喜寿から始まる

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説得的書面を書くために

2019年04月24日 | 日記

説得的書面を書くことはなかなか難しい。

弁護士としては如何に説得力のある書面を書くか日々頭を悩ましている。
なかには、何でも思いつくままに書けばいいと思っている人がいるようだが、
いやどちらかというそういう人が大多数である。
しかしそれは間違いだ。

人は何となくみんな同じことをイメージしていると何となく錯覚するものだ。

例えば調停などでは二人の調停委員さんは同じ話を聞く。
ところが、質問を受けて、調停委員さんごとに全く違った話としてきている
ことがわかり、驚くことがある。

また、文書のやり取りをしていて、どうも議論がかみ合っていないと感じる
こともしばしばである。
それどころか、遣り取りをしたり、文書を書いていて、そもそも自分自身の
見方が間違っていたことに気づいたり、全く新しい見方があったことに
気づいて驚くことの方が多い。

見方が変わると、法律論も異なってくる。法律論が異なってくるとまた事実の
見方が変わってくる。
これを何度も繰り返すことで、徐々に本当に言いたかったこと、訴えたかったこと
が見えてくる。

次は、それを如何にわからせるように書くかである。

こういうことは訓練するしかない。誰も教えてくれるわけではない。

日本はあまり細かく書かないことが多い。
ところがアメリカの判決文をみると、本当にくどすぎるのではと思うほど詳細である。
しかも、制度が違うので、アメリカの文書を見ているといろいろと気になることが
多く勉強になる。

今日も情報公開に関する書面を書いた。
3回目のものだ。法律論的にも事実面からも随分進化し、極めて説得的なものになった。


文書を書いていて、理解しやすくするために、比喩を使いたいと思うことがある。
思いつく比喩は、文書にするにはあまりにも低俗すぎではないかと気になるものが多い。
どの程度なら格調的に許容範囲かと悩むことが多かった。
ある時、アメリカの連邦最高裁の長官が書いた判決意見を読んだ。子どもに説明する
ような極めて平易な比喩が使われていた。
目から鱗、目が覚めた。
それ以降、迷うことなく比喩を使えるようになった。
とても説得的になった。
そうすると、他の部分でも、より説得的な文書を書くことが出来るようになった。


今日は充実していた。
説得的な書面が書けたときは大抵いい結果が得られるものである。