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米バー司法長官に注目 その理由

2019年04月11日 | 日記

目が離せないように思う。

司法長官としての実力のほどは知らないし、わからない。
ただ二度目の務めということは、それなりの評価があったものと思われる。

議会での答弁ぶりをちらっと見ただけだが、なかなかしたたかなように
見受けた。
そもそもモラー特別検察官の調査が必要だったのか、大いに疑問があるようだが、
そのあたりのことについて調査する意向のようだ。
現在のアメリカではすべてが政治化されているが、司法の政治利用は
外からみていても行き過ぎのように思う。
そう言う意味で、見直しは必要と思う。

モラー報告書では、トランプ大統領による司法妨害があったかどうかの判断は
なされていないということだった。
そこには何かの意図があるはずと思っていたが、よくわからなかった。

バー司法長官は、就任前は法律事務所で業務を行っていたのであるが、
そのとき、トランプ大統領から司法妨害について代理人の依頼があったという。
まったく相手にせず、きっぱり断ったという。
が、1年後に、トランプ大統領に頼まれたわけでもなく、司法省からの依頼が
あったわけでもなく、勝手に司法省のナンバーツーに、司法妨害に関する個人的
意見書を提出したらしい。先輩として、モラー氏の捜査のやり方に懸念している
というわけである。
ナンバーツーとしては先輩の元司法長官の意見を無視するわけにはいかないであろう。

モラー特別検察官が司法妨害について判断をしなかったのは、バー氏の意見書の
存在ではないかと、今では考えている。
バー氏の意見書は純粋に法律論に関するものだ。詳細なものだ。
要するに、モラー特別検察官の調査の根拠となっている法律論は、実務やこれまでの
判例を無視した、全く新しい(novel and untested)ものだというにある。
モラー氏にとっては、裁判所が認めるかどうかはどうでもいい、要は
なんだかんだともっともらしく理屈をつけて妨害があったと判断できればよかった
のであろう。
起訴まで持ち込む必要すらない。政治的にはそれで十分というわけである。

これは全くの推測であるが、老練なる実務家として、バー氏はそのあたりのことを
察したのではないだろうか。一旦、判断が出たあとでは、取り返しがつかない。
そこで、意見書の形で司法省の担当者にプレッシャーをかけたのではないか。
モラー調査については、ナンバーツーが監督することになっている。
事案が極めて悪質であれば、従来の実務や判例では足りないとして、新説を展開する
ことは、世論や専門家の同意を得られるであろうが、そうでない、単に希望を
述べたに過ぎないような場合には、実務を担当する司法省としては慎重とならざるを
得ないはずである。
モラー特別検察官としては、ロシアとの共謀すら認められないうえに、司法妨害でも
法律的に認められないでは、カッコがつかないというわけで、判断しないという
思わせぶりな結論としたのではないだろうか。

なお、もっと正確にいうと、ロシアとの共謀でもそうだったが、特に大統領に関しては
罪名などどうでもよかったのである、だから偽証を狙っていたのである。
そのためには、宣誓付きの供述書を提出させることであった。
トランプのこと、あれこれ聞けばどこかでぼろを出すだろうというわけだ。
したがって、バーの意見書は直接的には尋問をすべきではないというものであった。
実際にしなかった。できなかったのであろう。

ということで、バー司法長官について、いろんな意味で、やり手らしいと評価し始めて
いたからである。

見極めるべき第一は、何が言われているかではなく、誰が、どういう立場にある人が
(何を)言っているかである。
攻守が逆になると、いうことも逆になるのである。

「盗人にも三分の理』、「理屈と膏薬はどこへでもつく」である。

真実をみつけるには、事実とその背後にある意図・動機をしっかりと見極めることである。

それを見極めることができる、そして実行力がある、それがやり手ということになる。