元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.916  「バスケットボール部同窓会」のお話。

2012年11月05日 | 日記

「バスケットボール部同窓会」のお話。    私は先日、久しぶりに珍しい人達、12名と再会した。場所は約40年前から通っていた新潟市秣川岸通りにある“寿司割烹「いかだ」”というお店。寿司屋さんの多い新潟市の中でも、特に人情味にあふれ、「寿司」が美味しいと評判のお店である。以前、私は今年で創部46年、歴史と伝統のある野球チーム「豆九クラブ」に入部していた。

この野球チームの冬季練習として始めたスポーツが「バスケットボール」。≪日東クラブ≫というチームを作り、中学校の体育教師、鈴木先生をコーチに練習を開始し、公式試合にも出場するようになった。そこに参加していたメンバーが、今回お会いした懐かしい人達、12名である。宴会場に“テレビ”を持ち込み、当時の試合のビデオを見た。若かりし頃の自分の姿をみて、私は時代の流れを感じた。今、とてもあの動きはできない。

当時の20歳代、30歳代が、現在は50歳代、60歳代になった。髪の毛は白く、そして薄くなり、シワや体重が増えても、若い時の面影は残っているものである。昔の懐かしい話に花が咲き、約3時間半を超える「バスケットボール部同窓会」は、ようやくお開きとなった。特にお世話になった「いかだ」のご主人や、一緒にスポーツを楽しんだ≪日東クラブ≫の仲間2人が他界されたことをお聞きした。

健康の大切さを痛感した「同窓会」でもあった。心からご冥福をお祈りしたい。


「バスケットボール部同窓会」            久しぶりに珍しい人達12名と再会した。

「バスケットボール部同窓会」       新潟市秣川岸通りにある“寿司割烹「いかだ」”というお店。

「バスケットボール部同窓会」    ≪筏寿司 お茶をのむたび 思い出し≫は、ここのご主人のつくられた俳句。

「バスケットボール部同窓会」     ご主人の「遺影」とともに歓談させていただいた。

昔の懐かしい話に花が咲き、約3時間半を超えた「バスケットボール部同窓会」。

「バスケットボール部同窓会」

「バスケットボール部同窓会」        人情味あふれる「いかだ」のご主人の遺影とともに記念写真。

「バスケットボール部同窓会」    宴会場にテレビを持ち込み、懐かしい当時の試合のビデオを見るメンバー。

「バスケットボール部同窓会」    宴会場にテレビを持ち込み、懐かしい当時の試合のビデオを見るメンバー。

「バスケットボール部同窓会」         「いかだ」の寿司は天下一品。

「バスケットボール部同窓会」           寿司だけではなく、「揚げ物」も美味しくいただいた。

「バスケットボール部同窓会」             久しぶりに新鮮な刺身を味わった。

「バスケットボール部同窓会」       福井県に住む川崎選手から送られてきた、美味しい「水羊かん」。