元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.918  「ドン山の大砲」のお話。

2012年11月07日 | 日記

「ドン山の大砲」のお話。       新潟市の観光資料によると、『江戸時代、新潟町民に“時刻”を知らせていた時の≪鐘≫に代わり、1873年(明治6年)、≪大砲≫により正午を知らせることになり、新潟海岸の寄居の砂山に「午砲所」がつくられた。この場所で1919年に旧制新潟高等学校の校舎が建設されるまでの間、空砲を打って午砲(ドンという音)により“正午”を告げていた。

その後、≪大砲≫は西船見町の砂山(現在の二葉中学校近くの場所)に移動した。1924年に午砲が廃止されるまで、「午砲所」のある砂山は「ドン山」と呼ばれ、長年、新潟の名所の一つとされ、親しまれてきた。その後、現在地に≪午砲所(番屋)と大砲≫が再現された。』と説明されている。私は先日、平日の午後、この「ドン山の大砲」のある閑静な場所を、散歩を兼ねて訪れてみた。

「ドン山の大砲」は、松林に囲まれた小高い丘の上に、白い六角形の午砲所(番屋)の脇に設置されていた。以前は「砲先」が市街地の方向に向けられおり、打つと≪ドーン≫というものすごい音が発生し、近くの二葉中学校の授業の妨げになったことから、1921年頃、「砲先」を日本海に向けて設置しなおしたとのこと。

現在、この周辺は美しい松林の中に「遊歩道」があり、≪ジョギング≫や≪森林浴≫を楽しむ新潟市民の人気の場所となっている。


「ドン山の大砲」            サイクリング道路から「ドン山」へ行く標識。

「ドン山の大砲」            この階段を登りきると「ドン山」に到着する。

「ドン山の大砲」

「ドン山の大砲」

「ドン山の大砲」

「ドン山の大砲」

「ドン山の大砲」        ドン山周辺の美しい松林。  松の木は、強い風の影響で左方向に曲がっている。

「ドン山の大砲」             ドン山周辺の美しい松林。


「ドン山の大砲」

「ドン山の大砲」近くから見える日本海。

「ドン山の大砲」近くから見える日本海。   水平線上に薄っすらと佐渡の島影が見える。

「ドン山の大砲」の近くには、「遊歩道」があり≪ジョギング≫や≪森林浴≫を楽しむ市民の人気の場所となっている。