッ――……

 と、屋敷中に響くような、大勢の笑い声が聞こえた。
「鏡の代金を間違いなく支払うと、こちらが書いた証文に判さえ押させて貰えれば、あんた達はもう用済みなんですよ」
 番頭らしき男が立ち上がるのを合図に、集まっていた男達と先生と呼ばれたサムライは、それぞれの武器を手に取った。
 辰巳と爺も刀を抜き、互いの肩を抱き合わせている桃姫とお陽を背にして、命を奪おうと狙う連中と睨み合った。
「ふん。なにが薩摩のサムライだ」と、廊下に下がっていた番頭らしき男は言った。「田舎から出てきた野蛮人が。お前達の考えそうなことくらい、見え見えなんだよ」

「いいか、おまえら」

 と、番頭らしき男は言った。「親方が外から戻るまでに片付けるんだぞ。ああ見えて血は苦手なんだからな。店のあちらこちらを血で汚すんじゃないぞ。綺麗にな、綺麗に。先生もひとつ、さくっとお願いします――」

 

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未来の落とし物(116)

2025-06-26 21:00:00 | 「未来の落とし物」

 辰巳は、はっと息を飲んだ。
 爺も、気がついているはずだった。いつも、桃姫の側から離れない青は、どうなってしまったのか。
「辰巳――」
 と、つぶやくような爺の声が聞こえた。
「――」と、辰巳は後ろを振り返った。二人の後ろから、店の中にいた連中が、距離を置いてはいるものの、ぞろぞろとついてきているのが見えた。
「違う。あいつらのことじゃない」
 と、爺の声が聞こえ、辰巳があわてて顔を向けると、中庭の隅に壊れた鳥かごが落ちているのが見えた。
 桃姫が外出する際、いつも持ち歩いている青専用の鳥かごだった。
 一見すると、鳥を飼うためのかごなのだが、見れば扉がどこにもなく、中の鳥が自由に行き来できるような作りになっていた。
 そのかごが中庭に捨てられていることに、辰巳は嫌な胸騒ぎを覚えた。

「いらっしゃいましたよ、お嬢さん」

 と、先頭を進んでいた番頭らしき男が、床に膝をつくことなく、乱暴に障子を開け放った。
 真新しい畳の香りがする、それほど広くはない一室に、桃姫とお陽が互いの肩を付けるように並んで、座っていた。
「――姫様」と、爺は安否を尋ねるように言った。「ご無事ですか」
 と、桃姫とお陽から少し離れたところに座っていたサムライが、蛇のような目で爺を睨みつけた。
 サムライは、あぐらを掻いた股の間に刀を入れ、気だるそうに頬杖をついていた。

「私もお陽も、無事です。ただ――」

 と、桃姫が伸ばした手を開くと、小さくなって体を折り曲げている青が、苦しそうに目をしばしばさせていた。「青が、怪我を負ってしまいました」
 辰巳があわてて桃姫に近づこうとすると、座っていたサムライが肩に預けていた刀を持ち替え、鯉口に手を掛けて、辰巳の動きを無言のまま止めさせた。
「あわてちゃいけませんよ、だんな」と、番頭らしき男は袂に手を引っこめて、おどけたように桃姫に近づくと、怪我をした青を覗きこんで言った。
「危うく、小さな刀で切られそうになっちまいましたよ。そこにいらっしゃる先生が守ってくれなかったら、いまごろは三途の川を渡っていかもしれません」
 と、集まってきていた店の連中達が、クツクツと蔑んだような笑い声を上げた。
「お屋敷に戻った女中から聞いてると思いますが、舶来品の鏡を傷物にされちゃ、こっちは大損なんです。きっちり、耳をそろえて代金をお支払いください。先生が倒した生意気な小鳥についても、穴の開いた障子を含め、応分の費用を支払って貰いたいところですが、わざわざ店にお出でいただいたことを考慮して、免除させていただきます」

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未来の落とし物(115)

2025-06-25 21:02:00 | 「未来の落とし物」


 ――――  

「やっとお出でなさったか」

 と、商店の暖簾をくぐった二人を待っていたのは、まっとうな商売をしているようにはおおよそ見えない、明らかに素行の悪そうな連中達だった。
「お姫様と女中なら、そこにいるぜ」と、半纏を着た店の番頭らしい男が、辰巳に言った。「代金を支払えば、二人ともさっさと返してやるよ」
 男と睨み合っていた辰巳が、鯉口を切るように刀に手を掛けた。
 と、薄ら笑いを浮かべていた連中が一斉に立ち上がり、襟元に手を伸ばした。
 男達は、それぞれの懐に短刀を忍ばせているに違いなかった。
 それを見ていた爺も、男達を牽制するように、刀に手を掛けた。
 捕らえられた桃姫を奪い返しに来ると、そう踏んで待ち構えていたようだった。
 辰巳と爺は、言葉こそ交わさなかったものの、二人きりで来たことを後悔し始めていた。相手は、店の中にいるだけでも十数人。番頭らしき男が一声かければ、奥から何人が加勢に飛び出してくるか、まるで予想もできなかった。

「姫様達は無事なんだろうな」

 と、ゆっくりと刀から手を離した爺は言った。「確かめるまでは、話などできない」
「なんだと、貴様」と、そばにいた大きな男が、袖口をまくり上げながら爺に近づいてきた。「俺たちが信用できねぇってのか」
「――黙って引っこんでろ」と、座っていた番台らしき男は、立ち上がりながら言った。「指一本触れちゃいませんよ。店の中でくつろいでいらっしゃいます」

「大事なお客様ですから」

 と、男は辰巳と爺を手招きすると、店の奥に案内した。
 辰巳と爺は周りの男達に警戒しつつ、番頭らしき男の後に続いて、店の奥にある部屋へと進んでいった。

 “バタン”

 と、二人が奥に上がると同時に、店にいた連中が素早く暖簾を下ろし、出入り口の戸をぴしゃりと閉めた。
 背を向けていた辰巳と爺に聞こえるように、わざと大きな音を立てて閉められた扉に、二人の緊張感は否応なしに高まった。
 中庭に面した廊下を進んでいくと、上客をもてなす部屋なのだろうか、明るい日差しが真っ白い障子を際立たせている部屋が見えてきた。
 ぴったりと閉じらている障子の奥の様子はわからなかったが、ふと、一箇所だけ障子紙が破れているのがわかった。

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未来の落とし物(114)

2025-06-25 21:01:00 | 「未来の落とし物」


「桃姫様が、またどこかに隠れてしまったのですか」

 と、顔を上げた辰巳は言うと、女中の一人が嗚咽を上げて泣き始めた。
「こらっ、余計なこと言うんじゃない」と、爺は辰巳の耳をつまみ上げると、奥の部屋にそのまま引っ張っていった。
 事の次第を聞いた辰巳は、意を決したように立ち上がると、爺に言った。
「そのようなことなら、一刻の猶予もございません。すぐにその商店に出向き、姫様を奪い返しに行きましょう」
 と、辰巳のめずらしく憤る様子を見て、逆に冷静を取り戻した爺は言った。
「そうは言っても辰巳よ。我々が姫を取り戻しに行くということは、戦に行くようなものだぞ。互いにサムライ同士なら理由も立つだろうが、表向きはあくまで商人の輩を相手に刃を振るっては、適当な理屈が通せないではないか」
「加納殿。これは拐かしでございます。姫様を捕らえて金品を要求するなど、許されない悪行にございます。この悪事に剣を持たずに対処するほうが、武家の名折れにございます」
 息巻いている辰巳を落ち着かせつつ、爺はしばらく考えていたが、膝を打って立ち上がると、辰巳に言った。
「お前の言うとおりだ。お殿様から預かっている桃姫様を捕らえられているということは、我々のお家に戦を仕掛けられているのと同義。ならば、桃姫様を取り返しに、戦って参ろうではないか」
「そうでございます。加納殿」と、辰巳は刀に手を掛けると、大きくうなずいて言った。「それではさっそく、出かけましょう――」
 と、爺も立ち上がりながら言った。

「――ただし、わしとおまえの二人だけでじゃ」

「――」と、辰巳は真一文字に結んでいた口を開けて、首を傾げた。「それは……」
「我々だけで行く」と。爺はきっぱりと言った。「サムライではないものを、どんな理由があったとて、切れるものではない。そんなことをすれば、お家を潰す口実になってしまうかもしれない。この屋敷で働いている者達も、責を負わされることも考えられる。我々二人だけで出向いて、桃姫様を解放するように求め、そこで金品を要求されたなら、辱めを受けたということで、刃を振るしかない。たまたま二人が店に出向いて、乱心しただけじゃ」
 少しの間考えていた辰巳は、悲しそうに笑みを浮かべると、意を決して言った。

「――悔いはありません」

 二人は、並んで上屋敷を出ると、無言のまま、桃姫が捕らえられているという商店に向かっていった。

 

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未来の落とし物(113)

2025-06-25 21:00:00 | 「未来の落とし物」


「お待ちください、姫様――」

 と、女中頭が止めるのみ聞かず、桃姫は足音も勇ましく上屋敷の廊下を進んでいった。

「――少なくとも、加納様か辰巳様が戻られるまで、お待ちになってください」

 と、女中頭は顔を真っ赤に大粒の汗を掻きながら、桃姫の後に付き従うしかなかった。

 ――――    

 久々の休暇を貰い、近くの川で魚釣りをしていた辰巳は、思わぬ釣果に気を良くしながら、青の喜ぶ土産ができたと、鼻歌交じりに上屋敷の門をくぐった。

「なにか、ありましたか」

 と、門を開けるなり人の気配のない様子に慎重になった辰巳は、勝手口に回って、そっと中の様子をうかがった。
「おかえりなさいませ、辰巳様」と、台所に集まっていた女中達が、辰巳に気がついて言った。
「――なにごとか、ありましたか」と、気まずそうに頭を掻きながら言う辰巳の言葉が終わらないうち、奥からカミナリのような怒号が響いてきた。

「辰巳はまだ戻らんのか。――だれか、あいつの行く先を知らんか」

 と、爺は床を踏み抜くのではないかと思うほど大きな足音をたて、女中達のいる台所までやってきた。
「お前達、なにをめそめそしておる」と、爺はいらだち紛れに言いながらも、どこか女中達を安心させようとしていた。「姫が戻られたら、すぐに食事を出せるよう、いつも以上に精を出してこしらえておれ」

「――おい、辰巳、なにをしている。戻っていたなら、さっさと顔を出さんか」

「申し訳ございません。加納殿――」と、辰巳は勝手口を入ると、土間に膝をついて深々と頭を下げた。「思っていた以上に釣果があり、帰りの刻限をわずかに過ぎてしまいました。申し訳ございません」
 と、ひんやりとした空気が流れるのに気がつき、辰巳はなにか大きな問題が起こっていると直感した。

 

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