北欧デンマークおばさんの独りごちブロ

「住み慣れた地域で最期まで」をテーマにデンマーク高齢者福祉を研究し、世界のこと・日本のことを独りごちっています。

アイルランド群れ咲はサントリー苗か?

2008-10-07 | 国際アイルランド
アイルランドついでに、気になっていたこの花の群れ咲の苗が
サントリーの「サフィニア」であるかどうか、、、、という
問題について考えて、というより、
確かめてみたあああい。

サントリーが、群れ咲の「サフィニア」を開発したのは1989年の
ことだそうである。

もう、20年にもなるんだあああ。すごいなあ。


簡単にそだてることができて、キレイなので、
私めも、10年くらい前から、夏の花として愛用している。

気になったので、
サントリーのお客さま相談室に聞いてみましたのよん。

あんたもヒマねえ。
ホットケー。たゆまぬ探究心と呼んでほしい。

「海外にも輸出しているので、アイルランドで見られたものが
 わが社のものである可能性は否定できません。
 しかし、基本的にサフィニアは、ペチュニアを改良した
 もので、ペチュニアはヨーロッ原産ですから、
 同種のものがあることは十分に考えられます」とのこと。

イギリスでも、サフィニアもどきが町のそこかしこに、
ハンギングー!されていたので、
「サントリーもたいしたものだー!」と、感動ー、カンドゥー!

でも、この電話相談によって、サントリーの苗ではない
可能性もあることが判明した。

残念だなー。
でも、仕方ないなー。

さまざまな色の群れ咲が、ギネスを思わせる「黒」の色に
よく似合って、さすがにアイルランドー!!!




ビートルズもアイルランド系

2008-10-06 | 国際アイルランド
写真はアイルランドは、レフィ川にかかる歩行者専用の橋を
テンプルバー側から見たところです。

先日、NHK世界遺産の番組で「リバプール」を取り上げていました。
ビートルズは、リバプールで生まれましたが、
ジョン・レモンも、ポール・マッカートニーもアイルランド系
であることを知りました。

また、その系譜は、
19世紀なかば飢饉に苦しんで100万人ものアイルランド人が
リバプールにやってきた、その時代に遡るようです。

数百年をかけてイギリスから独立を勝ち取ったアイルランド人。
その血には、アイルランド的反骨精神が流れており、
いまも、リバプールに住むアイルランド系住民は、
こよなくビートルズを愛し
そのことを誇りに思っているそうです。

思わぬアイルランドの魅力発見に、
心踊らせた週末でした。

今週もよい1週間でありますように。




司馬遼の海外紀行はアジア、オランダとアイルランド

2008-09-10 | 国際アイルランド
オランダ、アイルランドについての情報は、
司馬遼先生の「街道をゆく」シリーズがおもしろいので、
しばしば引用させていただいていますが、

驚くべきことに!

ヨーロッパに関しては、オランダとアイルランドとスペイン
についてしか書いていないのですね。

そこで、本日の写真はアイルランドの美しい花々が咲き乱れる
お店の様子。
「これ、サントリーが開発したサフィニア?」などと
思ってしまいましたが、よお似てましたで。


私が今回訪れた2国と合致している奇縁に不思議な感覚を
覚えながら、イタリア、フランスなどのいわゆる
「ローマナイズ(キリスト教化)されなかった」国々、
つまりヨーロッパの辺境の国々を選んだ気持に、
親近感を覚えました。

しかし、どうしてヨーロッパの辺境である北欧に
ついて書かなかったのか、、、、
これが、ひとえに謎でもあり、
彼がこれを書いていれば、どんなにか興味深いもので
あったのか、、、、と、非常に残念です。

なんでも、司馬遼の取材旅行は、すべて出版社もちで、
いわゆる「あごあし」つき。
話をたずねる相手についても、
出版社がアテンドしていることも多いと、さる出版社の
編集者に聞きました。
本の中にも、編集者が登場したりしております。

ちょっと横道に逸れましたが、
司馬遼は、アイルランドにおける妖精について書いていますが、
実はフィンランドはまさに妖精の国だし、
デンマークにも「トロル(トトロとちゃいます)」という
妖精と呼ぶにはかわいらしさに欠ける森の妖精がいます。

これらは、土着の宗教に根ざしたものらしいのですが、
カトリック教国では、その国にカトリックが伝道される際に、
土着の神々を「悪魔」「忌みきらうべきもの」として
封じ込めた歴史があります。
(これに対して、アイルランドでは、カトリックでありながらも、
 それを伝えた宣教師がおおらかな人であったため、
 悪魔化されずに、妖精が生き続け、人々も夢見がちであることは
 すでに書いたとおりです)

それに対してプロテスタント(新教)国では、
土着宗教に対して比較的鷹揚で、
それらは、森の妖精などとして生きつづけた、とされています。

ヨーロッパにおいて、カトリックとプロテスタントを
分けるのは、ピレネー山脈であり、
これより南がカトリック、これより北がプロテスタントとなります。

よって、北欧ではプロテスタントであり、プロテスタントでは
福祉は教会が行うものではなく、世俗(王)が行うものとされた
ため、高福祉の国が生まれる要因のひとつとなったと
されています。

いづれにせよ、デンマーク、アイルランド、さらにオランダを
結ぶ「赤い糸」は、かなり謎めいて、私を惹きつけるのであります。





アイルランド一人当たりGDPは世界4位

2008-09-09 | 国際アイルランド
ふたたびアイルランド紀行の続きです。

先日、OECDの資料を見ていて驚いたのですが、
アイルランドの経済成長はめざましく、
一人当たりGDP(2005年)は、
ルクセンブルク(70,600米ドル)
ノルウェー(48,162)
アメリカ(41,827)についで、
世界4位(アイルランド 39,019)を記録しています。

1990年から2005年にかけての、毎年の成長率は5.3%で、
世界トップです。

ちなみに、2005年の日本の一人あたりGDPは 
30,777米ドルで、世界16位。
年間成長率は1.0%で、スイスの0.4%を除いては、
最下位レベルです。

これほどまでに経済状況が良いとは知らず、驚いた次第です。

そこで、この写真ですが、アイルランドからイギリス行きの
飛行機が空港のレーダー故障のためにキャンセルされ、
市内に戻ってきて、あと1泊しなければならなくなった日の夜、
市内に出て行った話はしましたが、
その時に路面電車「ルアス」にのって、終点まで行きました。

のどかな田園風景と住宅地を抜けて、終点で見たものは、
近代的な住宅群でした。写真がその終点の様子です。
住宅の1階にはおしゃれなブティックがあり、
眼を見張ったものです。

さてさて、、、、

アイルランドは、1922年にイギリスから独立しましたが、
その頃は貧困と移民による人口減に苦しんでおったとのこと。
西欧において、19世紀以来、人口が減少した唯一の国だそうです。

それが、1990年になると、アメリカ企業のヨーロッパ進出に伴い、
税の優遇策をとりました。安くて教育レベルの高い労働力や
英語がネイティブであることなどが手伝って、アメリカ企業にとっての
欧州工場、欧州拠点とまで言われるようになったのだそうです。

そして、1990年代には歴史始まって以来の経済成長を遂げ、
これは「ケルトの奇跡」「ケルトの虎」と呼ばれているようです。

また、1999年にはユーロが導入されましたが、
アイルランドは他の10ヶ国とともにその最初から参加し、
イギリスが参加しなかったことから、ユーロ導入国のなかでも
有力な「英語圏」国となり、アメリカのみならず、
諸国の金融機関の拠点がアイルランドに拠点を置くようになったのです。

2001年にはITバブル崩壊によって、経済は低迷し、ハイテク関連企業の
成長率が半減するなどしました。
しかし、その後も堅調な成長を続けているというのです。

以上は、主にWikipedia の情報によりましたが、
「この、プロテスタント野郎!」と、アイルランド人が呼んでいた
イギリスの一人当たりGDPは 32,896米ドルで、世界13位。
年間成長率は2.1%です。

蛇足ですが、デンマークは34,110米ドルで世界10位、年間成長率は1.8%です。

ケルトの血が流れるアイルランド。
しばし、その紀行を気まぐれではありますが、
続けていきたいと思います。







トリニティ・カレッジのロングルーム

2008-09-02 | 国際アイルランド
昨夜、テレビを見ていたら9:15ころに福田総理辞任の
ニュースが伝えられた。

日本国民、みんながびっくりした。

「政治家にはドクが必要である」てなことが、日経新聞の春秋に
書いてあったが、そのとおりだと思う。

話は変わって、写真はアイルランドのトリニティ・カレッジの
図書館である。

この建物のなかには、ロングルーム」があって、
その長さは65メートル。
しかも「天井までの吹き抜けとなっている。
中央部は歩けるようになっていて、窓沿いに天井まで書棚が
並んでいる。

装飾が美しい世界最古の写本である「ケルズの書」も、
ここに納められている。

トリニティ・カレッジは、イギリスのエリザベス1世が
建てた大学である。

エリザベス1世は映画にも何度も描かれているが、
「国家と結婚した」と言われるほど、英国を愛した女王である。

農民、商人まで駆り出して、当時無敵と言われたスペインを
奇跡的に破った女王でもある。

一生を国に捧げた女王。
あの時代、1年で「投げ出す」ことはできなかったはずであーる。




ミニなコロッケ

2008-08-22 | 国際アイルランド
引き続きまして、ホワイトビールと一緒に注文されたのが
このミニなコロッケ。

中は茶色で、イワシのつみれのような色。
でも、練り製品ではなく、じゃがいものコロッケでもなく、、、
不思議なコロッケでありました。

マスタードをつけて食べますが、
ホワイトビールとよく合い、
食前には、3人でもこれで十分な分量でありました。

オランダに出かけられましたら、
是非、試してみてください。

ちなみに私は、昨日早速近くのお店に言って
ホワイトビールをテイクアウトで買って、
「ヒューガルデンのがあるよ」ということで、
350円で買ってきて飲みました。

明日は、ベルギービールjapan から届くのを
賞味したいと思っております。

校正も終わったし、ちょっとうっしっしな週末です。
みなさまもよき週末をお過ごしくださいませ。


白ビールをレモンとともに

2008-08-21 | 国際アイルランド
ギネスのついでに、「白ビール」の話を少し。

これは、「白ビール」である。
レモンのかけらをいれて飲む。
非常にさわやかで、女性好み。

ライデンに友人を訪ねた時のものであるが、
小さなコロッケとともに注文した。

食事の前に、ちょっと一杯ひっかけようという
趣向のビールであったが、
そんな時にぴったりの軽いビールだと思った。

なんでも、ビールは普通は大麦から作られるが、
それに加えて生の小麦をかなり大量に使用するとホワイトビールが
できるそうな。
たんぱく質の含有量が多いので泡もちがよいそうだ。

しかし、すこし濁っている。
この濁りを嫌う醸造所はたんぱく質が少ない冬まきの小麦
(ウィンター・ウィート)を使うそうである。

「ベルギービールJapan」というサイトにいろいろな情報が載っており、
購入することもできる。

http://www.belgianbeer.co.jp/

私も、さっそく1本買ってみよう。

アイルランドで飲むならギネス

2008-08-20 | 国際アイルランド
再び、話はアイルランドに戻る。

アイルランドに行ったら、絶対ビールはギネスGUINNESS と
言われていた。さわやかな黒ビールである。

なんでも、
「イギリスのギネスも混ぜ物が入っているから、
真正ギネスではない。アイルランドのギネスはhoney だ」
とのことで、楽しみにしていた。

写真にあるように工場は大きく、一帯にひろがっていた。
市内の観光名所で自在に乗降りできる「Hpo-on Hop-off」バスでも
「ギネス倉庫」という名所があり、訪れることができる。

人気があるらしく、たくさんの人が降りていく。
何でも、出来立てのギネスを飲ませてくれるというのだ。
でも、高い。20ユーロ(3,400円)くらいしていたかと思う。

それに、待ち時間が1時間半とのこと。

結局、できたてギネスの賞味はあきらめて、
バスにもどったが、その待ち時間に人気のほどが知れるだろう。

ギネスは1756年創業の醸造会社で、創業者はアーサー・ギネス。
使われなくなっていたセント・ジェームズ・ゲート醸造所を、
年間45ポンドにて、9000年契約で借りたのだそうだ。
でも、なんで9000年なんだろう?

これがその醸造所で、聳え立っている感じ。
壁面のレンガが美しい。

今では、認可を受けて各国で生産されているようで、
だから「イギリスのギネスは偽者だ」と、いうことになるのだろう。
しかし、イギリスの醸造書は2005年に閉鎖されたと、
ウィキュペヒアにあった。
もしかしたら、2005年以降は真正ギネスが輸出されているのかもしれない。

同じく、ウィキュペディアによれば、最近では「アフリカのギネス」が
話題になっているらしい。
認可を受けて各国で生産されているためであって、
アフリカのそれは、アルコール度8%と高いらしい。

パブでは、1パインと、半パインとという形で売っているが、
半パイントで3ユーロくらいだったように思う。

ねぎってはいけないネギースではなく、ギネスである。

消えたネルソン像

2008-08-08 | 国際アイルランド
写真は、ダブリンの「リージェント・ストリート」とも言える
オコンネル通りにそびえ立つポール。
ほんまに、キレイでした。
(写真は、オコンネル通りに直行する通りから撮っています。
 オコンネルでね=オコンナイでね。
 バカ!説明が必要なような駄洒落はやめろ!)

このオコンネル通りには、その昔、イギリスの英雄ネルソン提督の
銅像が立っていたそうな。

ネルソンは、1800年代の初頭に、トラファルガーの海戦で
ナポレオン軍を破り、フランスの英国上陸の野望を打ち砕いた
英雄であります。

その昔、オコンネル通りには、ネルソン提督の像が鎮座ましまして
おったが、独立後取り払われたらしい。
アイルランド人の心情からすれば、当然といえば、当然。
でも、ネルソンは、オコンネル(怒っている)でしょうねえ。


その代わりということではないが、
spire(スパイア)と呼ばれる
120mの高さのポールが、非常に印象的でありました。

とにかく高く、オコンネルの銅像がクラシックであるのと
対象的に超モダンでありました。
地面の部分は、10人くらいが手を広げて囲っても
まだ囲えないくらいの立派なポールでした。

ちなみに、ネルソン提督といえば、
イギリスのトラファルガー広場に、その立派な像があります。
4匹のライオンも大きいです。

明日から高知のよさこいを見にきますが、
7月〆の原稿ができていません。
がんばります。



みなさまも、どうか良い夏をお過ごしくださいませ。
本日は、オチがないので、駄洒落2発でまとめてみました。
オコンネルでね!

三つ葉のクローバーとケルト的霊性

2008-08-07 | 国際アイルランド
まだまだ、アイルランドの話が続く。

写真は、ダブリン市内で見た輪タクである。
ロンドンでも、ロッテルダムでも見たので、
流行になっているようだ。

後ろに見えるみどりのダブルデッカーは、
自由に乗り降りができる市内の循環観光バス「Hop-on Hop-off バス」である。
一般のバスも、ダブルデッカーで、英国の影響と思われる。

本日は、輪タクの話でもなく、二階建てバスの話もでもなく、
これらの色「みどり」について。

アイルランドでは、「みどり」は特別な意味を持つ。
そういえば、インフォメーションセンターにあるみやげ物は緑一色で、
天井まで積まれたみやげ物で、視界が一時的に緑に染められる程であった。
市内の乗り降り自由の観光用の「Hop-on Hop-off Bus」も緑一色。

その「みどり」は三つ葉のクローバーから来ている、という。

そして、三つ葉のクローバーは「父と、子と、精霊の御名によって、アーメン」
という「三位一体」の「三位」を示しているそうな。
と、司馬遼先生の本「アイルランド紀行I」にあった。

アイルランドにキリスト教を伝えたのは
セント・パトリックであり(385?-461)、
彼が「三位一体」の教義を教えるのに、
三つ葉のクローバーをかざして見せて
「葉は三つに分かれいるが、よく見ると1枚の葉なんだよ」と
わかりやすく、説明した。

また彼は、カソリックの絶対神とその厳格な教義を押し付けることなく、
土着のドルイド教の神々をも認めた。
このことが、土着の人々(つまり、ケルト人:註デンばあ)のキリスト教
受容を促進していった、らしい。

そして、アイルランドの土着の神々は妖精として生残ることになった
というのである。

ここまでが、司馬遼先生の本からの孫引き。
以下、私のひとりごち。

キリスト教は、その布教過程で、土着の宗教を否定し、封印してきた。
それらを悪魔や魔女にしたてて、正当化をはかってきた。

しかし、アイルランドでは、セント・パトリックという
寛容なる人物によってその教えが広められたため、
カソリックでありながらも、土着宗教と共存するという
特異な発展を遂げた。

土着の神々はかれらの幻想のなかで、「妖精」として
肯定的に行き続けたのである。

だから、自己アイデンティティは強烈にもちながらも、
周辺部理解というのか、正統からはみ出す部分への理解にも
寛容であり、困難時にも夢見がちであり、
困難な英国支配を生き延びて、寛容に、明るく独立を
勝ち取ったのではないか。(飛躍がすぎる?)

司馬遼先生は「ケルト的霊性」という。

今回のアイルランド行きの目的は、は学会出席だったため、
アイルランド人との接触は正直なところ、それほど多くなかった。

しかし、最初のアイルランド体験はパブでのバカ騒ぎであり、
トリニティカレッジでの学生のさわやかな態度であり、
大学寮内での若者の親切さであり、テンプルバーの裸男であり、
もの悲しいアイルランド民謡であり、
スタディ・ツアーで出かけた先での市役所職員の異様な明るさであり、
仕事に誇りをもって新しいチャレンジをする姿であり、、、、

「ケルト的霊性」に結びつかないかもしれないが、
デンマーク人に通じるものを多く感じ取っていた。

しまりのない内容となってしまったが、
アイルランドのキリスト教(カソリック)は、かなり特異である
ということである。

そのことは、この国にキリスト教を伝えたセント・パトリックが
寛容にも土着宗教を認めことによるものであり、
かれの教えは「三つ葉のクローバー」によって説明された。

そこで、今、
アイルランドのテーマカラーは「緑」であり、
町中に「みどり」があふているのである。

そういえば、国旗もオレンジ・白・緑。
フランスやイタリアと酷似していて、え?と思うが、
この「みどり」も、セント・パトリックから来ているのだろうか?


アイルランドの「ケルト的霊性」をよく物語るのが、
ダブリン生まれの詩人イェーツであるという。

それから、ダブリンのあるホテルで写真を見かけたが、
小泉八雲も、アイルランド人。
なっとく、である。

医薬品輸出大国アイルランド

2008-08-06 | 国際アイルランド
アイルランド空港の写真である。
ロンドンに向かう朝の様子。

そう私は、その前日19:00の便に乗ろうと17:00に空港に
向かったが、空港のレーダーの故障のために
市内に帰ることとなった(7月22日に詳しく報告)。

翌日のフライトも、その日のホテルも自分で予約して
自分で払いと言う。
「なんとご無体な!」とは思ったが、ここは命を守るために
文句言うより、クーモン先」とばかりにホテルを予約して、
市内に舞い戻ったのであります。

そのホテルは、69ユーロでバスタブ付き。
家庭的で、清潔で、言うことなしのホテルであり、
しかも、オコンネル通りの北の端という、絶好の立地。
そこで、気をよくして、市内に繰り出し、路面電車「ルアス」に
乗って、郊外の様子を見て回っていたわけであります。

翌朝は、6時まえのバスで空港へ。
親切なホテルで、朝5時半から特別な朝食を用意してくれた。

寝ぼけ眼でコーヒーを飲んでいると、、、、
ここからが、本日の本番。

男性3人が「席に座っても良いか」とやって来た。
私は
「ねえちゃん、めしでも食わへんけ?」と、誘われるほどの美女ではない。

込み合う店内で、隣の人がいなくなったため、
4人がけのテーブルを1人で占領していたのである。
要するに、席が不足していたわけ。

気さくなおっさん達でいろいろと話かけてくる。
彼らにとってみれば、日本人、韓国人、中国人の見分けが難しいらしい。
私が日本人であることを知ると、
「僕らは、何人かわかるか?」という。

皆目わかりません。

「ぼくら二人は Deep Irish。彼は、Engulish」
「来た来た。Deep と来たな」とは思っても、
違いについては、皆目わかりません!でした。

しかし、ことさら「Deep」と表現するところに、
かなり強烈なアイデンティティが匂ってる。

また、その英国人が、日曜日に音楽番組のDJをしている
ピーター・バラカンそっくり!
私の目の前に座っていたので、いちばん目に入る。
「知ってるか?」と、聞きたかったが、その名前が思い出せない。

Deep Irish については、
でかい、目が青い。くらいの特徴しかつかめなかった。

アイルランドに何しに来た?何をしてる?という話になり、
Deep Irish の一人が、
「日本の九州によく行く」と言う。

聞けば、医薬品の仕事をしていると言う。

その時、私はアイルランドが世界に誇る医薬品輸出国だとは
知らなかった。
げに、無知は損なり。

世界の製薬企業の多くがアイルランドにグローバル拠点を
設けており、世界で最も売れている薬剤25種のうち、12種が
アイルランドで製造されているという。

しまった!

アイルランド空港のコーヒーショップで、隣り合わせになるなんて、
何かのご縁である。
お友達になっておけば、良かった。

このようにして、私は、イギリスに向かうのであった。
この先、無事でありますように。



ゲール語と英語の2原語表示

2008-08-05 | 国際アイルランド
アイルランドの路面電車「ルアス Luas」は、
アイルランド語で「スピード」という意味らしい。

写真は内部の表示であるが、2言語で表示されている。

この表示は、上が「乗車中はつかまっていてください」
下の赤いのが、キセル時の罰則についてである。

どちらも、アイルランド語と英語の2原語表示となっている。
まず、アイルランド語で表示したのち、あとで英語となっている
点に注目したい。

ルアス内に限らず、アイルランドでは、道路標識などもすべて
2原語表示となっている。

司馬遼先生によれば、アイルランド語はゲール語(Gaelic)と
いうのだそうで、アイルランドの第一国語である。

ゲール語については興味があったので、タクシーの運転手さんに
聞いたところ、
「小学校で習う。家の中ではアイルランド語(ゲール語)で話すよ。
多くの家庭がそうでなないかなあ」とのことであった。
この時かれは、「Irish」という言葉を使ったが、これがゲール語であろう。

別の本によれば、ゲール語を話せる人の就職を優遇したり、大学入試に
ゲール語を必修とする政策もとられていたようである。

司馬遼先生は、ことさらアイルランド人のイギリスへの怨恨の深さを強調する。
何しろ、アイルランド人はイギリス人のことを
「プロテスタント野郎!」とののしるのだそうだ。

そのほかに、アイルランドの沿革を語る上で重要なのは、
彼らがゲルマンでもなく、ラテンでもなく「ケルト人(Celt)」
であることだという。

 「古代、ヨーロッパの中部や西部に住んでいた先住民族で、
  鉄器時代には参加したものの、広域国家を形成せず、家族
  あるいは部族単位で散居していたため外敵に弱く、また歴史に
  強力な足跡をのこすにいたらなかった。
   古代のギリシア世界やローマ世界からみれぶ、ケルト人たちは
  忌むべき蛮族で、鬼のように思われていたらしい。げんにしばしば
  文明世界を侵略しては、殺戮して去った」(アイルランド紀行 I、19P)

しかし、これほどの蛮族ではなく、ゲルマン人にも影響を与えるほどの
文化をもっていた、ということも「アイルランド」(オフェイロン著、岩波文庫)
には書かれている。

いずれにしろ、アイルランド人はケルト人としての誇りを強烈に持ち続け、
英国支配下にも、その原語を温め今日に至っているというわけである。

「アイルランド」の著者オフェイロンは、1900年に英国の植民地である南西部の
コークに生まれ、英国の帝国主義的な文化のなかで育ち、大英帝国の臣民として
生まれたことを誇りに思って、将来は「紳士」になることを夢みていたらしい。

しかし、16歳の時(1916年)にイースター蜂起が起きて、アイルランドの民族主義に
目覚め、1918年にはアイルランド義勇軍のメンバーとなった。

ゲール語は、アイルランド人の母国への愛情と誇りのシンボルと言えそう。
そこで、現在でも2原語表記をしているのだろう。

しかし、19世紀のカトリック開放運動、農民運動の指導者オコンネルは、
「ゲール語を話す貧しいアイルランド」よりも、
「英語を話すゆたかなアイルランド人」を志向した。

かれは、アイルランド民主主義の創始者として、その名前は
首都ダブリンの目抜き通り「オコンネル通り」に永遠に生きている。

デンマークで国民高等学校を創設したグルトヴィのような人なのだろう。
グルトヴィは、19世紀なかばに、
「ラテン語ではなく、デンマーク語での教育を!生の教育を!」
「貧しい人の少ない国を!それ以上に金持ちの少ない国を!」と、
農民教育に力を入れた教育者、牧師、詩人である。

えらく長くなってしまったが、大英帝国への怨恨きわまるアイルランドの
歴史のなかで、母国語ゲール語への愛着がいまだ、町のそこかしこに
感じられるアイルランドなのである。

ちなみに、「薩摩のかみタダノリ」の罰金は 45ユーロ(約8000円)。
デンマークの500クローネ(11000円)より安い。

また、アイルランドはヨーロッパの貧乏国ではもはやなく、
一人当たりGDPは英国を追い抜いている。


鍵を握っているのは医薬品だ。

アイリッシュ流正統派パブの追い出され方

2008-08-03 | 国際アイルランド
「John Mulligan」で飲めなかった我々C氏一行は、
ビール求めて、テンプルバー目指した。

夜中の12時前である。

フランス人というのは、こういう場合でも店をきっちりと吟味する。
数軒の店の中を歩いて、吟味し、ひとつのおめがねにかなった店に
入った。

「もうええやん、早よお注文せんと、店閉まってしまいまっせ」と
言いたかったが、懸命に探しているので、黙ってついて行く。


総勢5人。まとまって座れる席はなかったので、壁際のカウンターに
陣どった。店の名前は覚えていない。
私は、Guise の半パイント。
みんなの分を、C氏がおごってくれた。
気前いい!!!

12時をすぎる頃に、大きな音がして店内がザワザワと騒がしくなってきた。
お店の人が「もう出ろ」と、客を追い出している模様。


「ええ!!!2杯目頼んだばっかりなのにいい、、、」と思って移動していると、
その移動がピタリと止まった。

そう!!!

店の半分のみ空けさせて、出口に近い半分の部分にはまだいてもいいのである。

5分くらいすると、またまた大きな音がして、
「出て行け」と言う。
こんどは、残りの半分まで。

店4分の1は立錐の余地がないほどの人だかりで、あとの4分の3はもぬけの殻。

さらに、5分くらいして、みいいんなが追い出されました。

つまり、徐々に半分づつ追い出す。
これが、アイリッシュ風正統派パブにおける客の追い出し方らしい。

「いつまでも飲みたい人には、心やさしい追い出され方」であった。

こうして、われわれは、割り勘タクシーで大学寮、ホテルへと帰っていった
のでありました。