アイリッシュ・パブ「Johon Moulligan」の内部写真である。
ジョセフ・P・ケネディも通ったというパブである。
ジョセフ・P・ケネディって、誰やねん?
そう、第35代アメリカ大統領(1961年~)ジョン・F・ケネディのパパである。
ジョセフ・P・ケネディは、アイルランド系アメリカ人であり、
アメリカ人の中に4000万人いるというアイルランド系の一人であった。
当時のアメリカにおけるアイリッシュ・カトリックの星のような人で、
ボストン政財界の大物で、アイルランド系の票をにぎっていたという。
彼は、ローズベルト大統領の選挙戦で大いなる働きをして、
その褒章として、「英国大使」を願い出た。
アメリカでは、20世紀のある時期まで大統領選の功労者に外交官の
ポストを与えるという伝統があったらしい。
1937年~1940年の4年間で、世界中がヒトラーにふりまわされていた時代
である。
この情報は、司馬遼太郎の「街道を行く 31アイルランド紀行」によっているが、
J・P・ケネディは、親独家で反英主義者であった。
アイルランドにおけるイギリスの略奪を思えば、当然のことであるが、
「英国でいやしめられぬいてきたアイリッシュ・カトリックが、アメリカを代表して英国に乗り込むのである。劇的といえば、これ以上に劇的なことはない」と司馬遼をして言わしめるほどに、劇的な出来事である。
ジョセフ・P・ケネディは、反英であるがゆえに、
ナチスのユダヤ人狩りにもナチスのほうに同情的であったらしい。
とにかく、駐英大使の時には、英国がアメリカとともに戦わぬよう、
英国をアメリカから遠ざけることに心血を注いだらしい。
ローズベルトも、アイリッシュ・カトリックの大票田を失う事を恐れ、
反英そのものの大使を英国に送り込み、
その後どうすることもできなかったという。
そうした、ジョセフ・P・ケネディも通ったというアイルランドでも最も古い
パブ「John Mulligan」の写真である。
行くのが遅くて、(と言っても11:30くらい)
ビールにはありつけなかったが、アイルランドでも最も古い
というパブに15分は留まって、
ビールも飲まずに、その古風な佇まいに
「ああ、ここで飲みたかった!!」と、歯軋りした次第である。
こうしたパブは、日本の観光案内書には書いていない。いなかったと思う。
フランス人がフランス語版 ロンリー・プラネットのようなものを持っていて、
「今夜行こう」と誘われて、従った。
アイリッシュ・パブには数軒入ったが、これほど古いぱぶは他にはなかった。
「ほんまに、ここでGUINES 飲みたかった!」

ジョセフ・P・ケネディも通ったというパブである。
ジョセフ・P・ケネディって、誰やねん?
そう、第35代アメリカ大統領(1961年~)ジョン・F・ケネディのパパである。
ジョセフ・P・ケネディは、アイルランド系アメリカ人であり、
アメリカ人の中に4000万人いるというアイルランド系の一人であった。
当時のアメリカにおけるアイリッシュ・カトリックの星のような人で、
ボストン政財界の大物で、アイルランド系の票をにぎっていたという。
彼は、ローズベルト大統領の選挙戦で大いなる働きをして、
その褒章として、「英国大使」を願い出た。
アメリカでは、20世紀のある時期まで大統領選の功労者に外交官の
ポストを与えるという伝統があったらしい。
1937年~1940年の4年間で、世界中がヒトラーにふりまわされていた時代
である。
この情報は、司馬遼太郎の「街道を行く 31アイルランド紀行」によっているが、
J・P・ケネディは、親独家で反英主義者であった。
アイルランドにおけるイギリスの略奪を思えば、当然のことであるが、
「英国でいやしめられぬいてきたアイリッシュ・カトリックが、アメリカを代表して英国に乗り込むのである。劇的といえば、これ以上に劇的なことはない」と司馬遼をして言わしめるほどに、劇的な出来事である。
ジョセフ・P・ケネディは、反英であるがゆえに、
ナチスのユダヤ人狩りにもナチスのほうに同情的であったらしい。
とにかく、駐英大使の時には、英国がアメリカとともに戦わぬよう、
英国をアメリカから遠ざけることに心血を注いだらしい。
ローズベルトも、アイリッシュ・カトリックの大票田を失う事を恐れ、
反英そのものの大使を英国に送り込み、
その後どうすることもできなかったという。
そうした、ジョセフ・P・ケネディも通ったというアイルランドでも最も古い
パブ「John Mulligan」の写真である。
行くのが遅くて、(と言っても11:30くらい)
ビールにはありつけなかったが、アイルランドでも最も古い
というパブに15分は留まって、
ビールも飲まずに、その古風な佇まいに
「ああ、ここで飲みたかった!!」と、歯軋りした次第である。
こうしたパブは、日本の観光案内書には書いていない。いなかったと思う。
フランス人がフランス語版 ロンリー・プラネットのようなものを持っていて、
「今夜行こう」と誘われて、従った。
アイリッシュ・パブには数軒入ったが、これほど古いぱぶは他にはなかった。
「ほんまに、ここでGUINES 飲みたかった!」

アイルランドに来て驚くのは、
各家のドアの色が違うこと。
尋ねてみると、
「それは、自分のアイデンティティを表現したいから」
とのこと。
イギリスからの独立を1916年に勝ち取った国民ならではの、
自己主張なのだろう。
それぞれが自己を主張して、全体の景観を損ねているのではなく、
レンガ色で統一された景色に、いきいきとしたアクセントを
与えている。
これは、市の住宅局の人の話だから、間違いないと思う。
人間もとてもやさしい。
とくに若者のやさしさに導かれて、
今、UCD(University College of Dublin)にいるが、
ここに来るまで、途中でさまよっていた私を二人の学生が
拾ってくれて、最終目的地まで連れて行ってくれた。
やさしい若者が育っているというのは、宝ものだと思う。
働いても、働いても、学んでも、学んでも幸せになれないことの
多い日本では、心もすさんでくるのでは?
と、思ってしまった。
若者の未来に、乾杯!
各家のドアの色が違うこと。
尋ねてみると、
「それは、自分のアイデンティティを表現したいから」
とのこと。
イギリスからの独立を1916年に勝ち取った国民ならではの、
自己主張なのだろう。
それぞれが自己を主張して、全体の景観を損ねているのではなく、
レンガ色で統一された景色に、いきいきとしたアクセントを
与えている。
これは、市の住宅局の人の話だから、間違いないと思う。
人間もとてもやさしい。
とくに若者のやさしさに導かれて、
今、UCD(University College of Dublin)にいるが、
ここに来るまで、途中でさまよっていた私を二人の学生が
拾ってくれて、最終目的地まで連れて行ってくれた。
やさしい若者が育っているというのは、宝ものだと思う。
働いても、働いても、学んでも、学んでも幸せになれないことの
多い日本では、心もすさんでくるのでは?
と、思ってしまった。
若者の未来に、乾杯!
